48. 誇り高いに決まってる(1)

 溶けかけてグシャグシャになった雪を踏みしめて家に帰ると、義父は仁王立ちで待っていた。

 玄関の戸を開けた、すぐ真ん前でだ。

 カッと目を見開いた顔に、苦笑いを送る。


「残念ですが、フラれましたよ」


 黒い外套の肩、制帽の上に乗った粉雪を払いながら言う。

 義父は、ふう、というため息とともに肩を落とした。


「非常に残念な報告である」

「ご期待にえず申し訳ございません。ですが、家に上がらせていただけませんか? 柳津少将?」

「うむ。問題ないぞ、柳津中尉」


 革靴を脱いで、和洋折衷の文化住宅の廊下を並んで進みはじめれば。


「おまえも冷たい男だなぁ……」

「生涯独身を貫く覚悟のおっさんに言われたくないね」


 父子おやことしての会話が始まる。


「そうは言っても。また罪のないお嬢さんに涙を流させてきたのに何も言わないわけにいかない」

「今回はフラれた側だ。泣くのは俺」

「その、俺は悪くない、みたいな言い方は止めなさい」


 まったくもう、と義父は頭を振った。


「おまえにこそ、家庭と仕事の両立ってのを成し遂げてもらいたかったのに。なあ、史琉君」

「気色悪い呼び方をするんじゃない!」


 つい怒鳴ってしまって、しまった、と頬を引き攣らせる。

 案の定。義父は、部屋の隅に向かい、そこでちょこんと丸まってしまった。


「いじけるなって…… 俺が悪かったよ」

「そうだそうだ。父を虐めるとはどういう料簡だ」

「はいはい、悪かったって」


 気持ちを込めて肩を撫でてやると、満面の笑みで振り向かれた。

 溜め息が出る。


「それで。飯はまだか」

「……着替えくらいさせてくれよ」


 自室の衣桁に濃紺の肋骨服をかける。

 入隊したばかりに着せられたものとは、肌触りが全然違う。生地の肌触りにまでこだわりをもって作れるのは、階級が上がったからだ。

 そして、ただの一兵卒として入隊した自分が尉官に昇進したのは、義父と縁組したから。


 義父に送り込まれた士官学校。

 良家の子息が十八で入ってくる学校に、二十歳で紛れ込むのはなかなか苦労が多かったが。

――良かったとは思っているよ。

 昇進すれば、軍人としてできることが増えるのだ。青臭い、でも求めたい、理想に向っていくためにできることが。


 そもそも、義父も自分に期待しているのは夢の続きだ。

 家族ごっこではない。

 とはいえ。

 五十五の父と二十四の息子。血の繋がりなんてまるでない二人だが、同じ屋根の下で騒いでいると、確かに父子だなという気がしてくる。


――飯を作ってやるのも、悪くない。


 表の台所に戻ると、義父はまたきょとんとなった。


「史琉君。また洋装なの?」


 白のワイシャツ。下衣も、和袴ではなく軍で穿いている長袴と同じ形のものだ。

 冬の風に抗うために綿入りの上かけを着ているが、それだけ和服。ちぐはぐだ。


「中も着流しにすればいいのに」

「歩きにくいから嫌いだ」

「違うでしょ? 壊滅的に似合わないからでしょ」

「ほっといてくれ!」


 また怒鳴る。今度は平気だったらしい、カラカラと笑っている。

 それを見届けてから、眼鏡をかけて、台所に立つ。


「眼鏡があるとすこーし怖くなくなるよね」

「左様ですか」

「たぶん、睨まれたって分かりにくいから」


 適当なあいづちを打ちながら、仕込んでおいた昆布出汁を鍋に入れる。沸かす。豆腐と鶏団子と白菜を放り込む。


「史琉君、史琉君。長葱は?」

「今から入れるよ」

「〆はうどん?」

「じゃあ、そうするか」

「酒は何にするかな~?」


 はたと振り返ると、食卓には既に一升瓶が置かれていた。硝子の灰皿もだ。

「食い始めるどころか出来てもいないのに。早えよ、この酒乱!」

 叫ぶ。

「煙草も! 吸い過ぎ!」

 だが、もくもくと煙をあげて、あかい顔で義父は笑うだけだ。

 肩を落とす。とはいえ、口の端でも目元でも、笑みが浮かぶ。



 酒を呑み、紙巻煙草をふかし、豪快に笑う人。

 そんな人の、春の終わりのちょっとした風邪、のはずだった。なのに、こじらせて、肺を悪くして、あっという間に彼岸に渡っていった。


 ただ、義父は遺していってくれたものがあった。

 名前。財産。夢。そして、懐中時計という形見の品。


 苦労を分かち合ったはずの養母は、遺書に書かれていたことを鮮明に覚えているが。

 実の父母に至っては、顔を思い出すのでやっとだ。




 *★*―――――*★*




 新聞社の、喧騒からは切り離された一角――もっとも、壁などはなく、衝立で仕切られているだけなのだが。

 そこには、低い卓子テーブルを囲うように洋風の布張り椅子が四つ、置いてある。


 椅子の一つに腰を下ろしていた人の顔を見て、息を呑む。


「部隊長殿直々じきじきに来ちゃうんだ」

 斎も驚きの声をあげた。


 濃紺の肋骨服、襟元に徽章が一つなのはいつもどおり。だが、制帽と白い手袋は脱いで、揃えて置いてある。軍刀も腰から外して、膝のすぐ横に立ててある。

 手元には革張りの手帳。


 斎を、その隣に立つ倖奈を見てから、ゆっくりと、史琉は銀縁眼鏡の奥の目を細めた。口許は音も無く動かされる。


「取り次いでもらわなくても大丈夫になったよ」


 そう笑って、斎は史琉の真向かいに腰を下ろす。

 倖奈は一瞬ためらって、対面になった二人両方が見える位置の椅子に座った。


「僕に御用なんですね」

「ええ」

「憶えていてもらって光栄ですよ!」


 斎が満面の笑みでいる一方で、史琉は小さく息を吐いた。


「普段は人の名前なんか憶えていないんですけどね」

「僕は覚えていましたよ。だから、話題に上った時にすぐ分かった」


 斎は前のめりになって捲し立てる。


「ご用件があっておいでいただいたんだとは思うんですけど。僕もあなたの話を聞きたいんですよ」


 彼は勢いよく、抱えていた紙の山から一つ、束を抜き取った。

 卓子の上に広げて、真ん中を指差す。


「この少年――あなたでしょう?」


 促されるままに覗きこんで。

「……新聞? 雪都新聞?」

 倖奈は首を傾げた。

「北方鎮台の地元紙じゃないですか」

 史琉はひくく唸る。


 日付は十五年前。紙は茶けて端がボロボロになっているが、刷りこまれた顔料インクはいまだ鮮やかで、文章も写真も読み取れる。

「夕暮れの村が魔物に襲われて、同時に火災も発生し、住人の大半が亡くなったという事件です」

 そこだけ、斎は淡々と述べた。

「電話網も行き届いてない時期、場所での話です。近隣の村も気付くのが遅れ、当然、北方鎮台への通報も早急にはなされず、それが惨事につながったと考えられます。

 写真は惨劇後の、軍による救助活動と村の様子。それと、生き残った住人」


 そこからは、ぱっと顔を明るくした。


「生き残った一人として、三沢史琉少年、との名前が載っている」


 ね、と斎が言うのに合わせ、そろりと顔を見上げた。

 史琉はすうっと冷えた顔をしている。


「何故、この話を?」


 声も寒々しいのに、斎は気にしていないらしい。


「貴方のことを知りたかったんで、調べたんですよ。

 名前が分かっているから、辿たどれるって思ったんですけど。柳津ってのは、養子縁組した後の苗字で、入隊時は苅田っておっしゃったんでしょう? ビックリしました。でも、軍の資料で追えたのはそこまで。

 どうしようかと思って、取り敢えず、入隊前十年くらいの北方の新聞を確認してみました。そうしたら、『苅田』との名前のご婦人がこの記事に出てきていたんだんですよ。そして隣に映る、おなじ下の名前の少年。年の頃も合っているから、貴方だと分かる。

 新聞ってすごいでしょう?」


 おおらかな笑みを浮かべて、斎は言いつのる。


「おそらく、同じ村の生き残った者同士で暮らしてたんだろう、と僕は推察する。

 そして、関係があると簡単に想像できる。この事件と、貴方が軍隊の中でわざわざ救助を優先した理由。だからね。是非、お話しいただけませんか?」


 記者がやっと言葉を切ると。


「以前、新聞は真実を伝えるのが仕事、とお聞きしたように記憶していますが」

 史琉はゆるい笑みを浮かべた。

「その理念と私の出身を探ることとどんな関係があるのか、ご教授いただければ、考えも致しますが」


 へ、と斎が瞬く。

 倖奈も口を挟めずにいると、史琉は、かるく笑い声を立てた。


「軍だって、理念のもとに動いているのですよ。

 魔物退治のため存在です。開国の前、それこそ数百年前の武士が集まってできた幕府の頃から変わらない」


「……歴史の授業ですか? 僕はこの国の歴史は興味ないんだよ」

 斎はむくれた。

「そうですか、残念」

 ふう、と史琉が首を振る。

「一応、ひととおりの知識は持っている」

 すると、斎はさらに頬を膨らませる。


「ちゃんと話題にのれますよ。たとえば…… 有名どころでは宇治うじ義高よしたか公ですかね?」

「いいですね。軍の中でも、尊敬する偉人として名が上がることが多いですね」

「そういう大尉さんは? どう思われているんですか」

「私も好きですよ。吉野の合戦などは、今でも戦術的に学ぶところが大きいですし。いがみ合う勢力に睨みを効かせて自身で天下を布武した、その豪胆さも見習いたいところだ」


 な、と視線を向けられて、倖奈は首を傾げた。


「義高公のはなしなら、北の方との話が好き」


 すると、斎も、史琉も、目を丸くして。

 それから、くっと笑われた。


「ああ…… 有名な逸話だな」

「フロイラインも女の子だねえ」


 男二人は肩を震わせている。倖奈は眉を寄せた。


「だって、小さい頃から読み聞かせられたもの」

「男の子はそれこそ、吉野の合戦とか、そういう話を聞かされるの。皇国の歴史上一番のおしどり夫婦と言われる話を聞いて育つのは女の子」

「実際どうだったんでしょうね。歴史物語は長く語られているうちに大分色づけされていますから」


 ひとしきり笑って。

「真実に脚色は要らない。涙を誘うのは物語の中だけで結構ですよ」

 そう言って、史琉は革の手帳から紙を取り出した。


「怒りをあおり立てるのも同様です。

 今たしかに、我が鎮台の司令官は情けない行状ですよ。ですが、ここまで書きたててくれたのは、こちらの新聞だけだ」


 倖奈が持ってきたのと同じ紙面だ。その大きな記事の文章の最後をささくれた指先が示す。

 斎の名前だ。


「誰に文責があるのかを示していただけるのは、大変有難い。御蔭で今日、ご忠告に来られましたから」

 畳んでしまいながら、史琉は笑みを消さずにつづけた。

「新聞は近衛隊のほうにも届いています。そこから主上の目にも触れるかもしれません。こちらが真実かどうかお知りになりたいと言われた際には、私共直属の部下からご説明に上がらないといけないでしょうね」


 眼鏡を押し上げた鎮台の大尉に、う、と斎が呻く。


「記事の根拠を示せって言うの……!?」

「いいえ。火のない処になんとやら、ですからそれには及びません。ただ事実を広めているだけ、でしたら謝罪も何も不要です」


 淡々と史琉は告げる。

 衝立の向こうからも、悲鳴めいたものが聞こえる。

 すこしだけ、その声の主を憐れに思った。



※義高公のはなしなら

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887551948

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