49. 誇り高いに決まってる(2)

「……それで?」

 と、項垂うなだれたいつきが言った。


「大尉殿のご用件は文句をいうことだけですか?」

「そちらはオマケですよ」

「本当かな……」


 ジトッと睨まれても、史琉は涼しげに笑った。


「本当ですよ。ご協力をお願いするために来たんです。軍の強化にご協力いただけませんか?」


 大袈裟な溜め息を吐いて、斎は背筋を伸ばす。


「あの文句の後だと、協力しないとどんな不利に突き落とされるか、分かったもんじゃない」

「そのあたりはご自由にお考えください。

 我々は、この目的を達成するのに新聞社のお力を借りるのが一番だと判断した。だから、お願いするのです」


 銀縁の眼鏡を指先で押し上げて、史琉は続けた。


明後日みょうごにち、皇都鎮台の部隊が大規模な訓練を決行します。それを都の住人にあまねく知らせるのに、御力を借りたく」

「わざわざ知らしめなきゃいけないことなんです?」

「ええ。今回は通常とは異なり、市街地で行いますので。私ども訓練に当たる部隊の者が必要なのは、訓練に巻き込まれる住人を減らすこと。そのためには事前に退避をお願いしたいのですが、それには情報を流すことが一番なんです」


 手帳を開いて、史琉はよどみなく喋る。


「訓練は午後一時、三条通りから駅前通りに向けて開始。鎮台の十ある部隊のうち、三部隊で行いますが、状況によっては増援もありえます。目的は市街地での戦闘における民間人避難の誘導効率化と、万が一の魔物が増えた場合の対処の確認です」

「待って待って。魔物が増えた場合って、そんなこと考える必要があるんです? 大体の場合は、魔物は一体ずつのような印象ですけど」

「ここ数ヶ月、昨年の初秋以降の傾向は逆です。一度に多数が沸くことが多い。

 それを考えると、もしかしたら、一体の魔物をきっかけに大物が引き上げられるかもしれない――この間逃げた魔物なんかね」


 一度顔をあげた史琉は、口の端を片側だけ上げた。

 斎もにっと頬を緩める。


「もしかして、例の魔物を捜すんじゃなくて、おびき寄せようとしている? そんな情報、リークしちゃって大丈夫なの?」


 衝立の向こうでも、息を呑む気配がする。


「ご自由にお考えください」

 静かな溜め息とともに、史琉は視線を手帳に戻していった。


「加えて、現在鎮台では魔物を退治しきれなかった場合にどのような対応が取れるかも検討中です。実際にそういった行動が可能かどうかの検証も兼ねています」

「その、退治できなかった時の対応とは?」

「そうですね――具体的には、捕獲する、でしょうか。既に過去の事例は集めています」

「うっそだろ…… そっちも詳しく聞かせてくださいよ。資料はないんですか?」

「今日は持っていない。もしご入用なら、今回の件が上手く行ったら、鎮台へお越しください」

「ちぇ、成功報酬ですか。

 ――ここまでをまとめると、明後日は訓練と言う名の、魔物捕捉を目指した作戦ということで間違いないですよね」


 倖奈がきょとんとしている間に、斎は嬉々として万年筆を紙の上に走らせている。


「じゃあ、本当に明日のに掲載してしまいますよ?」

「どうぞ」


 史琉は頷いて、手帳を閉じる。

 勢いよく立ち上がった斎が、衝立の向こうに叫ぶ。


「おおい! 明日の分の印刷を止めろ! 記事を差し替えるぞ!」


 向こう側の騒めきと足音が大きくなる。

 斎は書付をそちらへと投げて、くるりと振り向いてきた。


「名前を掲載させてもらっていいんですか」

「誰が喋ったか書いた方が信憑性が増すのでしょう? そうであるなら仕方がない」

「ついでに、秋の救助の件ももう一回載せられるか、編集長に言ってみましょうか」

「……それは今更。結構です」

「はいはい、遠慮しないで!」


 結局、斎も、衝立の向こうに走っていく。

 史琉と残されて、倖奈は肩を縮こまらせた。


「予想以上に喰いつかれた、気がする」

 小さな笑い声に、顔を見上げる。

「良かったの?」

「秋の宮様の行状を覆い隠すほどに書き立ててくれればいいんだ。正直、これだけの話でこちらの意図通りの記事が出回るなんて思っていない。

 それに、人がいようがいまいが、は実施してしまうんだ」


 眼鏡越しの視線を向けられる。心臓が跳ねる。


「……おまえも『かんなぎ』なんだよな」


 つい、瞬いた。慌てて頷く。


「それなら――頼むべきなんだろうな。参加してくれ、と」

「そうなの?」


 心臓が煩くなる。両手で胸の上を押さえる。


「さっき言っただろ? 魔物を捕捉する、ということを考えているんだよ。それには――」


 と、彼は笑みを向けてきた。

 心臓が跳ねる。呼吸が止まる。


「魔物を捕まえるのには、おまえの力が使える」


 夏の話だ。朝顔の蔓に、引っかかった魔物のこと。

 それのことか、と戸惑っている間に。


「だが、無茶はするな。おまえは絶対、戦闘に向いてない」


 彼は手元に視線を戻していく。また手帳を開いて、何か書きつけている。

 倖奈はどうにか息を吐き出して、肩を落とした。


 衝立の向こうはまだ騒がしい。

 斎が戻ってきて、大丈夫だそうですよ、と胸を張った。


「明日一面に訓練予定の記事が載りますので、ご確認ください」

 ただ、と斎は唇を尖らせる。

「秋の救護の件はやっぱり駄目ですって。残念だなぁ、十五年前の事件も含めて、美談として書けるのに」

「だから、お断りだ」


 すうっと表情を冷ます。冴えた視線に、倖奈も、斎も、黙りこくる。

 その中で史琉は、コツン、と革靴と軍刀の鞘の先が木の床を鳴らした。


「それでは、本日はこれで失礼します」

「はいはい! こちらこそ、ありがとうございました!」


 軍刀を腰に下げた彼に、すいっと振り向かれた。


「行くぞ」


 視線が絡む。あ、と呟いて。慌てて立ち上がる。

 斎がむっと頬を膨らませるのが見える。


「フロイラインも帰るの?」

「ええ。ごめんなさい」

「用事は済んでるの?」

「……魔物の話が聞けたらと思っていたの」

――あと、秋の宮様と美波の写真のこと。


「ごめんなさい」

 腰を折る。

「そう、残念」

 肩を竦められる。


「折角だから、本当に喫茶店に行って良かったのに」

「珈琲は嫌いよ」


 応じると、斎は大きな溜め息を吐いた。


「まあ、いいや。また今度。

 それと、協力できるところは協力できるといいね。今回みたいにね」

 お社での件は失敗、と念を押される。ぎゅっと両手を握って、頷いた。





 ちょっと蒼い顔の新聞記者たちに見送られて、外に出る。

 走ってきた路面電車に乗り込む。夕暮れ時、家路を急ぐ人で混みあって、座席はいっぱいだ。


 中ほどの手摺てすりにしがみついて、揺れと戦う。

 はぁ、と小さく息を吐く。

 それから隣に立つ史琉を見上げる。


 いつもと同じ濃紺の肋骨服。その胸の隠しからは、眼鏡の弦がのぞいている。

 腰の軍刀に左手を添えて、切っ先を真っすぐに床に向けているのは、他の乗客に当たらないようにするためだろう。


 そこまで見てから、自分の服に視線を落とした。

 黒と白の千鳥格子の肩掛ショールに菫色の着物と瑠璃色の袴という、くらい色の組み合わせ。だが、朱色の帯をいつもより広めにのぞかせた。襟元も白地に赤や黄色の花の柄の半襟にしたし、巾着も新しい苺色。

 ばばくさいと評されることはないと思うけれど、と顔を上げる。

 視線が合って、笑われた。


「おまえの用件は本当に済んでいたのか?」


 え、と瞬く。


「魔物の話を聞くって、何のことだったんだよ」

「新聞の記事として魔物を捜していたりしないかなって思ったの」

 結局、それは無駄足だったけれど。

「それと、秋の宮様の記事のことを、止めてって言いたかったの。でも、それはあなたも話してくれたから」

 ありがとう、と小さく呟く。


「おまえがなんで、あの記事を気に病む必要があるんだよ」

 史琉も小さく吹き出す。

「だって、美波が」

 と倖奈は眉を寄せた。ああ、と隣で頷かれる。


「宮様と一緒に写真に載ってしまっていたな。おまけに、本文では司令官をたぶらかす、稀代の悪女のような書かれ方をしている」

「美波はそんな、宮様を悪者にしようだなんて考えていないはずだもの。なのに、あんな――酷い」

 さらにつよく眉を寄せる。

「本人のつもりはどうであれ、面白可笑しく感じられるように、書かれてしまうものだからな」

 苦笑いを向けられても、首を振る。


 やっぱり、自分のことを書かないようにしてもらっていて良かった、と思う。

 同時に、明日載るという記事に不安が募る。


「これで、史流のことを悪く書かれたら。わたし、我慢できない」


 くっと、彼が笑い声を零す。

「我慢できないって、どうするつもりだよ」

「また文句言いに行くわ」

 むう、と唇を尖らせれば、さらに史琉は笑った。


「多少悪く書かれても俺は構わないさ。この悪人面だ、まともなことを言っているというよりは、そのほうが絵になる」


 だけど、と首を振る。


「三十を目前にしても、まだ青臭い夢を追いかけるような奴だと書かれるのは、ちょっと耐えられないけどな」


 そう呟いた、薄い唇。ずきん、とまた胸の底が疼く。


――夢。


 ミルクホールに行った日の会話を思い出す。

 真希の夢は、自分の店を持つこと。菜々子は、教師になることだ。

 勿論、なることそのものが目標ではないはずだ。何か成し遂げたいことがあって、そのためにまず、その夢を目指しているのだ。

 同じように、史琉もなにか、目指すところがあるのだろうか、とふと思った。


――この人は何を夢みているんだろう。


 先ほど見せられた古い新聞を思い出す。

 事実が事実のままに書かれていたらしい、記事のことを。




 ぎゅうぎゅう詰の中から押し出される。

 後は、通りの先の、万桜の邸まで歩くだけ。もうとっくに、急がねばいけない時刻。

 赤い夕陽が引き延ばすことができるのは、石畳の上に落とす影だけだ。


 影は二つ。倖奈と、史琉。


「こっちまで来ちゃうと、鎮台が遠いのではないの? 早く帰らなきゃいけないのは、あなたもではないの?」

――だけど。


 もっと顔を見ていたい。送ってもらえて、たしかに喜んでいる自分がいる。

 なんというワガママだろう、と両手で自分の頬を押さえる。だけど、編上靴を履いた足はピクリともしない。

 史琉の革靴も、石畳を踏みしめて、動かない。


 そろりと顔を上げる。

「一つ、確認だ」

 笑みとも何ともつかぬ表情で、彼は言った。

「シロはどうしているんだ」


 ぱちぱちと瞬いて。

「わたしが出てくる時は、日向ぼっこしてたけど」

 首を傾げる。


「まだ二月だぞ。寒いだろうに」

「うん。風、冷たいよね。でも平気みたい。毎日、日向ぼっこして、ご飯食べて、万桜様を怒らせてる」

「……最後の一点はともかくとして、人間みたいな体で暮らしているってことか」

「そうね」


 斬った着物を直すのに、ビックリするような提案をされたのだが、それについては黙って。


「この間の晩から、何も変わったところなんかないわ」


 言うと、吹き出された。


「変わったところがないとは言え――結局は魔物のようなものなんだろう?」

「そうだけど」

「やっぱり街中に放り出しているというのは、落ち着かない」


 そして、史琉はしずかに制帽の庇をさげた。


「あの化け物がいる屋敷におまえを帰す、というのがな」


 聞こえた呟きに、また瞬く。

 夕陽を背に受けた史琉が、いつになく真っすぐに見つめてきていた。


「無事で良かったよ」


 白い手袋に覆われた右手が伸ばされてくる。

 身を竦める。


「この先も無事でいてくれ」


 頬の横で揺れる髪の先を掠めるだけで、指先は離れていく。

 それを追いかけるように身を乗り出して。

「わたしも」

 と言った。


「あなたが怪我したりしなければいいって祈ってる」


 吐き出した言葉に、自分でも瞬いて、頬が熱を帯びていくのを持てあます。

 だから、下を向いた。


 くっくっと、彼が喉を鳴らすのが聞こえる。


「有難う」

 そう言われたのも、たしかに聞いた。

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