47. 書いてあることが全て

 脚がガクガク震える。腕もプルプル揺れる。

 そんなでも、背筋を伸ばし、表情を引き締めて、まっすぐ歩いていける。こんな自分はエラい、超エラい。

 そう鼓舞していないとやってられない。


――菜々子もそう思うだろ!?


 皇都鎮台の中央に位置する建物の、北向きの一室。第五部隊の執務室。

 今此処ここには、部隊長だけでなくて、他部隊の尉官もいると知っている。

 だから、その扉をくぐったところで、颯太はビシッと挙手の礼を決めた。


「ご報告を」

 そう言葉を発したのは、隣に立っている櫂だ。

 きっと彼も体中ガクガク言っているだろうに、礼をとった腕も、声も、まったく震えていない。

「無事に午前の訓練を終了しました」


「ご苦労様」

 そう応えてくれた部隊長――釣り眉に三白眼という強面の上官は、窓際の大きな机ではなく、部屋の真ん中の応接椅子に座っていた。


 低い卓子テーブルを挟んだ向かい側には、年嵩の男が二人。

 そのどちらも、袖にあしらわれた刺繍が、大尉であると示している。肩章は松重、縫い取られた数字は別々のもの。


「高辻副官の訓練は特別厳しいと云うが、よくもビシッと立っていられる」

 特に体が大きい方が言うと。

「当人の努力によるところも大きいでしょう」

 武士然とした外見の大尉も言う。

「お褒めに預かり、恐縮です」

 櫂がさらりと受けたからか、隊長殿は苦笑いを浮かべていた。


――第八部隊の隊長さんと第九部隊の隊長さん、だったよな。


 何をしていたのか、と三人が囲む卓子テーブルを見れば、新聞が何部も広げられていた。字の並びや写真を見る限り、すべて違うものらしい。

 颯太がそう思っている間に、隊長殿も他の二人も一緒に立ち上がった。


 銀縁眼鏡の縁を押し上げながら、第五部隊長、颯太の直属の上官が口を開く。

「園池。駒場。この後の指示を高辻少尉から何か受けているか?」

「いいえ、特別は」

「そうか――じゃあ、園池に伝令に行ってもらおうかな。

 少尉に告げろ。哨戒までは休憩で構わないが、引き続き部隊の指揮を頼む、と」

 櫂は、はい、と頷いて、扉を出て行く。


「お、俺は――」

「駒場はこっちを手伝え。荷物運びだ」


 左手で示された先。いつもの机の上に、帳面ノートが山と積み上げられている。


「これから鎮台の司令官室に行く。そこまで運んでくれ」

「あ、はい」


 手を伸ばしながらその表紙を眺めれば、この一ヵ月ほどずっと格闘していた、皇都での魔物の目撃情報のまとめだと分かる。


――司令官室ってことは、将軍閣下にご報告ってことかな?


 先に歩き出したのは、第九部隊長。ついで第八部隊長。最後についた第五部隊長に、付いてくるように促される。

 先頭は、大きな体に見合った大股。次もまた歩幅が広い。脇に革張りの手帳と何冊もの新聞を抱えた隊長殿は、早足。

 そんなわけで、颯太は小走りだ。


 四人で建物正面の大きな階段を昇った先、樫の扉の前で、また一人、尉官が立っている。こちらもよく見かける顔、将軍の秘書官だ。


「お待たせしました、柳津大尉、藤江大尉。梶川大尉も」

 そう、秘書官が言うと。

「待たせたのは、筒井少尉ではなく、宮将軍その人ではないか」

 第九部隊長が大声を返す。

「……ははは、そのとおりですよ」


 苦笑いの軍人は、どうぞ、と扉を開けた。

 ずんずんと三人の隊長は進んでいって、第五部隊長だけは、戸の傍ではたと颯太のほうへ向いてきた。


「早くしろ」

「ええっと…… 俺も、ですか!?」

「その資料を運び込んでもらわないと、話が進まない。ほら、早く」


 苦笑いの上官に手招かれ、そろりそろりと、踏み込む。


――この部屋は初めてなんだけどぉ!?


 どんなにいかつい部屋かと思ったが。


 扉の正面、大きな樫の机の反対側に居たのは、雑誌から飛び出してきたような、男女二人。華やかな二人だ。


 一人は、整った顔立ちの青年。

 濃紺の肋骨服に制帽だが、袖の刺繍は金糸。右肩では飾緒が揺れ、左胸には勲章が下げられている。電球の灯りを弾いているのは、襟元の徽章だろうか。

 肩章と袖章から分かるのは、他ならぬこの鎮台の司令官だということ。


――ひょえええええ…… まさか、こんな近くで見れるとは!


 秋の宮、と呼びならわされている人。この国で一番偉い人の実の弟だと聞かされている。

 伏し目がちの目元の睫毛は長く、指先は白い手袋に覆われていても繊細さが分かるほど。どこをとっても田舎で馬と一緒に育った颯太とは違う。


――こ、これが気品ってやつなのか……!


 ごくりと唾を呑みこんで、その横に立つ赤い振袖の女子へと、視線を移す。

 十八歳の颯太と変わらない年頃だろう。ちょっと垂れ目で、ぽってりと濡れたあかい唇と、しろい肌。華奢な左手には、やっぱり赤い宝石が輝いている。


――この子、誰だろう。


 どこかで見た気もすると首を捻っていると。


「駒場」

 呼ばれた。

「は、はいいいい!?」

「資料を閣下へ」


 忍者の忍び歩きもかくや、という足取りで、颯太はその正面の机に、帳面を下ろした。

 それらが雪崩を起こさないことを確認して、後ろに下がる。


「お疲れ様」


 ふわりと、司令官に笑いかけられた。

 ぎくしゃくと、右手をあげる。


「ありがとうな、駒場。外で待ってろ」

 隊長には小声でそう言われ、そろりそろり退出。


 そして、閉じられた扉の前にポツンと立つ。

 正面の階段をくだった先、玄関脇には歩哨が立っているが、それ以外に行き交う人は少ない。


「暇だ……」


 ぐい、ぐい、と首を傾げて、えいっと腕を伸ばす。

 深呼吸。

 吐き切ってしまうと、耳が冴える。


 分厚い扉の向こう側は、揉めているようだ。


 第九部隊長の大きな声、第八部隊長の太い声。時折混じる、高めの声は柳津隊長。秘書官と思しき、宥めるような声も混じる。


――なんだろう。


 首を傾げているうちに、静かになった。


――宮様の声は聞こえなかった…… かな?


 バン、と戸が開く。慌てて、手を上げる。


 部隊長三人が、三人とも、渋い顔で出てくる。腰に下がった軍刀が、床に揺らぐ影を落とす。

 うん、と唾を呑みこむ。


「梶川大尉、藤江大尉。ありがとうございました」

 と、仕切り直すように言ったのは、柳津隊長だった。

「土壇場でとは言え、ご承認は頂けたのだから、良いと思おう」

 憮然と頷いたのは、第九部隊長で。

「こちらこそ、当日はよろしく頼む」

 にこやかなのは第八部隊長。


 そうして、彼らは別の方向に歩き出す。颯太は自分の隊長についた。


「しかし、忙しいな」

 臙脂の絨毯の上を危なげなく歩きながら、革張りの手帳を繰り、柳津大尉は笑う。

「当日って言っても、もう明後日あさってじゃないか」

「……当日?」

 瞬くと。

「作戦当日だよ」

 と返される。

「なんの作戦ですか……?」

 重ねて問うと。

「魔物の捕獲だよ」

 ニヤッと笑われた。

 思わず、叫ぶ。


「ほ、ほほほほほ、捕獲って」

「捕まえるってことだなぁ……」


 颯太が、ぱくぱくと口を開け閉めしている間に。

 大尉は手帳を閉じ、代わりに懐中時計の蓋を開けていた。


「……まだ時間はあるな」

 呟いて、眼鏡を外し。振り向かれる。

 ビシッと背筋が伸びる。


「駒場もご苦労だったな。高辻少尉に伝令に行ったうえで、休んでいいぞ」

「はあ。何を伝えればいいんですか?」


 くっくっと喉を鳴らして。眼鏡も時計も手帳も肋骨服の内側に仕舞ってしまった大尉は、正面玄関へと進んでいく。


「出かけてくると伝えておいてくれ」

「どこに」

「仕込みにだよ」


 コツン、コツン、と革靴の音を立てて、隊長殿は歩いていく。

 その背中を見送りながら。


――ちょっと、機嫌よかった?


 冬の初めに、あの階段での出来事が噂になって。それは、逃がした魔物の話で上書きされて。

 何かと振り回される側にいた隊長殿は、ここのところずっと不機嫌だったように思うのだが。


 颯太は首を捻った。


「まいっか」




 *★*―――――*★*




 新聞に載っていた『発行元住所』を頼りに、路面電車を乗り継いで。

 並ぶ煉瓦造りの建物ビルヂング、その玄関に掲げられた札を一つ一つ、確認して。


 目当ての建物を見つけた時、心臓が跳ねた。


 巾着から、そろりと手鏡を出して、顔を映す。

 目元があかい。そこを指先で擦って、そのまま風に流される肩上の髪を梳く。襟元を整えて、袴の折り目を伸ばして。

 呼び鈴を鳴らした。




「まさかフロイラインが訊ねてきてくれるなんて、ねえ……」


 いつきは目を丸くしていた。


「呼び出してくれたら、また喫茶店に連れていってあげたのに」

「珈琲は苦手よ」

「じゃあ、クリームたっぷりのケーキを御馳走してあげようか?」

「遠慮します」


 そう言いつつ、倖奈は出された湯呑みに口をつけた。

 渋みのある煎茶だ。ゆっくりと緑を呑みこみながら、部屋の中を見回す。


 壁一面の棚には、様々な体裁の紙が詰め込まれている。

 書籍としてのていを成すものから、ただ紐で束ねられただけのものまで、種々雑多。大きさもそろっていない。

 下側の段には、紙箱が並んで、フィルムの端が覗いている。

 壁には黒電話。斎と同じ仕事をしているのだろう男たちが、入れ代わり立ち代わり、話し続けている。その電話に語りかける声と、直接かわされるお喋りとが、わんわんと響き続ける。


 新聞社というのはこういうものなのか、と一人頷いた。


「……それで? ご用件は?」


 珈琲色の三揃い、手元には万年筆と罫線が引かれた帳面ノート。机の奥に、カメラ。

 コツン、コツン、と万年筆のお尻で事務机を叩きながら、彼は視線を向けてくる。

 まっすぐにそれを受け止めた。


「この間、怒らせてしまったから」

「ああ、あれ」

「お仕事の邪魔をしてしまったわよね。ごめんなさい」


 頬を膨らませて、斎は顔を横に向ける。

「もういいんだけどね」

 ふう、という溜め息が聞こえた。

 倖奈は、湯呑みをそろりと下ろして、背筋を伸ばした。


「あれから、御社へ取材には行ったの?」

「いいや。あの日を境に、他の連中も潮が退いたように行かなくなったからね。それに、魔物の件で言えば、逃がした大物のほうが問題だ」


――やっぱり。


 まだ憮然としたままの斎に、真っすぐに声をかける。


「あの魔物について、あなたは追いかけていないの?」

「追いかけているさ」


 ようやく向きなおってきた彼は、まだ憮然としている。


「でも手掛かりなしだね。他の新聞社の記者とも協力したけど、全く手掛かりなし。書ける記事がないから、街の関心も薄れてきているようだよ。

 そっちはどうなんだい?」


 首を横に振る。


「お手上げかぁ…… 悔しいな」


――どうやったら、探せるんだろう。

 そっと息を吐く。


「軍が無理だったことを僕らの手で成せたら、軍は要らないってもっと大きな声で言えるのに」


 ねえ、と笑いかけられて、倖奈は眉を寄せた。


「貴方が軍を嫌いなのは知っている。でも、軍を悪く言わないで」

「それは無理な話だ」


 ふん、と斎は口の端をあげた。


「あれ以来、肝心の司令官様も引きこもってるって話じゃないか。いくら、今代の主上の弟君とはいえ、ちょっと、ね」

「……それでこの記事を書いたの?」


 倖奈は小さく折りたたんだ一枚を取り出した。


 日付は昨日。大きく秋の宮の写真が載っている。馬車から降りてくるその姿の横には、美波も映っている。


「宮様をひどく言わないで」

「事実は事実だろ。率先して逃げた魔物を追うべき人が自邸に引き籠っているなんて、本当ならもっと責めていいはずだ。」


 とはいえ、と斎は笑った。


「僕だって、評価するところは評価するよ」


 さらに眉を寄せて見せたが、相手はからからと笑いだした。


「その問題の日にさ。救助を優先したのは素晴らしいと思うね」

「……そうなの?」


 つい、きょとんとなる。


「魔物を逃がしたのも軍の失態だけど。被害の素早い復旧と住人の救護をしたのも軍だった。知って、僕の先入観は覆されたよ。魔物との戦いだったら何が壊れようが誰が死のうが仕方ない、というのが奴らの建前だとばかり思っていたんだけどね。フロイラインの言うとおり、人でなしばかりではなかったらしい。

 そう思って、軍をさせてもらう記事を書いたんだけどね。残念ながら載せてもらえなかったよ。気合入れて書いたのになぁ」


 はーっ、と大きく息を吐いてから、斎はまだ笑う。


「かなり吃驚だったからさ、調べちゃったよ。その救助現場を指揮していた、第五部隊長って人をさ。この人、前に喫茶店に君と来た奴だろう?」

「そう、だけど」


 ずきずき、心臓が痛む。頬が熱くなっているのを、袖で隠す。

 斎は目を細めた。


「かなり面白い人だった。軍歴も、私生活も、実に劇的ドラマティッシュでね、是非、記事に書かせていただきたいと思うんだ。

 せっかく君が来てくれたなら、取材の申込みを取り次いでくれないかい?」


 嫌よ、と口を開きかけたところで。


「斎! また客だ!」

 先程倖奈を取り次いでくれた、新聞社の男が部屋に飛び込んできた。


「今はフロイラインのお相手に忙しいんだよ」

 斎が手を振っても。

「莫迦言っている場合か!」

 男はあおい顔で叫ぶ。


「言っただろ、鎮台の、しかも皇族の醜聞なんか記事にするんじゃないって!」


 ああ、と頭を掻きむしって。彼はひときわ大きな声で叫んだ。


「鎮台の軍人が来てるんだぞ!」

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