46. 乙女のこころいき

 幸いにして、屋敷の誰にも咎められることはなかった。

 怒っているのは常盤ときわだけだ。



 鎮台に顔を出すなり、腕を引っ張られた。

「この莫迦、何を考えているんだ!」

 『かんなぎ』たちが集う広間の隅で発せられた常盤の声。その刺々しさはいつも以上だ。


 掴まれたままの腕。そこに食い込む指先に、倖奈ゆきなはむっと唇をとがらせた。


「なんだ、不満でもあるのか」

「いきなり莫迦なんて言われたら、怒るわ。わたしだって――」

「おまえがなんだって言うんだ。一人で魔物を祓えるわけでもなく、他に戦う手段があるわけでもないだろう。それが、のこのこと戦いの場に出てくるな」


 一重の瞳が、ギロッと光る。睨みかえす。


「わたしだって『かんなぎ』なのに!」


 だが、常盤の指先には、力がこもっていくばかり。


「そもそも、夜中に女一人でほっつき歩くな」

「一人じゃなかったわ。シロと一緒だったもの」

「あの胡散くさい奴は勘定外だ」

「じゃあ、誰だったらいいのよ」

「誰だろうと駄目だ」


 なおも抗議しようとしたのに、彼はくるっと背を向けて、ドスドスと去っていった。

 遠ざかる背を睨む。ぎゅっと両手を握りかためて、唇をきつく噛む。


「倖奈」


 おっとりと呼ばれても、そのままの顔で振り向いた。

 後ろに歩み寄ってきていたのは泰誠たいせいだ。彼は、ぎょっとなっていた。


「……そんなに怒っているの」

「だって……」


 『かんなぎ』としての役目を果たせと言う口が、出しゃばってくるなとのたまうのだ。


――わたしだって、絶対何かできるって思いたい!


 結局、また史琉に救われて、怪我無く屋敷に戻るので精いっぱいだったというのは黙っておく。

 ただ、見くびってくれるな、と主張したいだけ。根拠のない自信をもつ、聞き分けのない子供のようだ、とひっそり肩を落とす。


 それに気づかれたのかどうか、泰誠はゆっくりと笑みを浮かべて。

「常盤も、君が心配なんだよ」

 と言った。


「だって、女の子が怪我してるところなんか見たくないよ。それが身近な子だったら、尚更ね」


 あはは、というかるい笑い声は、空気に溶けていって。


「僕が君を護れたらいいのに」


 ポツンと、言葉が残った。

 真っ直ぐに向けられた視線から、顔を背ける。両手の指を絡める。


「護られたいわけじゃない」


 まだ寒い二月。指先は凍えている。




 それでも、怒りにまかせて歩けば、体は火照っていく。




 向かった先は、鉄道駅近くの服屋。


「あら、いらっしゃい」

 顔を見るなり、真希まきはにっこりと笑ってくれた。

 痘痕あばたの浮いた頬はほんのりあかい。手元では、両手で抱えるほどの大きさの袋に、糸が通されていっている。

「悪いわね、取込み中で」

「いいえ…… だって、お客様なのでしょう?」


 倖奈は、いつも世話になっている座敷の上り框に腰掛けていた少女に目を向けた。


 同じ年頃だろう。ぷっくりとした唇につんと上を向いた鼻、はっきりとした眉。

 前髪はきっちり切り揃え、後ろ髪は二つに分けて結んである。

 その装いは洋風のもの。蝋色の、海兵セーラー襟のついたワンピースだ。


 彼女はつんとそっぽを向き、真希はケラケラと笑った。

「違うわよ。こいつも、友達みたいなもん」

「みたいなって何よ」

 顔は横に向けたまま、視線だけ戻してきた少女に、笑い声は大きくなる。


「じゃあ、同居人?」

「……まあ、たしかに、わたしもこの店に居候している身ですけど」

「じゃあ、同居人だ。

 今ね、こいつの鞄の補修をしてんの。ちょっと待ってて」


 喋りながらも、真希は手を止めない。その後ろには、見慣れない裁縫機械ミシンが置いてある。

 瞬く。

 そうしていたら、洋装のほうから、倖奈にちらっと視線を向けてきた。


「あんたこそ、真希のお客さん……?」

 そうだと答えるのも気がひけて、唇を噛む。

 目が細く、するどく、研ぎ澄まされるのに身を退く。


「止めなさいよ、菜々子ななこ。あんた、先生になりたいってわりには、話し方が優しくないわよね」

「なによぅ……」

「はい、出来たわよ」


 ぼふん、と革の鞄が、菜々子と呼ばれた少女の腕の中に落ちる。


「補強もしておいたから、今度は長くつと思うよ」

「……ありがとっ」

「本当なら、もうちょっと入れる荷物を減らしてって頼みたいところだけど、そうもいかないよね」

「普段から、学校で使う教科書しか入れてないわよ」

「じゃあ、仕方ない」


 ケラケラと笑う真希、鞄をそっと撫でる菜々子を順に見て、倖奈はほうっと息を吐いた。


「で、倖奈は何しにきたの?」


 問われ、口を開く。


「手袋を買いに」

「コギツネなの?」

「うん…… 狐色でも可愛いかな」

「そうじゃない」


 ぶふっと息を吐いてから。

「ええと。手袋、手袋……

 じゃあ、ね。倖奈に――菜々子にもお願いしていい?」

 真希は棚をごそごそとあさって、中身を取り出した。


 それを、ぽん、と投げられる。

「これ、試作品なのよ」

 まごうことなく手袋だ。狐色よりずっと濃い色で、ふんわり軽い。

「毛糸で編んだの。このってのが難しくてさ。四個目でようやく納得いくのが出来て、それは別のお客様に売っちゃったんだ」

「なによ…… 失敗作をわたしたちに付けろって言うの?」

 手袋を掲げて、菜々子は鼻白む。

「だって勿体ないじゃない。お代は要らないから、使って」

 真希は笑いっぱなしだ。

「いいの? 本当にタダで頂いてしまって」

 倖奈が眉を下げると、彼女は笑みがふかくなる。


「いいってば。菜々子も学校行くまでは寒いでしょ?」

「うん。まあ、ね」

「倖奈も外出多そうだし」

「ええ」


 そもそもが、寒い中を出かけるのに欲しいと思ったのだ。


「ありがとう」

「どういたしまして!」


 一層華やかに笑った真希は、机の上の裁縫機械ミシンに触れて。

「最近、洋風の物を作るのを研究してるんだ」

 と言った。


「和服もいいんだけどさ。もっともっといろんなものを作れるようになって、もっとたくさんのお客さんに来てもらえるようになりたくてさ」


 それで、と頬を染める。


「実は、さ。もっと先には、自分だけのお店が持てたらいいなあって思い始めてて……」

「素敵」


 ぱん、と倖奈は手を打つ。

 菜々子もへえ、と声を上げた。


「カッコいいじゃない。どうしたの?」

「どうでもいいでしょ? ああ、まだ内緒にしててね。奥様にも旦那様にも、まだまだお世話に…… なっちゃってます」


 一度、横を向いてから。真希は口の端をあげる。


「菜々子だって、学校の先生になるための通学でしょ」

「う…… ん。まあ、ね」

「そうなのね。あなたは女学校の生徒さんなのね」

「そうよ」


 見慣れない洋装は、女学校の制服だったのだ。纏う彼女の立場と目標を明確に表すもの。

 思い至ったことに、倖奈は笑みを浮かべた。


「素敵」


 その言葉が飛び出してきたのは、今日既に二度目だ。

 だが、素直にそう思う


――いいなあ。


 対して自分は、と肩を落とした。

 それなのに、顔を覗きこまれた。

「あんただって頑張ってんじゃん」

 真希だ。首を振ってみせる。


「そんなことない。今日も怒られたわ」


 戦いの場に出て、何ができるわけでもない。

 かと言って、濃紺の一式を身に纏い、刀も振れるわけでもない。


「……男に生まれたかったかも」


 ポツン、と浮いて出た言葉。

 眉が寄る。

 だが、意外に的を得ているな、と口の端は上がる。


「あ、それ分かる」

 声を返してきたのは菜々子だった。


「ずるいよね。男だからってだけで威張る奴がいてさ。

 悔しいよね。女だってだけで、引っ込んでろとか静かにしてろとか……」


 そうでしょう、と同意を求めようと顔を向けたが、見えたのは頬を染めて俯く姿だった


「でも、もし、わたしも男だったらと、あいつに恋なんかできないし」


 え、と目を丸くする。

 知らず、頬が熱くなる。


 菜々子との間に、奇妙な視線が行き交ったところで。


 パンパン、と真希が手を打った。


「……出かけるわよ!」

「どこに?」

「ちょっと先にミルクホールが出来たの。行くよ!」

「ミルクホール?」

「洋風のお茶屋さん。甘い飲み物飲ませてくれるんですって!

 ほら、倖奈も菜々子も、手袋付けて!」




 三人が三人とも、同じ色と毛糸の手袋だ。


 だが、菜々子は女学校の制服姿。首元には空色の襟巻がぐるぐると巻かれている。

 真希はいつものように紺地に白水玉の着物で、紅梅色の帯だ。上に総柄の羽織。こちらも紺地だが、四季の花がこれでもかと捺染プリントされている。

 そして倖奈は、柑子色の二尺袖と苔色の袴の間から、朱色の帯をのぞかせるいつもの装い。千鳥格子の肩掛ショールを体にかけ直してから、二人の背中を追う。




 そうしてやってきた、ざわつくミルクホール。集まっているのは女の子が多い。

 手にした飲み物とは、手袋と同じ色。


「これ、なに……?」

「ミルクココアっていうらしいよ」


 熱い、と呟いて、息を吹きかけながら、少しずつ呑み込む。

 苦い。そして、甘い。

 三人、カップを握りしめたまま、顔を寄せ合う。


「うちのお店だと、みーんな聞き耳立ててるから」

「みんな……?」


 いつもの店員たちか、と瞬く。真希はげんなりした顔だ。


「どいつもこいつも、恋バナと聞けばたかってくる……」

「そうなの」

「というわけで、おおっぴらに恋バナができる場所にやってきたわけだから、二人ともちゃんと話しなさいよ」


 ニヤッと笑う真希に、倖奈は瞬き、菜々子は溜め息を吐いた。


「あんたもこういう話が好きね……」

「仕方ないでしょ。気になるんだし」


 まっかな顔の菜々子を、真希は肘でつつく。倖奈に笑いかけてくる。


「こいつね、幼馴染に片想い中なの」

「……ッバカ! 違うってば!」

「はいはい、両想いだったわね。

 その彼、去年の春に入隊したばかりなんだって」

「軍人さんなんだ。鎮台の方?」

「……うん。皇都の鎮台に配属されてる、みたい」

「みたい、じゃなくてそうなんでしょ?」

「わたしの知っている人かしら?」

「どうでしょうね。

 でもって、菜々子の卒業と、お相手の任期満了は同じ時期の見込みなんだって。そのまま結婚しちゃえ!」

「真希!」


 叫ぶ菜々子をよそに、真希はカラカラと笑っている。


「倖奈のお相手も軍人さんだったわよね?」

 真希の言に、黙る。

「そうなの?」

 なのに、菜々子は食いついてきた。


 頬の朱はどこかに散っていって、彼女は初めて笑みを向けてくれた。


「軍服ってなんであんな格好いいんだろうね。あれ着てるだけで強そうに見える」

「あら、菜々子。あんた、彼氏の軍服姿見たことあったの?」

「あるわよ!」

「ふーん。いつの間に。都に来てから会ってないって言ってたじゃない」

「そ、それは…… たまたまよ! たまたま、向こうが仕事か何かでうろついているのを見かけただけで……!」


 大きな溜め息。菜々子はココアの入ったカップを下ろして、両手で頭を抱えた。


「バカでかいだけの莫迦だと思ってたのに、ときめいちゃった。悔しい」


 つい吹き出す。睨まれるので、視線をさまよわせて。

「……背が高い人、なのね」

 小さく言うと。

「村一番ののっぽだもの」

 さらに小さな声で返された。


「倖奈は?」

「……え?」

 問いかけに、頬が痙攣ひきつる。

「背丈の話?」

「それだけじゃないわよ」

「どんな人って訊いてるのよ」

 真希も菜々子もニヤニヤしている。


 だから、部隊長だ、と言いかけて口を噤む。

 皇都鎮台で部隊長だといったら、該当者は十人しかいない。その中から当てられるのは、恥ずかしい。

「……優しい人」

 それだけ言って、顔を伏せた。


 自分でも、顔がどんより曇っていくのが分かる。

 そこに被さるように。

「本当めんどくさいわ。なんで、あいつを好きになっちゃったんだろう」

 ぽつんと菜々子が呟いた。


「でも、ねえ……」


 真希の声も、一瞬だけしんみりとなった。


「素敵な人に恋して、ときめいてこそ、乙女って感じがするじゃん?」


 何度目かの菜々子の溜め息。

「そのせいで、ただ傍に居られればいいってわけじゃなくなるのが、面倒くさい」

「仕方ないでしょー?」

 合わせるように、真希の笑い声も沸く。

 一緒に笑う。



――会いたい。顔が見たい、声が聴きたい。


 朝焼けの風の中で、確かに笑いあっていた。

 くだらない、意味のない、言葉を交わして。


 そんなことができたのだから。嫌われていないと信じたい。



「やっぱり、恋をしたならそれぐらいの心意気でいなきゃ」

「他人事だと思って…… 真希にい人が出来たら、一番に騒いでやる」

「ほっほっほっ、やってごらんなさーい」


 結局、三人とも笑い声を立てる。そして、ふうふう、と程よい甘みを一気に体の中へ流し込む。

 カップが空になっても、ミルクホールの中は、まだまだ人でいっぱいだ。


「混んでるね」

「新聞に大きな広告が載ってたってはなしよ。それを見て初めて、ミルクホールを知ったって人も多いんじゃない?」


――新聞で初めて知った。


 瞬いた。


――そうだ、新聞だ。知ることができるものだ。


 いろんな情報が載っているもの。魔物の話も載っているに違いない。

 ふと思いついたところから、思考が進みはじめる。


――戦えなくても、捜すことならできるわ。たぶん。


 そして、カメラを携えた男の顔を思い出す。

 最後の別れ方は気分のいいものではなかったが、他に頼れそうな相手も思いうかばなかった。


――何か知っていないかしら?

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