夢と現と……。

 ──Side リシュナ



「うっ、……はぁ、はぁ、……ぐっ」


 自分の胸元のシャツを右手に鷲掴み、ずっと酷く苦しそうに魘され続けているレゼルお兄様。

 この部屋の主であるリュティー君のお陰でベッドを借りられたけれど、全く快方に向かう様子がない。


「レゼルお兄様……」


 お水と丸い氷がいっぱい入った洗面器にタオルを浸し、ぎゅっと絞ってからレゼルお兄様の額に乗せる。

 体温が凄く上がっているせいで、すぐに生温かくなってしまうのだけど、それでも、こまめに冷やしておいたほうがいいだろう。

 

「ううっ、ぐぅっ、……ハァ、……サ、ラっ……ぁっ」


 ──サラ。 

 以前にも聞いた事のある、その女性らしき名前。

 いまだにどこの誰なのかもわからないけれど、レゼルお兄様が苦痛を感じながらも口にするその人の存在が……。


「んっ……」


 胸の奥が、ほんの少しだけ……、痛みを覚える。

 こんなに苦しんでいるのに、何故、その人の事ばかり呼ぶのだろう……。

 レゼルお兄様にとってその人がどんな存在かなんてわからないけど……、何度も、何度も、その人の名前が音になる度に……。


「おねえさん、ほっぺ膨らんでるよ~?」


「んっ! ……ふぅ」


 人差し指でちょんとつつかれた頬の状態に気付いた私は、一度小さく息を吐きだした。

 クスクスと楽しげに笑っているリュティー君からジュースの入ったグラスを受け取り、一口飲む。


「膨らんでません」


「ふふ、可愛いからいいじゃない。でも……、このおにいさん、何抱えてるんだろうね~……。見てて可哀想になるくらい、……罪の意識を表す気配が濃いよ」


「罪の意識、……です、か」


「ぼくは神様の眷属だからね~。それに、父上と母上の子供だから、他の眷属より色々力が強いんだ。だからわかる。おにいさんは、自分の抱えている罪の意識に長い事苦しめられているんだよ……。自分で自分を罰し続けちゃうタイプっていうか……、根が真面目なんだろうね」


 罪の意識……。

 リュティー君がレゼルお兄様の顔に手を翳すと、そこに淡く優しい光が生まれた。光はレゼルお兄様の中へと溶け消えていく。


「とりあえず、今はこれで少しは楽になるはずだよ」


「あ……」


 最初にレゼルお兄様の苦痛の声が徐々に小さくなっていき、やがて訪れたのは少しだけ疲労を含みつつも、穏やかな呼吸の気配だった。

 リュティー君が言うには、見ているだろう悪夢の類を別のものに差し替えて精神の安定化を図ったそうだけど……。


「ふふ、ふふふふふ……!」


「リュティー君!! レゼルお兄様がおかしいです!! 何か不気味な笑い声を!!」


「さっきのよりはマシだから、大丈夫だよ~! 夢への影響をギャグ寄り効果にしといたから!!」


「なんですか!! それ!!」


 レゼルお兄様の寝汗を絞った別のタオルで拭いながら、ニヤけた顔つきになっていくレゼルお兄様に不安しか覚えられない!

 悪夢よりは確かに良いけれど、あぁっ、今度は堪え切れない笑いを噴き出すかのような流れで、また不気味な声が!!


「笑いって大事だよ~? 怖い夢や嫌な夢を見るくらいならギャグ一色の方が、精神にも身体にもいいんだから! 絶対!!」


 根拠のない自信に溢れたリュティー君のドヤ顔だけど、確かにと、私は複雑な思いながらも頷く事にした。

 

「ふふ、ふふふふふふっ!」


「…………」


 こっちの方が、いつものレゼルお兄様に近くて、安心出来る気がするから……、多分、大丈夫っ、たぶんっ!!


「ふぅ……」


 それに、もう、サラという名前を口にしなくなった事に何だかほっとしている自分もいて……。

 私はレゼルお兄様の手を取り、ぎゅっとその熱くなっているぬくもりを両手に包み込む。


「レゼルお兄様……。ちょっと気持ち悪いですけど、個人的にドン引きですけど、元気になって良かったと思います。沢山良い夢を見てくださいね」


「あはは! おねえさん、面白いなぁ~!! 本人がそれ聞いてたら滅茶苦茶可哀想だけどっ、ふふふっ、ぼく的には面白いから、もっとやってていいよ~!!」


 親身なのかと思えば、どこか他人事のように物事を楽しむリュティー君。

 何故、彼に私達の姿が見えるのか、接触出来るのか、疑問に思うべき事は多い。

 だけど、彼と出会えたお陰でレゼルお兄様を休ませる事が出来たし、悪夢に苦しめられている状態からも脱する事が出来た。

 感謝すべきだろう。……色々、失礼な発言もある子だけど。

 

「はい! こっちこっち~! ぼくの隣に座って~! おにいさんの様子も安定したみたいだし、一緒に美味しいお菓子で楽しい時間を過ごそうね~!」


「でも……」


 出来れば、レゼルお兄様が目を覚ますまで傍にいたい。

 夢見が良くなったとはいえ、それで完全に安心出来るわけでもないから……。

 だけど、リュティー君は「近くにいるんだから大丈夫!」と、太鼓判を押すような笑顔で私をお茶の席に誘う。


「レゼルお兄様……」


 離れがたい感触に一度力を込め、……やがて私は名残惜しさを感じながらもその手からぬくもりを引いた。


「……お邪魔します」


 真っ白なテーブルクロスが掛けられた大きな丸テーブルには、リュティー君の言う通り、何種類かのお菓子がそれぞれどっさりとお皿に盛られている。

 絶対、一人で食べる量じゃない。

 それに、普通の仕様とは違って、椅子がない。

 テーブルの足も短いし、普通のものとは仕様が違うようだ。

 私はリュティー君の隣に腰を下ろすと、なんだかお外にいるかのような気分で視線を迷子にさせてしまった。


「足は崩していいよ~。お菓子も好きなのを取ってね~。さっきはジュースにしたけど、今度は紅茶とかそういうのにする?」


「えっと、お、オススメで」


「りょうか~い! 母上から貰った茶葉使っちゃおうかな~! ぼくの一番のお気に入りなんだ~! ふふ、おっもてなしぃ~、おっもてなしぃ~」


「リュティー君は、グランさん……、グラン・ファレアスさんと、ロシュ・ディアナさんのお子さんなのですか?」


「そうだよ~。二人の愛の証で~す! ついでに、悩みの種だろうね。二人の」


「お父さんとお母さんに、何か心配をかけているんですか?」


 淹れて貰った特別な茶葉を使ったハーブティーを渡されながら、私は首を傾げて尋ねる。

 リュティー君は胡坐を掻いてクッキーを一口咀嚼し、ハーブティーにぺろっと舌をつけてから話し出す。

 

「ぼくね~、冒険が大好きなんだよ~。だから、頻繁に地上へ行っちゃうから、よく父上や母上に怒られちゃって。でも、それでもやめないもんだから、以下略って感じなんだ~」


「……不良息子、ですか」


「あはは! 別にグレてるとか反抗期とかじゃないよ~? 好奇心旺盛な気質っていうのかな? 色々知りたいし、色々行動したいお年頃なんだよ~」


 だけど、天上の、それも眷属の長夫婦の息子という立場上、仲間達からはあまり良くは思われていないのだそうだ。

 天上に在るべき者が、そんなちゃらんぽらんでどうするのだ、と。

 

「ま、母上の場合はぼくへの過剰な心配が大きいかなぁ~。地上で怪我したり、厄介ごとに巻き込まれたらどうするんだって、よく泣かれる」


「お母さんを泣かせちゃ駄目です。……護衛とか、いないんですか?」


 地上の人間世界に照らし合わせれば、リュティー君は貴族の息子さんみたいなポジションだろう。

 なら、頼もしい護衛が同行していれば、お母さんであるディーナさんの心配も、少しは減るのではないだろうか。


「えぇ~。ぼく、普通に戦えるんだよ? 護衛とか、好きに歩き回るには邪魔だよ~」


「でも、リュティー君はまだ小さいですから、お母さんのお気持ちを考えますと……」


「ぼく、三百歳は超えてるよ?」


「え?」


「あ~、でも、母上からしたら、まだまだ子供なんだよなぁ~、ぼく。でもさ、ぼくだって男なんだから、失敗や危険を恐れてるようじゃ、父上みたくなれないじゃん? なら、息子の成長を見守るのも親の役目じゃないかな~って思うんだけど」


 私より小さい姿なのに、──まさかの年上でしたか!!

 いや、そういう種族性やタイプもいるとは知っているけれど、この子が私をおねえさんと呼んでいるものだから、てっきり……。

 目を丸くしてフリーズしている私に、リュティー君がニコニコとしながらハート型のクッキーを差し出し、口の中にもぐっと食べさせてくれる。


「もぐもぐ……。驚きました」


「ふふ。身体はまだまだ大人にならないんだけどねぇ~。神の眷属っていうか、人間以外の種族ってそういうの多いでしょ? あ、そういえば、おねえさんは……、ん~、やっぱり変だね」


「私は……」


 普段の姿とは違う、──もうひとつの、私の『大人』の姿。

 レゼルお兄様達は私の事をまだまだお子様だと言うけれど、あれを突然の変身能力の開花だとか説明されても、……すんなりと納得出来るわけもなく。

 自分の事なのだから、どうしても気になってしまうのは仕方がない事だった。

 だから、平穏だった三年の中でこっそりとグランヴァリアの国王様に本当の事を教えてほしいとお願いした事がある。

 だけど──。


『ん~、俺としては別に教えても構わんのだがなぁ……。いや、やはりやめておくべきだな。レゼルの心の平穏の為にも何も語らぬが吉だろう。すまんな』


 国王様だけでなく、他の誰に聞いて歩いても同じような答えだった。

 皆が皆、レゼルお兄様の事を持ち出しては、どうか今のまま、幸せな日々を送ってほしいと言うのだ。

 時期が来れば、必ず教えるから、と……。

 答えは出ているような気がするけれど、私自身の中にその答えを否定する疑問もいくつか浮かんでしまうから……、結局、いまだに謎のままになっている。

 

「おねえさんは自覚してる? 自分の中の矛盾っていうか、自分がもうひとつの面を持ってるってこと」


「疑問を、抱いてはいても……、まだ、知る時期ではない、そうなので……」


「ふぅん。最初はわざとなのかな、って思ったけど、とりあえず、ぼくよりも年下なのは間違いないね」


「じゃあ、なんで、おねえさんって呼ぶんですか? 年上なんでしょう? リュティー君は」


「ん~、気分、かな! 外見的には、ぼくのほうが年下ぽいし?」


 そういう問題なのか……。

 リュティー君はパクパクとクッキーを頬張り、紅茶を一気に飲み干してから、今度は私の方に身を乗り出してきた。


「おねえさん!! その矛盾の話だけどさ~、せっかくだから見せてよ!! おねえさんのもうひとつの姿!!」


 リュティー君曰く、今の幼い私の姿にもうひとつの、大人の姿が陽炎のようにブレて見えているらしい。

 それを明確に、実物として見たいから変身してほしい、と。

 別に見せても減るものではないけれど、……う~ん。

 

「ね! お願い!!」


「うっ……」


 年上なのに、どう見ても可愛らしいショタっ子のキラキラとしたその表情に、……結局、私は負けてしまったのだった。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ──Side レゼルクォーツ


「……ん」


 何もかもがごちゃ混ぜになったかのような面倒な感覚を覚えながら、俺は自分の零した声と共に目を覚ました。

 よくわからん紋様が見える……、文字、……いや、絵にも見えるが……、どうでもいいか。

 それより、……俺は、どうしたんだっけか?

 リシュナと一緒に……、それで、……途中で、……誰かと、……出会、って。


「うっ、……頭痛ぇ」


 ベッドらしき場所から起き上がりかけると、頭の中に『誰か』の像がよぎった。

 それは内側から脳を打ち付けられるかのような酷い頭痛を引き起こし、冷や汗を掻かずにはいられない。

 下に感じるシーツの感触をきつく握り締め、息を乱れないよう心がける。


「……わかってる。……わかってる。……忘れられるわけが、……ないっ」


 俺が生み出した悲劇は、俺のこの手が奪った『幸福』は、二度と、……二度と、戻りはしない。

 そして……、俺が何をしたとしても、この命を代価にしたとしても、……償える術(すべ)は、ない。

 

「はぁ、……ぅぅっ、……はぁ、……はぁっ、……ぐっ」


 次第に痛みが弱まっていくと、天蓋の幕が下りているベッドの外から、はしゃぐような声が聞こえてきた。

 そういえば……、ここはどこだ?

 俺はなんで、こんなどっかの王族の城にでもあるような豪華極まりない天蓋付きベッドの中に……。

 身体も頭も疲労困憊にでもなっているような感覚だが、俺はベッドの外に出る事にした。

 

「わぁい!! やっぱり可愛いおねえさんのお膝って良いよね~!! んふふふふっ、ふわふわ~っ!!  わぁっ、甘い匂いもする~!! やっぱり女の子って良いよね~!!」


「リュティー君……。姿は可愛いのに……、なんだかそのおじさん臭い発言のせいで……、まるでクシェルお兄様みたいです」


「…………」


 薄紫の、ふわりとした流れを纏う、長い髪の後ろ姿。

 その場にしっかりと正座のスタイルをとっているその背中が誰のものなのか、考えずともわかる。

 ──だが。


「ふふふふ~。このままお昼寝~……、じゃないや、朝までゆっくり寝ちゃおうかな~!」


「お前はウチの駄目兄貴かぁあああああああっ!!!!!!」


「ふんぎゃっ!?!?!?」


 誰だ!! 俺の可愛い可愛い妹の柔らかな膝を堪能してる奴は!!!!!!

 即座に前へと回り、命知らずな声の持ち主の頭を鷲掴んでリシュナから引き剥がす!!!!!! 

 声の高さから読んだ通り、まだまだお子様なちびっ子だ。

 ──だが、俺の妹の膝枕は許さん!!!!!


「うきゃ~!! 痛いっ!! 痛いってばぁあっ!!」


「俺は子供相手だろうと、教育に手を抜く気はない」


「いえ、教育じゃなくて、ただの暴挙ですよね? はぁ……、レゼルお兄様、リュティー君を放してあげてください。それと……、身体は、大丈夫ですか?」


「ん? ……ああ。ちょっとこれまでの事がよく把握出来てないが……、てか、このちびっ子誰だ? なんで俺達の姿が見えてるんだ?」


 と、俺が抵抗して暴れるちびっ子を絨毯に下ろしてやると、案の定膨れっ面の泣き顔が、──。


「…………」


 また、呼吸が乱れる。血の気が、一気に……。


「すとっぷ。──ぼくはおにいさんの知ってる『誰か』じゃないよ?」


「くっ……」


 全身が凍りついていくかのような感覚と、視界が真っ黒なフェードアウトを起こしそうになった瞬間に、その声が俺を現実に押し留めた。

『誰か』と同じ顔で、『誰か』と同じ声音で、その人物が同情を含ませた笑みで俺を見上げてくる。


「もう一度言うよ。ぼくは、グラン・レゼル・サリューティア。君とは今日が初対面で、他で会った覚えも、そんな風に……、泣きそうな顔を向けられる覚えもないよ」


「…………」


 まるで俺の方が慰められてる子供のようでに感じられる、目の前の表情。

 あぁ……、そうだ。この子供は……、俺の知っている『誰か』じゃない。

 ここは過去の世界で……、いや、過去かどうかも確定出来ないどこかで……、いや、違うだろうっ。


「そう、だよな……。悪い。よく、……似ていたから」


「いいよ。あぁ、でも、謝るならさっきの事にしてくれない? 結構痛かったんだよね~、あれ」


「はは……。そう、だな……」


 違うとわかってはいても、普段通りの俺がなかなか出てこない。

 自分の事をリュティーと呼ぶように笑った子供が俺に握手を求めてくるその行動にさえ、……俺は、恐れを抱いてしまう。

 くそっ、……気を失わずに踏ん張っているのが精いっぱいの体たらくだ。


「あの、レゼルお兄様、お水を」


「ん? あ、あぁ。悪いな」


「お菓子もいっぱいあるよ~!」


 渡されたグラスの水に口をつけながら、改めて俺達周りにある物に目を配る。

 椅子ではなく、そのまま絨毯に腰を下ろして寛いで飲み食い出来るような、短い脚の丸テーブルと菓子の山。

 俺が目覚めるまで、二人は色々と話でもしていたんだろう。

 ……しかし、なんでこの子供に俺達の姿が見えているのか。

 気を抜けば、また体調と精神に異常を起こしそうな緊張感と闘いながら、俺もその場に腰を下ろす。

 一応、あの大樹絡みの騒動辺りから、俺達の姿を認識した奴は誰もいなかったはずだ。

 今は別行動を取っている宰相殿とあの変態以外は……。

 このリュティーという子供だけに見えているのか。

 それとも、またこの時代の誰の目にも見えるようになったのか……。


「なぁ、リシュナ。俺が意識を失ってからどのくらい経ってる?」


「そんなには……」


「もぐもぐ……。だね。まだ一時間と少しぐらいじゃない?」


「そうか……」


 その場で胡坐を組み、一度外に出て姿が見えるかどうか他の奴で試してみるかと考えてみる。

 それが一番手っ取り早いだろうし、宰相殿達の様子も気にな──。


「失礼いたします。レゼル様、今宵は少々外が騒がしいとは思われますが、どうかお部屋を出られませんように」


「御柱様が動いたみたいだけど、何があったの? 凄い力の拮抗が起きてたよね? ぼくも把握しておきたい」


「レゼル様の御心を乱すような事は何もありません。どうか心穏やかに休まれますよう、お願いいたします」


「え~? それだと、勝手に外に出ちゃうよ~? ぼくの好奇心や探求心がどれだけ強いか知ってるよね~?」


 入室してきた眷属の女は困り顔でリュティーと押し問答をしているが、あまり詳細を知らないんだろう。

 ただ、地上の民による災厄が天上にもたらされ、甚大な被害が出た……、それだけをリュティーに報告する。

 そして、説教めいた注意事項を何度かリュティーに言い含め退出するまでの間、俺とリシュナにその視線が向けられる事は微塵もなかった。

 ただ……、グラスやカップの類が複数ある事に関してだけは、訝しげな眼をしていたが。


「やっぱり見えてないな」


「ですね。あの人、リュティー君しか見えていないように感じました」


「え? おねえさんとおにいさん、他の人に見えないの? 霊体とかじゃないのに、変だねぇ~」


 いや、それ以前に、得体の知れない俺達をよく自分の部屋に入れたな、この……男、というべきか。

 リシュナより幼い姿をしていても、中身はそれなりの年月を生きている種だ。 

 まぁ、男、と形容するには、限りなく子供に近い精神をしているようだが……、油断は禁物だな。 

 報告を根掘り葉掘りと眷属の女から聞き出したリュティーは俺達の前に丸テーブルを挟んで座り、心底呆れたと言いたげな、大げさな溜息を吐いた。


「はぁ~~っ!! もうヤバイね!! 今回の件はどう見ても完全アウト!! 御柱様がどんなに慈悲深くたって、ぼくら眷属達が黙ってないよ!!」


「リュティー君……。私はこの天上に来たばかりですが……、何故、……何故、御柱様は問題を起こしがちな地上の民を受け入れ続けているのでしょうか」


「今までにも観光区域で問題が起きてるんだろう? わざわざ機会を与え続けて問題を抱え込む必要はないんだと思うんだが」


 なにせ、神の座する聖域ともいうべき領域だ。

 他の世界がどうなのかは知らないが、不特定多数の地上の民を天上にまで踏み込ませるメリットはあまりないと思うんだがな……。


「ぼく達の主……、御柱様は地上の民をぼく達と同じように愛しておられるし、交流を持つ事を喜んでいるんだ。『世界は神だけで創るものではない。だから、世界の皆で手を取り合って創っていきたいんだ』って……、御柱様が仰っていた時があったよ。ぼくも地上やそこに住む種は人によりけりで好きだったり嫌いだったりする時もあるけど、……正直、天上に介入させるのは危険だと思ってる」


「皆で……、ですか」


「うん。だから地上の王族や種族の長からの謁見は断らないし、天上観光も許してる。一応、各区域への立ち入り許可は制限とかあるけど、……流石に、今回の件は大問題だよ」


 御柱に真っ向から反逆の意を示したようなものだ、と、リュティーは左手の親指の爪を噛みながら呻く。

 この世界は御柱によって生み出され、御柱や他の神々、眷属達によって導かれ、見守られていると聞く。

 俺達の世界では、もう全てが御伽噺レベルに昇華されているような存在が神々だが、神の加護なしに世界が存続する事は出来ないとも聞いている。

 言ってしまえば、俺達は御柱様や神々に命の根っこを捕えられている、とも解釈出来るだろう。


「この時代の……、いや、この世界の地上種は随分と恐れ知らずなんだな? この世界は神の庭も同然で、神なしには生きていくことも出来ないようなものじゃないのか?」


 御伽噺の内容が事実であれば、の話だが……。

 もし、この時代の地上種達が世界の在り方を独自解釈や思い込みで捻じ曲げ、自分達も神に、神にとって代わる存在になり得ると思いでもした日には、今夜のような騒動にも行動理由として納得は出来る。


「そう。おにいさんの言う通りだよ。この世界は御柱様の御力によって生まれ、存在自体を固定し、生命維持しているのも御柱様の御力なんだ。だから、御柱様を害したりしたら、この世界は滅亡に向かうしかなくなる……」


「地上の民はそれを知っている……、のでしょうか」


 いつの間にか子供の姿に戻っていたリシュナが、両手に持っているティーカップを口元から放し、リュティーに向かって首を傾げる。


「知ってるよ。そういう大事な事はちゃんと伝えてある。……まぁ、かなり昔の時代のそれぞれの長達を通して、だけど……」


「つまり、定期的には、その情報を教えなおしてはいないわけか?」


「わぁ~、やっぱそこ突いちゃうか~。……うん、ぼく達の感覚的にはついこの間教えたよね? って感じだから、そこまでちょくちょくは……、ね」


 教訓も情報も、生きたままにしておくにはマメな努力が必要となるだろう。

 地上の民にも長命種はいるが、眷属達のそれには敵う事はない。

 天から与えられた教えは時と共に風化してゆき、御伽噺や伝承化が進めば、真偽も定かではなくなる。

 いや、たとえ直接、御柱から世界の在り方を説かれたとしても、中には疑う者も出てくるだろう。

 御柱なしにはこの世界は存続しない。

 その教えが、地上の民に世界の主権を渡さない為の方便だと……。


「報告を聞いて、いよいよかな~って思ったよ。地上の民は試そうとしてるんだ。御柱様のいる天上に介入し、本当に自分達が神に敵わぬ種なのかと……。あわよくば、天上乗っ取りとかも考えてそうだけど」


「そ、それは、流石に無謀なのでは……」


「リシュナ。無謀でも無茶横暴を繰り返してきたのが、地上種だ。驕りと傲慢が生み出す悲劇は、常に時代の平穏を乱してきた」


「レゼルお兄様……。なら、この時代の地上種は、本当に……、この天上を」


「さぁな。だが、怖いもの知らずの物は試しに思考の残念な奴がいるんだろう」


 思考を整理しながらリシュナに相槌を打っていた俺は、ふと、以前に読んだ書物の内容を思い出した。

 グランヴァリア王国のではなく、地上の……確か、なんという国だったか。

 その国に立ち寄った際に、友人の用事に付き合わされ、踏み入った禁書室に……、確か。


『いいかい? レゼル……。ここで見た事は他言無用だ。オレもこの胸に秘めておく。……万が一この事が外部に流出すれば、また……、いや、今度こそ取り返しのつかない『惨劇』が起きるかもしれないからね』


 決して開くはずのなかった、古の時代の秘事が記されていた書物……。

 そこに書かれていた内容など興味もなく、長い事忘れていた。

 

「リュティー」


「ん~?」


「変な事を聞くが……、地上種が今回のような巨大規模の騒動を起こしたのは初めての事か?」


「ん~……、ぼくが生まれる前にそんな事があったとは聞いてないから、多分今回みたいな事は初めてのはずだよ。あ、小さないざこざならしょっちゅうだけど」


「そうか……」


 なら……、『例の騒動』が起こるのは、この後の時代の可能性が高いな。

 神の眷属の長夫婦の片割れであるグラン・ファレアスがこの天上を一部の仲間達と共に去るまでの……、どこかで。


「あの、リュティー君……。今回の騒動で捕まった地上の人達は……、どうなるんでしょうか」


「えぇ~、そういうの可愛いおねえさんには言えないよ~」


「つまり……、阿鼻叫喚の……、スプラッタ拷問などのオンパレードがっ」


「ぇぇえ~……。ねぇ、おにいさん、おねえさんに何教えちゃってんの? 可愛い顔で怖い事言ってるんですけどぉぉ~!! まぁ、でも、……そういう尋問部隊がいるにはいるけどね」


 リシュナからの問いに、どうにも答えにくそうなリュティーだが、尋問と拷問だけで終わる話でもない。

 どこの国や種が黒幕なのか、あの騒動の禁呪をどこで知り得たのか、全てを洗いざらい吐かせた上で天上側の行動が始まると言ってもいい。

 ま、それはリシュナに話して聞かせられるような綺麗な事ばかりじゃないから、話題を変えたほうがいいだろう。


「リュティー。色々と助かった。俺達はそろそろ行こうと思うが……、一応、念の為に忠告しておく」


「ん?」


 俺は表情を引き締め、厳しい顔つきで言った。


「女に対してのダラシない発言やセクハラめいた行動はやめておけ。──ウチの兄貴みたいになるぞ」


「へ?」

 

 ぽかんと呆気に取られているリュティーに小さく噴き出し、俺は笑みを浮かべながら手を伸ばす。

 開かれた手が微かな震えを覚えるが、そのまま俺はリュティーの頭に触れた。


「んっ、何?」


 今日会ったばかりの相手にこんな事をされても戸惑うだけだろう。

 だが……、リュティーが俺の知っている『誰か』と違うのだとわかってはいても……、最後に、こうしたいと思った。

 もう二度と叶わない……、在りし日への想いを馳せて。


「え? え? んんっ、……おにいさん、なんでぼくの頭撫でてんのぉ~?」


「元気でな……」


 そんな言葉、たとえ本人が相手でも、俺が口にしていい台詞じゃないだろう。

 ……それでも、ここを出て行くと思うと、この子供に会うのが最後かもしれないと思うと、……身体は勝手に動いていた。


「それじゃあな、ちびっ子」


「だぁ~かぁ~らぁ~!! ぼくは子供じゃないんだってばぁあっ!!」


 中身はそれなりなんだろうが、言動は本当に子供そっくりなリュティーの抗議を受けながら、俺は最後に乱雑な手つきでその頭をくしゃくしゃと撫でまわし、そっと離れて行った。


「リシュナ、行くぞ」


「はい、レゼルお兄様。リュティー君、色々とお世話になりました。また……、どこかで会えるといいですね」


「え~!! もう行っちゃうのぉ~!? 泊まって行きなよ~!! ベッド広いし!! 三人で寝れるし!! ……寂しいよぉ」


 その姿に、また俺の知る『誰か』が同じような事をしていた時の事が頭を過った。

 一人で寝ろと言う俺の服に小さな手でしがみつき、一緒に寝てほしいと、まだ傍にいてほしいと……、あぁ、まだ、……鮮明に思い出せる。


「行かないでよ……。もっと、……遊ぼうよぉっ」


 子供特有の甘ったるい声で、嘘泣きだと丸わかりの演技で……、いつも俺を困らせていた『誰か』。

 それでも……、お前のぬくもりを感じながら眠る夜は俺の楽しみでもあり……、幸福のひとつでもあった。

 

「どうしましょう、レゼルお兄、──お兄様?」


 扉に向かいかけていた足はいつの間にか、俺達の気を引こうと必死になっている方へと向かう。

 演技だとわかっているのに、ただ、遊び相手が欲しいだけだろうに……。

 それでも、俺の腕は小さな子供の身体を抱き、その頭を撫でていた。


「お、おにいさんっ?」


「……また、遊びに来る。約束だ」


「本当? 遊びに来る? 今度は、ぼくといっぱい遊んでくれる? お泊りも、してくれる?」


「あぁ。今度はいくらでも遊んでやる。寝る時に子守唄だって歌ってやる。だから……、それまで元気でいろよ、ちびっ子」


「……うん。なら、いいや。次の約束をくれるなら、それを楽しみに待てる。うん、待ってるよ」


「良い子だな」


 あぁ……、こんなやり取りまで、どこか似ているのに……、俺が今感じているあたたかなぬくもりは、求めているはずのそれじゃない。

 その事実に、胸の奥が鈍く軋み、……罪の爪痕を深く、深く、抉り付けてくる。

 それでも、……もう一度、……抱き締めたかった。


「それじゃあ……、またな」


「うん! 待たね!!」


 ぬくもりの名残惜しさを感じながら身を引き、リシュナを連れて扉へと向かう。

 リュティーはその場に座ったまま、ばいばいと手を振り続けている。


「それじゃあ、リュティー君。……また」


「うん!! 次も膝枕してね~!! リシュナおねえさん!!」


「それだけは俺が許さん!! ……はぁ、しっかり寝ろよ、ちびっ子」


「はぁ~い!! またね~!! ──『フェルのだ~い好きな、レゼルおにいちゃん』」


 扉が閉まる直前。

 俺に向かって放たれたその言葉に、リュティーの無邪気な笑顔に……、俺は凍りついた。

 今、何て言った? フェルノダイスキナレゼルオニイチャン……。

 あり得ないその発言に、俺は壁となって立ちはだかる扉のノブにもう一度手を伸ばす。


「レゼルお兄様っ、──きゃああっ!!」


「リシュナ!!」


 今までただの通路でしかなかった白の空間が突如として闇色に染まり、何もかもが塗り潰された。

 それどころか、足元の確かな感触が揺らぎ、俺は闇の底へと落ちるリシュナをすぐに腕の中へと引き寄せた。

 

「くそっ!! 何がどうなってる!!」


「んっ!! ど、どうしたらっ」


 闇は俺達を下に下にと誘い込み、底があるかもわからない奥の方から荒れ狂う風が襲ってくる。

 俺とリシュナの髪が巻き上げられ、リシュナが息苦しさを覚えているのか、小さく苦痛の声を漏らす。

 だが、この風に抗う術(すべ)も、闇を打ち払う方法もなく、俺はただ、リシュナの小さな身体を決して奪われぬよう力の限りに抱き締めているしかなかった。



 最後に見たリュティーの無邪気な笑みと、あの言葉の意味に、心を掻き乱されながら……。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世話焼きで吸血鬼なお兄様達に保護されました 古都助 @kotosuke12

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ