短編『孤独な殺人鬼と死にたがりのルシファー』

凪慧鋭眼

短編『孤独な殺人鬼と死にたがりのルシファー』

 「や、やめろ! やめてくれ!」


 暗闇が敷き詰められた人気の無い袋小路で男は懇願するように悲鳴を上げる。

 それを俺様は、右手にぶら下げた暗闇の中でも尚鈍い光を放つナイフを揺らしながら見ていた。


 煩わしい。


 俺様が目の前の肉に抱いた感想はただそれだけだ。


 「俺には家族がいるんだ! 俺が居なくちゃ路頭に迷ってしまう家族が!! お願いです、どうか、どうか命だけは助けて下さい──!!」


 かぞく、カゾク、家族……ね。

 全くそれがどうして命を惜しむ理由足り得るのだろうか?

 俺様にはこの男の心境が理解出来ない。

 一般的で有りがちな、尚且なおかな命乞いの典型例をどうしてここで持ち出すのだろう。

 せめて自身にあてはまる命乞いをすれば良いだろうに、クズはやはりクズだ。

 そして何より、こいつは大きなミスを犯している。

 それは───


 「ぎゃんぎゃん喚くなよ。───上手く喉を掻っ切れねぇじゃねぇか」


 ───俺様が家族というものの大切さが、価値が分からないことだ。


 「ひっ!」


 男が最早金切り声に近い悲鳴を上げ後退る。

 命乞い、情に訴えるという最後の手段が通じなかったのだからそれは当然だろう。

 この男に元よりこの場を凌ぐ、生き延びる方法など用意していないのだから。

 だから俺様はそんな男の様子などよりも、家族という単語を聞いた感覚の方が気に障っていた。

 家族………虫酸が身体中を這い回るような嫌な言葉だ。

 《血統》という鎖で本質他人である人の身体も心をも雁字絡めにし、自分達が死ぬまで決して放さない。結果、他人の人生の大部分をドブに捨てさせる。

 そんなことを義務と言いつつ胸を張って、嬉々として、笑顔を浮かべて行う害虫。そんな奴らを表す記号ことばだ。


 そんな枷、誰が好き好むのだろうか?


 「生憎、俺には家族は居ねぇし欲しくもねぇ。つまりお前の気持ちはこれっぽっちも分からねぇ。だから、黙って死ね」


 シュッ


 「が……ぶは!!」


 銀色の線が閃いた瞬間、男はおびただしい量の血液を口から、鼻から──喉の裂け目から吹き出しながら倒れた。

 倒れ、胴体と頭が二つに別れる。

 コロコロと、足元まで転がってきた頭部を俺様は踏み潰す。


 グチュ、グチョ、


 何度も、何度も、踏み潰す。

 元が何だったのか、それすらも曖昧な形状になった頃、俺様はようやく足を退けた。

 下から現れたのは肉、骨、脳漿のうしょう、それらと粘着質な血液が混ざりあった赤黒い血溜まり。

 白い脳漿と赤い血液、それらが混ざりあった血溜まりはまるでオーロラソースのようだ。

 違う点を挙げるとすれば液体から漂うのが食欲をそそる匂いではなく、鼻がイカれるほどに濃密な血の匂いだということか。

 それに包まれながら、俺様の口角は上がっていった。


 「ハッハァ! 最高だなァ! 身体を切り裂くこの感触! 生々しく吐き気がする程濃厚な血の匂い! だからこそ止められねぇや!!」


 狂ったように悦声を上げる男。

 たが上げる声とは裏腹に、その顔には今にも泣きそうな、ひきつった歪な笑顔が張り付いていた。


 男は暫くして人間だった肉塊を一瞥すると、何処かを目指すように、何かを求めるように路地の闇に消えていった。

 目的地は誰にも分からない。きっと、彼自身にも分からないのだから。


 職業的快楽殺人鬼、通り名『ロンリデス』は新たな獲物を探して放浪する。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 「また、死ねなかったか……」


 時を同じくして、ボロボロの今にも崩れそうな廃ビルに小さな人影が一つ。

 首からは登山等に使用する見るからに頑丈そうなロープが垂れている。

 そのロープは新品同様の色艶を放っているのにも関わらず半場からざっくりと切れていた。

 まるで万力が掛かって無理矢理引きちぎったような粗い、そしてブチブチと、嫌な音をたてながら派手に千切れたことが容易に想像出来るような断面だ。

 その箇所と繋がっていたと思われるもう片方のロープは天井から突き出た幅親指程の太い釘から垂れ下がっていた。


 「身体を燃やしても駄目、心臓をナイフで抉っても駄目、ならば窒息と思ったが首吊りも駄目。……一体、どうやったら私は死ねるのだろうか?」


 人影は誰にとも知れないものにそう問いた。

 否、それは他人ではなく自らの問だったのかも知れない。

 部屋には人影は一つしか存在していないのだから。

 しかしその問には間違いがあるのだ。

 暗い闇に包まれた空間の中で仄かに光を放つ腰まで伸ばした神秘的な銀髪と妖しげに輝く不思議な紋章が浮き出た薄紫色の瞳を持つ彼女が投げ掛けた問には間違いしか無いのだ。

 何故なら、彼女は先程望んだ死を、自殺を成功させたのだから。

 否、正確には成功し続けているか。


 「はぁ」


 私は何度も自らを殺してきた。


 灯油を浴びて自らに火を付けて焼身自殺。

 皮膚が焼き爛れ蝋のように流れ、骨が熱によりバキバキと複雑に折れた。


 自らの胸にナイフを深く突き刺し刺殺。

 肉を抉り、骨を切り、流れ出る血の生暖かさを感じながら心臓へナイフを沈めた。


 密室に七輪を持ち込み一酸化炭素中毒による自殺。

 息苦しさから始まり、激しい目眩に体を内側からかき回されるような嘔吐感。

 空気を求め、喉へと手が向かい、苦しさの余りに掻き毟り、爪が剥がれ喉が破けた。


 薬物の過剰摂取により急性薬物中毒を引き起こし自殺。

 気が狂いそうな程の自己嫌悪と自己暗示による恐怖、過去の心的外傷トラウマが次々と心を貪り、破壊し、死んだ。

 精神が、心が、硝子のように粉々に砕け散った。

 共に体も、気が狂いそうな程の頭痛を伴いながら取り返しのつかない程に壊れた。


 深く日の光が届かないような海深の海へ五十メートルの断崖絶壁から身を投げ二重の投身自殺。

 重力に従い高速で海面に叩きつけられた私の体は、全身の骨がバラバラになり、肉は派手に千切れ飛んだ。

 臓器が幾つも破裂して、首などは何処を向いているのかもはっきりとしない有り様だった。

 筋肉が断裂し、身動き出来ない私が落ちるのは深い、とても深い、海の底。

 窒息しては息を吹き返すことが永遠と続き、其処には人が母なる海と形容するような温もりなど無く、在るのは私の体をさいなむ激痛と全身を潰すような、握り潰すような暴力だけだった。


 どれも私は死んだ。しかし、最終的な結果は今此処に佇む私自身が何よりそれを如実に証明している。


 「私の身体は、死ねないのか……」


 死ぬことには死ねる、痛みもあるし苦しみもある。

 しかし死ねない。この身体は、死に続けることを拒否するのだ。


 拒否するように出来ているのだ。


 焼身自殺をすれば、爛れた皮膚は燃えるそばから元通りになっていった。その為苦しみはとても言い表せない程苛烈なものだった。

 皮膚が、体が焼ける匂いを鮮明に感じながら延々と続く灼熱の地獄。

 心臓を抉れば数秒後には元通りになる、飛び散った血痕等も無くなるので元通りというよりは『巻き戻し』に近いのだろうか?

 流石に一酸化炭素中毒、急性薬物中毒、飛び降り自殺の時は途中で意識が飛んでしまい自らの身体がどのように巻き戻ったのかは分からないが。


 と、私は返れない、変えれない過去の記憶を徒然と思い出していた。

 だからなのかも知れない、


 「……テメェは何処の誰だ、すぐに答えねぇと───殺すぞ?」

 「殺せるものなら殺して欲しいよ」


 反射的にそう答えてしまったのは。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 物心ついた時から俺様は独りだった。


 別に天涯孤独の一人だった訳じゃない、人並みに両親も居たしペットだっていた。

 今から考えてみるとそこそこ裕福な家庭だったのだろう。────あくまで体面上は。


 「……チッ」


 思い出す、その行為だけで吐き気が伴う。

 普段から俺様とお袋に暴力を振るい、酔うと凶器を使うことも少なくなかった親父。

 家族内の問題の原因を全て俺様だと断定し、親父からの暴力によって溜まったフラストレーションの捌け口に殴ってくるお袋。

 何よりも、そう。どんな痛みや悔しさ、惨めさよりも嫌だったのは────抵抗すら出来ずにただ殴られるままの、非力な俺様。


 幼い俺様の身体に痣が出来ない日など存在しなかった。


 時には、腹を何度も殴られ内蔵を引っ掻き回されるような感覚と共に血の混じった吐瀉物をぶちまけ。


 時には、焼けた煙草を腕、脚、───そして目に入れられ、眼球を焼かれる痛みに無様に床をのたうちまわり。


 時には、熱湯を浴びせられ全身に一生消えることのないであろう酷い火傷を負わされ数日間生死の境をさまよい。


 時には、手の爪を一枚ずつ、味をしめるようにゆっくりと剥がされ血塗れに。その次は足の爪を更にゆっくりと、舐ぶるように剥がされ血塗れに。

 痛みに耐えきれず叫び声を上げた喉は、叫びすぎて裂傷が生じ吐血した。

 爪を剥がし飛び散る血で顔を彩りながら、両親と呼ばれる存在が浮かべていた醜悪な笑みはその時から俺様の脳裏に焼きついたまま離れようとしない。


 「ッ!………」


 全身に刻まれた傷痕が、呼び起こされる記憶と呼応したようにズキズキと痛む。


 俺様の両親は悪魔だった。小さい頃から思っていた。そしてそれは紛れもない事実だった。

 しかし、あれから長い時間が経ち相応の経験をしてきた今の俺様は別の考えを持っている。


 それは悪魔とは違うモノ───『バケモノ』の存在だ。


 この世生きとし生ける人間の中で強者と呼ばれる者は『バケモノ』だ。ただ、俺様の両親という人間も例に漏れず『バケモノ』だったが血の繋がっていた俺様にとっては『悪魔』だっただけのこと。


 『悪魔』は人の願いを叶える代わりにそれ相応の対価を奪っていくという、それは俺様と両親に似ている。

 つまりはギブアンドテイクの関係だ。

 両親は俺様を不満の捌け口、スケープゴートとして求め、俺様は両親から生きる為の食料を貰っていた。

 『愛情』などが入る隙間も無い、一方的な支配と妥協的な享受による契約。


 それに対し、『バケモノ』が与えるのは一方的な支配と破壊のみだ。

 ギブアンドテイクですらない。それは例えるならば戦争により発生した植民地のような扱いだ。

 血の繋がらない真に他人と呼べる強者達は皆それに属する。少なくとも俺様が会ってきた者達はそうだった。

 自分が成り上がることしか考えず他人を蹴落とすことを常とする者共。その上に成り立つ歪な利害関係。

 あんな不気味な、切り捨てることを前提とした見下しあった関係性。思い出しても反吐が出そうだ。


 今更そんなことを思い出したのは、さっき殺した男が『家族』なんていう言葉をよりにもよって死ぬ間際に残したからかも知れない。


 全くもって最悪な気分だ。


 その時俺様は腹の虫が異常に悪かった。だから俺様の部屋に土足で上がり込んでいたソイツを見つけた時は正直問答無用で殺そうとしてしまった。


 「グッ……」


 それをどうにか理性で押さえる。俺様も何も無差別に人を殺ってきた訳じゃない。俺様は俺様なりの善悪の物差しでもって対象を決めている。

 それが他人からすれば身勝手な物差しであろうと、それには俺様なりの矜持がある。

 さっき殺した男だって家族かぞくと喚いていたが、その実結婚は金目的であると調べはついている。その上妻には日常的な暴力を振るい生まれたばかりの赤子を育てるのが面倒だから、という身勝手な理由で道端のゴミ箱に棄てた、それこそ紙屑を捨てるような感覚で放り棄てたのだ。

 入ったゴミ箱に既に大量の生ゴミが捨てていなかったら、恐らく投げ棄てられた時点で首もまだ据わっていなかったその赤子は死んでいただろう。

 しかしその時点ではまだ死を先送りにしただけだ。俺様が男を調査兼監視をしていなかったらその赤子は孤児院に届けられることもなく、暗いゴミ箱の中で蛆が湧いた腐臭漂う生ゴミに囲まれながら餓死していただろう。


 と、まぁあの男は俺様の物差しに十分引っ掛かる『バケモノ』だった。だから『処理』した。

 人間が人間を、ましてや人間性の無い『バケモノ』を人を殺すことに馴れた俺様別種の『バケモノ』が裁けるものでは無いと俺様も知っている。

 それは『裁き』などではない、単なる『バケモノ』同士の醜悪な闘争だ。

 だが目の前で理不尽に命を踏みにじることを黙認することとそれは別だ。俺様には『裁き』は出来なくとも『処理』は出来る。

 殺し屋として、仕事として、それが可能だ。


 その点目の前の彼女はまだ殺す必要はない。土足で人の家に上がってそれがどうした? 俺様なんて土足で人の身体を踏んだことだってある。

 石床を踏んだくらいで殺されては納得など仕様がないだろう。理不尽だ。


 しかし踏んでいるのが人体ではなく石床でも其処は俺様の家。勝手に人の家に上がり込まれることに良い気持ちがする訳でもない。

 正直変な理屈とか付けられて逆ギレされたりなどされようものならば問答無用で殺してしまいそうだ。

 それほどまでに、現在俺様の気分は最悪だった。


 「……テメェ何処の誰だ、すぐに答えねぇと───殺すぞ?」


 だから、そう脅した。

 さっさと目の前から消えてもらうのが一番安全かつ穏便だったからだ。

 幼少の頃に受けた悪魔との『対価』によって俺様の身体は自分から見てもかなり酷いものになっている。すぐに逃げ出すだろう。


 そう思っていた。だから帰ってきた答えに俺様は一瞬思考停止に陥った。


 「………は? なんて、何て言ったんだ?」

 「殺して欲しい、と言ったんだ」


 殺して欲しい、か。───ムカつく。

 目の前の人物の発言を俺様なりに吟味し、思った感想だ。

 俺様は命を踏みにじる者を心底嫌いだがそれと同じくらいに嫌いなものがある。

 それは、命を蔑ろにする者だ。

 殺人鬼が何を、と思うかも知れないがそれこそだ。

 日常的に人の生き死にに関わる者にしか分からない感覚だろう。

 しかし、


 「テメェ……本気で言っているのか? 本気なら、俺様は躊躇しないぞ」

 「本気も本気だよ、私は死にたい。他人に殺されようが自分で自分を殺そうが過程は関係無い。私は、私自身の息の根を永遠に止めたいんだ」

 「…………」


 本人が本当にそれを望むのならば手を貸すこともやぶさかではない。

 命を蔑ろにする者は強者弱者関係無く嫌いだが、蔑ろにしたくなる経験をした人達がいることも俺様は併せて知っている。

 理解をしている。

 それほどまでに辛い経験を背負って生きていくことを俺様は強制しようとは思わない。人生一度きり、幾らでもやり直せるとは良く耳にする言葉だが、失敗してしまった事実は変わらないのだ。


 『やり直し』は出来ても『取り返し』はつかないことは確実に存在しているのだ。


 理由はどうあれ、この先破滅しか未来がないのなら早く終わらせてやるのがせめてもの救いだろう。


 「いくぞ」

 「ああ」


 ザシュッ


 俺様はさっき使ったばかりのナイフで声から推測した彼女の頭があるであろう空間にナイフを放ち串刺しにした。

 見た目は残酷だがこれが痛みを抑える最善だ。心臓や喉を切り裂いても数秒は頭に血が送られるので感覚があるのだ。

 しかし脳を直接破壊してしまえば即死、痛みを感じる暇すらあるまい。

 今まで辛い経験を、それこそ死にたくなるような経験をしたのだからせめて死ぬ時くらいは楽に逝かせてやりたい。

 これも俺様なりの矜持だ。


 ドサッ


 床に倒れた彼女を割れた窓から差し込む月明かりが照らし、暗闇に遮られていた彼女が照らし出された。

 そこにいたのは、まだ少女と呼べる年齢の女の子だった。


 「…………」


 外見から察すると年齢は間違いなく十代だろう。

 この世に生まれてたったの十数年、一体何があれば少女をここまで追い詰めてしまうのだろうか?


 そんな俺様の勝手に思い詰めた思考とは裏腹に少女の死に顔は安らかなものだった。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 「……これでいいか」


 床に広がる血を片付け倒れた時に乱れた服装を直した。


 「後は……リベルに連絡して葬儀をしてもらえばいいか」


 俺様はまだ生暖かい少女の遺体を部屋の薄汚れたベットへ丁寧に置き、馴染みの葬儀屋の社長であるリベルと連絡を取る為に外を向かった。





 「ああ、宜しく頼んだ」


 ガチャ


 近くに設置されている公衆電話を使ってリベルへの依頼は滞りなく終わり、後は部屋に戻り彼が来るのを待つだけだ。


 「……」


 しかし部屋に遺体を、それも少女のものを放置してきたのは今更ながら不味いことをしたと思う。

 適当に毛布でも使って隠すとかすればよかったのに。たまに抜けているのが俺様の悪いところだ。

 どちらにしろ、見つかれば事態は一気に最悪だ。俺様が捕まることはまず無い。だから問題は遺体が見つかってたつ噂のほうだ。

 散々殺しをしてきた俺様でも少女を殺したことは今までなかった。これを切っ掛けにもし殺人鬼ロンリデスが『ロリコン』という噂がたてばどうなるか。

 それは死だ。物理的にも、精神的にも。


 俺様は私情で殺しをすることも多いが、しかし大半は依頼で暗殺をすることの方が多い。

 だが俺様がロリコンだという噂が広がれば依頼は来なくなるだろう。何故か? それは異常性癖者に借りを作りたくないからだ。

 表の世界ではロリコンなど全然ノーマルの範疇だとか言われているが裏の世界ではそうではない。

 裏の世界の住民は基本、殺人を初めとした重犯罪に手を染めている者が殆どだ。それで既に異常なことなのに更にロリコンなんていう異常が加われば、それは異常者の中でも突出した異常者になる。

 見も蓋もない言い方をすれば、依頼した見返りに少女など要求されても困るからだ。

 なまじ殺人の技術が高いだけに、要求を断れば次に狙われるのは自分かも知れない。そんな考えを抱く依頼者も現れるだろう。


 つまりは誰も爆弾を抱えたくないのだ。自分が危険に晒されない為に殺人を依頼するのに更に別の爆弾を抱えてしまっては意味がない。

 勿論依頼が来なければ職業的殺人鬼である俺様の収入はゼロ、飢え死にだ。

 それに何より、俺様のメンタルが耐えられるとは思えない。


 そんなことが一瞬で脳裏をよぎり自然、身体全体から冷や汗が吹き出す。


 「───ッ!!」


 俺様は少女の遺体が誰にも見つかっていないことを願いながら全力疾走で部屋へと走った。




 バンッ!


 「───なっ!!」


 ドアを蹴破るように部屋へ戻り少女の遺体を確認する為に見渡した俺様を待っていたのは、にわかには信じがたい光景だった。


 「ふわぁ~あ。……煩いと思ったら、やっと戻ってきたのか」


 「なっ!?」


 俺様が遺体を置いた場所と寸分違わない位置に座り、気怠げに欠伸を噛みながら此方をクリッとした大きな薄紫色の瞳で見つめてくる元遺体の少女。


 有り得ない──!!


 目の前の少女は確かに殺した、脳を直接貫いて痛みを感じる暇さえも与えずに殺した筈だ。

 だが、今しがた眠りから醒め全身の凝りを解すように身体を伸ばす少女は間違いなく俺様が殺した少女だ。


 一体何が………何が起きている?


 「……なんで生きてんだ? テメェは俺様が確かに殺した、脳を直接貫き即死させた筈だ。万に一つもし損なった可能性は有り得ねぇ」


 「部屋に帰ってくるなり私を見て驚いていたが、成る程そんなことか。何、簡単な事だ。私はそれじゃあ死ねないんだよ。その方法はもうだからね」


 「試し済み……?」


 それは、つまり前にも脳を貫かれたことがあるということか?

 いや、試した、と言っているから自分で自分の脳を刺したのか? いやしかし、そんなことが本当に有り得るのだろうか?


 「……その顔は信じていない、否、半信半疑といったところか。まあわたしも初めから信じてもらえると思っているほど傲慢じゃない。……君は私が人間だと思っている、だから私の言った内容が信じられないようだ。ではまず、その誤解を解こうか」


 「誤解? 誤解も何もお前は人間の姿形をしているじゃないか」


 「君は人は見た目で判断するものではない、と教わらなかったのか? ましてや私は人ですらない。見た目など有って無いようなものだ。ま、口で言ってもややこしくなるだけだからね、見た方が早いだろう」


 「見るって何を───ッ!」


 俺様が少女へ問い掛けを発することが出来なかった。それは俺様の体が地面に押し付けられたからだ。

 重力が何倍にもなったかのように体が重い、重すぎて指先一つ動かせない。


 「……ん? ああ、すまない。今解くから」


 頭上で少女の声が聞こえたと思ったら先程までの重さが嘘のように消え去った。

 俺様は身体を起こし少女に問いをした。


 「い、今のは何だ? 職業柄、身体能力はずば抜けている俺様が指先一つ動かせなかっ………誰だお前」


 「誰だとは酷いな、君は。流石の私も傷つくぞ」


 目の前のは俺様に馴れ馴れしく接してくるが俺様に見覚えはない。

 第一知り合いなぞ俺様にはいない。

 しかし女性は立つ位置は生き返ったという少女が立っていた場所と同じだ。それに目の前の女性は初対面ではないように接してくる。

 恐らく、考えたくはないがほぼ確実に、目の前の女性は俺様が殺した少女だろう。生き返えることが出来るなら容姿を変えることくらい簡単かもな。


 「十中八九確信しているが一応確認するぞ、お前はさっきまでここに居た少女だな」


 「ああ、まさしく。しかし良く気づいたね。大抵の人間はいきなり現れたのと私の容姿に驚くか逃げ出すかするんだけど……君にはどちらも当てはまらないようだ。どうしてだい?」


 「職業柄真夜中に徘徊することが多くてな。人外を見るのも初めてじゃない、屍人グール霊鬼ゴースト。珍しい奴だと三本角の吸血鬼ヴァンパイアも殺したことがある」


 「ふむ。それならば納得だな。しかし《三本角》か……。最近噂を聞かないと思っていたら、まさか人間界に降りているとは」


 「知り合いだったか?」


 「いいや。別に知り合いという程のものでもない。敢えていうなら、殺すべき標的ターゲットといった方がいい」


 殺すべき標的ターゲットか。しかしいくら殺す意志があっても俺様には目の前の女性には力が足りていないように感じる。

 《三本角》というらしい吸血鬼を殺した張本人である俺様が言うのも変だが、アイツの強さは正しく人外。人の理の外にあった。


 第一俺様が勝てたのも《三本角》と遭遇する直前に殺した汚職まみれのクソ神父の教会で安置されていた数々の対魔武器。その中でも最強形態の一角である二丁拳銃型アルビエルをパクってきていたからだ。

 流石の俺様も首と胴体を切り離しても、脳、心臓を抉り取っても、全身を細切れにしても数分の内に全快する正真正銘の化物相手にナイフ一本で勝てる程、俺様も人間離れしている訳ではない。

 俺様が《三本角》を殺せたこと自体偶然の産物、運命の悪戯だ。


 「それはそうだろう。《三本角》と言えば魔界で三本の指に入る猛者だからね。特筆すべきはやはりその圧倒的は再生能力。全身をミキサーにかけコンクリートと混ぜて太陽光に晒しでもしないと死なないような不死者に人間である君が対魔武器無しで勝てる筈もない」


 当然のように俺様の思考に対して答えてくる。……正直、気持ち悪いな。

 他人に心を勝手に覗かれるのは好きじゃない。


 「……平然と心を読むんじゃねぇよ。容姿といい、やっぱ人間離れしてんな」


 「当然だよ。人間ではないのだから。それにしても《三本角》はどうやって殺したんだい? いくら対魔武器があってもそう易々と殺せる相手ではなかっただろう?」


 「確かに簡単じゃあなかったな。けど不死身と無敵が同一という訳でもないだろうが。幸い《三本角》の吸血鬼は人型だったからな、人体の急所を破壊、動きを封じ込めて鋼鉄の箱に聖別した油とニンニクと十字架を詰め込んで一週間日光に晒し続けて開いたら、くしゃくしゃなミイラが出てきたぞ」


 「………」


 ふと見ると目の前の女性は唖然とした表情で固まっていた。


 「ふふ、あはははは」


 と思ったら急に笑いだした。何が可笑しいのか俺様には全く分からない。


 「何がそんなに面白いんだ?」


 「ふふふ、いやなに、魔界の総統にして地獄の支配者であった私こと悪魔皇ルシファーが驚くなんて何千年振りだったからね。楽しくなってしまったのさ」


 「るしふぁー? それって堕天使ルシファーのことか?」


 「堕天使……また懐かしい肩書きが出てきたものだ。そう、それで合っている。私が一番やんちゃしていた頃の肩書きだから一番有名なのは仕方がないと自負はしているが、他に無かったのかい?」


 無かったのかと聞かれるとあるにはあった。『ルシファー』には本人が言った『悪魔皇』の他にも『輝く者』、『明けの明星』など数多くの異名があるからな。

 しかしその中で敢えて俺様は『堕天使』を選んだ。

 理由は俺様自身にもよく分からないが。口を突いて出たと言った方がいいのだろうか?


 「……君自身にも分からないようだ。まぁ理由は幾らか想像つくが」


 「今出会ったばかりの俺様の考えの答を、しかも俺様自身にもよく分からねぇ事を分かるってのか?」


 「伊達に何千年も人間を見てきた訳じゃない、私の観察眼を余り舐めて貰っては困るよ? ………ところで、そろそろ元の姿に戻ってもいいかな? この姿を維持するのに少々疲れてきた」


 さっきは見た目など有って無いようなものと言っていたから姿形など余り関係ないものだろうに。


 「好きにしろよ」


 正直話す相手が少女でも女性でもどちらでもよかったので素っ気なく答えた。


 「全く、君もつれないな」


 そう文句を言いつつルシファーは小声で何かを唱えると元の少女の姿に戻った。


 「テメェの希望に乗ったんだ、代わりに俺様の質問に一つ答えて貰おうか」


 たかだか許可一つ、それも別に俺様の言質が必要なものではないもの。

 それを対価に要求するのも我ながらどうかと思うが質問一つならば五分五分だろう。


 「いいだろう。さぁ、君は何が聞きたい? 西欧魔術の真髄か、はたまた不老不死の霊薬の隠し場所か。それとも……世界を滅ぼすようなオーバーテクノロジーかい?」


 だがそれも質問相手が何千、下手したら億の時を生きる人外でなければの話だ。本来、俺様とルシファーの情報のレートは比べることすら出来ないだろう。

 まあ、勿論俺様はそんなことに興味は無いのだから関係無いのだが。


 「そんなことはどうでもいいんだよ。俺様が聞きてぇのはさっき言ってたことだ。俺様自身にも分からない、『堕天使』を選んだ理由」


 「時代を変えるような情報をそんなことと切り捨てて言い出したのがそんなことか。普段の私なら少しは自分で考えろ、と言っているところだが……君にとってそれは余程気になる事柄なのだろう。莫大な富と名声を犠牲にして選んだその心意気に免じて、私も意地悪しないで答えることにするよ。………時に君は『堕天使』がどういったものか知っているか?」


 長々と言った前置きの最後にそんなことをルシファーは俺様に聞いてきた。馬鹿にしているのか?

 『堕天使』というものを知っていたからこそ俺様の口から『堕天使』という言葉が出てきた、選び出されたのだから俺様が『堕天使』を知らない筈がないのだ。

 そんなことはルシファーも分かっている筈、ならばここで俺様に問いかけていることは『堕天使』という概念についてのことだろう。


 「元々は天使だった存在が神に反抗して位を堕とされた存在だろ?」


 「概ねそれで合っている、だから君は『堕天使』を選んだんだよ」


 「あぁ?」


 突然結果に飛んだ。これでは意味不明だ。

 途中経過をしっかり説明してもらわなければ俺様も悶々とするだけだ。


 「意味が分からねぇ、答えるんなら俺様がわかるように答えろよ」


 「君は自分のことを『人を殺すことに馴れたバケモノ』と思っている、そうだろう?」


 「何でそのことを……あぁ、そうか。また心を読まれたのか。胸くそワリィ」


 ルシファーは心を読めるだけでなく遡ることも可能なようだ。……どうにかしてコイツの眼を潰せないだろうか?


 「おいおい、そんな物騒なことを考えるな。今の私は魔界に居た頃とは比べ物にならないくらい弱体化しているんだ、『不死ノーライフ暴虐タイラント』の異名を持つ《三本角》を殺した君ならば、今の私の戦闘能力では敵わないだろう。まあ、敵わないからといって死ぬとは毛頭思っていないが、どうする?」


 最後にドヤ顔で聞いてきた。マジ殺したい。

 だが殺せたとしても先程のようにまた無傷で復活するだけだろう。

 俺様が得るのは肉体的疲労のみ、どう考えても割に合わない。


 「俺様は脳筋でも戦狂いでもないんでな、疲れるだけなんて真っ平御免だ」


 「そうか。少々脱線してしまったが話に戻ろうか。君は今でさえ自分を『バケモノ』と称しているが、元は他と変わらない人間だった。そうだろう?」


 「テメェ……何が言いたい」


 「つまり君は『堕天使』と『君自身』を、天使から堕天使に堕ちた存在と人間からバケモノへと落ちた自分を同一視しているんだよ」


 「っ! そんなこと」


 「無いと言い切れるのかい?」


 「………」


 ……冷静になれ。


 改めて考えてみると、成る程。確かにそういう節はあるかもしれない。

 俺様は悲観的ではないが自身を『バケモノ』と思っていることは事実だからな。それに俺様がルシファーに話した『堕天使』の概念と照らし合わせてみても類似している。


 「だがそれは心外だ、君と比べられるなど我々の、『堕天使』の誇りが許さない。正直止めてもらいたいものだ。『堕天使長』としても、一堕天使としても」


 「なに?」


 「君は『堕天使』が堕とされたと言ったね。それは大きな間違いだ。私達は自らの意思で神に相対することを決め、自らの意思で。妥協的で世界に流されて落ちた君とは比べられたくもない」


 「なん、だと……」


 俺様が何時妥協したって? 俺様が何時流されたって?


 「ふざけるじゃねぇ!! テメェは俺様が人に流されるような弱い奴だって言いてぇのか!?」


 「そうだよ。……ほら」


 ルシファーが俺様の方へ左手を伸ばし何かを掴むような仕草をする。そして再び左手を広げると、そこには微かなヒビ割れが縦横無尽に走る深い青色の円形の塊があった。


 「これは君の心だ」


 「俺様の心? それがどうしたってんだよ」


 「まあまあ、そんなに慌てることはないだろう。そしてこれが普通の、極々幸せな者の心だ」


 青い心を持つ左手の横に右手を浮かべる。その手を開くと今度はヒビ割れなど全く無い、まるで硝子のような様々な色を合わせ持った心があった。


 「これがさっきの根拠だ。この色のように様々な感情が入り混じったものが普通の心なんだよ」


 ルシファーは右手の心を目線で示しながらそう言い次に隣の青い心に目を移した。

 何故かその瞬間に見せた酷く哀しそうな顔が俺様の頭から離れない。


 「感情にはそれぞれ色がついている。怒りは赤、希望は白、不安は灰色。そして青は、後悔だ」


 「っ!!」


 ルシファーの言葉に俺様は何も言い返えそうとしなかった。否、言い返せなかったのだ。

 後悔、その言葉が俺様の心中を埋め尽くしていたのは紛れもない事実だったから。


 「それに加えてこのヒビ割れだ。君がどれ程の負担を心に与えてきたのか、想像するに難くない。その原因も私の眼を持ってすれば見つけることなど赤子の手を捻るよりも簡単だ」


 「や、止めろ。見るな、俺様の心を覗くな……!!」


 ルシファーは俺様に心の奥底まで見通すような、深い眼を向けてくる。

 心が覗かれているのが、気持ち悪い程はっきりと感じられる。その感触から逃れようとするが俺様の体は動かない。


 鳥肌がたつ。


 過去の記憶が無理矢理呼び起こされる。


 吐き気を伴うようなトラウマがフラッシュバックのように次々と再生され、そのたびに傷痕がうめきを上げる。


 俺様の体は間違いなくここから逃げたがっているのに俺様の心がそれに従おうとしない。

 まるで今ここを離れたら一生後悔するような気がして。


 「弱い君は異常者の真似を、快楽殺人鬼という仮初めを演じている。自らの感情に折り合いをつける為に、心を騙す為に」


 「……ああ、そうさ。俺様は俺様自身を騙してきた。そうでもしなきゃ俺様が壊れちまいそうだったから。───人を殺す殺すことに耐えられなかったから」


 「確かにそれは自衛手段としては正しいのだろう。しかし君は優しすぎた。その結果が今の壊れそうな心だ。そんな行為を、私は正しいとは思わない」


 「っ!! なら……俺様は、弱い俺様は一体どうすれば良かったんだ!! 金も無い! 親も居ない! 住む場所も無い! 食べ物も無い! 衣服すら無い! 挙げ句放り出されたのは弱肉強食だけがルールのスラム街。俺様が生きる為には人を殺す以外どうしたらよかったっていうんだよ!!」


 人生で必要な物を全て根こそぎ削ぎ落とされ、人としての尊厳をドブに捨ててもなお足りないような状況で他に生きる術なんかあるはずが───


 「どうして君は何でも一人でしようもするんだ。人は一人では生きられない。君にも頼れる人が居た筈だろう」


 「それこそあり得ねぇ! 薄汚れて片目を失った子供なんか一体誰が拾う!?」


 「それは君の嘘だ。君の過去を覗いた時に見た親戚の叔父さんやよく家に様子を見に来てくれていたおばさん、彼らなら君を間違いなく拾っただろう」


 「っ!!」


 「君は優しすぎるんだよ。そして、自分を蔑ろにしすぎている。誰にとっても何より大切なものは自己だというのに」


 「誰にも必要とされねぇ俺がその上他人に迷惑なんか掛けたら、それこそ生きる価値がなくっなっちまう!!」


 「馬鹿者!!」


 「っ!」


 突然の怒声に驚き体が固まる。いや、俺様は、俺は怯えているのか。

 俺の殻を引き剥がし奥底に封じ込めた闇をさらけだそうとするルシファーに。

 まるで大人に叱られた幼い子供のように怯えているのか。


 「いいか、よく聞くんだ」


 先程の怒声とは打って代わって諭すような口調でルシファーは言葉を紡ぐ。


 「忌まわしき神は役割を持たせた生物しか産み出さなかった。人間もその例外ではなかった。人間は知性ある者として他の生物の管理、統率を目的として地上に創られた存在だ。

 だが私は、それを悲しく思う。

 生まれながらにして役割が決まっているなんて退屈じゃないか。つまらないじゃないか。───自由がないじゃないか」


 「ルシファー……」


 過去を思い出すように遠い目をしながら語るルシファーは憐れむような顔をしていた。


 「だから私達は神に反旗を翻した。何人もの同胞と何億もの部下を失った戦。その結果、人間は思い思いに生きるようになった」


 当時の仲間たちを思い出したのか、ルシファーの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 だがその顔には一片の後悔も無かった。後悔にまみれる俺とは大違いだった。


 「人に生きる理由なんて要らないんだ。息をする、心臓が動く。ただそれだけで、そこにいることの理由には十分なのだ。誰かに必要とされなくったっていい。誰にも興味を持ってもらわなくたっていい。ただ、生きている。それだけで既に満ち足りるんだよ」


 「俺には無理だ、そんな強い生き方。誰にも必要とされず、誰の目にも留まらないなんて、そんな孤独、俺には耐えられない」


 顔をうつむかせ拒絶した俺を覆うようにして暖かな感触が、絶えて久しい人肌の感触が包み込んだ。


 「では私が君を必要としよう。私が君に興味を持とう。────私が君を『愛情』で満たそう、その凍えた心を溶かしてみせよう」


 そう語り掛けるルシファー言葉を嬉しく思う、それは俺の偽らざる本心だ。

 だが、


 「迷惑を掛けるかも知れない、危険に晒すかも知れない、大切なモノを失わせるかも知れない───後悔させてしまうかも知れない」


 そう考えるだけで俺は、幼い子供の時から弱いままの俺の手足は寒くなる。不安で胸がはち切れ、今にも心が狂いそうだ。

 人に、他人に迷惑を掛け自分の存在を否定されることは俺にとって死ぬことよりも恐ろしい。


 「そんなに怯えることはない。迷惑なら掛ければいい、仲間とはそういうものだ。

  もしも危険に晒されたなら協力して乗り越えて行けばいい、自分達が誰も傷付かないように努力をするんだ。

  もしも大切なモノを失ったら埋め合わせてあげればいい、それは絆で結ばれた者同士でなければ出来ないことなのだから。

  もしも後悔をさせてしまったら、それ以上の希望を見せつけてやればいい。君が居て良かったと再び思って貰えるようにね」


 俺の不安に対して一つ一つ答えを出していくルシファーの言葉、その一文字一文字は俺の心に染み渡るように広がっていった。

 それはさながら、福音のような暖かさを伴って俺の心を溶かしていった。


 「う、うっ………」


 気づくと俺は泣いていた。

 幼い子供でも出さないような酷い泣き声をあげながら、涙を滂沱と流しながら、今まで溜め込んでいたのもの吐き出すように泣いた。



 月光に照らされる二人、安心させるように男の頭を撫でるルシファーとその胸で嗚咽混じりの泣き声をあげるの姿は暫く続いたのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 「……わりぃ、見苦しいとこ見せたな」


 一通り泣いた俺様は薄汚れたベットにルシファーと一緒に腰かけていた。

 一応謝罪をするが妙にき恥ずかしくて顔を見れない、殺人鬼ともあろうものが女々し過ぎるな。


 「いやいや。私としても良いものが見れた、久しぶりに純粋な感情というものに触れ合った気がするよ。それにしてもここまで感情を露にしてくれるとは思わなかったよ。魔術で心を開いたら甲斐があったわけだ」


 「……はぁ?」


 何だこいつ、今魔術で心を開いたっつったか?

 ということは何だ、俺様のさっきの醜態は意図的に起こされたってことか?


 …………ブットバス!!


 「まてまてまてまて! 何か勘違いしているようだが私がしたのは一番始めに警戒心を解いただけだ。さっきの感情の吐露は間違いなく君自身の意思で行ったことだ。断じて私は仕組んだりはしていない、この通りだ」


 そう早口でいいルシファーは土下座を敢行した。魔界の王なのに易々と頭を下げてしまってもいいのだろうか?

 

 ルシファーの土下座に勢いを削がれてしまった俺様は冷静な気持ちで思い返してみる。

 確かに警戒心こそ抱かなかったが、別に思考を誘導されたり妙に俺様が自分のことを話したりしたようなことは思い当たらなかった。

 普通よりも色々と打ち開けていたのは単純に俺様の感情が爆発したからでルシファーは関係ないだろう。


 「いきなり悪かったな」


 「解ってくれればいいんだ。私にも悪いところはあったのだからね」


 俺様の蛮行を、正確には殴ろうとしたことは気にしていないようすのルシファー。そんな彼女を陥れる気がするので正直乗り気ではないが彼女が俺様に魔術を掛けた件で少し借りを作らせて貰おう。


 「そうだよな。俺様も悪かったとはいえ、無断で人に魔術を掛けるのはマナーがなっちゃいねぇ、そうだな?」


 「それはそうだ。君が怒るのも当然だな。それで私に何を望むんだ? 先程聞かなかった私の知識か? それとも、私の身体か?」


 ルシファーが腰をくねらせて挑発的なポーズをとった。しかしながら俺様は全く動じることはなかった。

 大人の姿で俺様を抱き締めていたルシファーは俺様が泣き止んだらすぐに最初の少女の姿へと戻ってしまったのだ。

 如何せん俺様はロリコンではない、年端もいかない幼女の身体では興奮などしないのだ。


 「何故動じないのだ! 通り名が『ロリデス』なのに!!」


 「『ロリデス』じゃねえ『ロンリデス』だッ!! 俺様はロリコンじゃねえ!」


 ルシファーは他人の心を覗けるので絶対にわざとだ。何故こんな奴がよりにもよって心を覗ける能力を持っているのだろうか? たちが悪いったらありゃしねぇ。


 「ふふ、新鮮な反応を示してくれる君が愛おしいよ。それで、何が望みだい?」


 「一つ質問に答えれてくれればそれでいい」


 俺様の要求を聞いたルシファーはあからさまにガッカリした様子だ。恐らく自分の知識を披露出来なくてうずうずしていたのだろう。


 「君にはもっと強欲になれと言葉を送るよ。はぁ、それで何が聞きたいんだい?」


 「オマエは何で死のうとなんてしてやがったんだ? 俺様を諭したオマエなら自殺なんて選ぶ筈がねぇと思うんだが」


 結構デリケートな質問だと自覚はしていたので少々遠慮がちに聞いてみたのだが、当の本人は内容を聞いたとたん優しげな笑みを浮かべるだけだった。


 「んだよその反応」


 「いや、本当に君は愛しいと思ってね。それで私が何故死のうとしていたかって? それは単純なこと、生きる意味を見失ったからだ」


 いや、見失っていたかな。とルシファーは訂正する。重い言葉とは裏腹に、その声には何処にも気負いのようなものは感じられない。


 「気負いは無いのだから当然さ、生きる意味は見つけたからね。たとえそれが一時的な紛らしだったとしても、今の私にとっては間違いなく『生きる意味』だ」


 「生きる意味だ? テメェは何を見つけたって言うんだよ?」


 この短時間でルシファーは一体何を見たのだろうか? 俺様と出会った時はまだ自殺願望を抱いていた、だが今はそれを抱いていないらしい。この短期間の間に原因があるとすればそれは俺様だろうか?

 だとすればルシファーは俺様に一体何を見たのだろうか?


 「これを見れば私が感じたことが解ると思うよ」


 そう言って開いた左手には青い色をした球体が浮かんでいる。恐らくは俺様の心だろう、しかしさっきまで全体を覆っていたヒビ割れが無くなったのはどういうことなのだろう?


 「君が心を壊すのを止めたからさ。少なくとも、私の前ではね。だからヒビ割れが無くなった。これは一種の信頼関係っていうやつかな? ふふ、君に信頼を寄せて貰えるなんて、嬉しくて悶えそうだ」


 腰をくねらせて全身で嬉しさを表現しているルシファー、悶えてんじゃねえか。


 「それでオマエはそれに何を見出だしたって言うんだよ?」


 俺様は無視のスタンスで会話を続ける。そろそろ俺様もルシファーの扱い方がわかってきた気がする、のは勘違いだと思いたい。


 「むぅ、相変わらずつれないな」


 邪険に扱われた本人は唇を尖らせてあからさまな不満アピールをしていた。

 ………だんだんルシファーのキャラが崩れてきているのは断じて勘違いだと思いたいものだ。


 「では見せてあげよう。と言ってもこれは君自身の心だからね。私が見せるまでも無いことだと思うが君は鈍感だから」


 若干俺様の悪口が混ざっているのは邪険に扱われた仕返しのつもりなのだろう。魔界の支配者の報復にしては可愛いものだ。


 「では行くぞ」


 「ああ」


 ルシファー俺様の心に右手をかざすと小声で何か呟いた。恐らくは魔術の詠唱だろう、少なくともそれがただの独り言である筈がなかった。何故ならば、ルシファーの呟きが終わった直後左手の球体、すなわち俺様の心が透け始めたからだ。


 「オ、オイ、まさかこのまま俺様の心が消えちまうってことはねぇだろうな?」


 「安心したまえ。透けるのは存在が無くなることと同義ではないよ。それに透けるのは君の心を殻のように覆う『後悔』だけだからね」


 俺様の心は表面の青い部分、『後悔』が透けて内部から8:2くらいの割合で桃色と黄色に分かれた球体が出てきた。

 最初の『後悔』とは違い暖かな暖色だ。心なしか球の周囲が暖かくなったような気さえする。


 「これにオマエは何を見たんだよ」


 「特別なものなど、何も見ていないさ。今君が目にしているものを私も見たんだ」


 では、目の前の球体、もとい俺様の心がルシファーを変えたっていうのか?

 ルシファーが言う通りならば俺様は今ルシファーと同じ光景を目にしている筈だ、しかし俺様にはルシファーの自殺願望を変えてしまうような何かは感じられない。


 「……どうやらあまり分かっていないようだね。まぁ、誰だって自分の心を完全に掌握している訳でもない、無理もないことだ。それにこれは自分ではあまり自覚が無さそうな事柄だからね」


 「自覚がない?」


 「ああ、誰にとっても基本的な基準は自己だ。基本が少々変わっていたとしてもそれを基準とするのだから気づかない、気づけないんだよ。君が自分の心を普通と思っているようにね」


 俺様の心が普通じゃないってことか? だとすれば失礼なことを言う。殺人鬼である俺様が言うのも変だが至って正常だ。


 「ではこの色は何の感情だと思う?」


 ルシファーは俺様の心の桃色を指して問いかけてきた。


 「桃色って言ったら優しさとか思いやりとかじゃねぇのか?」


 「その通り、これは『優しさ』だ。だから異常なんだ」


 『優しさ』を抱いているのが異常? なら大多数の人間が異常ってことになる。しかしそれはもう異常とは言えないんじゃないのか?


 「何でだ? 『優しさ』を持っているのが何故異常になる?」


 「『優しさ』を持つことそのものを異常なんて言うつもりはないよ。誰でも持っているし、誰もが秘めている感情だ。問題はその比率だよ」


 「比率?」


 確かに俺様の心にしては『優しさ』の割合が多い気がするが……。


 「多いなんて、そんなレベルじゃない。一般の心を占める『優しさ』の三倍弱と言えばわかるかな?」


 「多いのか? それ」


 「多いさ、『優しさ』という感情は極めて生じにくい感情だからね。加えて君は人よりも過酷な人生を歩んできた。過酷ということはそれだけ他者に貶められてきたということだ。必然、妬みや憎しみ、その他の暗い感情が生まれる可能性が高くなる、『優しさ』なんて感情が生まれる余地が無くなるくらいにはね」


 「確かに俺様が他よりも過酷な人生だったってのは認めるけどよ、憎しみを抱いたことなんて数えきれねぇくらいあるぜ? それにその『優しさ』だって一時的なものかも知れねぇじゃねぇか。オマエに打ち明けてすっきりしたのは事実だしな。案外その影響が出ているだけじゃねえか?」


 いわゆる『静』だ。何事にも『山』と『谷』があるようにピーク直後は落ち込むものだ。それが俺様には『優しさ』という形で現れたのではないだろうか?


 「残念ながらそれは違う。もし心境に変化があったとすれば、それは心の表層にも現れる筈だよ。このように内側だけに変化が現れるなんてことは有り得ない。心の深層というのは長年積もりに積もった自己を形成する最も多くの割合を占める感情が溜まる場所だからだ。そう不機嫌な顔をするな、ただでさえ酷い顔がさらに酷くなっているじゃないか」


 「うるせぇ、ほっとけ」


 こちとらこの顔とは十数年の付き合いだ。酷いのは十分知ってるっつうの。わざわざ指摘するな。


 「殺人鬼なら暴力をあげてもおかしくないところなのに君は手をあげようとする素振りさえ見せない。やはり君は優しいよ。心の芯から優しさで出来ている」


 俺様に『優しさ』なんて似合わない、似つかわしくない感情だ。そんなもの、とうの昔に捨てた筈、捨てざるを得なかった筈なのに。


 「感情というのはそう簡単に捨てられるものじゃない。しかしだからといって捨てられないわけでもない、感情を捨て去る方法など探そうと思えば幾らでも見つかるだろう。たが私は捨てられなくて良かったと思うよ、だからこそ私は君に”見つける”ことが出来たのだから」


 「見つける? オマエは俺様に何を見つけたって言うんだよ?」


 「私が探し続けてついぞ諦めた『人間性』だよ」


 「にんげん、せい?」


 物語に出てくる聖人達ならいざしらず、俺様はそんな素晴らしい人間性など持ち合わせていない筈だが。


 「私が君を異常と言ったのにはもう一つ理由がある。それは君の『優しさ』のベクトルだよ」


 「べくとる?」


 べくとる、とはベクトル、力の向きのことだろうか?

 『優しさ』のベクトル? 感情に向きも糞もありはしないだろうに。


 「そんなこと私も分かっているさ。ここでいうベクトルとは『誰が』『誰に』感情を抱いているかだ。『優しさ』という感情には二種類ある。一つは自分に向けての優しさ、いわゆる甘えだ。もう一つは他者に向けての優しさ、これは博愛の精神に近いものだ。君はこの二種類の内後者に当たる、それが何を意味するか分かるかい?」


 「他人に優しいってことだろ? それの何がおかしいんだ?」


 「おかしいさ、偽りとはいえ殺人鬼である君が人より遥かに多くの『優しさ』を抱きそれを他人に向けているなんて。矛盾しているとは思わないかい?」


 「………」


 「それが心のヒビ割れの原因だ。君の心は『優しさ』と『殺人』の板挟みに耐えきれていなかったんだよ。だが君はそれでも『優しさ』を捨て去ることはしなかった。それこそが私の『希望』なのだよ」


 「希望? テメェでテメェの心を壊す原因となった『優しさ』がか?」


 「いいや。『優しさ』だけじゃなく私は君の心の在り方そのものを『希望』だと感じている。人に害することで命を繋ぎそれでも人に優しくすることを諦めきれない君の『人間性』をね。君自信はそれを素晴らしいとは思っていないようだが私はそんなことはないと思う。その思想はとても尊いものだと思うよ。この腐った世界で君のような人間は恐らくもう存在しないだろうから」


 確かに今の時代、度重なる飢饉や国同士のいさかいが悪化している影響で人は人を蹴落とすことしか考えていない。

 いかに自分が社会という閉鎖的な空間で上り詰めるか、それだけを全てと捉えるような人間ものがほとんどだ。そう考えると俺様の心は相当に珍しいものなのだろう。


 「私は永い間君のような心を持った人間を探し続けていたんだよ、それこそ君が想像出来ないほどの時間をね。……しかし、私は諦めてしまった。幾つもの国をまわり、幾つもの人間たちを見、そして幾つもの殺し合いを見ているうちに疲れてしまった、こんな世界など、私の求める人間がいない血で汚れた醜い世界など価値はないと思ってしまったんだ。

 たがそれでも、素晴らしい人間たちがいたことは事実だ。当時の私が本気を出せば世界を滅ぼすことは出来もしない妄想の類いではなく、それを成す力があった。しかしそれは世界を滅ぼすと同時にそこに生きている者たちの生きた証をも滅ぼす行為だ、それは生きとし生ける全ての者たちへの冒涜だ。そう思った。だから世界を消すのではなく私をこの世界から消すことにしたんだよ。

 ………だが、それでも私は死ねなかった。

 幾ら人の身へと落としているとはいえ私の不死性を完全に無くせる訳でもない。幾ら切っても生えてくる腕、幾ら引きちぎっても元通りに戻る首、幾ら貫き燃やしても何事も無かったように鼓動を刻みつつける心臓。

 死ぬことすらも許されない私自身にすら絶望をしていた時、君は私の前に現れた」


 「俺様とオマエが………」


 「そう、出会った。正に運命の出会いだよ。少なくとも私はそう、思う。そして私は君の心にかつて探していたもの以上のものを見つけたんだ。それは過酷な運命にも絶望しない強い心、そして人に希望と優しさを抱くその美しき感情だ。そして、それと同時に私は君を憐れんだ」


 「憐れむだぁ!? 余計なお世話だよ!」


 「そうだな。実にその通りだ。これは私の身勝手な感情に過ぎない。だが、だからこそ心が壊れかけている君をどうにかして上げたい、そう思ったんだ」


 「欲張りなヤローだな」


 「そうだろうとも、何しろ私は『傲慢』だからな。欲しいものはどんな手段を使っても手に入れようと思うし、救いたいものは必ず救う。遠慮して助けられるものも助けられないのなら『謙虚』なんて糞くらえだ。………迷惑だったかな?」


 「いーや、オマエのおかげで俺様が救われたのは事実だしな。それを迷惑だなんて言うつもりはねぇよ。その考え方も俺様には出来なかった考え方だしな。正直羨ましいと思うくらいだ。「本当かっ!!」あ、ああ本当だ、ってだからそんなにくっついてくんじゃねぇよ! 離れやがれ!!」


 俺様は興奮した様子で抱きついてきたルシファーを剥がす。伊達に人外ではなくその力は相当なもので剥がすのには苦労した。正直剥がせたのが奇跡だと思うくらいだ。

 絞め殺されなくて良かったと安堵を感じる。


 「酷いな! 幾ら私でも嬉しすぎて人を絞め殺したりはしないぞ」


 「俺様じゃなかったら死んでたぞ。死ななくても背骨が何本が折れて下半身がオジャンだったな」


 「うぐっ。………分かった。すまなかった、私の加減が足りていなかった。非を認めよう」


 「それでいい。んで何でそんなに喜んだんだ? オマエらしくもない」


 「失礼だな、君は。 私でも感情の起伏くらいあるぞ」


 「す、すまない」


 さっきのお返しにちょっとした意地悪をしたつもりだったのだが予想以上に険の篭った声が返ってきて思わず謝ってしまった。くっ、不覚だ。


 「うん、許そう。素直に謝ってくれたからね」


 すんなりと許しくくれたルシファー。どうやら機嫌が良さそうだ。そんなに自分の思想を認めて貰えたことが嬉しかったのだろうか?


 「それは嬉しいよ。何しろ誰にも分かって貰えなかった思想だからね。初めての理解者が出来て嬉しくなるのは当然さ。出来ることならここで今すぐ踊りたい、そのくらい今私は幸福感を感じているんだ。もっとも、そんなことをしたら今まで積み上げてきたキャラが崩れてしまうので出来ないがね」


「たかだか数万文字程度の薄いキャラで何を言ってやがる。固定もされてねぇし、俺様に抱きついた時点で既にボロボロじゃねぇか」


 「メタな発言は止さないかっ! とにかく、私は踊らないぞ? うら若き乙女なのだからな」


 「外見だけじゃねぇか」


 「んん!? 何か言ったかなぁ~?」


 「いえ、何でも無いです」


 ルシファーの恐ろしい声色で思わず敬語になってしまった。くっ、不覚だ。

 というか俺様も案外ぼろぼろじゃないか?


 ………………


 いやいやいやいや! きっと気のせいだそうに違いない、うん。


 「その青い顔からするとあながち気のせいではないかも知れんな」


 「気のせいだっつってんだろ! 俺様のキャラまで崩そうとすんじゃねぇよ! ったく。それで、オマエはこれからどうすんだよ?」


 俺様はどちらにしても殺人鬼の道しか無いだろう。伝があれば話は別だが、そんなコネを裏路地育ちの俺様が持っている筈もない。

 だがルシファーはどうするのだろうか? さっきまでは死ぬために生きているようなものだったし、恐らく真っ当な生活基盤なども持ち合わせていないのだろう。

 かといって俺様が連れていく訳にもいかない。いくらルシファーが魔界の王だとしてもここではただの人間だ。……ただの、という部分に若干の語弊がある気がするが、飯を食わなければ飢えるというのは同じだろう。そのうえルシファーは死ぬことが出来ない。下手をしたら極限の飢餓状態が維持され動けないまま長い間苦しむことにすらなるだろう。だがいくら俺様が職業的、つまりはプロの殺人鬼であっても収入は少ない、安定もしない。

 端的に言って俺様には二人分を養えるだけの能力が足りていないのだ。


 「行く場所がないなら知り合いに頼んでどっか適当なとこに連れってってやるけど、行くとこあんのか?」


 「さっきから何を言っているんだ。私はずっと君に寄り添うつもりだぞ?」


 「は?」


 こいつは何を言っているんだ? 確かにコイツは俺様をどうにかしたいとか言っていたがそれはさっき俺様の心を軽くしてくれたことで終わったのではないのか?


 「それはヒビ割れを無くしただけだ。あくまでも一時的な応急処置だよ。このまま同じように生活を続ければすぐにでも心は壊れてしまうだろう。それを阻止する為には君の周囲の改善も必要だが、それ以上に君の心を覆っている『後悔』の殻を除去することが大切だ。つまり、私は最低でも君の心の『後悔』を取り除くまでは君と一緒にいるつもりだ、当然だろう?」


 「そんな勝手な───」


 バタンッ!


 「イェーイ! ロリ元気してるかー!」


 部屋の入口が乱暴に開け放たれ外から中年の親父が入ってきた。金髪で顎にちょび髭を生やしたワイルドな外見の男性だ。

 俺様をロリと呼ぶそのクソ野郎は俺様の知り合いであり数少ない協力者。

 先程までルシファーのことを頼もうと思っていた裏の葬儀屋こと『蠅の始末屋』の社長のリベルその人だった。


 「って俺様のことをロリと呼ぶんじゃねぇっつったら何度わかんだよ!」


 「あっれー? 珍しいねぇ今日は一人じゃないのかな~」


 「ほっとけ!」


 この野郎の特徴は、うざい。

 とにかくうざい、何をしてもうざい、もう殺したくなるくらいうざい。


 「それで誰と居るのかな~?」


 俺様の横にいるルシファーと目があいルシファーが不思議がるような声を出した。


 「ん? 何だベルゼビュートじゃないか。何でこんなところに居るんだ?」


 「………何故私の名前を知っている?」


 瞬間リベルから今まで感じたことのない程の殺意が溢れだした。俺様が出す殺意など子供騙しのような濃密な死の予感、気を抜くと息が出来なくなる程のプレッシャー。


 「ああ、流石にこの状態では分からないか。ちょっと待て、今変わるから」


 ルシファーは俺様の時と同じように身体を光で包み、それが晴れると一気に成長していた。


 「これで分かるかい?」


 「あ、え? ル、ルシファー様ぁ!? 何故こんなところにいらっしゃるのですか!?」


 先程までの殺意が嘘のように霧散し、代わりに今まで見たことが無いほど動揺するリベルの姿があった。


 「私は少し野暮用でね。そういう君はどうなんだい?」


 「は! わたくしきたるべき神との最終決戦にそなえ人間界で戦力の増強を図っておりました」


 「全く、前々から言っているがお前は少し気が早いぞ。最終決戦といっても今は停戦状態だ。いつかは雌雄を決する時が来るだろうがそれはしばらく先のことだ」


 神と対立している組織のトップであるルシファーが何故こんなところで油を売っているのか疑問に思いうすうすは感じていたが、やはり今は停戦状態なのか。

 いや、そんなことはどうでもいい。今俺様が問うべきことは、


 「オマエら知り合いだったのかよ! おいリベル! こんなぶっ飛んだ奴が知り合いだなんて聞いちゃいねぇぞ!」


 「いくらロリでもルシファー様を愚弄するのは許さねぇぞ? ルシファー様の側近である俺の前でそれを行うとは、勿論覚悟は出来てんだろうな?」


 今の側近というキーワード、そして先程ルシファーが呼んだベルゼビュートという名。

 これで確信を持てた。全く、とんでもねぇ奴が身近にいたものだな。


 「当然だぜ、蠅の王『ベルゼブブ』さん?」


 魔界でルシファーの次席だと言われるベルゼブブは実力も相当なものだろう。確実に『三本角』よりも手強い。はたして、対魔武器があるとはいえ何処までやれるか。

 俺様は腰に下げたホルスターから二丁拳銃を取り外し、代わりにそこへナイフをしまい両手で構えた。


 「ほぉ、それがロリの対魔武器か。幾ら頼んでも見せてくれないから初めて見たぜ」


 「テメェになんか見せたら売り飛ばすだろうがクソ守銭奴が」


 「はっはっは! 違げぇねぇ! 中々どうして業物だ。売れれば高値が付くこと間違いねぇ、どうだ? 売ってみねぇか?」


 「莫迦言うんじゃねぇよ。これは俺様の命綱だ。そうそう簡単に売れるかよ。 さぁ、茶番は終わりだ」


 「んだよ連れねぇなぁ。ったく。……いいぜ、何処からでも掛かってこいよ」


 「その余裕たっぷりな態度が何時まで持つか見ものだなぁ! いくぜぇ!!」


 「こいやァ!!」


 俺様は仁王立ちでこちらを待ち構えるベルゼビュートへ全力疾走した。恐らく一秒もたたない内に戦闘が開幕されるだろう。

 だが、その戦闘が始まることはなかった。


 「いいかげんにしないか!!」


 「ぐはっ!」


 「あがっ!」


 俺様が飛び出した瞬間、地球の何倍もの重力が掛かったように身体が動かなくなり無様に地面へと縫い付けられた。

 首を動かし前を見るとベルゼビュートも俺様と同様の状態になっていた。

 普通の、純粋な人間の俺様ならともかく魔界の次席であるベルゼビュートまでこんな状態に出来るのはこの場ではたった一人しかいない。


 「全く、会っていきなり殺し合いとか勘弁して欲しいものだ。ベルゼビュートも血の気が多いのは相変わらずみたいだな」


 「も、申し訳ありません」


 「やっぱりルシファーテメェの仕業か! はやくこれを解きやがれ!」


 「やだよ。それを解いたら君はまた戦闘をはじめるだろう? 殺すのは嫌いだが戦闘は好きなんて、困った奴だよ。ホントに」


 確かに俺様は喧嘩は好きだ。喧嘩しかやることが無かったからな。だがそれは身体を動かすのが好きということであって暴力が好きな訳ではない。ただスポーツをしようにもやり方も道具も無かったし周りがやっていたのが喧嘩しかなかったからだ。決して俺様は暴力が好きな訳ではない。


 「はいはい。必死の弁明など聞かなくても分かってるさ。そしてベルゼビュート。彼を親の仇のような目で睨むのは止めないか」


 やれやれと、手を振りながらルシファーは元の幼い姿へと戻りそれと同時に俺達への拘束も解かれた。やはり幼女形態のほうが楽なのだろう。


 「しかしルシファー様への暴言が酷すぎます! ここは一度目上の者への接し方というものを叩き込んだ方が宜しいのではと」


 「目上? 何を言っているんだい?」


 「は?」


 「彼が開けておいた第二席だよ。今決めた。空席を入れて第三席だった君より上だよ?」


 「な! ロリは人間ではないですか!」


 「そうだが、それがどうしたんだい? 私が決めた次席を選ぶ条件はただ一つ、『私が惚れたもの』だ。それに強さなど関係ないだろう?」


 マジかよ、俺様魔界の王様に惚れられてんのか。

 参ったな。生憎俺様には幼女趣味は無いんだけれど。


 「安心したまえ。夜伽の時は成人モードで相手してやる」


 「……それなら、いいかもな。少なくとも今の生活よりはマシに成ることは間違いねぇんだし。

 ん? だけど堕天使と人間との間に子供って出来るのか?」


 「それも安心したまえ。私は堕天使でもあり悪魔でもある」


 「それ根本的に変わってねぇじゃねぇか!」


 「そうだな。では君が悪魔に成ればいい。堕天使は一度天使になってから墜ちないと無理だが悪魔なら人間から直行で成れるからな。なんなら今すぐにでも悪魔化を始めようか?」


 そういいルシファーは懐から儀式用と思われる装飾過多の西洋剣を取り出した。


 「怖えぇからそれ仕舞えよ! そういうのは少なくとも俺様が死んでからにしろ!」


 「ふふ、冗談だ。まだ君の殻も取り除けていないしね。少なくともそれまでは我慢するとしよう。それで、君はこれからどうするんだい?」


 これから、か。

 前述した通り俺様には人脈がない。つまりは出来ることが限られているということだ。それに加え俺様は金欠だ。何をするにも金がいる世の中じゃ道が閉ざされているといっても過言ではないだろう。当然、貯金なども持ち合わせてはいない。


 「どうするも何も、俺様には可能性がねぇ。何も変わらない。変えられないんだよ」


 「コネならあるじゃないか。私という最高のコネがね。それに今や君は魔界で二番目に偉い立場なのだよ? 人間界にもそれなりに悪魔は紛れている。今の君なら大抵のことは出来る筈さ」


 「そうかよ。それは嬉しい報せだな。取り敢えずはもう無駄に人を殺さなくてすむのなら俺様はそれでいい。立場利用して適当に仕事を探すさ、自分の生きる分は自分で稼ぎたいからな」


 適当な仕事して適当に生きられればそれでいい。本心からそう思う。


 「やりたいこととかは無いのか?」


 「特にねぇな。ただ生きるだけでギリギリだったんだ。やりたいことなんて考えたことも無かったぜ」


 四六時中殺人とその証拠隠滅に忙しかったからな。警察に追われている身なので拠点も頻繁に移さなければならなかったし。


 「そうか。……ベルゼビュート!」


 「は! 何でしょうか?」


 「人間界での活動で資金は貯まっているのだろう? どうせ使う前に錆びる資金だ、それで探偵社でも作ってくれ」


 「いや、しかし」


 「つ・く・っ・て・く・れ!」


 「は! 畏まりました!」


 ベルゼビュートはルシファーの剣幕に押され部屋から出ていった。恐らくは探偵社を立ち上げる準備へ行ったのだろう。

 剣幕といっても俺様とベルゼビュートの喧嘩を中断させてすぐに外見が元の幼女になっているので俺様からすれば子供が必死に大人ぶろうとしている微笑みを誘う図柄になっているのだが。


 「さて、君も準備してくれ。必要な物や持っていく物があるのなら一纏めにしといて部屋に置いておけば私が転移させるから」


 「……やっぱ、俺様がついてく前提か?」


 「そうに決まっているだろう! 私は君に色々な場所を見せてみたい、幸い君はやりたいことが無いようだし、探偵業ならば旅も仕事も出来て一石二鳥だ。別に良いだろう?」


 「よくねぇよ! 俺様はまだ行くとは言ってねぇぞ!」


 「君が自分で自分の分を稼ぎたいと言ったから探偵社にしたんだぞ? 君は口調や外見などからは想像出来ないほど頭の回転が速いし腕っぷしも中々だ。私は天職だと思うがね。それとも希望があるのかな?」


 「別に希望はねぇよ。だからって何で俺様も行かなくちゃならねぇんだ!」


 「このままここに居ても何も変わらないだろう。君の傷は周囲の環境に寄るものが大きいからね。ならば環境ごと変えるのが当然だろう?」


 そう言われれば当然な気がしてくる。それにどうせ俺様には行く当てもない。それに誰が悪魔なのか分かりもしない。苦労するのは必至だろう。

 そう考えればこのままルシファーについていくのもいいかも知れない。それに、俺様が何しても結局変わらなそうだ。


 「……はぁ、どうせ断っても連れてくんだろ? それにクソ守銭奴とのケリもまだ着いてねぇしな。ついてくぜ」


 「うん、いい返事だ! ところで準備はいいのか?」


 「俺様の全財産はこれで全てだ」


 俺様は身体を広げて自らを示した。とても悲しいが俺様に家もないし服もナイフも奪いものだ。流石に下着は自分で買っているが。


 「………風呂は、どうしてるのだ?」


 コイツは俺様を風呂も入らない不潔な奴だと思っているのだろうか? だとしたら心外だ。俺様をこう見えてもきれい好きだ。返り血浴びたまんまでなんか寝られるかよ。


 「安心していいぜ。こうみえても俺様は朝昼晩一回ずつ銭湯に行くからな。清潔性は保てている筈だ」


 「………そのせいで貯金が貯まらないんじゃないのか?」


 「…………」


 俺様もそれは分かるが同意する訳にはいかないのだ。風呂が無駄などと、断じて認められない。俺様の絶対に譲れない線だ。


 「ま、まあいい。それで何か希望はあるか? 行くとしたら何処へ行きたいとか」


 「そうだな。………じゃあ場所じゃねぇが俺様の古傷を治してくれねぇか? このままじゃ目立ってしょうがねぇし、何より子供が泣く」


 「何だ、やっぱりロリコンじゃないか」


 「子供が好きなのは認めるが性的な目でみたことは一度もねぇ!!」


 「ふふ、冗談だ。それに君がロリコンだったら私も困るのでね。………主に貞操の関係で」


 「襲わねぇよ!!」


 「別に私としては襲われたとしても構わないのだが実は私は未経験でね。初めては出来ればムードがあるほうがいい」


 「何でここで衝撃の告白してんだよッ! ていうか早く俺様の傷はどうなったんだ!?」


 「勿論治すとも。はぁ、もう少しこのほのぼのとして時間を過ごしたかったが仕方無いな」


 確かに会話だけで見ればどこかのほのぼの系だが相対しているのが幼女ルシファーと極悪殺人鬼の時点でそれはもうホラーだろう。


 「『ディオスクラシオンし』」


 ルシファーの両手から光の奔流が流れだし俺様の身体を包み込んだ。光で身体は見えないが長年俺様を苦しめていた痛みが消えていくのを感じる。傷が癒えているのだろう。


 「終わったよ。中々に良い顔じゃないか」


 「そりゃどうも。にしても神に反抗する者が神の癒しとかどんな冗談だよ」


 「ふっ、これは私が神から離反する時に奪った能力でね。自慢の能力の一つだよ」


 神から能力を奪うとか流石魔界の王だけのことはある。


 「ふふん。もっと褒めてもいいぞ! 褒めついでに私も一つお願いしてもいいだろうか?」


 「別に構わねぇが、俺様に出来ることだろうな?」


 「そんなに難しいことは頼まないさ。ただ君は一度も私の名前を呼んでくれていないだろう。なので此方からお願いしようと思ってね。ルシファーとフルネームでも良いが何処か他人行儀な感じがするのがあまり私は好まない。出来れば親しみを込めてシルと呼んで欲しい」


 そういえばオマエ、とかテメェ、とか今思えば散々な呼び方だと思う。名前を呼ぶくらい別に構わないだろう。だが愛称は何か恥ずいから断わる。


 「ルシファー、あんま調子に乗んな。で、何処に行くんだ?」


 「むぅ。連れない奴だな。そうだな……暫くは気の向くまま、風の吹くまま、だな。探偵社創立の準備も時間がかかるだろうからね。一応聞くが何処か行きたいところは無いかい? 希望があれば魔法陣で転移するが」


 「何処でもいいさ。俺様はこの街以外はよく分からねぇからな」


 「ならば私に任せて貰おう! 今まで訪れた中で厳選した絶景へ招待してあげよう。虹色の大地や天空都市から見る初日の出、他にも色々あるから是非期待してくれ!」


 外にはそんな物があるのか。どれもとても美しそうだな。


 ルシファーは指を地面へと向けると魔法陣が現れた。それを見つめる俺様は柄にもなく高揚した気分だ。

 今だ見たことのない街の外への情景を抱きワクワクしている。見たこともないことを想像することが、こんなにも楽しいことだったなんて知らなかった。

 恐らくはルシファーの俺様がより楽しめるようにとの配慮のおかげだろう。

 それを教えてくれた。俺様の心に寄り添ってくれたルシファー、いや、シルを俺様は何故か無性に愛しく思えた。

 守ってやりたい、頼りになりたい。そして側に居たいと思った。

 これがどういう感情なのか俺様にはまだ分からないが、それでも俺様は一度は拒否したこの名を呼びたくなった。


 「ああ。期待してるぜ、シル」


 「っ! ……ああ! 任せたまえ!」


 シルは満面の笑みを浮かべると俺様の手を取り魔法陣へと飛び乗った。

 視界が光に包まれて身体が浮遊するような奇妙な感覚に襲われる。だがそれを不安とは思わない。

 何故なら俺様の右手には頼もしくも愛しい者の手がしっかりと握られているのだから。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 それから各地ではある都市伝説が流行した。


 曰く、何処からともなく現れる探偵社がある、と。


 曰く、その探偵社に所属する者たちは一人の男性と人成らざる者たちで構成されている、と。


 曰く、どんな難事件も解決し、どんな化物にも叶わない、と。


 人々はその探偵社に畏怖と情景を込めてこう呼んだ、


 『魔王サタナス軍団レギオン』と。






END

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短編『孤独な殺人鬼と死にたがりのルシファー』 凪慧鋭眼 @hiyokunorenre

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