第2話
月の使者一行が秋宮の中庭へ降り立つとともに調べの音がやむ。
白い煙のような雲が
「名残り惜しゅうございますれば、迎えをお待たせするわけにもいきませぬ。さぁ、お二人とも輿にお乗りくだされ」
使者と白帝が挨拶を交わし終え、贈り物を引き渡すと、一行を見送るべく中庭の見える場所まで移動する。
人々に囲まれるようにして雲の通い路近くへ来た白嶺と黒嶺は、羽廾に促されて輿へ向かう。されど、天人が雲へ上がるのに手を貸そうとした時、黒嶺が姉の手を離れ、センの所まで小走りに近寄った。
突然の事に周りもセンも目を丸くしていると、黒嶺は両掌にちょこんと乗せた匂い袋を差し出した。
「お守り、よかったら貰ってください」
白嶺と力輝の視線が一瞬交わる。
悲しげな視線と困惑した顔が、どういうことかと無言の言葉を交わした。陰る恋人の瞳から、力輝は何事か読み取って、それ以上何も言わなかった。
淡い桃色の絹で作られた小さな匂袋だった。小さな紅と碧の飾り玉が付いている。驚いているセンの手に、黒嶺はそれを握らせた。彼が四季の宮へ来るまでの紆余曲折を、なんと無しに聞いたのかもしれない。『これから良いことがたくさんおきますよ』とほほ笑む。
「ほう、これはこれは」
「あらあら」
白帝と竜田姫が、そのさまを見て忍び笑いを漏らす。
見る間にセンの顔が赤くなった。それでもお礼だけは言わなければと思ったのだろう。上ずりそうな声で『ありがとう』と頭を下げた。黒嶺も落ち着かないようすで『どういたしまして』と、言葉を受けると、小走りで姉のところまで戻っていった。傍らにいた時雨が、興味深そうにセンと黒嶺を見比べていた。
二羽の兎が輿に乗り、一羽の兎がそれに寄り添うと、出立の合図のように楽が奏でられる。月の使者一行は、来た時と同じようにして、また静々と雲の通い路を戻り始める。
熱気は去り、ぴんと澄み渡る高い空を、白銀にきらめく行列が少しづつ宵の青に染められ、頂の月へと引き寄せられていく。遠く、星の瞬きのようなそれを、小さな黒き点に消えるまで見送った。
**
輿に揺られ御簾の隙間より、後方へ遠ざかっていく秋宮のまだ灯されている篝火の明かりを見て、黒嶺は大人びたため息を漏らした。
「お黒ちゃん、あのお守り」
気遣わしそうに白嶺が問いかければ、何も言うなと黒嶺は首を横に振った。
本当は山靄さまに……。
取り繕うことのできない沈黙がおり、姉兎は仕方なく、その間を楽の音に耳を傾けることで埋めた。
御簾の外に羽廾が歩いているのが見える。
白嶺は、もう一つの気がかりへ声をかけた。
「羽廾さま」
「何か?」
「薬師さまの話を聞いてしまいました」
羽廾はすぐに何か思い当たったのだろう。困ったような苦笑いを浮かべる。
いずれ知られる日が来ることは分かっていた。話を口に出さずとも皆が知っている事は羽廾も知っていた。
腫物のように皆が口を閉じるなか、良くも悪くも世話好きの兎が、いつか己に直接問うてくる日もあるだろうとは考えていた。
「うちが、教えたとして。薬師さまは思い出しますか?」
「無理でごさいましょうな」
寂しい微笑みが目を伏せた。
長い長い時の間、何千回、何万回試みてきたことか。
「待つことにしております」
「待つ?」
「物事には丁度良い時というものが有りもうす。あの方がまだ気付かぬということは、まだ、その時ではないのでしょう」
月の光のように触れることのできない糸。どのようにあがいても取り戻すことのできない縁。たとえ時にゆだねる事しかできない儚い望みではあっても、羽廾は待つつもりでいた。
悲しそうな白嶺を安心させるように、羽廾は輿を見上げて目を合わす。
やがて、月の社の庭へ広がる白砂を踏む音がしだした。迎えの一行は無事に月へたどり着いたようだ。
輿お降りれば、遠く社の濡れ縁に人影が見える。
多くの天女に囲まれた中、ひときわ目立つ銀の天冠をいただいた女人が手を振っていた。羽廾がそれに応えるように控えめに手をあげる。
「それが私のあの方への想いでございますゆえ」
暗い夜空で孤高に輝く月の社には、人知れず、胸を焦がす兎が住んでいる。
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