第5話

その時、意識を失っていた黒嶺が、不意に声をあげて身を起こした。

突然起きようとする黒嶺を、竜田姫が思わず押さえる。


「お、起きてはなりませぬ! 傷に障ります!」


「お黒ちゃん動いちゃダメ!」


当の本人はキョトンとした顔をして、それでも泣く姉を見て、従った方がよいと判断したのか大人しく横になる。そこでようやく自分の胸に、木片が突き刺さっていることに気付いて驚きの声をあげた。


「わぁ、うちの胸から棒が出てる」


周りを取り巻く者が悲壮に顔を歪めるなか、黒嶺は『邪魔』と言わんばかり、無造作に竹の破片を引き抜こうとする。より一層高い悲鳴が上がる。


「お止めくださいませ! 傷口が広がりまする!」

「でも、痛くないよ」


手を押さえられながら黒嶺がそんなことを言うと、白嶺が泣き崩れた。


重症を患ったものに時たまある。

余りの痛みに身が耐えかね、遮断するのである。そして本のつかの間、何事もなかったかのように動くが、限界を迎えると共にこと切れてしまう。

黒嶺の身にも、それも同じことが起こったのではと考えたのだ。


「うわぁぁぁ。お黒ちゃんが死んじゃうよぉぉ」

「えぇー!?」


阿鼻叫喚の渦のなか、何だか一人ちぐはぐな反応を示す黒嶺を見て、冷静になった羽廾が首を傾げた。


「うむ、血の臭いがせぬな」


『暫しごめん』と人垣を割って入り、黒嶺の胸の破片をぐいと引き抜いた。

どよめくような悲鳴があがる。


「何と言うことを!」

「羽廾さまは黒嶺さまを死なせるおつもりか!」


鋭いことばを突きつける。

しかし、破片を抜かれた黒嶺の胸から血が吹き出すようなことはなかった。

黒嶺が懐を探り『あっ』と、声をあげる。


取り出したのはひしゃげて割れた薬筒だった。

先程、羽廾から預かったものを、無くさぬよう懐に忍ばせていたのだ。

黒嶺の胸元を濡らしていたのは、薬筒より漏れでた薬水だったのである。


皆一様に胸を撫で下ろす。

しかし、白嶺はまだ心配が治まらないらしく、突然黒嶺の襟元を開いて確認する。羽廾とセンは慌てて目をそらした。真っさらな、痣すら無い肌を確認してようやく白嶺はへなへなと腰を落とす。今度は安心の涙が溢れてきたらしく、ボロボロ涙をこぼしながら妹の首にスガりついた。


「お龍! 誰ぞ怪我したか?」


鞍後ろに医師を乗せた白帝が、土煙をあげながら崩れた台の側へ止まった。心配で自ら来たようである。よほど急いだのか、後ろに乗せられていた医師は、診察道具を抱えながら青ざめていた。


可愛そうにこの医師は、慌てた力輝に説明もなしに城から連れ出されたそうな。首根っこをくわえられ、空を飛んできたと言うのだから堪らない。しかし、当の医師が驚きのあまり伸びてしまったのでは連れてきた意味がない。途中、白帝が馬に乗せて来たのだと言う。


それを聞いた竜田姫は声をあげて笑った。

緊張が解けてほっとしたこともあるのだろう。


「怪我人は居ないわ。皆さま無事よ」

「山津浪が月見台に突っ込んだのを見たときは、生きた心地がしなんだわ」

「あら、嬉しい。狩りに夢中で忘れられたかと」

「何をばかな。いつも想っておるよ」


荒れ果てた景色に似合わぬ甘やかなやり取りの続く中、空から降りた力輝が黒嶺の傍らによる。泣きはらした赤い目をした白嶺の背を撫でようとした手を躊躇うように引っ込めた。気遣わしげな表情を浮かべ、日頃の彼らしくもなく消え入りそうな声を出す。


「大丈夫?」

「大丈夫よ。みんなビックリしただけ」


黒嶺にしがみついている白嶺の代わりに、妹がそれに答えた。微笑む黒嶺から力輝は後ろめたそうに目をそらした。


「そうか。よかった」


その言葉の後に力輝はなにか呟いたかに思えたが、黒嶺が聞き返すと何でもないと言って俯いてしまった。センには『ごめんね』と言う呟きに聞こえたが、気のせいだろうか?


「力輝さま」


羽廾に声をかけられて力輝が顔をあげる。

促される方向を見れば、半壊した月見台の下、埋もれるように倒れていた山津浪の体から滲みでた黒い煙が渦巻いている。


「死んじゃったんじゃないの?」


その今にも復活しそうな気配に、センが動揺して羽廾の顔を見る。


「あれはもとより生き物ではないゆえ、怨念の核になっている髄に矢を打ち込んで動きを止めたに過ぎませぬ」


時を与えればまた動き出す。


「死なないの?」


白嶺が妹にしがみついたまま不安を口にする。

禍々しく燃え立つように暗さを増すモヤに眉を潜めた。


「いや、死ぬさ」


力輝がさっと立ち上がり、若武者から白い虎へと姿を変える。瑞雲まとってふわりと跳躍すると山津浪の側へ降り立った。その清浄な気に当てられたように山津浪を包むケガれが退いていく。


力輝は山津浪の首もとを深く噛み、何かをエグりだした。牙の覗く口には滴るような深紅の珠がクワえられている。珠にはひびが入り、矢じりが刺さっていた。

それはセンの放った矢のものだ。


そのまま顎に力を入れれば、ひびが広がり砕け散る。

突風が起き、山津波の悲鳴と共に禍々しい靄は霧散した。


風に乗り、穏やかな塵へと還っていく大猪の骸を見守りながら、羽廾が頷く。山津浪を消してしまうとは、さすがは白虎と言えよう。妖化しや怨霊の類いとはまた一線をきす山津浪は、災いの点だけ言えば山神に近い。そのため神や霊獣ほどの払いの力がなければ滅することはできない。


天人に出来る事といえば、せいぜい力を削いで、髄の段階にまで追い詰めてから封印するくらいである。それはとてつもない労力を伴った。


「しかし、見事ですな羽廾さま。髄に矢を射込むとは」


通常ならば髄に傷をつけることすら叶わない。

それを矢を打ち込みひびまで入れるとは。やはりかつて神籍にいた御仁だからであろうか。

周りの者からも感嘆の声が上がる。


「なに、最初の一矢をセン殿がぴたりと当てて下されたゆえ出来たことです」


ねぇ、とばかり煤だらけの白兎はふっくらと微笑んだ。


「それにしても不思議なことだ」


白帝が小さな土塊ツチクレになるまで崩れた山津浪の骸に首をかしげる。

それもそのはずだ。今、秋宮の領地にいる山津浪は、全て封印されているはずなのだ。


「早急に他の塚も確認せよ。結界や封印に綻びはないか確かめるのだ」


未だ動ける兵達に指示を飛ばす。

大抵のものは力輝が食べてしまったので、封印されている者は片手で足りる。それでも封印が解ければ厄介だ。


「全部退治しちゃうわけにはいかないんですか?」


怖々といった表情で黒嶺が白帝に尋ねる。

白帝は首を横に振った。

害成す存在ではある。されど元を正せば、自然をないがしろにして生じた歪みであることが多い。それゆえ、ノチの戒めとして祀る必要があるそうな。


「人は喉元を過ぎてしまえば熱さを忘れてしまいがちだ。

蔑ろに片をつけてしまえば忘れ去り、同じことを繰り返すばかり。そうならぬよう、目に見える存在として残す必要があるのだよ」


目に見えぬものは、ことに難しいからな。


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