第4話

「あやつの髄に矢を打ち込むには長さが足りぬ」


縁の下で羽廾が矢の長さをあらため、困ったように鼻面にシワを寄せた。彼が用意した矢は通常よりも大きなものだが、どう見積もっても二本は必要だと言う。


「二本つなげたりはできないの?」


センが思わず口にした言葉に羽廾が顔をあげる。


「そうか……。セン殿、あの山津浪の目を狙えるか?」


羽廾が言うには、先ずセンが山津浪の目を射る。その後、山津浪に刺さった矢尻を狙い、深く押し込めば髄に達すると言うのだ。


そんな離れ業出来るものだろうか?

その前に、自分はあの化け物の目を狙えるだろうか?


力量の足りなさは嫌と言うほど感じている。

しかし、不安になっている時はない。やらなくては。


「やってみます」


今ここに、セン以外羽廾を手伝えるものがいないのだから。


「その弩では心もとない。こちらお使いなされ」


手渡されたのはセンの弩より一回り大きい強弩だった。手で引くことは敵わず、両足を掛けて弦を引き金に掛ける強力なものだ。


格子の隙間に弩を固定して山津浪を狙う。

遥か前方で引き倒した馬に噛みついて止めを指している。その赤黒く血濡れた化け物がこちらを向く間を息を殺して待ち構えた。


今!


バンと解き放たれた矢は右に流れ山津浪の毛を擦った。化け物は矢を放ったものを探して瀕死の馬から顔をあげる。されど、風下にあたるセンたちの匂いが山津波のもとへ届くことはなかった。代わりに、錆びた鉄のような血なまぐさい風がセンの胸をむかつかせた。


あせる気持ちを押さえつつ次の矢をつがえる。

渾身の力を込め、固い弦を引き絞る。引き金にかける際、指を切りつつもなんとかつがえ、弩を構え直した。気配や臭いを探るようにじっとりと辺りを睨み付ける山津浪の紅のより深い瞳の真ん中を再び狙う。


一呼吸、二呼吸。放つ。


濁った咆哮が響き渡り、山津浪ががむしゃらに月見台へと突進してくる。


命中させた喜びもつかの間、死の恐怖を感じたセンは思わず羽廾を見た。そして驚きに目を見開く。そこに伏せ、矢を引き絞っていたのは可愛らしい白兎ではなかった。センの見たこともない異国の鎧をまとい。横顔も凛々しい武者が鋭い目つきで、的となる山津波の瞳に突き立った矢を見据えていた。

口の端に笑みを称え『終いじゃ』と呟く。


同時に放たれた矢は鋭く風に鳴き、怒りに燃えた化け物の瞳に吸い込まれていった。


大地を揺るがす蹄の音と共に、断末魔の悲鳴を上げる。

もんどり打って倒れた山津浪は勢いを殺せぬままこちらに突進してきた。センの横へ伏せていた偉丈夫は弓を捨て、センの襟首を掴むと月見台の奥目指してすばやく移動する。危険が背後に迫るのを感じてセンを先へ投げ飛ばした。

月見台がくだけ、竹の裂ける音が土煙と共に武者の背を捉える。武者は頭をかばうようにして地へ伏せた。


粉塵が風に流され次第に背後のさまが露わになる。

目を深く射抜かれ、エグれた大地と粉々になった竹の残骸へ埋もれるように、月見台の中頃で山津波が血反吐を流し倒れていた。

歓声が沸き起こる。


武者に投げ飛ばされたおかげで、センは傷一つ追うことはなかった。埃だらけの服を払いながらその場に座り込む。彼を助けた武者が伏せているあたりを見れば、埃をかぶって、所々まだらに茶色くなった羽廾が軽くせき込みながら身を起こすところだった。


「やれやれ、間一髪でございましたな」


他には誰もいない。


--どういうことだろう?


その時、センの頭上で一際大きな悲鳴が上がった。

ぽたぽたと竹の床の隙間より滴が落ちてセンの目に入る。顔をぬぐえば、埃にまみれた手の甲に薄汚れた線ができた。その滴が何かはわからない。


「誰か! 医師を!」

「黒嶺さまお気を確かに!」


尋常ではない様子に羽廾とセンは顔を見合わせた。


「ここを出よう」


二人は半壊した台の下より外へ這い出た。


先に台の下から這い出た羽廾は、センが出てくるのに手を貸す。

その姿はいつもと変わらぬ白兎。手を差し出す羽廾の姿をまじまじと見ているセンを不振に思ったのか、『何か?』と問てくる。

武者の事を聞きたかったのだが、今はそれどころではないようだ。

センは『何も』と答えて羽廾の手をとった。


半壊した月見台の上では女人達が騒然としていた。

薙刀で勇ましく姫をお守りしていた侍女達が、飛び散った瓦礫をよけ、医師を呼びに走ったりしていた。そういった人だかりの中心で、白嶺が日も世もない言ったようすで泣いている。


羽廾が慌てて駆け寄り絶句した。

竜田姫に膝枕され横たわる黒嶺の胸に、裂けた竹の破片が深々と突き刺さっていたのだ。


「お黒ちゃん。うちと竜田姫を庇ったの」


山津浪の突進で滅茶苦茶に壊れて裂けた月見台の竹の床の破片が、台の上にいた竜田姫らを襲ったのだそうな。大抵は侍女らが身を呈して防ぎきったものの、その一片が姫の胸元目掛け飛んできたそうな。


恐ろしさに顔を伏せていた白嶺には見えなかったそれを、黒嶺は見とめて一歩前へ出る。両手を広げて姉と竜田姫を庇ったのだと言う。


「どうしよう。お黒ちゃんが死んじゃうよ」


意識の無い黒嶺の胸にすがって白嶺がわぁわぁと泣き出してしまう。いつも余裕ある態度の竜田姫が狼狽え『医師は未だ来ぬのかと』焦燥にかられた声をあげる。


赤い着物の胸元に刺さった竹の破片を中心に色濃い染みが広がっていた。それを見て羽廾が痛わしく耳を垂らす。


「い……痛ぁ~」

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