第3話

大猪を将兵らが、付かず離れつ取り囲み矢を射かける。

白羽の矢が突き立った黒い巨体を怒らせて、その牙にかけようと突進してくる大猪の行く手を騎馬武者が阻む。槍で突き刀で切りつけても山津波に致命傷を負わせることは難しかった。


「床弩を持ってまいれ!」


床弩ショウドとは、城壁の守備や攻城用に使われる大型の弩のことだが、ただの牧狩りにそんな兵器が必要になるわけはない。今から城へ使いを出し、引いて来させるなど心もとない話だが、背に腹は代えられぬ。隊の一端を割いて使いへ走らせた。馬に疲れが見え、逃げ遅れなぎ倒されるものが出始めたのを認め、白帝は悔し気に歯噛みする。


一方羽廾は、備えの中より一番大きな強弓を選ぶと、センを連れて月見台へとやって来た。大の大人でさえ、ふたり掛でようやく引けるか引けないかといった弓である。その弓を携え月見台の上に避難している竜田姫らに訪いを入れた。


「竜田姫さま。お願いがございます」


『このような非常時に何事か』という、夕錦の叱責を姫が抑えて耳を傾ける。


「この月見台を防柵として使わせてくだされ」


月見台の下に潜み山津波の目を狙いたいというのである。


「馬鹿な! 姫様に台を降りろと申されるのか!」


『山津浪の暴れる地に降りろとはどういう了見じゃ』と、常日頃温厚な夕錦がまなじり裂いて声を荒げた。それでなくとも月の名代として、まだ若き姉妹が居るのだ。何かあったりしたらそれこそ取り返しがつかない。


「万が一にも何かあったらどうするつもりなのです! 只でさえ大切な御身、更には今姫様は……」

「もうよい。夕錦、私は台は降りぬ」


激昂する夕錦を諌めるように竜田姫がその肩に手を置いた。姫の返事を聞いた年嵩の侍女は安堵しつつも未だ興奮ぎみに『当然でございます!』と羽廾を睨む。

しかし、次に聞いた竜田姫の言葉に堪らず悲鳴のような声をあげた。


「羽廾さま、存分に防柵としてお使いくださいまし」

「姫様っ!?」

「台を降りても他の者の邪魔になるだけ。ならばここに留まり羽廾殿の援護をするのよ」


あまりなことに言葉をなくしている夕錦をよそに竜田姫も薙刀を手に取る。後ろにてそれらのやり取りを聞いていた白嶺と黒嶺を振り返り優しく微笑んだ。


「お二方はなるべくお下がり下さいまし。このお龍がお守りいたします。背に隠れていて下さいませね」

「大丈夫だよ! うちら怖くない!」

「早くやっつけてもらおう!」


小さな兎の姉妹は拳を握り息巻いている。

山津浪になぎ倒される騎馬を見て『あぁ、また!』と声をあげる。負傷する兵を見てられぬと言った様子だ。


「そう言うことで御座いますゆえ。羽廾殿。ご存分に」

「かたじけない。しかし、姫様、ご無理は禁物。なるべく下がり身をお守り下され」


羽廾は有りがたい申し出に頭を下げた。

それから、腰にかけていた薬湯の筒らしきものを黒嶺に預ける。


「これって……」

「大切なものゆえ預かり置き下され」


黒嶺はそれ以上聞かず、黙って頷くと受け取った。

それから羽廾のそばにいたセンに向き直り声援を送る。


「頑張ってね」

「気をつけてね」


月からの使者に声をかけられ、センは赤くなる。

鳥の羽毛のように柔らかな少女から声をかけられ、何と答えていいやら。なにも言えずに頭を下げた。


それから羽廾とセンは月見台の下へと潜り込んだ。

縁の下を隠すように、格子状に編まれた竹の一部を切り、身を屈めて山津浪がみえる位置まで移動する。


台の上では姫たちが、後方の柵ぎりぎりの所へ移り、更に夕錦たち侍女らが山津浪の突進に備え、薙刀を低く構え主を背で囲んだ。


「白嶺さま、黒嶺さま。恐ろしゅうございますか?」

「……大丈夫」

「どきどきするねぇ」


竜田姫に声をかけられ、白嶺は耳を伏せつつも気丈に返事する。それに対し黒嶺は耳をたて、これから起こることを見逃すまいと遠く前方を見据えていた。


--妹さまの方が気がお強うございますな。


その様子を見て、ピリピリとした空気がほんの少し和んだ。

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