山津波

第1話

錦を思わせる山の中腹に、枯れ果てて幹のみ残る古木が立っていた。棘だらけで捻くれた姿は、この世の負の力を吸い上げ育ったように見える。


丸く切り取るように荒縄が張られた結界の内、閉じ込められた凹んだ土地は、まるでそこだけ秋の恵みを拒むように陰湿な暗さをもって淀んでいる。


ふいに突風が吹き、紙垂シデがすすり泣くような音を立ててなびいた。

古木に穿たれた洞のなか、今にも崩れそうな祠の取れかかった扉の奥に、ぼうっと赤い火がトモる。


寂れて忘れ去られた祠を訪ねるものがあった。

虎皮のを羽織った若武者は、古木へ対峙するように立つと太刀を抜き、上段に構える。その鬼気迫るようすに、祠の中の赤いトモシビは、恐れおののくように震えた。


振り下ろすかと思った次の瞬間、若武者は少し躊躇うように動きを止めた。

懐のうちで、彼を宥めるような鈴の音が、微かに聞こえたように思った。しかし、次には、振り下ろされた刃が灯へ触れることなく結界の綱を断ち切っていた。


「行け」


若武者が漏らした独りごとのような呟きに、灯はイラえを返すように激しく燃えだした。その炎は祠や古木を燃やして広がり、やがて真っ黒な煙と共に形を成す。

怒りに燃える瞳が、憎悪の闇のなか開いた。


大気を震わせるように一つ鳴き。

木々をなぎ倒しながら山を下り始めた。


燃え落ちる古木の傍らへ残された、若武者の懐のうちで、再び鈴の音がなる。取り出した匂い袋を見つめ、山の麓へと続く荒い獣道を見下ろす。


また、微かになった鈴の音に『ごめん』と若武者は目を伏せた。


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