第12話

咲き誇る月下美人の木を見上げ、渡り廊下へ三人横並びに腰を掛け、力輝の話へ耳を傾ける。黒嶺が月下美人の実を小刀で器用に剥いて力輝に差し出した。一通り話し終えた力輝は、赤い艶やかな実からは想像できない、瓜の香漂う白く甘い果実をほうばっている。


白嶺は妹と顔を見合わせて深いため息をついた。


--聞かなきゃよかった。


センと言うその少年を助ける方法を、白嶺たちは知っていた。

けれど、それを力輝へ教えれば、またこの前と同じたたらを踏むことになりそうな気がして教えたくない。でも、その気の毒な子を助けてあげたい気持ちはあった。


「それで、お白ちゃんとお黒ちゃんは、センを助ける方法をしらない?」


知らない。と、言ってもたぶん無理だろう。

白嶺も黒嶺も、うそをつくのが下手である。もうすっかり顔に出てしまっているのだろう。力輝が期待を込めた眼差しを送ってきた。


変若水オチミズ

「え? なに?」


白嶺が呟いたのを、わざとらしいくらいに力輝が聞き返す。

とたんにムスッとした顔になった白嶺が、半ば自棄になって語気を強めてもう一度言う。


「変若水! 若返りの水なの!」

「へぇ。変若水。そんな薬があったんだ~」


力輝は絶対知っていたんだ。と、白嶺たちは口を引き結ぶ。

薬だなんて一言もいっていないのだから。白嶺も黒嶺も、悔しくなって切り分けた月下美人の実をむしゃむしゃと口いっぱいにほうばった。


変若水とは、今は昔で始まる、なよ竹姫の物語りに出てくる不死の薬である。


また、南の小さな島々では、月と太陽の神により、本来は人にもたらされる筈であった不死の水だ。しかし、それを渡す役であった物の怪の手違いから、今は蛇だけがその恩恵を受けていると伝わっている。


「それで? その変若水は分けてもらえないのかな?」

「駄目だよ。とっても大切なものだって聞いたもの。月読みさまが、ウンと言わなきゃ貰えない」

「それに、お薬師さまが保管しているもの。力輝でも持ち出したりは出来ないからね」


絶対に勝手に持ち出しなんて駄目よ。と、姉妹は口々に念を押す。

それに貰ったとしても、お薬師さまにちゃんと話を聞かないと呑んでいい量が分からないのだ。昔うっかり老夫婦が口にしたところ、一口飲んだ翁は青年に、たくさん飲んだ媼は赤子になったという。


たった一年の分量など、いか程のものであろうか?


「じゃあ、月読命に紹介してくれよ。そうしたら僕、自分で頼んでみるからさ」

「それが……」


それが今、月読命は高天ヶ原にお出かけなのだ。

彼言う曰く、お姉さまに急用で呼ばれたらしい。その姉も可愛いもの好きらしく、姉妹を伴っていったら奪われかねないので連れていけないと言われた。それゆえのお留守番である。


「お帰りはいつ?」

「わからないのよ。何で呼ばれたのか聞いていないんだもの」


『そうか』と、頭を掻いていた力輝の顔に不意に笑みが浮かぶ。


「じゃあ、お薬師さまに薬の話を聞きたいから、その人に紹介してよ。その変若水の他に、使えるものがあるかもしれないだろ?」


こんなにあっさりと目的を変更するなんて、何かおかしい気もするけど。あまり悪そうに見えないし。


兎の姉妹は顔を見合わせつつ、力輝の胸のうち探るように観察していたが、話を聞くくらいなら害はないだろうと薬師に紹介することにした。

『失礼なことしちゃダメだよ』と声をかけ、屋敷に上がるため衣に付いた枯葉を念入りに払い身支度を整える。


そのふたりの様子に、力輝が密かにほくそ笑んでいるとも知らずに。



「お薬師さま~。お薬師さま~」


いつものように兎の姉妹は、広い庭園の一角に設けられた薬師堂の濡れ縁から声をかける。


障子戸を引いて顔を見せたのは白兎であった。

白嶺とは違う黒い瞳の兎は、人のように2本の足で立って歩いている。作務衣を着込み、頭には白いぬのを巻いている。しかし、その愛らしい姿からは想像できぬような、思いの外低い声で返事をした。


「おぉ、白嶺と黒嶺か。薬師どのは今留守にしておるよ」


その目が温厚そうに笑う。

どうやら、月読命が高天原へ伴って行ったのはお薬師さまのようだ。


羽廾ウキョウさま」

「うむ。今日も庭のお手入れご苦労である」


少女たちに重々しい態度で頷いているようすに、力輝が笑いを堪えていると、羽廾と呼ばれた白兎が視線を向けた。


「して、そこのお方は何方かな?」


「初めてお目にかかります。弓の名手と誉れ高き羽廾殿とお見受けいたします。私は力輝と申す白虎です。今日は折り入ってお願いしたきことがございまして、このように白嶺殿にお願いしてお邪魔した次第です」


「白嶺殿ですって?」


今まで見たこともないほど真面目に挨拶をする力輝のようすに、少女たちは目を白黒させている。これがあの悪戯好きの白虎かと思わず疑ってしまう。もしかしたら、力輝に化けた別人かもしれない。まじまじと観察していると。


「ご丁寧な挨拶いたみいる。私の力が及ぶ限りなれば。先ずは聞いてみないことには返答しかねる。立ち話もなんですからどうぞお上がり下され」


羽廾が力輝に部屋に上がるよう促した。

白嶺たちも一緒に来るようにと手招きしている。


器用な手つきで煎茶を入れる羽廾の手元を、姉妹は思わずと言ったようすで目で追った。蓋付の煎茶碗が目の前に差し出されてペコリと頭を下げる。青み帯びた白磁の茶碗の蓋をそっと持ち上げた。しばし、無言の時が過ぎ、爽やかな茶の香りにほっと心を和ませていると、羽廾が口を開いた。


「力輝殿は秋宮にいらっしゃるのかな? あちらはお変わり御座いませぬか?」

「えぇ、長閑ノドカなものですよ。こちらも相変わらず穏やかな宵ですね。清らかな凛とした空気に満ちていて心洗われます」


月の世界は常に宵の内である。

夜を司る神の社が建つ地なのだから、なんの不思議もない。

されど、白嶺たちがこちらに来たばかりの頃は、夜が明けぬと言われても、その身で感じるまではにわかに信じられないものだった。

己の住まうところを誉められて、羽廾も満更でも無いようす。


「晴れた日の秋宮には敵いますまい」

「羽廾殿は秋宮にいらした事があるのですか?」

「白帝のご成婚のおりに参りました」

「それは賑やかな時にいらしましたね」


和やかな挨拶から始まった大人の会話に、白嶺たちはただただ目を丸くして見ているしかなかった。


--いつもと全然違うじゃない。 


姉妹の前でとる態度とのあまりの違いに唖然となる。


「ところで、羽廾殿は弓の達人とお聞きしましたが」

「はい。昔のことで今は弓を射ることも少なくなりましたが、少し教えておりました」

「お願いとはその弓の事なのです」


羽廾はその可愛らしい見かけによらず、なかなか硬派な方である。

元はかなり有名な武人であったと、本殿の天人たちが話しているのを耳にしたことがある。言葉遣いはさておき、いつも優しい羽廾からは想像できなかったのだが。


「実は白帝が羽廾どのの弓の腕前をお知りになり、是非狩りにお招きしたいと仰るのですよ」


「ほぉ」


さほど面識があるでもない御仁から狩の誘いと聞いて、羽廾殿は方耳を下げて訝しげだ。白嶺や黒嶺も、最初に聞いていた話と違うので、首をかしげたり視線を交わしたりしている。

ただひとり、力輝のみ愛想のよい笑顔を崩さずに話を続けた。


「面妖に思われるのもごもっとも。されど、それゆえ私に託したのでございます。たまたま、こちらの白嶺殿、黒嶺殿と面識がございましたのでご紹介して頂こうと思い付きまして」


そのように説明されると、なるほど納得のいく筋の通し方ではある。

しかし、白帝がそうまでして己を招こうとする意図はなんであろう?

羽廾が問えば。


「白帝とてかつては四宮一の弓取りと評されたお方。名にしおう羽廾さまの弓術を、間近で見たいと思うのは仕方ありますまい?」


羽廾さまとて、弓に秀でたものと狩りをしたくは御座いませぬか?

などと力輝に囁かれ、彼本来の武人の魂が疼いた。

白帝が弓術に長けたお方なら、共に馬を駆り、また思うさま技を競いあってみたい。

しかし、羽廾は薬師の留守を預かる身である。

それに彼女が帰ってきたとしても、ここを空けるとなれば主である薬師に一言相談するのが筋であろう。


「お話は承った。なれど、今は主が不在なため返答しかねる。後日改めて文なり送りますゆえお待ちいただけませぬか?」


「はい。そう言って頂けますなら」


ごねることなく力輝は席をたった。

色好い返事を心待にしておりますなどと、丁寧にいとまの挨拶をのべて部屋を後にした。


「聞いていた話と違うじゃない」


屋敷を出るなり白嶺が力輝を問いただす。

友達の危機を救うためと言われて羽廾に紹介したというのに、いざふたを開けてみれば全然違う話が飛び出したのだ。ふたりにしてみれば騙されたとしか思えない。不服そうな姉妹に詰め寄られても、当の力輝は涼しい顔だ。


「それが、助けることにつながるんだな~」


まぁ、見ててよ。などと余裕の態度である。


「お白ちゃん達は羽廾さまと一緒に来られるのかい?」

「月読みさまがいいと言えば大丈夫なはずだけれど」


兎の姉妹は顔を見合わせながらも、考えを巡らせる。

羽廾に力輝を引き合わせたのが白嶺なので、たぶん同行することになるとは思う。されど気に入らない。

力輝が何か企んでいて、自分たちがそれにまんまと乗せられている感じがしてならないのだ。


「じゃあ、ご馳走用意して待ってるからね。秋宮へ来られるように月読命へよろしく言っておいてよ」


そう言ってふたりの肩をポンポンとたたくと、虎の姿へと変わり、来た時と同じく唐突に姿を消した。


「まったく、何なのよ」

「うち、知らないからね!」


既に遠くなった雲のたなびきに向かって二兎は大声を上げた。

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