第6話
「私も朱上皇も、当時まだ生まれてもいないわ。私たちが彼を露白と呼ぶのは苦しめたい訳じゃなくて、幸せだったころの思い出まで嫌な記憶とともに封じてしまうのは悲しすぎる気がするのよ」
美しい思い出を、かつて慈しみ合った者たちを、醜い思い出の中で忘れ去るのはあまりにも切な過ぎる。そのような形で愛するものをなくす気持ちは想像するよりほかないが、家族のことを忘れてしまう悲しさはセンにも分かるような気がした。
センとてこの後どうなるかなど分からない。他人事ではないのだ。
この先何十年もずっと家族と合わずにいて、忘れられずにいられるだろうか?
何百年たったら?
「苦しければ戦場で散ることだってできた。当時はそれが容易いほど厳しい戦況にあったと聞くわ。でも彼は折れなかった。ぼろぼろになりながらも戦い抜いたそうよ。責任感だったのかもしれないけど、私はそうは思わないわ」
そう口にした竜田姫は彼女に似合わない、今にも泣きだしそうな顔をしていた。 夕錦が袖の陰にそっと目元を隠した。
「罪滅ぼしなのよ。助けられなかった者たちすべてに対しての」
過ぎたるは及ばざるがごとし。
長すぎる寿命など、祝福というよりは呪詛に近いのかもしれない。
人より長く生きるのは喜ばしい。されどそれはともに祝う人がいてこそである。
親しきものが次々と消えていくなか、悠久とも思える長い歳月を生きねばならない者の心情とはいかなるものであろうか。
まだ幼いセンには知る由もない。
その時、外の濡れ縁で物音がした。
「すっかり寝過ごした。私の分の朝食はまだあるかな?」
しんみりと暗い部屋の空気を払うように、溌剌としたようすの白帝が入ってきた。いつもとようすの違う妻を見て叱るように眉間にしわを寄せる。
「なんだね。朝から元気のない。夕べ止めるのも聞かずに呑み過ぎるからだよ」
「おぉ、嫌だ。人が朝の静寂を楽しんでいるっていうのに。それに、あのくらいの量じゃ何でもないわよ」
うるんだ瞳をごまかすように伏せ、軽口を返す妻の背を撫でて隣へ座る。 なんだか労っているようにも見えるのは気のせいだろうか?
「さて、センや。二日酔いの妻より君に聞くのが適任だろう。ここに並んでいる料理のどれが旨かったか教えてくれるかね?」
卓へ両肘をついて手のひらをこすり合わせ、センにやさしい眼差しを向ける。 真っ白な髪が朝日に輝いていた。
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