第4話

 翌日、時雨のもとに訪ね人があった。

 彼女と同じ市女笠をかぶった女人で、桜色の坪装束ツボショウゾク姿だ。長い髪を背で束ね、時雨より少し背が低い。虫の垂れ絹に風をはらませ、秋晴れの空から太鼓橋の上に降りてくるなり小走りによってきた。


「時雨ちゃん! ここにいたの?みんな心配しています。私と一緒に帰りましょう」

「お姉様」


 離れの濡れ縁のふちで、池の水面を下に眺めながら、足を垂らして座っていた時雨の手をとっていい募る。

 横に座っていたセンはその様子に目をまるくした。


 雨女に会うのはこれで二人目だけれど。その二人目が時雨のお姉さんだなんて! 夏宮で雨女の話を聞いてから、時雨には、家族と呼べる人がいないのかも知れないと思っていたから驚いたのだ。


 この雨女は春霖シュンリンと言う名で、時雨の姉にあたるのだそうな。もちろん血の繋がりはない。

 雨女は、伴い子が立派な雨女として一人立ちするまで面倒を見なければならない。親として、または師匠として。その為、同じ雨女の伴い子は、姉妹と呼ばれた。


 時雨と春霖も同じ師匠をもつ姉妹なのである。


 梅雨が明け、自分の伴い子と先に戻っては来たものの。いつまでたっても妹の時雨が帰ってこない。

 夏宮へ訪ねてみれば、梅雨明けはとっくに報告済みだと言われるし、心配になって探し回っていたのだと言う。


「時雨ちゃんより赤帝さまからの礼状の方が先に着いてしまったのよ。きちんと唹加美神オカミノカミさまに報告しないと駄目じゃない。お師匠に叱られます」


 時雨は迷ってセンを振り返る。そこで初めて春霖は彼に気が付いた。暫く思案顔で見詰めていたが、何か思い当たってぱっと顔をほころばせる。


「時雨ちゃん!とうとう伴い子を連れてきたのですね!」


 まぁ、素敵! 良かったですね!

 と、騒ぎ立て、直ぐに一緒に連れていこうとセンの手をとる。

 そのまま放っておけば、抱き上げて連れて行きかねない様子に時雨が慌てて事情を話す。


 八歳と聞いて酷くがっかりしたようだ。

 名残惜しげにセンの頭を撫でている。


「せっかく、せっかく初めて時雨ちゃんが伴い子を選んだのに。どうして去年連れてこなかったんですか」


 などと無理なことを言って深い溜め息を吐き出した。


「その事はね。白帝が何とかしてくれるそうよ」


 時雨たちの背後の窓に竜田姫が顔を覗かせる。

 春霖が深々と頭を下げた。


「竜田姫さま、妹の時雨が大変お世話になっております。

 しかし、時雨は梅雨明けの納めを、唹加美神にご報告しておりません。それゆえ、一度あちらに戻らなければなりません。

 さぁ時雨、お立ちなさい」


 先程までの砕けたようすとは違い、所作も美しく秋宮の女主に礼を尽くす。時雨は姉弟子に促されて立ち上がったものの、センを残して行くことが気掛かりらしく困った顔をしている。


「そうね。ならば時雨、報告を済ませに貴女は一度あちらへ戻りなさい。センの事は大丈夫。私がちゃんと預かるわ」


 時雨は姫に礼を言って頭を下げたが、その表情はまだ不安げだ。

 その様子に苦笑を浮かべて子首をかしげた。自らの手首に嵌めていた腕輪をはずすと時雨の前にかざして見せる。


 その腕輪は、それぞれの手に紅玉と青玉を持った金と銀の龍が彫られた美しいものだった。竜田姫がその腕輪を少しまわすと二匹の竜に別れる。銀の竜を時雨に、金の龍をセンに差し出した。


「その龍は夫婦めおとなの。

 離しておけば、お互いに逢いたくて引き合うようにできている。

 貴方たちに預けるわ。だから心配せずに行っておいで」


 時雨が腕輪を手首に通すと、それは彼女の腕に添うようにぴたりとはまった。それに応じるように、ぶかぶかだったセンの腕輪も小さく輪を縮めてとれなくなる。


 金竜の赤い瞳が光ったような気がした。


 時雨は驚いたように腕輪を眺めていたが、意を決したように侍女が持ってきてくれた市女笠を受けとる。


「重ね重ねのご厚意ありがたく頂戴致します。暫しの間センをお頼み申し上げます。それでは失礼します」


 深々と頭を下げた。

 センには微笑みを残すのみで別れの挨拶はなかった。

 わざと言わなかったのかもしれない。


 二人の雨女は、濡れ縁のふちより水面へ飛び降りると姿を消した。

 センは時雨の消えた池を見下ろして腕輪を撫でた。


 緩い流れのうち、紅い紅葉のイカダがたゆたう。

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