第3話
廊下の突き当たり太鼓橋を渡った先、大池の中に浮かぶ小島のひとつに建てられた、高床の離れに連れて行かれる。
軒下に吊り下げられた灯りが濡れ縁に張り出した楓の枝を赤く燃え立たせていた。水面に当たった月光が、波間に洸々と青い影を踊らせる。
暗闇のうちで雁がないた。
「どうぞ好きなところへ座ってちょうだい」
竜田姫は窓の下へ設けられた椅子へ優雅に腰かけた。
垂れ下がる臼絹が涼風を張らんで揺れる。センと時雨がどうしたものかと顔を見合わせていると、姫が手招きして自らのとなりを勧めた。
異国の瑠璃の杯に、見たこともない紫色の酒を注がせて口にする。数々の肴を広げて二人にも勧めた。
夏宮でのこともあり、口にしたものかセンが迷っていると、察したのか竜田姫が苦笑いを浮かべた。
侍女を傍らに呼び、何か耳打ちして下がらせる。
再び現れた侍女の手には美しい玻璃の小箱が捧げられていた。姫に手渡すと開いてセンに見せる。しなやかな細いゆびに摘まみ出された丸い珠は、半透明に朧な明かりを宿して光っていた。
「いいかいセン。これは食べてはいけないよ。これはね秋宮で例の儀式に使われる食べ物だよ。これ以外の白いものなら大丈夫。だからささやかな宴を楽しんでちょうだい」
「ありがとうございます」
礼をのべる二人に竜田姫は優しく微笑んで見せる。
摘まんだ菓子は、ぱりぱりと自らすべて食べてしまった。
「私はね、遊びを望まないものに悪戯を仕掛けるのは嫌いなの。騙した方も騙された方も、楽しい方がずっと面白いもの」
そう言って鈴を転がすような声で笑った。
このお妃様は迫力のある見かけほど怖い人ではないらしい。もしかしたら、そういう一面がないとは言い切れないにしても、無邪気で親切で、さっぱりとした明るさの持ち主であることは間違いないようだ。
「楽しそうだね。私も混ぜてくれるかな?」
入り口で訪いをたてる者がいる。
誰かと思い視線を向ければ白帝がそこに立っていた。竜田姫の周りで宴のご相伴に与っていた侍女らが、後ろへ下がろうとするのを見て止める。
「いやいや、どうかそのまま。それとも翁は邪魔物かな?」
大袈裟に傷ついたような顔をして見せる白帝に、竜田姫が少し意地悪に顔をしかめて見せる。
「まったく、年よりはひがみっぽくていけないわ。此方は待っていたと言うのに。ねぇ夕錦」
夕錦と声をかけられた年嵩の侍女は軽く笑い声をたてた。そうしながらも竜田姫のかたわらへ白帝の席を空ける。
「いちいち声をかけずとも入ってくればいいのだわ」
「いやいや、この離れはお龍の城だからね。ちゃんと許可を得なくては」
軽口を叩き会う二人に周りのものは顔をほころばせる。
竜田姫の隣の席に落ち着いた白帝は、センと時雨に改めて向き合うと歓迎の意を延べた。
「よう参ったな。私が
「朱乃?」
耳慣れない名前にセンが首をかしげていると、時雨がそっと教えてくれた。『朱乃』とは朱上皇がまだ東宮だった時代の呼び名なのだそうな。その呼び名を許していると聞いただけでも二人の友情のほどが伺われる。
「さっき露白が言ったように、ここは私のための離れだから煩い人は入ってこれないわ。安心して首尾を待つのね。でも今は、その事を少し忘れて宴を楽しみましょう。貴女たちのお話も聞きたいわ」
そう言って竜田姫は、お話をねだる子供のように瞳を輝かせた。白帝も愉しげな妻のようすに満足して目を細めた。
虫の音が数をまし、落ち着いた楽を奏でている。
秋の夜長ははじまったばかりだ。
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