第2話

謁見の間へ通された時雨とセンは、玉座へ座る白帝と対面していた。


親しみを込めて月の翁とも呼ばれる白帝は、すっかり白くなった髪を冠に纏め、同じく白い顎髭を長く伸ばしている。光の加減で細かな流水紋の浮かび上がる白の袍、袴は裾のところに品のよい秋草の刺繍が施されていた。


老爺とも思えぬ好奇心の強い光を放つ榛色の瞳は、この状況をどこか面白がってでもいるように、訪れた二人の上に注がれていた。


その玉座の肘置きへ、しなだれ掛かるように妖婦が腰かけている。片手を背もたれの上に回し、まるで美しい玉座の彫刻のように見えた。


燃えるような赤髪に、紅葉の枝を模した黒檀の簪を幾つも指して纏めている。物憂げに伏せ気味の目は、薄明を思わせる紫の瞳だ。大振り袖の黒い着物に、輝くような錦の帯を締めている。にも関わらず、その見事な曲線は隠しようもないらしい。


二人揃っている様は、宵闇に沈もうとする紅葉の山に懸かる月の風情だ。


「よく参ったな、時雨よ。ところで季節はまだ夏であろう。秋霪は未々先だが何か用かね? 」


優しく問いかける白帝に、センは朱上皇からの文を差し出す。

侍従が取り次いで白帝に渡すと、早速広げて読み出した。侍っている女人も後ろから覗きこむ。


「ほう、あやつめ。負け越した双六の借りを返せといって来おったわ」

「何? 面白いことかしら?」


迷惑そうな口ぶりとは裏腹に、楽しげな笑みが浮かぶ。

肘掛けに腰かけた美姫が、その書を肩越しに覗き込んで白帝に問い掛けた。片眉をつり上げて見せた白帝が、彼女にも見えるように書を寄せてやる。


「お龍や。雨女の伴い子の話しは知っているな?」

「えぇ。知ってるわ」

「この坊は、八歳だそうだ」

「おやまぁ。それで?」


短いやり取りにも関わらず、彼らは阿吽の呼吸でお互いが何を言いたいのか汲み取れるらしい。

それもそのはず。白帝から親しみを込めて『お龍』と呼び掛けられている美姫の名は『竜田姫』。白帝の正室である。


竜田姫の退屈そうに伏せられていた目は、期待に輝き、夫を見つめている。先を促すように、その柳眉をつと持ち上げて見せた。


「上の目をごまかして、四宮の内に迎えて見せよと言って来たねぇ」

「まぁ、悪戯を仕掛けるのね? 面白そう」

「お前もそう思うかい?」

「えぇ。とっても! 退屈していたの」


無理難題とも思える依頼を、嫌がるどころか嬉々として話し合っている。先程までのやる気のない態度一変、笑顔で玉座から滑り降りてきた竜田姫は、時雨の傍らに来るとその手をとった。


「心配しなくて良いのよ。何とかしてあげる。それまで秋宮にいらっしゃいな。ねぇ、露白」

「二人の世話はお前に任せるよ。お龍」


竜田姫は嬉しそうに夫へ微笑みを残すと、二人の手を引いて謁見の間を後にした。


もっとお年寄りかと思った。

白帝に会ったセンの最初の感想はそれだった。


確かに白帝の髪は真っ白だし、長い髭もあわせて仙人のように見えた。『月の翁』の呼び名に相応しいとも感じたけれど、いざ喋っている姿を見ると、本当は朱上皇より年下なのではないかと思えるのだ。


不思議な人だなぁ。


「老人に見えなかった?」


かけられた声に顔をあげれば、竜田姫が楽しそうにこちらを見ていた。紫水晶のような瞳がセンの反応を見逃すまいと、今は生き生きと見開かれている。二重の目は眉の色が薄いぶん際立って見える。整いすぎるほど美しい顏はともすると冷たさを感じさせるものだが、彼女はその髪の色のせいか血の通った暖かみがあった。ぽってりと形のよい唇が広角をあげる。


「あの人はね。本当は私の何倍も年上なのよ」

「竜田姫様、余りそのお話はここには相応しくないかと」


秘密を漏らす子供のように、相手の反応を期待してわくわくしたようすの姫がセンに話しかけていると、共に来ていた年嵩の侍女がそれをたしなめた。


「大丈夫よ。私は『露白に気を使ってはならない』と約束させられているの。だから話したいことは話すし、やりたいことはするのよ」


わがままな姫の模範のように、つんとすまして顔を背ける。

侍女たちは言いつけを守らない娘を諭すように、何処と無く愛情を滲ませて困った姫君だと苦笑した。


「そうね。でも、廊下でしていいほどの話ではないわ。お部屋についたら教えてあげる」


そう言って、センや時雨と繋いだ手を楽し気に揺すって歩いた。



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