夏宮にて

第1話


 臼絹が風をはらんで膨らんでいる。

 雲間を緩やかに落下しながら飛んでいた。雨女に抱えられ袖のうちにいる為か、寒さは感じられない。落ちているにも関わらず、ハラハラするような不快さはなかった。それどころか、ほほへ当たる風に、心が浮き立つような爽快ささえ感じる。


 着地するとき一瞬ふわりと浮き上がり、足をつく衝撃すら受けなかった。


「怖かったかい?」


 心配そうに時雨がセンへ問いかけた。

 面白かったと答えると、少し嬉しそうに軽く笑った。


「私もね。この帰り方が気に入っているんだよ。誰にも言ったことは無いけどね」

「おれ達、気が合うね」


 また、嬉しそうに笑った。


 降り立った場所は、見たこともない大きな城の中庭だった。 センの故郷に立っていた偉い人の住む城より、ずっとずっと広くて大きかった。 空から見えた城をずっと町だと思っていたから、城だと聞かされたときは信じられなかった。


「セン、よくお聞き。私はこれから、梅雨明けを報せに赤帝せきていにお会いしなければならない」


 雨女としての勤めだと時雨は告げる。その前にセンの事を少し相談したい人がいるから、そちらへ先に寄るという。


「待っている間にもし、赤い物をもらっても食べてはいけないよ。いいね?」


 時雨がどうしてそんなことを言うのか、皆目見当がつかなかった。それでも、彼女の真剣なようすに、センは真面目に受け止めることにした。


 センが頷くと、時雨は膝をついて合わせていた目元を和らげる。安心したのか立ち上がると、城内へ彼の手を引いて入った。


 時雨は通いなれたと言った様子で、入り組んだ廊下を進む。

 赤や金を基調とした建物は、大変豪華な彫刻が施され、廊下の天井にまで美しい色彩の絵が描かれていた。これまで見たこともない。贅を尽くした装飾に目を奪われ、センは時雨に引っ張られるようにして歩いていた。


 突然顔に何か当たる。時雨の背にぶつかったらしい。

 目的の部屋に着いて、彼女が扉の前で止まったのだ。少し緊張しているような張り詰めた空気が流れる。


「雨女の時雨が、筒姫様にお会いしたく参りました。取り次ぎお願い致します」


 しんと静まった廊下に声が響く。

 時雨の声の余韻が壁に染み込んで消える頃、目の前の扉が重々しく開いて侍女が彼女らを室内へ促す。


 お姫様だって!?

 どんな人が現れるのか、期待と緊張が入り交じる。

 部屋に通された時雨が、優雅なしぐさで頭を下げた。センも合わせてお辞儀をする。


 労いの声がかかり、顔をあげれば、奥の段一つ高いところに置かれた椅子に、少女と見まがう小柄な女性が座ってこちらへ笑顔を向けていた。


 天女みたいだと思った。

 一度だけ、お寺の境内に上がったとき、天井にかかれていた絵で見たことがある。その絵より、このお姫様の方が何倍も美しいけれど。


 お姫様は、ぱっと立ち上がると、時雨のところへ駆け寄ってきた。薄雲のような絽の衣に併せた翠の裾を翻して、風に舞う花びらのように軽やかな足取りだ。


 長い黒髪を結い上げ、透き通るような桃色の大ぶりな蓮の花を簪のように指して止めている。ややつり目がちの瞳は大きく、涼やかな竹林のように碧く澄み渡って輝いていた。


「おかえりなさい。あんまり遅いから心配していたの。今年の梅雨が長いとお兄様がご機嫌斜めだったのよ」


 親しい友のように時雨の両の手をとり嬉しそうだ。

 と、センに気が付いて好奇心の強そうな目を見開く。


「あら、まぁ。この子はどうしたの?」


 美しい女人に注目され、恥ずかしさの余り時雨の後ろに隠れてしまいたかった。けれど、ぐっと堪えて挨拶をする。


「まぁ、可愛らしい」

「私の伴い子です」


 それを聞いた姫は、少し驚いた顔をしてセンに齢を訪ねた。 八つだと答えるとその表情が曇る。


「時雨、この子はもう連れて来てはいけない歳ではないの?」

「里へ連れて帰ります」

「この子にちゃんと事情は教えてあるの?」


 答えのない時雨から返事を読み取って、姫は眉尻を下げる。 膝を折り、センと視線を合わせた。


「センや。私は筒と言います。お前は人の世からやって来たのでしょう? ここが何処か知っていますか?」


 センは首を横に振る。

 筒姫は時雨を少し非難のこもった目で見上げた。されど、なにも言わずにセンへ視線を戻す。


「良いですか? セン。今から少しだけここの話をするわね」


 そう断りをいれて、筒姫はセンにも分かるように注意しながらこの世界の話をしてくれた。

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