第55話「異界(8)」

 親父だって?


 深い安堵感のなかで自分自身が発したつぶやきに気づいて、俺は困惑した。


 ケンジとゼンは、俺ではなく、四方にひしめくディアーボたちを見上げたままでいる。俺の声は聞こえなかったらしい。


 そして俺のすぐ前に立つ、鎧の怪物にも聞こえていないようだった。怪物は何の反応も示さず、身じろぎひとつせずにこちらに顔を向けている。


 違う。


 そうじゃない。


 鎧の怪物が無反応なのではない、と気づいた。

 彼は、俺を見つめている。それは俺の発した呟きに応えているということに違いない。


 怪物は、あの重厚なかぶとの下で涙を流しているのではないか、俺は直感的にそう思った。


 彼は何ひとつ言葉を発しない。人間の言語を理解するかどうかもわからない。

 だが俺は確信していた。彼に、俺の言葉は確かに聞こえた、そして通じたのだと。


 怪物が、すっと腕を伸ばした。極端に太く長い右手よりもずっと細い、左の手だった。その手が目の前まで迫る。恐怖は感じなかった。


 かわりに、その手をずっと待っていたかのような、柔らかな安らぎと静かな高揚感が湧きあがった。


 鎧の怪物の手のひらが、俺のあたまに触れる。


 心地よかった。


 その瞬間、脳内に、非常な鮮明さでイメージが流れてきた。テレパシーのような超能力の類だろうか、などと考える余地も与えないほど自然で鮮やかなイメージで、俺は瞬時にその世界に引き込まれた。映画館で座席に座り隣の友達と話していたらいきなりスクリーンに映像が流れ始め、一瞬で友人のことも話題も忘れて見入ってしまうのに似ていた。


 それは、アラスカで行方不明になった親父の、遠い記憶のイメージだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る