第54話「異界(7)」
異様な太さを誇る右腕、ディアーボが群がる異界にあってさらに異質で、圧倒的な存在感。
鎧の怪物は、逃げ場なくバケモノどもに包囲された俺を守るようにして、そこに立っていた。
俺たちを襲撃しようと岩壁から飛び降りた無数のディアーボの姿はまだ中空にある。ヤツらの暴力は、もうまもなく、ここに達する。
だが鎧の怪物は、降り注ぐ雨のように降下してくるバケモノには構わずに、その異様な右腕を横なぎに振った。直後、腕はあの砂漠のときと同様に長く伸び、まず数メートル離れた場所にいるゼンを、そしてケンジを掬うようにして包み、俺のところまで運んだ。二人とも、声をあげる間さえなかった。
鎧の怪物はケンジとゼンを放したその右手を今度は天に向けた。飛びかかるディアーボたちの先頭の一群は、もう目と鼻の距離にある。ほとんど真上から落下してくる連中の一体は、あの、樹海の街で俺たちを襲った黒いディアーボのように、全身に足や手のような部位が見られず巨大な球体じみた姿をしていた。
その個体が体の中央から触手めいた突起を伸ばし、先端を鋭く尖らせ、俺たちを守る格好の鎧の怪物に向けた瞬間だった。
怪物は、地鳴りを思わせる唸り声を発すると、その異常に太い右腕をさらに膨張させ、天に向けて円を描くように激しく回し始めた。
高速で回転する怪物の腕は一瞬にして周囲の空気を巻き込み、それは恐ろしい破壊力をそなえた巨大な竜巻へと変化して、上空から無防備で降下してくるディアーボの集団をあっという間に蹴散らした。もっとも近い距離にいたあの球体じみたディアーボは、まず伸ばした触手を突風でズタズタに裂かれ、本体は絞られた雑巾のように限界までねじれたまま、暴風の渦に飲まれて一瞬で空の彼方へ吹き飛ばされた。
俺たち全員が、言葉を失い、ただその光景を見上げていた。ディアーボに変化しかけていたケンジですら口を開け天を仰いでいる。中空に飛び出したバケモノたちは跡形もなく消し飛んだ。
だが四方の岩壁には、まだ無数のディアーボがいる。連中の咆哮は鎧の怪物の反撃に瞬間的に止んだが、同胞を屠られた怒りからか、あるいはただ好戦的な本能によるものなのか、すぐに、いっそう大きな怒号となって再開された。
何だよこれ……我に返ったのかケンジがそう呟き、目の前に立つ鎧の怪物に視線を移した。俺もつられてヤツを見た。
強烈な違和感を覚えた。
そしてすぐ、鎧の怪物の異変に気づいた。
怪物は、ひどく傷ついていた。たったいまバケモノどもを吹き飛ばしたあの右腕も、激しく損傷している。先ほどのひと振りで負ったものではなさそうだった。腕以外の、背中や腰、足にも、大小無数の傷が見られた。
瀕死なのではないか、と思った。砂漠でゼンと俺を救った後、千を軽く超えるディアーボの群れと戦い負傷したに違いない。考えてみれば、あの状況から生きのびているだけでも驚くべきことだった。
俺は痛々しく傷ついた怪物の頭部をじっと見た。カブトに覆われた表情を確認することはできない。だがその呼吸が激しく乱れているのが俺には直感でわかった。こうして立っているだけでやっとなのかもしれない。
岩壁のディアーボどもは叫び続けている。反撃を警戒しているのか襲いかかってくる様子はない。それでも鎧の怪物が瀕死だとわかれば、ヤツらは今度こそ一斉に飛びかかるだろう。
そういうことを思い浮かべながら、ふいに俺は、どうすればこの状況で鎧の怪物を救えるだろうかと考えている自分に気づいた。そしてこれまでも、自分がこの怪物に異様なほど執着していたことを思い出した。
鎧の怪物もディアーボも、正体不明という点では同じはずだった。どこで生まれ、何を目的として生きるのか、その一切が不明で、いずれにしても人間とは遠くかけ離れた存在であることだけは確かだ。
にもかかわらず、俺は当初から、鎧の怪物に奇妙なほど特別な感情を抱いていた。それは黒いディアーボから救われたからというだけでは、説明のつかないものだった。
そのとき、俺の困惑を察したように、怪物がゆっくりと頭部だけ横に向けこちらを振り返った。ゼンとケンジの緊張がわずかに増す。だが俺には、怪物が二人ではなく俺を見ようとしているのだとわかった。
怪物は何も言わない。俺も無言でヤツをじっと見返した。カブトの奥にあるはずの怪物の目と、俺の視線が交わった気がした。
その瞬間、まったく突然に、俺の中の困惑が消えた。かわりに、深い安心感と懐かしさが全身に広がる。
そして無意識のうちに、俺は唇を小さく震わせ、怪物に向かって、親父、と呟いていた。
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