第45話「森林・洞穴(1)」

 誰かが俺のアイマスクに触れた。


 ゼンだった。外していいそうだ、という彼の呟きが聞こえ、俺はユヴァスキュラのホテルから着けていたアイマスクをとった。すぐ後ろでケンジも同じことをした。


 周囲にはさきほどイメージしたとおりの北欧の森林が広がっている。ロヴァニエミのそれより積雪が厚い気がするが、ここがどの辺りに位置するのかわからない。フィンランド国内でさえないかもしれない。


 だが、そんなことはどうでもよかった。目の前にぽっかり口を開けて俺たちを待つ洞窟に集中しなければいけない。


 洞窟の入り口は小ぶりだった。


 平坦で起伏の少ない森の、そこだけ低い丘のように膨らんだ大地、その表面に、大小さまざまな草木の陰に潜むようにして、大人がふたり並んでなんとか通れる程度の横穴が空いていた。


 その穴を囲う格好で、俺たち三人のほかに、五名の人間が立っていた。背が高く胸板の異様に厚い軍人のような男が二人、残りは対照的に、瘦せぎすの研究者のような雰囲気の三名で、一人は女性だった。いずれも軍服らしい服装をしているが、体格から役割の違いは明らかだった。


 通訳のあの男はいなかった。隊長らしい、もっとも長身で短髪の男が、優しい英語で俺たちに話しかけてきた。自分の言葉に対する反応を見て、途中からゼンだけを見て隊長は話した。英語に堪能なのがゼンだけだと察したのだろう。


 男はベムゼットと名乗った。見た目から西洋人らしかったが、名前だけではどこの国の人間なのか想像がつかない。もっとも、それが本名であるとも限らなかった。男の名も、また俺やケンジたちの名も、今はなんら意味を持たないと思った。穴底の向こうの怪物たちが興味を持つのは俺たちの名前にじゃない。蹂躙され殺戮される対象物としての俺たちに、だけだ。


 ベムゼットは横穴を背にして立ち、全員のほうを見渡して何か話し始めた。映画などでよく出てくる行軍の隊長などとは違って、非常に抑えた口調で、淡々としていた。


 メンバーたちからも、目立った緊張は感じられなかった。研究スタッフらしい三人はとくに落ちついていた。軍人ふうでスキンヘッドの若く首の太い男はやや表情をこわばらせていたが、それが軍人として身についたものなのか、今回のミッションのためなのかは判別できない。


 ひとしきり話し終えると、ベムゼットは洞窟へ向き直り、一度だけ俺たちを振り返ってから、彼の巨体には小さく見える横穴へと入っていった。研究スタッフの三名が続き、その後ろを、ゼン、ケンジ、そして俺がついていく。


 吸い込まれるようにケンジが消えたその横穴に、最後尾を務めるスキンヘッドの男を残して足を踏み入れようとしたとき、ヒカリゴケが群生するあの樹海の洞穴の冷気が肌によみがえり、全身を、鳥肌が覆った。

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