第46話「森林・洞穴(2)」
洞窟の内部をゆっくりと進む。
横穴は、入ってすぐにゆるやかな傾斜の下り坂になった。雪が地表を覆う屋外よりも、さらに冷える。坂を地下へとくだっていくためか、十分も歩くと、寒さは外とは比較にならない。
濃い白色の吐息が、視界に現れては消えていく。
樹海の洞穴と違い、ヒカリゴケの群生は確認できなかった。先を進むベムゼットやメンバーが光度の強いライトで行く手を照らしていたからだ。
天井や壁の湿り気がところどころ凍っていて、転ばないよう片側の壁に手を当てて歩くと、ときおり苔と思われる何かに触れる感触がある。だがそれが淡く幻想的な光を放つ種なのかどうかはわからない。
俺たちは黙々と、淡々と内部を進んだ。入り口から続く一本道は少しずつ入り組みはじめ、右へ左へとカーブする。途中いくつか分岐があった。地図データが入っているのか、先頭のベムゼットがスマートフォンを手に道を確認し、着実に進んでいった。
やがて、その場所にやってきた。狭く息苦しい横穴から、唐突にひらけた空間へ出る。
あの樹海の洞窟と、驚くほど似通っていた。
既視感を避けられないその空間の、もっとも奥まった部分に、それはあった。
「すごい」
誰かがため息まじりに呟く英語が聞こえた。全員が、まるで吸い込まれるように、一歩ずつその縦穴に近づいていく。
それぞれが穴のふちに立ち、そこから中を覗き込んだ。複数のライトが放つ硬質の光もこの奈落には歯が立たない。穴の完全な闇が、人工の光をたやすく吸収し無力化する。
誰が言うでもなく、ひとつずつライトが消された。
無言のまま、俺たちはしばらく黙って縦穴を見つめていた。
やがて目が暗闇に慣れ、穴の空洞におさまった闇の黒さと周囲の薄暗がりの違いが鮮明になった。互いの姿も、ぼんやりと見え始める。
だが誰ひとり言葉を発しようとしない。
初めて目にしたのだろう、完全な闇をたたえる穴の迫力に圧倒され、皆言葉を失っている。すぐ隣に立つ研究スタッフらしい髪の長い男性は、メガネに指をかけ口を開けて穴を見下ろし、時々思い出したようにごくりとつばを飲み込んだ。
ケンジも圧倒されているようだった。頭には、アイリに案内され訪れたあの人無し穴が浮かんでいるに違いない。
ゼンと俺だけが、恐ろしく不吉な縦穴を前に平静でいられた。いや、平静というのとは少し違う気がした。恐怖の感情は確かにあった。少なくとも俺はそうだった。だがその感情を説明のつかない高揚が上回った。穴に対する老人の狂気じみた執着を聞かされた際に抱いた、奇妙な高揚。
やがて、ふたたびライトが灯された。はじめにライトをつけたのはベムゼットだった。遂行すべき任務を思い出したのだろうか。あるいは、底のない奈落によどむ暗闇のプレッシャーに耐えられなかったのだろうか。
隊長に続いて、メンバーが次々に灯りをつけていく。空間を照らすライトの光量が増していくにつれ、緊張がほぐれたのか、それぞれ作業に取りかかった。そのさまを俺とケンジはただ傍観し、ゼンはまったく興味がないのか、空間を壁づたいにぐるりと歩いてみたり、感慨深げに穴を見つめたりしていた。
複数台のパソコン、長短さまざまなケーブル、何を計測するのか見当もつかないスケール機器、俺たちの命綱と思われるワイヤー、それにナイトビジョンや小火器類、多量の飲料・食料、軍用らしいファーストエイドキット……
穴から少し離れた位置で、研究メンバーがパソコンやケーブルをはじめとする機材をセッティングし、屈強な二名が、携行品をミリタリーバッグに詰めていった。
底のない穴の向こうへ送り込まれるのは、あの二人と、俺たち三人ということなのだろう。二人は戦闘のプロに違いない。だがサヴァイバーではなさそうだった。彼らは自分が生き残れると考えているのだろうか。それとも死が決定づけられた絶望的なミッションだと諦めているのだろうか。
準備はほどなく完了した。それぞれの持ち場で作業に取り組んでいたメンバーがその場で立ち上がり、穴の手前に立つベムゼットのもとへ集まった。俺たちもその輪に加わる。
ベムゼットがここからの流れを語り始めた。最初に、この場に残るスタッフ三人への役割の確認を行ない、そのあと、やはり穴へ飛び込む役目らしい彼自身と若いスキンヘッド、そして俺たち三名への説明に移った。
ひととおりそれを聞き終えたところで、ゼンがすっと手をあげ、ひとつ提案なのだが、とベムゼットに向かって言った。
「君たちの同行は必要ない、
向こう側へは、ボクら三人だけで行ってくるよ」
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