第35話「フィンランド・ユヴァスキュラ(6)」

 ケンジの話は終わらない。俺はこれ以上聞きたくない。でも、ケンジは話を止めることができない。その顔は恐ろしく苦い食物でも口にしたように痛々しく歪んでいる。それでも、喋ることをコントロールできずにいる。


「アイリとは会ってない、当たり前だけど、俺たちは別々に監禁されてたんだ、けど、連中がアイリにやったこと、アイリにさせたこと、そういうことを、長々といつまでも聞かされたよ、ヤツらは、英語のできない俺のために、わざわざ通訳まで用意したんだ、

 はじめ俺は信じなかった、わかるだろ、実際アイリの姿を見てないわけだからさ、連中が嘘をついて俺を怒らせようとしてるんだと思った、

 けどそうじゃなかった、ヤツらは俺が考えるよりずっと冷酷で邪悪だったんだ、アイリは無事に違いないという期待を俺に持たせるために、あえてそうしてたんだよ、

 ある日、連中は唐突に映像を流し始めた、暗くてよく見えなかったけど、アイリのいる部屋を映したらしかった、カメラが少しずつ、焦らすみたいにものすごく時間をかけながら、薄暗い部屋のベッドに横たわる女の子に近づいてくんだ、俺はまだ、きっと別人だって思ってる、自分に言い聞かせてる、けど、徐々に、女の子の顔や全身が大きくなってくる、かなり暗いからはっきりとは見えないんだけど、アイリだった、アイリは全身ボロボロだった、包帯をあちこちに巻かれて、顔も腫れていた、表情なんてないんだ、

 それで、あれが、起こった」


 逆の立場なら、俺もきっと喋り続ける。あまりに残酷な出来事を自分の中だけにとどめておくのは耐えがたい。ケンジは、俺がこうしてやってくるまで、その苦しみに苛まれていたに違いない。


「そのときのことはよく覚えてない、自分に、とてつもなく異常なことが起こってるっていう、ぼんやりした感覚が襲った後は、ただ、うっすらと淡い意識があるだけだ、夢を見ているような、そんな感じだよ、

 自分が、自分であって自分でないような、ふわふわして、足が浮いているような感覚に包まれてさ、

 でも、あのシーンと手応えみたいなものは、妙にしっかりと覚えてるんだ、体に刻み込まれたような感じだ、

 どこかの街、大きな建物が集まる大通りだよ、人びとが大勢いる、そこへ飛び込んでいく、ものすごいスピードでだ、ちょうどオンラインゲームで、無防備な敵軍をやりたい放題に蹴散らすような、

 本当に、あんな具合だったんだ」


 苦しそうに歪んでいたケンジの表情から、険しさが消えかかっている。ケンジは、自身の暴力について話している。恐ろしく非人間的な暴力の行使について、回想している。だが実感はさほどない、ヤツの言うように夢のような感覚の中での出来事なのだろう。


 富士の街にゼンと向かう途中でナガミネからも聞かされた、新たなディアーボの出現のニュース。中国のどこか知らない街と、俺たちが今いる、フィンランドの、ここ、ユヴァスキュラ。


 ……で、その街だけどな、俺も行ったことはないんだが、サウナとか針葉樹とかオーロラとかリスとか暖炉とか、つまりとんでもなくのどかなところのようだが、そんな場所にも中心街がある、そこにディアーボが現れた、ショッピングセンターなんかもあるらしいからな、犠牲者は100や200じゃきかないだろう……


 その惨劇を起こしたディアーボは、ケンジだったのだろうか。


 俺には確かめるすべがない。確かめたいとも、思わない。

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