第15話「山梨・南都留2(1)」

 2日後の夜10時を過ぎた頃、ナガミネから連絡が入った。俺は助手席でその電話に出た。ちょうど1時間ほど前、ゼンが、また深夜のドライブに行こうと言い出したのだ。

 

 ナガミネからの電話は、ゼンが数台保有するスマートフォンのひとつにかかってきた。恵比寿での会合の別れ際、連絡先を教えろ、とナガミネに言われ、ゼンがその番号を示したのだった。


「ニュースは観てるな? 2匹同時だそうだ、言っておくが、俺じゃないぞ」


 そう言ってナガミネは笑った。ケンジ、アイリの件ではなかった。俺はナガミネが有するというネットワークの情報力を期待していたのだが、ゼンでも掴めない誘拐集団の尻尾は、この男にもそう簡単には捉えられないのだろうか。


「ネットで観た、中国と、フィンランドだろ、ゼンも今回はあんたを疑ったりしてない、どっちも海外だし」


 俺が答えると、電話の向こうでナガミネが相づちを打った。このスマートフォンは俺がゼンから譲り受けたものだ。盗聴の心配はないからね、どういう仕組みなのか知らないがゼンはそう言っていた。自由に使っていいよ、お友達にかけたっていい、とも付け加えた。俺が誰に電話するか、楽しみにしているみたいだった。

 

 けど俺は一度も、自分から電話もメールもしていない。前に使ってたのがガラケーだから操作がわからない、ということではない。さらわれたケンジたちに電話が繋がるとは思えないし、他に、連絡をとるような相手は、姉貴くらいしかいないからだ。


 姉貴に連絡をしようとは考えてない。しても心配させるだけだろう。この状況をどう説明すれば理解してもらえるか、俺には、まったくわからない。


 だが電話口で笑ったり頷いたりしてるナガミネは、ディアーボに襲われながら樹海に駆け込み、そのバケモノを洞穴へおびき寄せて生き延びたという絵空事のような俺の話を、全面的に、信じる、と言った。


 俺は彼の本心を、まだ掴むことができないでいる。


「フィンランドのほうは、ユヴァスキュラって地方都市だ、フィンランドってわかるか? ほら本物の、いや本物というとおかしな言い方だが、とにかく本当のサンタクロースがいるって国だよ、

 で、その街だけどな、俺も行ったことはないんだが、サウナとか針葉樹とかオーロラとかリスとか暖炉とか、つまりとんでもなくのどかなところのようだが、そんな場所にも中心街がある、そこにディアーボが現れた、ショッピングセンターなんかもあるらしいからな、犠牲者は100や200じゃきかないだろう、

 ユーロはもちろんだが、距離がそう遠くないんでイギリスなんかにもパニックが飛び火してるようだ、ポンドはほとんど暴落と言っていいほど下がってるみたいだな、ロンドンのシティは大混乱だとさ、あっちの投資銀行に堂場の古い友人が単身赴任で行ってるらしいんだが職場は収拾がつかないらしい、まあ、その友人なんかは混乱に乗っかって個人的にずいぶん儲けたみたいだけどな、

 中国のほうは、どうやら南部の山岳地帯が有力みたいだ、そっちで数百単位の殺戮があったなんて報道も聞こえてる、だがどうも情報が錯綜気味でな、虐殺は間違いなさそうだがその犯人がディアーボかどうかは実に疑わしい、いつかのように過激民主主義に走った学生の集団を政府が弾圧したのではないか……なんて言い出す専門家もいる始末だ、もちろん都市部じゃないわけだし一帯が景勝地みたいな場所だとするとそんなのはアホらしい話だと思うがな、

 けど天安門に始まって、いや文革も含めるべきか、ともかく数えきれないくらい自国民を殺してる国だからな、そういう馬鹿げた説が浮上するのも無理はない、まあ、それはどこの国家も同じだな、互いに殺し合うのが人間の仕事みたいなもんだ、そう思わないか?」


 ナガミネは高校生の俺に対しまるで大人にでも語るように喋る。当然だが俺は難しいことは知らない。歴史は退屈で好きじゃない。俺は、質問には答えずに、自分がいちばん知りたいことを聞いた。

 もちろんそれは、中国や遠い北欧に新たに出没したディアーボのことではない。


「俺の友達の件は? ケンジたちのことも、あんたのネットワークとかでわかるって」


 ディアーボよりそっちか、友達思いだな、ナガミネはそう呟いて言葉を切り、間を置いてから、言った。


「お前ら、フィンランドへ行ってこないか?」


 まったく唐突にそう言われ、俺はうまく反応できずに、口ごもりながら聞き返した。


「フィンランド?」

「そうだ」

「何でだ、ディアーボに会いに行けっていうのかよ」

「怖いか」

「本気で言ってるのか?」


 俺の問いかけに、ナガミネは、ああ本気だ、と急にシリアスな口調になって呟いた。


「俺はもちろんディアーボが気になるが、お前らにとっても、いやお前にとっても、行く価値はある」

「どういうことだ」

「お友達をさらった連中だ」


 俺は息を飲んだ。頭と体が熱を帯びる。


「あいつらは、ケンジと、アイリは、フィンランドにいるのか? 間違いないのか? どうやって調べたんだよ?」


 落ちつけ、とナガミネが俺を制する。


「落ちついて聞け、そうだな、可能性としては、半々だな、さらった連中がフィンランドに関係してるってだけで、お前の友達が向こうに連れていかれたのかまだ日本にいるのか、それはわからない」

「でも間違いないのか」

「何がだ」

「犯人がフィンランドの奴らだってことがだよ」

「間違いないって、俺がそう言ったか?」

「たった今言ったじゃないか、さらった連中がフィンランドに関係してるって」


 電話の向こうから長いため息が聞こえた気がした。


「おい、あのな、ちょっと待て、お前少し勘違いしてるぞ、

 いいか? まったく間違いのない情報なんてこの世のどこにもないんだ、世界は学校のお勉強とは違うんだからな、きれいに丸バツで分けられるもんじゃないんだよ、お前が本当にお前の親から生まれたかどうかだって、お前には実際のところわからないわけだろ? 世界ってのはひどく不確かで曖昧でどろどろにできてるもんなんだよ、

 それでな、フィンランドの連中が犯人だって、100パーセント曇りなくイエスなんてそんなわけないだろ、仮に当人に聞いたって、はい私がやりましたなんて言うわけないからな、すべては曖昧なんだよ、

 けどな、いくつもの情報を組み合わせて、ひらめきを織り交ぜながら組み立てていくと見えてくるものもあるんだ、確証なんてないぞ、あくまでも可能性レベルだが、ここかもしれないってものが見えてくるんだ、

 俺はそれを言ってるんだよ、情報網から吸い上げたインフォメーションの断片をパズルみたいに組み合わせて、足りないピースを直感で埋めて、今もっとも考えられるのがフィンランドだってことだ、連中が犯人に間違いないって証拠を持った証人を見つけましたとか、そんなことじゃないんだよ、

 俺の言ってること、わかるか?」


 わかるよ、と俺は言った。実際はヤツの語る半分も理解できなかった。けどそんなことはどうでもよかった。ナガミネは、今もっとも考えられる可能性はこれだ、と言った。山梨を後にして以来、何の進展もなかったこの件に、ヤツはたった2日でひとつの道筋を示してみせた。

 

 今はそれで、十分だ。

 

 渡航に際しては念のため偽造パスポートも必要だろう、心配するな、こっちで準備しといてやる、出発は明後日だ、お前は今すぐにでも発ちたいだろうが、色々と用意しなきゃいけないものもある、ゼンにも伝えとけ、詳しい話はあとで知らせる……ナガミネはそう言って、じゃあな、と電話を切った。


 スマートフォンをポケットにしまい、俺は隣のゼンを見た。アイリとケンジを救出できるかもしれない……突然の朗報に電話の最中は鼓動が速くなったが、自分でも驚くほどすぐ平静を取り戻した。どちらかというと悲観的な気分ですらあった。どうせ一筋縄ではいかない連中だと、無意識に感じていたのだろう。

 

 ゼンは俺の知らない曲を口ずさみながら運転している。電話を終えた俺を一瞬横目で見たが、何も聞いてこない。まるですべて見透かしているようにさえ思える。だが違う。いくらゼンが超人でも、未来まで見渡せるわけじゃない。こいつはただ、どんな未来でも自分は楽しむことができる、という確信を持っているだけだ。


 俺たちは今、山梨に向かってる。俺をドライブに誘うときゼンが示した目的地が、山梨の、樹海だった。恵比寿での俺の告白を聞いて、ゼンは樹海の縦穴に強い興味を持ったようだ。当然だが俺は気乗りしなかった。できれば二度と行きたくない、悪いけど洞穴の場所もよく覚えてない……出発前にそう断ったが、ゼンは聞く耳を持たなかった。大丈夫、樹海へ行けば思い出すよ、そんな無責任なことを言って、嫌がる俺をドライブへと連れ出した。


「ナガミネが、フィンランドに行けって」


 へえ、とゼンが感心したような声をもらす。


「ディアーボを狩ってこいっていうのかい? 今から行ってディアーボが待っててくれるとは思えないけどね」

「いや出発は明後日だ、ケンジたちを誘拐した奴らがいるかもしれないって」

「フィンランドに? 彼はもう掴んだのかい、大したネットワークだ、若いのにすごいものだね、政治結社というのは馬鹿にできないものだな、

 それでボクらは、事件のあったあの街へ行けばいいのかい」

「知らない、詳しいことは出発前に知らせるって言ってた」

「そうか、まあいい、楽しみだな、フィンランドなんて久しぶりだ、いつ以来だろう」

「行ったことあるのか?」

「もちろんあるよ、ひと頃はよく通ったものだ」

「そうなのか?」

「ああ、その話もいつかしてあげよう、

 けどそれより、そろそろ目的地が近い、樹海の街はもうすぐだよ」


 ゼンが言い、俺はフロントガラスの向こうに目を移した。高速道路を走っていた車はいつの間にか両側に商店や一軒家が並ぶ幅の狭い一般道に降りていた。

 ほぼ直線的に延びるその道路の、遠く先に、深夜の闇空にひときわ黒く浮かぶ富士が見える。圧倒的な高さの頂上から末広がりに裾野がどこまでも続くその異様な存在感に、思わず息を飲んだ。ここからは見えないが、あの麓に、恐ろしく深い木々の海がある。俺たちはこれから、そこに分け入り、底の知れない縦穴へ続く洞窟を探そうとしている。


 ナガミネの情報力により、アイリとケンジにつながる手がかりがようやく得られた。ディアーボに遭遇してから間違いなく唯一の、そして待ち望んだ、明るい知らせだった。


 にもかかわらず、樹海へ向かう俺の心は得体の知れない重苦しさに支配されつつあった。だがそれは少なくとも、遠く向こうに威圧的な姿でそびえ立つ、巨大な富士のせいではなさそうだった。

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