第9話「2016年9月―日本・山梨県南都留郡(7)」

 スローモーションのようだった。


 飛来するロケットの、無機質で気味の悪い弾頭が車体後部に触れる――その瞬間、体がぶわりと浮いた。


 ゼンだった。ゼンはニヤリと笑みを浮かべ、目をギラつかせながら、片腕で俺を抱え、もう一方の手で俺の座る助手席のドアを押し開けて、外へ飛び出した。


 ほぼ同時に、車は炎に包まれ、下腹に響く轟音とともに爆発した。暴力的な熱を帯びた爆風が、まだ宙に浮いたままの俺たちに迫る。だが2人とも無事だった。爆風になぶられる直前に、ゼンが一度片足を伸ばし地面を蹴ったからだ。

反動で高く飛び上がった俺たちの、すぐ下を、熱風が吹き抜けた。


 ゼンは着地し、抱えた俺を降ろして立ち上がる。俺は極度の緊張からか全身が硬直して、地面に尻をついたまま動くことができない。


 だらりと下げた手が、大地に触れた。冷たいが柔らかい草と土の感触が伝わる。その感覚が、少しだけ俺の体の緊張を和らげた。周囲は畑らしかった。


「へえ、用意がいいねえ」ゼンが呟く。「RPGじゃないかな、ただのマフィアではなさそうだね」


 やっぱりロケットランチャーだった。そんなものを持ってて、しかもこんな場所でぶっ放すなんて、完全にいかれてる。一体どういう連中なんだ? 何が起こってる? 俺が何をしたっていうんだ? 痺れた体とは対照的に、思考は止まらない。


 気づくと、ゼンがいなかった。こんな状況で1人にされて、不安と、恐怖と、わけのわからない理不尽に対する苛立ちが膨らみかけた。


 辺りを見回す。


 ここから100メートル近く離れた道路、そこに停まるトラックに向かって歩く、ゼンの背中が見えた。


 何してるんだ?


 おい、と声をかけようとしたそのとき、信じられないことに、ヤツはトラックの前に立つ男たちにゆっくりと手を振り始めた。待ち合わせた友人に呼びかけるようなその振る舞いは、現状にあまりに不釣り合いで、ゼンが長く細い腕を振るたび、現実感が失われる気がした。


 連中は全部で3人いた。全員、銃のようなものをゼンに向けてる。1人が、敵意と怯えを露わにした甲高い声で何か怒鳴った。日本語ではなかった。その声を合図にするように、男たちは一斉に怒号を放ちながら銃を撃った。映画やゲームで耳にする音よりも、銃声は乾いて間の抜けたものに聞こえた。


 けど、弾はゼンに当たらなかった。ヤツが高く飛び上がったからだ。体を伸ばした姿勢のまま、すっと浮き上がるみたいに宙に浮いたゼンは、野球のボールを両手で同時に放るように、ぶんと腕を振った。


 次の瞬間、ゼンに銃を向けていた連中が、揃って後方に飛ばされ、倒れた。銃声も怒号も止まった。


 わけがわからなかった。ロケットの次は銃? ゼンは今、何をした? 俺は状況がまったく理解できず、完全に傍観者としてそこにいた。目の前で起きたことを、脳が必死に理解しようとしてはいる。でも、できそうにない。


 そのときふいに、あることに気がついた。


 何かがおかしかった。いや、この街で起きたあらゆることが狂ってるに違いないが、俺がいま違和感を抱いたのはそれらに対してじゃない。ついさっきのことだ。


 俺は、恐ろしいスピードで飛来するロケット弾を、確かに見ていた。あの距離なら発射の直後にはすでに対象を破壊してるはずのロケット……その弾頭が飛びかかってくるさまを、スローモーション映像でも眺めるように、確かに肉眼で捉えていた。


 そんなことが、可能なのだろうか?


 そう思った途端、これまで断片的に頭に浮かんでは消えていたさまざまな疑問が、一気に脳内を流れた。


 重傷を負ったはずの俺が、どうしてあれほどの速度で走れたのか、

 なぜケンジたちがさらわれなければならないのか、

 あの連中は何者なのか、

 この超人的な男、ゼンは、いったい何なのか、

 自分は、ケンジは、アイリは、これからどうなるのか――


 すさまじいストレスを覚えた。浮かび上がる無数の疑問に対し、1つさえ満足いく答えが出せそうにないと本能的にわかったからだ。


 瞬間的に激しい無力感に襲われた俺は、無意識のうちに、遠く離れた道路の、トラックの脇に立つゼンへ視線を移していた。ヤツ自体の存在もまだ謎だらけだが、少なくとも、今俺がたぐれる糸はこの男だけだ。


 俺の視線に反応したのか、ゼンはこちらを振り向き、手招きを始めた。どう転んでも明るい展開にはなりそうにない、そう思うと気が滅入ったが、俺は覚悟を決めて立ち上がり、ヤツに向かって歩いた。




「よし、起こそうか」


 俺がそばまで行くと、ゼンは微笑みを浮かべてそう呟き、足元に倒れた1人に何か声をかけた。連中と同じ国の言葉だろうと思った。ゼンなら、あらゆる国の言葉を話せても不思議はない、そんな気がした。けど倒れた男は反応を見せない。右のこめかみに傷があり、そこから血を流している。ゼンの攻撃でやられたのだろうか。ゼンがしゃがんで、男の肩を強く揺する。

 男が、意識を取り戻した。


「――――」


 俺には理解できない言語でゼンが喋る。ヤツの常軌を逸した戦闘力に触れたせいだろう、頭だけをわずかに持ち上げてゼンを見る男の顔は青ざめて引きつり、目は怯え、口元は震えてる。少し離れた場所で、男の仲間たちがそれぞれ地面にのびている。


 倒れたままのその2人はピクリとも動かない。ここからでははっきりとはわからないが、死んでるんだろうな、俺はごく自然にそう思った。匂いなのか、それとももっと漠然とした空気のようなものなのか、郷土料理屋の駐車場で目の当たりにしたディアーボの犠牲者たちがまとっていた雰囲気と同じものを、2人から感じた気がした。


 ゼンが立ち上がり、俺を振り返る。


「教えることは何もないと言ってる」そして笑った。「今のところは、ね」


 皮膚の表面がざわついた。ヤツの体内から、残忍なオーラのようなものが、本人の意志とは関係なく膨張し漏れ出たみたいに思えた。


 拷問が始まる、そう確信した。


 間近でその、悪意のかたまりみたいなオーラをゼンから向けられた男は、一瞬、気の毒なほどひるんだ表情になり、直後、大きく息を吸い込んで薄笑いを浮かべた。


 俺が嫌な予感を抱くのとほとんど同時に、男は、思いきり舌を出して伸ばし、目を閉じ鼻の穴を大きく膨らませて、かみ切った。苦痛で瞬時に顔が歪み、頭を大きくのけぞらせ、喉元をかきむしるようなそぶりを見せた後、首に手を当て口から血と唾液を垂れ流したまま、男は動かなくなった。


 その男を、ゼンはゆっくりと首をひねりながら、しばらくの間じっと見ていた。


 俺は息をのんだ。ヤツの表情が、あまりに寂しげだったからだ。まるで、楽しみにしてたおもちゃを目の前で奪われた子供みたいだった。奪われることに慣れていて、それでも、奪われるたび素直にショックを受けてしまうような、諦めと落胆が混ざり合った顔。数えきれないほど人を殺してるに違いないゼンに対して、思わず、大丈夫か? と声をかけてしまいそうになるほど寂しげな表情を見せられ、俺は困惑した。


 しながら、同時に、ヤツに親しみを覚えてる自分に気づいた。

 面倒なことになるぞ、そんな直感が生まれた。


 誰かを激しく憎んだり、恨んだり、嫌ったりするのは、楽だ。単純で、自分の感情を疑う必要がない。けどそうすべき相手が、意外な弱さを見せたり、ナイーブな内面をさらけ出したりすると、それほどシンプルな話ではなくなってしまう。

 それまで平面的でのっぺりしていた対象が、立体感を持ち、急に現実的な存在に変わる。すると純度の高い憎悪や嫌悪を向けることができなくなる。葛藤が生まれるのだ。


 葛藤は、嫌いだ。たいていの場合、いくら考えてもはっきりした答えが出ない。解決が見えない。


 俺の視線に気づいたのか、ゼンは一度顔をそらして息を吐き、こちらを向いた。

 あの表情は消えていた。


 遠くから、耳ざわりな音が響く。

 サイレンだ。


 ゼンが立ち上がる。そして畑のほうへ歩き出しながら、言った。


「行こう、今、警察と遊ぶつもりはない」


 おいトラックはどうするんだ、そう言いかけた俺に、歩きのほうが彼らをまきやすい、と答えて、ゼンは暗闇の広がる畑に入っていく。俺はまだ現実感を取り戻せていなかったが、この場に残る気にもなれず、ヤツの背を追いかけた。




「彼らが狙ってたのはボクじゃない、君だ」


 月明かりとゆるやかな間隔で立つ街灯が弱々しく照らす夜の国道で、前を歩くゼンに、あのトラックの連中はあんたを殺そうとしたのか? と聞いた。だがゼンの回答は、予想とは違うものだった。


「なんでだ? どうして俺なんだよ」


 ゼンが俺を振り返る。「君も、サヴァイバーだからだ」


 そうだ、さらわれたらしいケンジ、アイリと同じく、俺もディアーボに襲われながら生き延びた1人だ。だから、なおさらわからなかった。


「じゃあ、なぜ殺そうとしたんだ? ケンジたちはさらわれて、どうして俺はロケットランチャーで撃たれなきゃならないんだよ」


 ゼンが小さく肩を揺らして笑った。「君が、覚醒したからさ」


 覚醒、という言葉が耳に入った瞬間、俺はびくんと体を震わせた。震えてしまった、というほうが正確かもしれない。言いようのない怖さを感じた。一方で、ゼンの話の先を早く聞きたいという、激しい衝動に駆られた。


 目を細め、俺の反応を見て楽しむような表情を見せながら、ゼンは続けた。


「君ももう気づいてるはずだよ、自分におとずれた異変にね」


 ヤツの言うとおりだ、俺は気づいてる。

 自分の中で、何かが起こってることに。


「わかってると思うが、トラックの3人組は、病院に押しかけてお友達をさらった非常識な連中の仲間だ、連中は異常な速度で車を追ってくる君を見て、『覚醒者』だと確信した、それであの、おそらく追手に備えて待機させてたトラックの奴らを呼び出した、

 君を、生け捕りにするためにね」


 生け捕り? ロケットをぶっ放しておいて?


「ああそうだよ、

 でも、たぶんだけどね、生け捕りは最優先じゃなかった、もっとも優先すべきは追手の排除だったんだろう、だから殺すつもりで撃ったのも間違いない、

 けど、妙な言い方になるが、殺す気でいながら、それを望んでたわけではないんだよ、このニュアンス、伝わるかな、

 つまり、君を試したのさ」


 試したってどういうことだ?


「当たり前のことだが彼らはただの下っ端だ、拷問で情報を奪われる前に舌をかむなんてよく仕込まれているとは思うけどね、それでも、使い走りには変わりない、

 彼らに誘拐を命じた人物がいる、目的はディアーボの襲撃からの生存者……サヴァイバーの確保だ、もっと厳密に言えば、サヴァイバーのポテンシャルの入手だね、

 だから、さらわれたお友達がまだ覚醒してないとすると、彼らにとって君が誰より価値あるサヴァイバーだった、

 ここまではわかる?」


 わからない、と俺は答えた。わかるわけがない、だっておかしいじゃないか、俺があいつらにとってケンジたちよりも価値ある存在なら、なんでロケットを撃つんだよ?


 そのとおり……ゼンはそう頷いてから、だが、と続けた。


「言ったろ、奇妙に聞こえるかもしれないけどねって、

 さっきの時点で、君はもっとも価値あるサヴァイバーだった、なにしろ噂ばかりで実際に確認されたことのない、覚醒者だとわかったわけだからね、連中のボスからすれば喉から手が出るほど欲しかったはずだ、

 でも同時に、君は誰より危険でもあった、覚醒者の本当のところなんて彼らは知らないからね、まあ知る者なんておそらくいないけどさ、ボクを除いてはね、

 だから彼らからすれば恐ろしくもあった、それでも生け捕りにしたい、けど下手をすると返り討ちに遭い情報が漏れるかもしれない……ボスが考えたのはそんなとこだろう、ボクの正体には気づいてないと思うが、君と行動をともにしてるわけだからね、刑事や教師とは考えないはずだよ、

 それで、2人まとめて殺すつもりで襲わせたわけだ、しくじった場合の自害まで命じてね」


 ちょっと待て、さっき言ったサヴァイバーのポテンシャルってどういうことだ? それに、覚醒者って、何なんだよ?


「あのマフィアが、いや彼らにかぎったことじゃないが、あのての連中が欲してるのは、パワーだ」


 パワー?


「自分の欲望を実現するちからということさ、やりたいことを叶えるための手段、と言ってもいい」


 どういうことだよ?


「わからないかい、サヴァイバーやディアーボが、その手段ということだ」


 もっと簡単に話してくれ、俺たちや、それにディアーボを、子分にでもしようっていうのか?


「まあ、おおざっぱに言えばそういうことだ、つまり兵器だね、

 彼らは、圧倒的な破壊のちからを欲してるのさ」


 兵器……ディアーボはわかるよ、1匹で何千人も殺せるようなヤツらだからな、あの連中なんかじゃ絶対に捕まえたりできないと思うけどさ、

 でも、俺やケンジやアイリは……


 そこまで言って、俺は気づいた。


 ゼン――こいつも、俺たちと同じ、ディアーボの脅威からの生存者だ。

 この男の、人間離れした身体能力と戦闘力は、疑いようがない。

 ゼンは、掛け値なしの怪物だ。


 けど、それじゃ俺は?


 急に黙り込んだ俺の様子で察したのか、ゼンは微笑みを浮かべて頷いた。


「そう、君やお友達も、ボクのようになれる可能性があった、同じサヴァイバーだからね、

 そして、君は覚醒した、自分でもわかってるだろ、君はもう、普通の人間じゃない」


 ゼンの言うとおりだ。俺は薄々理解してた。ヤツが病室に現れてから今までの間に浮かんだ数々の疑問、そのいくつかに、いま答えが出た。


 医者も驚く異様な回復力、飛ぶように走るゼンに劣らない脚力、間近から飛来するロケット弾を視認できる動体視力……


 俺も、常識を超えたちからに、目覚めたのか?


 呆然とする俺に向かって、ゼンが、嬉しそうに笑みをつくる。

 そして、両手を広げて、言った。


「ようこそ、美しき強者の世界へ」

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