第10話「2週後」

 2週間が経った。


 俺たちが遭遇した富士山麓での大虐殺は、その日のうちに、これ以上はないほどの衝撃をもって大々的に報じられた。


 警察は当初、かたくなに事件の情報を隠していた。だがどこまでも追及をやめないメディアが、連日、さまざまなソースからの情報をテレビ、新聞、インターネット上で流し続けた。それらの報道は人びとの不安をあおる不穏な見出しやナレーションとともに、事件が黒い怪物――ディアーボのしわざだと指摘した。


 そのため事件から3日も経たないうちに、警察、そして政府は、ある程度の事実を認めざるを得なかった。


 それでも被害者の情報は、遺族への配慮という名目のもと、公けにはされなかった。おかげで俺、アイリ、ケンジの顔と名前が、ネットをはじめメディアに流れることはなかった。


 ケンジとアイリは、やはり誘拐されていた。どういうツテかわからないが、ゼンが、病院関係者に極秘裏に確認をとったのだ。


 俺はあの病院をふたたび訪れてはいない。大勢の、おそらく裏社会の人間が、夜間に押し寄せ、少なくとも俺の病室のガードにあたった警官と看護師の女性が襲われた。

 さらに俺たち3人の患者が消えたとなれば、病院には、警察が厳戒態勢を敷いてるはずだ。ゼンが返り討ちにした、RPGで急襲してきたマフィアの遺体もそのままにして俺たちは行方をくらましたため、病院に足を運ぶのは賢明とは思えなかった。


 事件後、姉貴には1度だけSNSで連絡を入れた。俺のケータイは樹海の穴の底だから、ゼンのスマートフォンを借りた。電話はしなかった。理由はよくわからない。ただ、余計な心配をかけたくなかった。どんなに平静を装っても、声には何らかの動揺や変化が表れてしまう気がした。それに姉貴の声も聞きたくなかった。


 姉貴はあまりテレビを観ないが、それでも日本中を震撼させている「ディアーボ出現」のニュースを目にしてないとは考えにくい。しばらく家に帰らない、そう告げる俺の声を聞いて、俺と事件とを結びつけたりしたら、姉貴は電話の向こうで泣き崩れてしまうだろう。


 姉貴の泣き声は聞きたくない。

 あの声は俺に、おふくろの病室に駆けつけたあの日を思い出させるはずだからだ。


 当然のことだが、樹海の街で起こったディアーボによる虐殺は、国内のみならず、世界からも非常な注目を集めた。

 外国にとって、富士山は日本の代名詞だ。その富士のお膝元で正体不明の怪物が暴れ多数の死者が出たことを、富士と日本列島が崩壊する様子を示した独特なタッチの風刺画とともに「日本の終わり」と短絡的に表現したヨーロッパのタブロイド紙も見られた。各国は日本国民と被害者、そして遺族に同情を寄せてはいたが、俺には世界が新たな怪物の出現に色めき立っているように見えた。


 だが人びと、とくに日本国民は、あるときを境に、急速にこの事件への関心を失っていった。

 

 いや、正確には、まったく別のニュースが、彼らの興味を新たに惹きつけたのだ。


 それは、事件からちょうど10日後の出来事だった。


 まだ高校生の俺はほとんど知らなかったが、ゼンの話では、ここ数年の間に、世界は急速に混迷の度合いを強めていたらしい。中東や北アフリカを中心に台頭した反欧米主義・暴力至上のテロリストたちが国家を樹立し、アラブの独裁国で長引く内戦が生み出した数百万の難民が地中海を渡ってヨーロッパへ押し寄せ、EU各国は対応をめぐり足並みがそろわず不協和が大きくなって、その余波から世界情勢は不透明さを増していた。


 そんな中で、世界中に保護主義の機運が高まりつつあった。テロや難民、経済不況から来る失業の不安や雇用待遇悪化への不満などから、どこの国民の間にもナショナリズムが広がり、干渉を強める隣国に対する武力行使をためらうべきではない、といった過激な主張が聞こえたりした。8年ぶりの大統領選に沸くアメリカでは、当初ピエロ扱いされていた初老の実業家が、代名詞である暴言の語気の強まりとともに、急速に人気を伸ばしていた。


 深まるばかりの世界の混迷に決定打を与えたのは、ディアーボだった。6月のマナウスでの事件を受けて、いくつかの国の高官が、ディアーボの生物兵器説をとなえて、経済、軍事面で競争・敵対する隣国をほとんど名指しに非難して話題を呼んだ。各国の政治家はディアーボのショッキングな出現を巧みに利用しようと画策した。自国の平和を乱す憎むべき怪物の、その正体はおろか痕跡さえつかめないでいる警察や政府関係者を激しく責め立てる野党が相次いだ。


 ディアーボを自己の利益のために利用しようとたくらむ者は政治家にかぎらなかった。突飛な終末論を掲げ低所得の高齢者を中心に信者を拡大していたアメリカのある新興宗教団体は、マナウスを襲ったディアーボの出現を「世界の終わりの暗示」として、いち早く、大々的に扱った。彼らは8月のベネズエラでの事件の際にもすばやく動き、団体の経典の一部分がディアーボ襲来を予言していたとして大きくアピールした。この組織の戦略は各国の大小さまざまな宗教グループによって模倣され、国内にも怪しげな団体がいくつも台頭した。


 しかし日本ではその多くは、大多数の国民から鼻で笑われただけだった。当たり前だ。人びとはそこまで馬鹿じゃない。これまで遠い外国での悲劇として、紛争や飢餓のニュースと同じように眺めてたディアーボの存在が自分たちの国でも確認されたからといって、いきなり神にすがりついたりはしない。一定の入信希望者は生まれたかもしれないが、大多数の人びとは、それでもまだ、以前までと変わらない日常を守ろうと努めていたはずだ。


 だが、ある日、状況が変化した。

 それが、事件から10日後のことだった。


 その日の夕方、小さな政治結社を率いる1人の青年が、渋谷駅前の交差点で演説を行なった。青年は山梨でのディアーボの事件に過度に寄りかからず、日本社会

への想いと現状に対する違和感とを切実に訴え、おもに若年層から多大な支持をもって受け入れられることになった。

 演説は、「社会を支配する、変化を好まない既得権益層」を攻撃し、若者の手にパワーを取り戻そう、という刺激にあふれた扇動的な内容で、SNSでの動画拡散によりほとんど瞬時に、日本中に広がった。

 

 その男が、ナガミネワタルだった。


『皆さん、渋谷の皆さん、俺はナガミネと言います、今日は俺の話を少し聞いてほしい、

 俺は23になったばかりの、大人から見れば若造で、大学にも行ってないけど、自分で商売したこともあるし、今も誰にも頼らず何とか食っていけてる、でも本当に、何とかってところです、生活は楽じゃない、

 それでも1人で食っていけるだけマシなほうです、まわりの若い連中はみんな苦しんでいます、知人には大学に進んだヤツもいるけど、学校の勉強は退屈で、日々の暮らしに刺激はなく、就職しても大企業以外だと昇給は期待できず、上司もアホばかりだ……そう嘆く連中が多い気がします、彼らは、この国で生きていく自分の未来に、希望を感じることができないのです、

 俺は当初、そういう状況が理解できませんでした、日本は世界屈指の豊かな国のはずです、中国に抜かれはしたけどGDPは5兆ドルで世界3位だ、5兆ドルなんて、どれほどなのか見当もつかない、そうでしょう? 地球に200近くある国の中で、こんな小さな島国が3番目に多く富を生んでるんだ、奇跡みたいな話です、なのにこの国は、それも若いヤツほど、絶望してるように俺には見える、どうしてだ?」


 ナガミネは薄手のジャケットにジーンズというラフな格好で、健康的に日焼けした、首の太い、精悍な印象の男だった。マイクを片手に立つトラックの荷台から、ロータリーで誰かを待つ人びとやセンター街に足を向ける若者、帰宅ラッシュに向かうサラリーマンたちを見下ろす目つきは鋭かったが、濃く長い眉毛は情熱的な雰囲気をたたえていて、ゆっくりして落ち着いた口調で発せられる伸びやかな低い声は、耳を傾けずにはいられないある種の魅力をそなえていた。


 俺はともに山梨を出て姿をくらましているゼンのスマートフォンで彼の映像を観たのだが、視聴者の1人が撮影しネットに投稿したその不鮮明で手ブレのある動画でも、最初から最後まで、ナガミネの話に引き込まれた。

 現地で彼を目撃した群衆は、俺が感じたよりもはるかに強烈に惹きつけられたに違いない。


 演説が進むにつれ、ナガミネの声はエネルギーが高まり、抗いがたいものになっていく。


『高校のクラスメートで、ハタチで結婚して去年かわいい女の子を生んだ友達がいる、このあいだ結婚式以来に会った彼女は、再会するなり将来への不安を口にした、体じゅうに溜まった未来への恐れが制御を失って口からあふれ出てしまったみたいだった、

 カフェで出されたオレンジジュースをひと口飲んだ後、膝の上ですやすや眠る我が子をじっと見つめながら彼女は喋り始めた、最初のひと言は、つらい、だった、

 この子をお腹に宿したときは本当に嬉しかった、自分も彼もお給料は少ないけど仕事もあったし、狭いわりに家賃の高いアパートだけど、なんとか払いながら、この子を育てて楽しくささやかな幸せを感じられたらそれでいい、そう思ってたのに、保育園に入れなくて、近くに頼れる身内もいなくて、仕事を辞めるしかなかった、しがみつくほどの職ではなかったけど、失ってみるとそのありがたみがわかる、今は仕事なんか探してる時間的余裕がない、お金も楽じゃないけど、時間がないのがとにかく苦しい、この子のことはとても大事だけど、でも24時間ずっと一緒にいるのはしんどい、ひとりの時間がない、夫婦の時間もない、妊娠する前は裕福じゃなくても子どもが2人は欲しいと夫婦で話してたけどとんでもない、2人目は諦めてる、この子だってどれだけしっかり育てられるかわからない……彼女はそういうことを淡々と語りました、

 俺は、恋人も、もちろん妻子もいない、だから彼女の本当の苦しさはたぶんわかってない、でもこれだけは言えます、

 子どもは、未来の宝だ、人類という種族全体にとって、何より優先されるべき未来そのものなんです、

 そして、自分がそうだから言うわけじゃないけど、社会を引っぱるのは若い人間であるべきなんだ、いま俺の話に耳を傾けてくれてる、あなたや、君のような、そして俺もだけど、若いみんなが社会をリードしていかなきゃいけないんだ、自然界だってそうだろう? 動物の世界を想像してみてくれ、サバンナを駆けるゾウやヌーやインパラの群れ、なんだっていい、彼らを野生の危険から守るのは何よりも体力だ、力だ、違うか?

 若さだ、エネルギーだ、それが自然界のすべてなんだ、人間だってもとはアフリカの大地から生まれたわけで、野生に育まれてきたんだ、

 それが今やどうだ、社会を見てみろ、日本を見てみなよ、政治も、企業も、学校も自治体も地域コミュニティも、どこもかしこも老人がのさばってる、老い先みじかい年寄りが、旨みを、富を握って放さない、こんないびつで不自然な社会を我慢してるのは人間だけだ、ちょっと小突けば簡単に倒れてしまう弱々しい老人に、連中が金と地位を持っているというだけで、腕力と可能性に満ちた若者が従ってる、抑えつけられてる、そんなのふざけてると思わないか? みんなは平気なのか?

 俺は無理だ、平気なんかじゃない、我慢なんかできない、する意味もないと思ってる、

 取り戻すべきなんだ、若い俺たちの手に、何をだ? 力をだ、

 金、地位、権力……そんなものはどうでもいい、俺たちが奪い返すべき力は、ルールだ、

 どんなルールかって? 自然界のルールだ、当たり前の秩序だよ、肉体の強い者が勝つ、経済じゃない、政治じゃない、

 それらは複雑で入り組んでる、いいか? 複雑なものにはたいてい既得権が隠れてる、巧妙に、意図的に複雑にされてるんだ、複雑なものは疑うべきだ、そこには必ず既得権が絡んでるからな、

 俺はシンプルなものが好きだ、原則はいつだってシンプルであるはずなんだ、強い者が勝つ、弱者は狩られ食われる、ルールはそれだけで十分なんだ、

 これは俺の意見なんかじゃない、そういうものなんだ、事実ということだよ、地球の、いや地球を含む宇宙すべての真実なんだ、

 今はその真実が歪められてる、歪められてるんだ、富と欲望にまみれた年寄りたちによってだ、子どもたちの未来より目先の利益を、自分の欲求を優先する連中によってだ、

 俺はそんなバカげた現状は変えるべきだと思う、破壊して、イチから作り直すべきだと確信してる、みんなはどうだ? そう思わないか?』


 ナガミネの演説に関して、俺はいくつかの視聴者投稿動画を閲覧した。それぞれ、当たり前だが異なるアングルから撮影されていて、ナガミネだけでなく、彼のそばに立つ支持者と思われる数名の男性や、トラックのすぐ下から彼を見上げる群衆の顔が映っているものもあった。

 

 マイクを握りしめ、身ぶり手ぶりを交えて語り続けるナガミネを、しきりに袖口で顔をこすりながら見上げる若い男女が何人も見えた。彼らは涙を流しているようだった。ナガミネが用意したサクラではなさそうだった。根拠はない。ただ、すぐ目の前で情熱的にメッセージを訴え続けるナガミネを前にしたら、ああなるのも無理はない、そう思った。

 

 当初は、うさんくさいヤツが出てきたな、といぶかしく感じながら視聴を始めた俺も、1分も経たないうちに惹きこまれたからだ。ゼンは、画面の向こうのナガミネではなく、彼の動画に見入る俺を、興味深そうにまじまじと見つめていた。


『我慢ならない例はそこらじゅうにあふれてる、何でもいい、そうだな、こんなのはどうだ、歩きタバコだ、

 歩きタバコしてる連中を見てみなよ、たいがいが年寄りだ、俺は郊外に住んでるんだけど、近所でこんな光景を目にした、

 よく晴れた休日に、じいさんが2人、タバコを吸いながら歩いてた、じいさんたちは何の話かゲラゲラ笑い合ってて、向かいからやってきた親子とすれ違うとき、彼らの手にあるタバコの煙が、ベビーカーに眠る小さな、本当に生まれたばかりのようにかよわい赤ん坊の顔を包んだ、

 我が子の健康を1番に考える母親は当然嫌な顔をして、ベビーカーを押してさっと2人から離れようとした、そこに車が飛び出してきて、危うく母子を轢きそうになった、

 ブレーキ音が響いた、もちろん親子は助かったが、母親はその場にへたり込み、気持ちよく眠っていた赤ちゃんは目を覚まして泣き声をあげた、

 俺はその一部始終を見ていたけど、原因になったじいさん2人はブレーキ音の後1度だけ振り返ってすぐに行ってしまった、驚くべきことに親子に声すらかけなかった、

 これは極端な例かもしれない、俺の感情もいくらか入ってしまってるから、もしかしたら無意識に誇張されてるかもしれない、でもそんなことは重要じゃない、重要じゃないんだ、

 考えなきゃいけないのは、これに近いことが、あちこちで起こってるってことだ、違うか?

 それに、例のアイツだ、そうだ、ディアーボだよ、みんな知ってるよな、あの怪物はいよいよ日本にもやってきた、たった10日前、富士山のふもとの町で、100人以上の人びとが無残に命を奪われた、でも警察は、政治家は、自衛隊は、何をしてくれた? 連中は、不安と恐怖でおびえる国民に、いったいどんな対策を示してくれたんだ?』


 ナガミネが語気を強めてそう語りかける頃には、観衆のあいだから、一切の音が失われていた。彼の発言に引き込まれた若者たちは、物音ひとつ立てずに、じっとナガミネを見上げていたのだった。

 俺が視聴した投稿動画でも、演説のクライマックスであるこのあたりになると、カメラの位置が下がり、すぐ後ろに立つ別のオーディエンスの体や、撮影者自身の足が画面に映るものが多く見られた。ナガミネにスマートフォンを向けて撮影していた人が、話に夢中になるにつれ、掲げていたその手をだらりと下げたらしかった。


 ナガミネの口調は激しくなる一方で、ほとんど怒号に近いものになっている。


『俺は確信してる、あの怪物、ディアーボは、近いうちにまた必ず姿を現すだろう、ヤツにとって、いや、あいつらは1匹じゃないらしいからな、ヤツらにとって、人間なんて弱っちいエサみたいなものなんだ、

 狭い国土に人びとがひしめくこの国なんて、ヤツらからすれば最高の餌場だ、そんな場所を見つけて放っておくわけがない、きっと大挙して押し寄せてくるぞ、

 そのとき、誰が、君たちを守ってくれる? 警察か? 自衛隊か? それとも在日米軍か?

 誰も守ってくれない、これは俺の直感だけど、ディアーボは軍隊も歯が立たない、警察の捜査も意味がない、連中は山梨のあのバケモノを倒すことはもちろん、ヤツがどこからやってきたのか、そしてどこに消えたのかさえつかめないだろう、

 今、日本を動かしてる、無能なアホどもには無理なんだ、あいつらには俺たちをディアーボから守ることなんてできない、しようとも思ってない』


 傾く西日が照らす平日の渋谷で、異様な雰囲気に包まれて行なわれた演説を、ナガミネは、こういう言葉で結んだ。


『日本は、そして世界もだが、大きく変わるべき時期に来てる、もうこれまでのやり方じゃダメなんだ、

 俺は、変えようと思う、腐れた老害どもが支配するこの国を、若い人間の手に取り戻す、本来あるべき形に戻そうと思う、

 だから見ていてほしい、俺はそう遠くない未来に、必ず行動を起こす、そのときを、どうか心待ちにしててくれ、

 いいか、忘れないでくれ、これからは俺たちの時代なんだ、若いエネルギーに満ちた俺たちが、この国を、社会を、作り直していくんだ、

 そこの君も、君も、ああ、君もだ、

 俺たちが、未来を変えるんだ』


 冷静に見れば、ナガミネの主張にはいくつも穴がある。突飛で、感情的だし、彼が指弾した政治家や警察と同じように、ディアーボに対し何ら具体的な対策を示していない。小規模な政治結社を率いているらしいが、その政策や行動理念にさえ触れていなかった。


 だがナガミネのスピーチは、聴衆から冷静さを奪った。心をわしづかみにし、力ずくで引き込んで、逃さない。そういう、説明のつかないパワーがあった。


 たった1度の演説でディアーボの恐怖や将来の不安におののく人びとを虜にしたこの男――ナガミネの出現は、俺、ゼン、そしてケンジとアイリの運命を、大きく揺さぶることになる。


 けどこのとき俺は、まだ、そのことに気づいていなかった。

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