【三題噺】旅する牛飼いの善行

黄黒真直

旅する牛飼いの善行

お題「牛乳」「暗闇」「歩く」



「鬼だ! 鬼が出た!!」

 夕方近くのことだった。男達の怒号とともに、血だらけの村人が村に運ばれてきた。茅葺き屋根の家から、村長が顔を出す。

「早くこっちへ! おい、布を用意しなさい!」

 村長が妻に指示を出す。夫人は急いで綺麗な布を探した。

 担ぎ込まれた村人を見て、村長は顔をしかめた。彼は右腕と右足がなくなっていた。傷口からどくどくと血が溢れ、顔は青ざめている。意識は既にない。

「俺達は山の獣を獲っていたんだ」と男の一人が泣きながら言う。「そしたら突然鬼が現れて、竹蔵の腕と足を!」

「盗っていくなら鹿だけ盗っていけばいいのに、あいつら!!」

 別の男が怒りに手を震わせている。

「村長、竹蔵をどうにか助けられるか!?」

 男達がすがるように村長を見る。村長の夫人が布を結って止血を試みるが、うまく行かない。そもそも、既に血を失いすぎている。今さら血を止めても意味がない。

 これはもう助からないと村長は悟った。そのことを、彼らにどうやって伝えるか。村長がそう考えたときだ。

「何かあったのか?」

 家の外から聞きなれない声がした。村長が扉の外を見ると、そこに一人の若い男が立っていた。

 村の人間ではない。見慣れぬ格好は異国のものだろうか。大きな黒い帽子を深く被り、緑色の外套を羽織っている。彫りの深い顔立ちに、青い目が光っていた。

 だが彼を最も特徴付けていたのは、その格好ではなかった。誰もがその背後にいる、巨大な動物に目を奪われていた。

 体は白と黒の斑模様。四本の細い足が、その巨体を支えている。縦長の顔には、大きな鼻と小さな目がついている。真っ黒な目が、人間達をじっと見つめていた。

「なんだその生き物は」

 村人の一人が驚きの声を上げた。だがその正体を知る村長は、喜びの声を上げた。

「もしかして、それは牛か!? あんた、牛飼いだな!? 頼む、彼を助けてくれ! 鬼に襲われたんだ!!」

「鬼に……」

 牛を連れた男は、血だらけで倒れる竹蔵を一目見ると、すぐに牛の横に座った。男は外套から木の器を取り出すと、牛の後ろ足の付け根に手を伸ばした。そこには袋のようなものがついていた。男の伸ばした右手が、袋についた突起を握る。男が右手を絞ると、突起の先端から白い液体が勢いよく木の器に注がれた。

 男は器いっぱいに液体を搾り出すと、それを持って家に上がった。

 村人たちが見守る中、男は竹蔵の傷口に白い液体を注いだ。

 するとすぐに血が止まり、見る見るうちに腕が伸びてきた。指先まで綺麗に元に戻る。驚く村人たちの横で、男はさらに足にも液体を注いだ。右足が伸び、こちらも完全に再生する。

 最後に男は、竹蔵の口元に器をあてがうと、残った液体を彼に飲ませた。すると青白かった顔に血色が戻り、やがて目を開けた。

「竹蔵!」

 村人たちがすがりつく。

「俺はいったい……確か鬼に襲われて……」

「そうだ、だがこの人が怪我を治してくれたんだ!」

 村人たちは男に感謝を述べた。

「だが、あんたのあの生き物、いったいなんなんだ? それに、あの白い液体は?」

 男は帽子のつばを下げると、

「あれは牛だ。牛の乳には、人間の怪我や病気を治す力があるんだ。私は牛とともに旅をしているんだ」

「そうだ、聞いたことがある」と村長。「世の中には、牛を連れ歩き人々を助けている集団がいると。あなたはその一員というわけだな」

「ああ」

 そして男は、頭を下げた。

「私の名前はアル。今夜はこの村に泊まらせて頂きたい。もちろん、礼はいくらでもする」

 村長はアルの手を掴んだ。

「もちろんですとも! ぜひ、泊まっていって頂きたい。病気で苦しむ者が、何人もいるのです」


 翌日アルは、村長に案内されて村を回った。行く先々で、牛乳を使って村人たちに治療を施した。

 ある家では、若い夫婦が幼子をあやしていた。村長がアルを連れてくると、夫がすぐに立ち上がって、アルにすがりついた。

「ああ、アルさん。助けてください。うちの女房は、子供が産まれたってのに乳が全然出ないんだ。このままじゃ、子供が飢え死にしてしまう。どうが治してやってくれ」

 アルはいつも通り、木の器に牛乳を搾り出した。それを女の乳房に注ぐ。牛乳を拭いてやると、

「これで乳が出るようになったはずだ」

 女は恐る恐る、幼子の口を自分の乳房にあてた。すると、幼子は口をもごもごと動かした。乳を飲んでいるのだ。

 夫婦は顔を見合わせ、笑顔で喜びを共有する。二人は深々とアルに頭を下げた。

「ありがとう。あんたのおかげで、うちの子が死なずに済みそうだ」

「大したことはしていない」

 アルはそれだけ答えて、踵を返した。村長とともに家を出る。夫が家の外までアルを見送りに出てきた。

「本当にありがとう。しかし、それにしても不思議な生き物だ」

 夫は牛をまじまじと見つめた。牛は夫の視線などどこ吹く風で、尻尾を揺らしている。

「いったいどうして、こいつの乳にはあんな力があるんだ? それに噂じゃ、牛は子を産まなくても乳が出るのだろう? いったいどういうわけなんだ?」

 アルは質問に答えなかった。小さくはにかんで会釈すると、次の家へ案内するように村長を促した。


 村に数日滞在したアルは、旅を再開した。牛の背に荷物を載せ、自分もまた大きな荷物を背負う。村長に隣の村への道を教わると、村人たちに惜しまれながら村を後にした。

 こうやって村から村へ渡り歩き人々を救うことが、アルが自分に課した使命だった。


 次に訪れた村で、アルはまた騒ぎを聞きつけた。

 騒ぎの方へ行ってみると、一軒の家の前に人々が集まっていた。家の中からは、赤子の泣き声や男の怒声が聞こえてくる。

 アルが近づくと、巨大な動物を連れた異様な人物の登場に、人々が思わず道を開けた。アルはその間を通り、家の中に入った。

「何かあったのか?」

「な……なんだお前は!」

 家の中には四人の人間がいた。ぐったりとしたまま泣いている女と、顔を赤くしている男。恐ろしさに震えている老婆と、そして産まれたばかりの赤子だった。

「私は牛飼いだ。誰か、牛飼いのことを知っている者はいるか?」

「牛飼いだと?」男が言った。「聞いたことがある。どんな病気でも怪我でも治せる人達だと。だがこれは……」

 男は両手で赤ん坊を担ぐと、アルの顔の前に突き出した。

「だがこれは牛飼いごときにどうしようもない! こいつは鬼子だ! 俺の女は、鬼の子を産んだんだ!! このあばずれがッ!!」

 赤子は、両手両足がおかしな方向に曲がっていた。頭の形も異常だ。

 へその緒が切れたばかりの赤子は、叫び声を上げながら、うまく動かない四肢を動かしていた。

 この子は生きている。もし本当に鬼の子なら、人間の腹に宿っても産まれる前に死んでいる。アルは、頭にかっと血が上るのを感じた。男から赤子を奪うと、

「この子は鬼などではない! 私に治療させろ!!」

 赤子を慎重に老婆に預けると、アルはすぐに牛から牛乳を搾り取った。それを赤子の全身にかけてやる。

 すると見る見るうちに両手足の歪曲が治った。頭の形もよくなった。見た目はもう、健康な人間の赤子そのものだった。

「どうだ、これでもまだ、鬼子などと言うのか!」

 アルは赤子の父親に怒鳴った。

「この子はただの人間だ! 外見が普通と違うなんて理由で、鬼などと呼ぶな!!」

 父親は拳を握り締め、顔を紅潮させていた。地団太を踏むと、足音を立てて家から出て行った。

 村人たちが、遠巻きアルを見ている。母親と老婆も、畏怖のこもった目でアルを見ていた。その視線にアルは気付き、気まずそうに帽子を深く被った。

「怒鳴ってすまない」

「いえ、その、ありがとうございます」

 と母親は頭を下げた。

「申し訳ないのだが、この村に泊まれるところはないか? もちろん、礼はいくらでもする」

「あ、そ、それなら、村長の家が」

 動けない母親と老婆の代わりに、村人の一人がアルを村長の家に案内した。

 牛飼いが来たと知った村長は、喜んでアルを迎え入れた。

 村長の家は狭かったが、客を受け入れる余裕はあった。アルには庭に面した一室を与えられた。アルは庭に牛を繋いで、村長の家で一晩過ごすことにした。


 その夜のことだった。暗闇の中から興奮した牛の鼻息が聞こえ、アルは目を覚ました。部屋の外に誰かがいるようだ。アルは息を殺して暗闇に目を凝らした。

 そのとき、突然庭に続く障子が開けられ、三つの人影が部屋に飛び込んできた。それぞれに小刀を持っている。

 アルは素早く立ち上がった。人影はアルを囲い、一斉に襲ってくる。

 右側から襲ってきた小刀を避け、その腕を掴む。相手の勢いを利用して、別の影に投げた。その隙に残りひとつの影がアルの背中を刺そうとしたが、アルは半回転してその刀を蹴り飛ばした。アルは身を屈めてもう一回転し、相手の足を払う。

 最初に投げられた影が体を起こし、アルに再び襲ってくる。アルはその腕を絡め取り、小刀を奪った。相手の腕を締め上げたまま、まだ小刀を持っている影に刃先を向ける。

「まだやるか?」

 相手は一瞬躊躇った後、庭へ飛び出していった。刀を失った二人も、そのあとを追うように逃げていく。

 アルは興奮で息を上げたまま、庭を睨んでいた。

 いまの三人は、この村の者だろうか。どうして自分を襲ったのだろう。まさか、あれがばれたのだろうか。

 アルは混乱していた。


 翌朝、牛乳を飲もうとしたアルは、乳の出が悪くなっていることに気がついた。そうか、そろそろか、とひとりごちる。

 それからアルは、昨晩のことを村長に告げた。村長は驚いて客室に入り、壁に刺さったままの小刀を確認した。

「こ、これは磯吉のものだ。あ、あいつ、牛飼い様になんてことを……。それで、もう一本の刀はどこに?」

「もう一本?」

 アルは首を傾げた。そして、外套にくるんでおいた小刀を取り出した。

「確かに、彼らはもう一本刀を落としていったが、どうして村長さんがそれを知っているのだ?」

 村長の顔が、さっと青ざめた。唇がわなわなと震えだす。

「そ、そんなもの! 昨夜の騒音を聞いていれば、何人も賊が入ってきたのだと察しがつく!」

「音が聞こえたのか? なら、どうしてその時点で私を助けに来なかった?」

「なっ……いや、俺は……」

 ようやくアルにも事情が飲み込めた。アルを襲うように指示したのは、この村長なのだ。あるいは、村長自身があの三人の中にいたのかもしれない。

 村長はその場に土下座した。

「すまない、許してくれ! この通りだ! もう二度とこんなことはしない!」

 アルは困惑した。この村長は、アルが自分に何かすると思っているのか。やはり、ばれているのか。

「いや、大丈夫だ。私はあなたに何も危害は加えない。だが、そうだな、ひとつ教えてくれないか」

「ああ、何でも教える!」

「どうして昨晩、私を襲ったのだ。私を殺して、どうするつもりだったのだ。私はそれが知りたい」

 すると村長は、呆けた表情で顔を上げた。そんなこともわからないのか、という顔だ。

「なぜって、それはもちろん、あの牛を手に入れるためだ。あんたは旅の者なのだろう? あんたがこの村を出て行ったら、もう牛乳が手に入らなくなる。この村には医者がいない。今まで何人もの村人が、怪我や病気で死んでいった。あんたを殺してあの牛を手に入れれば、もう村人を死なせずに済むんだ」

 その回答に、アルは愕然となった。

「私を殺して、牛を? そんなことを考える人間がいるのか?」

「ああ、申し訳ない! 本当にすまなかった!!」

 村長はまた床に頭を擦りつけた。しかしアルに、その言葉は聞こえていなかった。


 その朝のうちに、アルは村を発つことにした。村人たちも村長も、何度もアルに頭を下げて詫びた。アルはそれに背を向け、森へと入っていった。

 牛の乳の出が悪くなっている。旅を再開する前に、まずはそれを治さないといけない。

 いつぞやの村人が言っていた言葉を思い出す。

「噂じゃ、牛は子を産まなくても乳が出るのだろう?」

 それは嘘だ、とアルは呟く。本当は、牛といえど子を産まなければ乳は出ない。この噂は、アル達がわざと流した嘘の噂だ。

 どうして嘘を流したのか。それは、乳を出させる方法に理由がある。牛が、普通に牛との間に子を成しても、力を持った乳は出ない。あの乳を出させるためには、牛に鬼を産ませなくてはいけないのだ。

 アルはおもむろに服を脱ぎ出した。外套を脱いで、帽子も取る。アルの頭の上には、小さな角が二本生えていた。

 アルは牛と行為を始めた。牛の中に精を放つ。

 牛の腹は数日で膨らみ始めた。十日ほどで、一頭の子を生んだ。

 子は、人間の体に牛の頭がついていた。アルが受け止めたとき、既に息はなかった。アルはその子を穴に埋めると、牛の乳を搾った。

 白い液体が、勢いよく器に出てきた。それを一息に飲み干す。


 アルは、鬼が嫌いだった。自分達のためだけに罪のない人間を襲う鬼が。アルと同じ気持ちの鬼達が集まって作ったのが、牛飼いという集団だった。彼らは世界中に散らばり、不思議な牛乳で人々を救うことで、罪滅ぼしをすることにした。

 だがアルは、前の村で知ってしまった。人間の中には、罪のある者もいることを。自分達のために他人を襲い、物を奪おうとする者がいることを。人間の中には、善き者も悪しき者もいるのだ。

 アルは自分が善人だと思っていた。鬼と人間との和平を望み、鬼の罪滅ぼしをする自分は、善い行いをしていると思っていた。だが考えてみれば、自分は死ぬとわかっている鬼の子を、何度も牛に産ませている。自分は何度も鬼を、自分の子供を殺しているのだ。これは善行なのか。そして、そうまでして救う価値が、人間にあるのか。

「わからない」

 アルにはまだ、何もわからなかった。そしてその答えを知るためにも、この旅を続けるしかないと、アルは思った。

 アルは顔をあげ、再び歩き出した。


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