第2話 ゴレンジョー(嬢)
賃貸契約を交わす前に、僕は事前に貰っていた地元の警察署の生活安全課への開業届出を提出しました。立地的には何の問題もないエリアだということは確認済だし、書き方は坪井氏に教わっていたので、もちろん1発通過です。
「今週末には1回見に行くからね」
数日後のお巡りさんの立ち入り検査までには、事務所と待機所の環境を早急に整えなくてはなりません。用意していた資金の100万円は、市街地のアスファルトに降る雪のように、あっという間に溶けてしまいました。内訳はこうです。
1、賃貸費2部屋分(初期費用含む):30万円
2、パソコン・電話・その他事務所と待機所の整備費:20万円
3、広告費:40万円
4、他必要経費(通信費・ガソリン代・雑費・アリバイ会社費用等):20万円
10万円ほど足が出たけども、まぁ、その程度は許容範囲内です。
コンビニ閉店時、僕には200万円ほどの貯金が残されており、それは以前訪販営業で稼いでいた時代の、僅かに残った儚いなごり雪でした。
降る時を知るなごり雪。
どうせ消えゆくなごり雪。
お金なんて本当はただの紙切れなのに、何で人間は自分も含めて、こんな薄っぺらい紙切れに縛られて生きてるんでしょうね?
僕は賭け事が好きなんで、自分でいうのも何ですが、それほどお金に対しての執着は強くないと思うのです。
いや、弱いというわけでもないな。
お金は欲しいし、好きだけど、もうみっともないほど自分のお金を守りに入る男って、いるじゃないですか?
そうではなく、言うなれば「使う時は使うタイプ」という感じ・・・?
あれば使うし、奢るし、全部なくなっても全然大丈夫。
多分それは、鉄火場での「自業自得な理不尽」に、僕が慣れているからだと思います。競馬場にしろ、パチンコ店にしろ、
「手元に物は何も残ってないのに、財布のお金は全て消えた」
ということが頻繁に起こる場所なわけで・・・。
そう、行かなければ今も、財布の中の1万円は健在だった。
買い物にでも行っていれば、かなりの品々が部屋に増えていたでしょう。
ところがそれを5万、10万にするべく、勝負に行ってしまった。
【取らぬタヌキの何とやら】で、結局自分に残ったのは、無駄に貴重なお金を溶かした時間の、苦い敗戦の記憶だけ・・・。
誰が悪い?
行った自分が悪い。
それこそ、誰を責めることもできない。
そう、賭け事なんてしないに越したことはないのかもしれない。
でも唯一、行く男の方が行かない男よりもちょっとイキになれる部分があるとすれば、それは「使うべき場面でお金をケチらず使える」ということ。
だって何も手元に残らずに、ただお金だけが消える・・・という自作自演の拷問に、慣れてしまってるんですもの。
だって(今日はオケラになったけど途中、一瞬の見せ場はあったよな)って程度で、消えたお金を納得できるんですもの。
だから本当は一気に200万円、使い切っても全然良かったんですが、万一全く売上げがなかった時のための半年分の家賃は、さすがに残しておくべきだと考えたわけです。
予定外に一気に借りたこの2部屋、さて、どこまで維持できるやら・・・。
荷物の搬入は、友人達の手を借りて2日間かけて行いました。
電話を引き、パソコンを設置し、ネットを繋ぎ、ソファー、電子レンジ、TVや棚を置き、カーペットを敷き、カーテンを設置し・・・。
更にはローション、ウェットティッシュ、アイマスク、デジカメ、画像撮影用の衣装、タオル、バスタオル、鎮痛剤からうがい薬まで・・・。
坪井氏のお店を参考に、恐らくは間違いなく必要になるであろうものを、片っ端から買い揃えました。もちろん、空気清浄機も2台用意、灰皿も大き目の奴を4個用意。
(・・・うん・・・上等やんか・・・)
オーナー目線で見渡して、しばしの満足感に浸る僕。
これを目にした5人の嬢達の喜ぶ顔が目に浮かびます。
季節は、春。
満足できる場所は確保し、宴の準備は整いました。お巡りさんの立ち入り検査もすんなりと終了し、僕の持つ、恐らくは最初で最後の風俗店は、もう開店を待つのみです。
(よしっ!花見の始まり、全員招集や!!)
「美人十音」のオープニングスタッフである嬢5人が初めて一堂に介したのは、オープンの1週間前。それは散った桜の花びらがアスファルトを彩る、三寒四温、小雨の日ことでした。
嬢詳細
愛子(24歳)
身長140cm、小柄で細身な癒し系美女。美容師の専門学校を卒業し、地元の美容室へ就職するも、店主にしつこく口説かれるようになり、嫌気が差して退職。その後バイトなどで何とか凌ぐものの、ほどなく貧困状態に陥り、風俗嬢として生活を賄うようになる。性格は至ってポジティブ・楽天的。ドがつくほどの天然であるが、本人は天然と呼ばれることを嫌う。ネットワークビジネスの仲間(女性)と同居中。借金有。
身長160cm、ちょっぴり太めのFカップ、猫科のフェロモン系。現在は退職して無職であるものの、潜在看護師であり、いずれそこへ戻るまでの僅かな期間にまとまった貯金を作るべく、面接を受けに来たそうだ(途中退職したので看護学校への授業料の返還がある)未経験ながら、風俗には特に抵抗がないらしい。気が少し強い。
志保美(30歳)
身長155cm、色白で肌が美しいバツイチ和み系、ちょっと太めのHカップ。浮気をして愛人の下へ走った旦那に復讐するべく、自身も出会い系サイトで彼氏を探したはいいものの、これがとんでもないクセモノで根こそぎお金を奪われ、借金まで背負わされるハメに。嬢達のお母さん的存在。
涼子(27歳)
身長153cm、Eカップの人妻。16歳の頃、実の父親に襲われそうになり、家出。以降、転々と店を替えながら風俗店を渡り歩く。ソープから箱ヘルまで、ほとんどのタイプの店を経たものの、多少打たれ弱く、1つの場所に留まることができない。1年前に結婚しているが、旦那は生活費をあまり家に入れず、借金の返済に追われている。
恵美子(21歳)
身長158cm、色白で目鼻立ちの整った正統派の美人若妻。中学卒業後にすぐ家出をし、バイトをしながら生きて来たそうだ。デートクラブに在籍していた過去があり、そこで知り合った現在の旦那公認で風俗に来ているという変わり種。競馬、パチンコ、パチスロと、何でも来いのギャンブルマニアである。ヘビースモーカー。
「オーナー、すごくいいじゃないですか~♬」
事務所開きに現れた愛子が、予想通りのすっとんきょうな声をあげました。他の4人もおのおの、お店の環境をすっかり気に入ったようで、ホッと一安心。
「よし、じゃあ皆、話し聞いてくれ。まず火の元だけは十分注意してな。タバコ吸う時は換気扇と空気清浄器、宜しく頼みます。床はくれぐれも焦がさないようにね!恵美子、大丈夫?」
「き・・・気をつけます」
「こ・・・心許ない返事やな。待機には、さっき見せた向こうのワンルームでも、この部屋でも、どっち使ってくれてもええから。オーナーへの愚痴や文句を言いたい時は向こう行ってくれてもええし、オーナーの話し相手になってくれるという優しい気分の時はこっち来てくれてもええし、ま、それは好きにしてくれ」
「オーナー!向こうのワンルーム、たまに泊まっていいですか?」
「愛子よ、これから仮にも風俗店するんやで?お前、遠足かなんかと勘違いしてへんか?ま、それはまた追々話すわ。お店は家主さんとの約束もあって、基本的には平日の昼間だけしか営業せえへんからな。土日祝はここ閉めるけど、お金に余裕なくて、どうしても週末にお客入れたいっちゅう時は、ちゃんと送迎するから事前に連絡してくれ。普段の通勤は面接で言うた通り、5人とも希望の地点まで俺が朝迎えに行って、帰りも送るからな」
「ほんまに行き帰り全部送迎してくれるんですか?私、東大阪ですけど?」
「するよ。東大阪は朝、ルート的に最後に乗せるから、涼子ちゃんは1番寝坊できるし、帰りも1番早く降ろすからラッキーやな。ちなみに1番しんどいのは志保美さんや。何せ泉北やからな。朝は7時台後半には迎えに行って、送って行くのは夜の9時前くらいになるかもやけど大丈夫?」
「あ、全然起きれるんで大丈夫です」
「帰り遅くなるんは?」
「交通費かからんなら深夜になっても送迎選びます!」
「確かに電車賃バカにならんもんな。結奈ちゃんは志保美さんの次に早くて次に遅いけど時間的に大丈夫か?」
「オーナーがセクハラしないなら平気です」
その発言の瞬間、僅かな静寂が訪れ、直後、一同の視線が僕に集中。
愛子が目を見開いて尋ねます。
「えっ!?結奈ちゃん、もうオーナーに何かされたん!?」
「えっ!?されてないけど?いや、一般論として・・・」
「おいおい、頼むわ!俺、何もしてないはずやのにドキッとしたがな!?」
そこですかさず恵美子が被せてまいります。
「ドキッとするってことは・・・結奈ちゃんに対してそういうたくらみが内心あるということですよね?」
「あのなぁ・・・そらお前・・・なくはないけどやな。・・・ってもうええっちゅうねん!とりあえず真面目に聞いてくれ!ハイ、コレ、全員分あるから」
それは僕がこの店を成功に導く為の、唯一の秘密兵器でした。
「仕事用の携帯電話をおのおのに用意したから、初回会えたお客さんとは以降それでやり取りして、うまいことリピーターにしてくれ。毎月広告はきちんと打つけど、こればっかりは水物やから電話が鳴るかどうかは運次第やからな。極力リピーターで回った方が、安心やし効率もええやろ?」
みんなが目を丸くします。
口火を切ったのは涼子でした。
「え・・・?そんなお店初めてですわ。これのアドレスとか番号をお客に教えていいってことですか?」
「そうや。風俗店では前代未聞かもしらんけど、営業会社では社員への携帯の支給は当たり前のことや。客よぉアドレスとか番号聞いてくると思うんやけど、そんな時いちいちプライベートの携帯教えてられへんやろ?そんでその携帯でやりとりして、向こうがいついつ来るとか今から来るってなったら、それはもうみんなが自分の営業力で呼び戻したリピーターなわけや。リピは取り分も1000円多くなるからな。だからちょっと面倒かもしれんけど、待機中にメールはこまめにチェックしてくれ。何なら自分からお客に営業かけてもええで?」
「送迎の車内で対応するのはいいんですか?」
「志保美さん、勤労意欲に満ち満ちとるな?もちろんや!ただし、この携帯はあくまでお店のもんやから、必ず車内か事務所に置いて帰ること。公私混同せず、あくまで仕事専用として使用すること。当然、電話代は店で払うけど、通話する時は必ず向こうからかけてもらうこと。あんまり高額になったら自腹切ってもらうからな。それと、お客さんにも平日の昼間しかメールの返事がでけへんことを先に伝えといてな。あ、ちなみに携帯だけで会う約束したらアカンで?向こうが会いに来るってなったら、必ずお店の電話を通じて指名なり予約なりしてくれって言うてな。ここはあくまで風俗店やからな。お客のけじめをなくさせたらアカン」
5人の嬢達は仕事用の携帯を支給されたことに皆ご満悦のようでしたが、オーナーの真意にまで思いを馳せている気配は皆無っぽかったので、再度説明。
「ええかみんな。顔が可愛いとかスタイルがええとかテクニックがあるとかは、嬢にとって二の次三の次や。君らは風俗嬢である前にまず営業マンなんや。扱う商品は「自分自身」。ほんでそこへお客さんを向けさせるのに大事なんは、普段来るしょーもないメールへのこまめで丁寧な返信や。お客はただHなこととか女の裸だけを求めて君らに会いにくるんやない。そこには疑似恋愛がないとアカン。「抜きゃあそれでいいんでしょ?」なんて味気ない女に小遣い叩いて会いに来る男なんておるわきゃないからな。いわばこれは心理戦や。上手に思わせぶりな女になってくれ!」
しばしの沈黙の後、5人はにやけながら顔を見合わせ、そして愛子は言いました。
「オーナーって・・・一応、ちゃんと考えてるんですね・・・?」
「・・・し、しばいたろか!?」
嬢おのおのが仕事用の携帯を保有する一。
それは、僕なりに男性心理を読んで考えた、まさに渾身の作戦でした。
お客さんにとって、風俗店の事務所に電話をして指名を入れるということは、決して容易いことではありません。
では嬢個人の携帯に連絡を入れるのであればどうでしょう?
それならば風俗慣れしていないお客さんも気安くメールなどできるでしょうし、うまくいけばそのやり取りの最中に、会いに行く意欲と欲求が刺激されることもあるかもしれない。それはつまり、来店へ至るハードルが物凄く低くなるということではないか一。
この読みはのちに大的中、数多のリピーターを生むことになったのですが、ただそれと同時に、やはり携帯を持ち帰って個人使用をする嬢や、何と拝借したまま消えてしまうような嬢もいて、弊害は小さくはありませんでした。
風俗に流れてくる子というのは、一筋縄ではいかないのです。
「質問ないなら渡した紙をおのおの見てな。ウチの店のルールや」
定めたルールは、ごく平均的なものでした。
美人十音・ルール
1、本番は厳禁(発覚時は解雇)
2、お客さんと個人的に連絡を取ること、店外で会うのは禁止
3、仕事用携帯の持ち出しと私用の禁止
4、仕事中の動画や画像の撮影は断ること
5、お客さんが薬物を使用した場合、お客さんに薬物を使用されそうになった場合は、速やかに店に連絡を入れてサービスを終了すること。その他、お客さんが事前に用意して持ってきたドリンク等は極力飲まないこと
(目の前で買ってくれたものならOK)
6、お客さんが車の場合は、必ず事前に聞いた車種とナンバーと照合してから乗り込むこと
7、店への電話は、会えた時、入室した時、お客さんと別れた時に必ず入れること。入室後はホテル名と部屋番を必ず伝えること。終了10分前にお店から電話を入れるので、その電話には必ず出ること
8、事務所や待機所への部外者の立ち入りは厳禁
9、休む場合は前日でも当日朝でもいいので必ず連絡を入れること(ドタキャンはOK、無断欠勤は厳禁)
10、車内やホテル入室後において、身の危険を感じたら着のみ着のまま、迷わずに即座に逃げること
「さっきの愛子の質問への答えやけど、8に書いてある「部外者を招き入れへん」ってルールさえ守ってくれるなら、店の人間が待機所に泊まるのは全然オッケーや」
「やった~!結奈ちゃん、志保美さん、たまにお泊まりしよ~な!」
「お前・・・ここは「国民休暇村」とちゃうぞ?言うとくけど事務所は閉めるからな。解放すんのはあくまで向こうのワンルームだけや。ま、泊まる時は火の元だけには注意してな。ってか愛子・・・お前・・・まさか住みつくなよ?」
「そんなわけないじゃないですか~?」
その時感じた愛子への一瞬の不安の顛末はもう少し後で描かざるを得なくなりますが・・・とりあえずもっと不安なのは、残りの4人が小難しい顔で、まるで親の仇のようにルールを睨みつけていることです。
「・・・え~・・・何か心なしか空気がちょっと重いけど・・・よし、ほんなら説明していくぞ!そこに書かれてるのはな、殆どがみんなの身を守るためのルールや。1は当然、妊娠や性病等の回避、2は仕事とプライベートの線引き、4は脅迫や流出の回避、5、6、7、10は君らの命を守るためのもんです。オーナー、何かあったら絶対助けるための最善の動きはしたるけど、それでも密室でお客さんと2人っきりになって以降は、もうこっちはどうすることもでけへんからな。基本、何かあったら、自分の身は自分で守るしかない。いや、もっと言うなら、事前に危険を回避できるのが最高やろ?というわけで、このルールはいずれも厳守して下さい。特に1番は犯罪です!嬢が個人的にしてもそれは店の責任になるからな。本番行為は問答無用で【即】クビやで?以上!」
三途の川べりかのような、静寂・・・。
必要以上に・・・リアクションはありません。
急にダンマリを決め込むお地蔵様のような彼女達に、一瞬、絶句する新米オーナー。
僕としては、そんなに厳しいルールを作ったという意識は全くなく、どちらかといえば当たり前のことを書いたにすぎなかったんですが、ところがこのルール、閉店までのスパンで見れば、大半が破られていたような・・・?(笑)
そう、我が美人十音の5人の嬢達の大半は、極道映画でいうところのいわゆる「ヤクネタ」。つまりは風俗という縛りにさえ収まりきらない、怖いもの知らずの「イケイケドンドン」だったのです!
波乱の日々は、こうして幕を開けました。
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