最終話
――そして3年の時が流れた。あの後すぐに体調が戻った私がホームに残りたいと言うと、お婆さんは快く認めてくれた。
ホームやその周りの土地は全て私にくれた。しかも、足の悪いお婆さんの代わりに、お爺さんやその仲間の人達が改装の手伝いや物資や電気の支援をしてくれるとまで約束してくれた。
私は、ホームに残れることが嬉しかった。だって私は、ホームに残ってやらなきゃいけないことがあるから。
お父さんが戻るには、数年間は掛かりそうとのことだった。
お爺さんが言うには、脳核から心を取り出すことは今のところ無理なんだけど、お父さんの体がWX何とかっていう特別なものに組み込まれていることに加えて、私の音触媒で脳核から細胞が分裂したおかげで、砂粒のような脳核1つより豊富な情報を取り出せるようになったとかで、時間さえ掛ければ確実に心を取り出せるんだって。
心を取り出せるということは、また前みたいにお父さんと話が出来るっていうこと。
そんな夢の様な日を、今か今かと待ちわびて毎日を過ごした。
私がホームに残る以上、このまま1人では危ないから誰か手配しようか、とお爺さんが言ってくれた。だけど私はそれを断った。
私は1人で、お父さんを待つ。1人で頑張って、お父さんに見せたいものがある。
あれから毎日、相変わらず私はホームの皆に水をあげている。
「空いちゃん、お水だよ~」
空いちゃんはすっかり大きく育ち、私よりずっと背が高くなってしまった。地下のままだと天井にぶつかってしまうので、随分前にお爺さん達に相談して1階に運び出した。お爺さんにとってはかわいい孫。とっても大事そうに植え替えていた。
「お母さん、お水だよ」
お母さんに至っては、早々にホームの外に運び出してもらった。お祖母ちゃんの一番樹ほどじゃないけど、本当にどんどん大きくなっていく。ゆくゆくは一番樹みたいに、1つの町のシンボルになるんじゃないかな。
「あっ! 油揚げ!」
そして相変わらずホームに遊びに来る油揚げ。キツネの寿命は野生だと数年くらいだって聞いたけど、私が餌付けしているからかまだまだ元気。
そして、元気なのはもちろん、油揚げだけじゃない。
「たぬ吉は傷跡も大分見えなくなったね~」
油揚げのお嫁さん、たぬ吉も元気いっぱい。2人は、いや2匹は、いつだって仲良しさん。だってその証拠に、ほら。
「こらっ、くすぐったいよ! トンビ! タカ! フジ! あはは、舐めないで!」
油揚げとたぬ吉の子供達。最初は小さかった3つ子の子狐達も、今ではこの通り立派に大きく育って。
――3年前、私は1匹でホームを訪れた油揚げを見て、たぬ吉が亡くなったんだと勘違いした。だけど実際は、たぬ吉は出産して子供を育てていた。
後で図鑑を調べて分かったんだけど、キツネは母親だけで赤ちゃんの世話をするらしい。いわゆるシングルマザー? ある程度大きくなったら父親も子育てに参加するのだけど、それまでは寂しく1匹でぶらぶら。たまに遠くから巣の様子を窺って、赤ちゃんの元気な姿を眺めてるのかな。
あの日ホームに来た油揚げは、まさに1匹で寂しくしていた時期だったみたい。私がぐったりとしていて、自分で食べ物も摂れないほど弱っていたのを見て、私と赤ちゃんを重ねたのかな。わざわざリンゴを持って来てくれたのを思い出すと、今でも口元がにやけちゃう。言っておくけど油揚げとたぬ吉より私の方がずっと歳上なんだから。
とはいえたぬ吉も3児の母。私より、ずっと大人なんだね。繊維性細胞硬化症の純粋な遺伝子を持つお母さん達と違って、お父さんの遺伝子が混ざっている私は細胞の硬化が発現せず、子供を産む機能もあるらしい。きっと将来、たぬ吉みたいに立派なお母さんになるのかな。
「どう? 豊富な果物達! お爺さんがいっぱい苗木をくれたんだよ!」
私はリンゴ、桃、みかん、ぶどう、梨、と次々に指を差していった。どれもこれも、私が頑張って育ててきた自慢の子達。トンビ、タカ、フジの3匹はそれを見て、嬉しそうに走り寄っていった。
「あ、トンビ! じゃなくてフジ? まだ桃は生ってないよ! あれ、あっちがフジ? ええと、タカ?」
実のところ、3つ子たちはそっくりで、名付けた私でさえどの子がどの子だかよく分かっていない。ただ何となく呼んでみると案外振り向いてくれるもので、振り向いた子がその名前なんだな、と思ってる。
「んふふ、ね。今日も見ていく? 私の植物園!」
私がホームに残ってやりたかったこと。お父さんに見せたかったもの。それは、私の夢だった、植物園。ホームやその周辺に果物だけじゃなく観賞用の植物も育てていて、今ではちょっとしたオアシスのようになっている。
色々な種類の植物を扱っているけど、どれもこれも癖が強くて、図鑑に書いてある知識だけではどうもうまくいかない。草木と対話をするつもりで寄り添い、毎日毎日変化を観察して、ようやくそれらしい姿になってきたという感じ。
中でも一番気を揉んでいるのが、屋外の桜。桜っていうのは日本で昔から愛されていたピンクの花。今はだいぶ数を減らしてしまったけど、これもお爺さんの協力で何とか1本だけ分けてもらえた。今の時期には花を咲かせるらしいんだけど、去年も一昨年も咲くことはなかった。せっかくお爺さんから分けてもらった貴重な1株だから、絶対に枯らせちゃいけない。
今年こそは。そう思って桜の方へ歩みを進めると。
――ヒラリ。
私はこの目を疑った。風の中に舞う、ピンクの羽毛?
――ヒラリ。ヒラリ。
いや、これは、花びら。ずっと前に、空いちゃんと一緒に図鑑で見た、桜の花びら。
見上げる先には、抱え切れないほどに花弁を湛えた、桜の樹。
まるで雪の結晶が空から舞い降りたように、辺り一帯をピンクの紙吹雪が覆い尽くした。
その幻想的な光景に、私は思わず息を呑んでしまった。
「わあ……」
少しの間桜の樹に見とれていると、樹の裏から見慣れた顔が現れた。
「あら、芽ぐちゃん。久しぶりね。大きくなったわね」
それは、あのお婆さんだった。急な訪問にびっくりしながらも、どこか違和感を覚えて眺めていると、私はあることに気付いた。
「お婆さん、足?」
前までお爺さんに車椅子を引いてもらわないと近くの移動も出来なかった筈なのに、お婆さんは見事に、自分の足でしっかりと歩いていた。
「ええ、だいぶ良くなったわ。あなたが提供してくれた音触媒のデータで、医療がだいぶ進んだお陰よ。近くまではお爺さんに運転してもらったんだけどね、桜の花びらが舞っていることに気付いて、懐かしくなって飛び出して来ちゃった」
するとお婆さんに置いて行かれたのか、お爺さんがゆっくりとした足運びで姿を表した。
「いやぁ、よく咲かせましたな。土地も痩せていたのに苦労したでしょう……」
そして、私はお爺さんが手にしているものに興味を奪われた。だって、それは、3年ぶりに見る――。
「気付かれましたか。遅くなってすみません。取り出した『心』の移植に案外時間を取られまして。こちら、外見はWX0003QY型と同じですが、音触媒で脳核から細胞が分裂しても内圧を軽減できるように……」
私は返事も忘れて話途中のお爺さんからそれを受け取り、ディスプレイを注視した。
お爺さんは黙って微笑みながら、預けていたインカムを私の頭に乗せてくれた。3年前は緩かったインカムも、今ではぴったりだった。
「――芽ぐ、ただいま。大きくなったね」
ディスプレイに映るその姿。
インカムから聞こえるその声。
それらは、私が待ちに待った、大切な人のものだった。
私の名前を呼んでくれる、私のたった1人のお父さん。
私は涙に震えながら、この上ない嬉しさに笑顔を浮かべた。
そして、ずっと、ずっと、言いたかった言葉を口にした。
「お父さん! お帰りなさい! あのね、今日まで色んなことがあったよ!」
シングルファザーの一人娘と植物園 するめいか英明 @surume_ika
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