第25話

 私の叫びはマイクを通じてホーム全体を揺るがすように響き渡った。


「補助機がエラー吐いたぞ!」

「ノイズカット最大にしてなかったら今頃拡声機のハウリングで鼓膜破れ……」

「何だ……こ……」


 それはあっという間の出来事だった。ふと気付いたら、空いちゃんのおじさんも、他の人達も見当たらなくなっていた。


「あ……あれ? 外れちゃった。おじさん? 機械、取れちゃったよ?」


 先程までの喧騒が嘘のように、静寂が戻っていた。そして、私は周囲の異変に気付いた。


「樹が……いっぱい? ねえおじさんどこ? ……お母さん?」


 辺りには何本もの樹が立っていた。どこかで見たことがある気がするけど、名前に覚えのない種類の樹。いずれも、お母さんの声がしていた樹と、同じ種類のようだった。




 ――タン、タン、タン。


 私はホーム1階を走り回った。何故か、誰もいなくなっていた。代わりに、前まではなかった筈の樹が、そこら中に立っていた。


 ――タン、タン、タン。


 操作中の機械。洗濯中の衣類。散らばった掃除用具。つい先程まで各々がしていた作業の痕跡だけを残し、人々は消え去ってしまった。裂けた衣類が辺りに散乱していた。


 ――タン、タン、タン。


 地下へと続く階段。図書室も同じ有様だった。誰もいない。ただ樹が並んでいる。土もなく、根が床を這い、器用に体を支えている。


 ――タン、タン、タン。


 居住スペース。誰か。誰か。私はノックもせず、次々と部屋を開けていった。そこにもやはり静寂が場を支配していて、大きい樹や小さい樹が何本か立っていた。


 ――タン、タン。


 そして私は再び図書室の前まで戻ってきた。最後の1部屋。


 ――ガチャ。


「空い……ちゃん……?」




 あれからずっと、私はお父さんと2人、ホームで生きてきた。あの日、空いちゃんのおばさんに預けたお父さんの体は、光を失ってしまった。お父さんに電気を上げても光は戻らなくて、しばらくするとホームの電気自体がそこを尽きた。


 幸いお水だけは電気とは別に確保されるみたいだったけど、食べ物は多くが腐ってしまった。日持ちのする果物や木の実を探して、私は何度もホームの外に出た。私はお母さんと同じで、あまり食べなくても大丈夫だった。色んな動物たちに会って、新しい友達も増えた。


 お父さんはずっと黙ったままだった。だけど、他の人達みたいに、消えたわけじゃない。代わりに樹が残されたわけでもない。お父さんは、ずっとここにいる。それだけで、私は信じることが出来た。


「いつか、お父さんがまた、私の名前を呼んでくれるって――」




 ポタ、ポタと窓の外から水の音が聞こえてきた。最近はめっきり少なくなった、雨だった。私はじっと窓の外を眺めていると、自分の頬にも雨粒が落ちたように感じた。


「ありがとう、芽ぐちゃん。辛いことを話させてごめんね」


 お爺さんがそう言って、私の頭を撫でた。私は先程お爺さんから受け取ったハンカチで顔を拭って、気持ちを落ち着けた。しばらく俯いたまま黙っているお婆さんも、肩を震わせているようだった。


「……歌声はただでさえ周囲に影響を与えるのよ。それを拡声機で……危険を承知の上だったのでしょう。ただ、結果を焦って気持ちが逸ったのね。……私も、その気持ちは分かるわ。ずっと、ずっと焦ってきたから」


 お婆さんは1人呟くように、そう言った。


「ただ、その規模の水平遷移が一瞬で起こったとなると、叫び声には歌声よりずっと強い音触媒効果があったのかもしれないわね……」




「そういえば、お父さんの体はどうしておかしくなっちゃったの?」


 空いちゃんのおばさんに預けたものの、異変を診てもらうことは出来なかった。お父さんがうまく喋れなくなっていったこと、熱が出てしまったこと、膨らんでしまったこと。私は何も知らないままだった。


「芽ぐちゃんのお父さんには、大輝さんの脳核、つまり『心』の素になる砂みたいな器官を入れてある、って言ったのを覚えていますかね」


 私の疑問に、お爺さんが答えた。小さな子供に教えるように、ゆっくり、丁寧な口調で。


「砂のような、と言っても、無機物と有機物が混ざっていて、要するに半分は生き物の細胞とかと同じ成分なのです。今回はその脳核から分裂した細胞が、お父さんの体を内側から圧迫したんです」


 私がうん、うん、と聞き入っていると、お爺さんが一息つき、私をじっと見つめた。


「ただし、脳核そのものは普通の細胞のように分裂したりせず、また別の細胞を生み出すことはありません。しかし、もし外的要因で細胞としての機能を揺さぶられた場合は、その限りではありません。例えば、繊維性細胞硬化症を持った人の声。音触媒です」


 それを聞き、私は何となく「あー」と間の抜けた声を出してしまったけど、少し考えてみて、おかしなことに気付いた。


「だけど私、ホームでは歌うなって言われてたから、少なくともお父さんの前じゃ歌ったことないよ? 歌声以外だと、心臓の音や普通の声が影響するのって、『血が繋がった』家族だけって言ってなかった? お父さんの心になった大輝さんって、私のお祖母ちゃんの旦那さんだけど、本当のお祖父ちゃんじゃないから血は繋がってないっていう話じゃ?」


 するとお爺さんはふふっと笑い、お婆さんを見た。お婆さんは、先程までのうなだれた様子から一転し、満面の笑みで口を開いた。


「大輝は確かに、あなたのお祖父ちゃんではないわ。あなたのお母さんは、恵のクローンだから大輝の血は引いていない。だけど、あなたは人工授精で生まれた子供よ。れっきとした、父方の遺伝子提供者がいる」


 確かに、私には遺伝子の提供をした「本当の」お父さんがいるという話は聞いたことがある。だけど私にとってのお父さんは、私を育ててくれたお父さん1人だった。それに遺伝子の提供者は、情報が開示されていないから誰だか分からないってお父さんからは聞いていた。


 でも、これまでの話を合わせて、私はようやく1つの答えに辿り着いた。


「その父方の遺伝子提供者は、他でもない、大輝よ。恵が子供を産めないって分かった時に、恵と一緒に大輝も細胞を冷凍したって話、したわね? それを使っていたの。つまり――」


 そう、つまり。お父さんでさえ知らなかった私の「本当の」お父さんは――。


「大輝は、いや、あなたのお父さんは、あなたと血が繋がった、正真正銘の父親なのよ」

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