佐賀県政の外部委託
「そもそも、民意とは何だろうか……私は、全ての県民の為になる仕事をする事だと思っていたが、そうではなかった……。私は、一番の得票数を得て、佐賀県知事になった。とは言っても、投票率五〇パーセントのうちの、獲得票数五〇パーセントに過ぎない。その中で一番大きな組織票を持っているのが、私の支持団体と言うわけだ」
「十分な数だと思いますけど……足りませんか?」
「ありがとう。そう言って頂けると、救われるよ……知事になったら、佐賀県の事を考えて仕事をするつもりだった――もちろんそうしている。だが、限界もある。私の個人の能力としての限界ならばしょうがない。どうしたって、人間と言う枠組みからは抜けられないのだからね。それに、能力の限界とは戦う事が出来る。今までの能力を超える努力をする事はできる――」
「限界とは、支持団体の圧力からは逃れられないと言う事か」
「鍋島……言葉が過ぎるぞ」
少し低い声でたしなめた。しかし、鍋島は意に介していない。いつもの通りの鍋島のままだ。
「いや、構わない。但し、オフレコでね」
そう言うと知事は微笑んだ。
「そう、そうの通り、民意と言うものは、県民の総意ではない。選挙権を持っている人の内、選挙に行った人の、私に投票してくれた方達の中の、一番大きな団体の総意にすぎないのさ。それから逃れる事は出来ない。それは法律上の民意に背く行為になる。私は悩んだ、そして、打ちひしがれた。私では彼らを説得する事が出来なかった。もちろん彼らの言い分は正しい。だが、足元しか見ていない。もう県内で争っている時代ではないのだよ。県が一丸となって、国を飛び越えて世界と戦える佐賀県を作る事が急務なんだ。このままでは、ジリ貧を辿っていくだけ……。自分達の保身を考えている事が、結局自分達の首を絞める事になると言う事に気が付かない……ちょうど、その頃、飯盛議員の提案を聞いたんだ」
「それは、私から説明しよう。佐賀県の組織を一本化し、縦割りの国の組織と一旦切り離す。国との窓口はひとつにして、農業も、林業も、漁業も、それぞれ、営業部がまとめて折衝する様なイメージだ。売る者、買う者、作る者など、単純な枠組みだけを作り、細かい役割をあえて作らず、総合力で県外と戦う」
あまり、ピンとこない。
「昔はね、大企業が、周りの中小企業を育てていたんだ。今は、そんな余裕が無くなってしまって、逆に、中小企業から搾取する側に回ってしまった大企業も――しかし、それは政治の責任でもある。だから、その代わりを県が行う。県が、最大の大企業として、県内の中小企業や小売店を育てる。県内で競い合うのではなく、世界と戦うための協力者としてね」
「あの、それって、法的に問題が多いんじゃないかい? それに、県の運営は税金で賄うわけだし、一部の人間で大きく変えてしまうわけにはいかないでしょう」
なぜか、僕の問いに鍋島が答えた。
「大野英章らしい真っ当な考えだが、いつでも真っ当な意見が正しいわけではない。例えば、有事には超法規的措置が取られる。そうでなければ対処できないからだ。今、知事は佐賀県が置かれた状況を有事と捉えていると言う事だ。だから、法律を犯さず、有事の対策を取る為の飛び道具を考え出した……それが俺達、と言う訳だろう」
イチ兄の表情が和んだ。鍋島の答えはどうやらイチ兄と一致していたようだ。――お前が答えんな! と突っ込みたかったが、場の雰囲気を読んで引っ込めた。
「経斎君……その通りだ。理沙は面白いお友達を持ったようだね……知事や我々は、民意を裏切る事は出来ないし、法律を犯す事も出来ない。民意を得る為の方法は、私が準備を行っている。知事はもちろん正真正銘の民意を受けた人だが、団体の影響があるのも確かだ。それに対抗するのにも、民意によってでなければならない。つまり、議会だ」
佐賀県議会を無所属で固めたいってこの事か……。
「団体の影響と相対するために、県議は、どの団体にも属さない、無所属議員で構成するんだ」
僕は細かいことは分からない、でも、大の大人が、一生懸命に考えた事を、一生懸命に話している姿はまるで、塾の教え子達とまるでかわらない。そう、目の輝きが。
大人になる必要なんか無いのかも知れない。
「知事、飯盛県議、お話は分りましたよ。そろそろ、僕が、僕達が県政をどう思っているか、お話ししましょう――と言いたいんですが、正直言って、良くわかりません。県の運営は、県の偉い人が、僕達には理解できないような事をしているのだろうと思っていました。でも、違うんですね。そりゃそうですよね。どんなに偉い人でも、同じ人間なんだから、ボルツだって、とんでもなく速く走るけど、僕だって半分ぐらいの早さなら走る事が出来る……。僕たちの仕事は、県の仕事を、県として行えない部分の代わりをやればいいって事ですよね」
知事が微笑んだ。僕の言っていることは、やはり、子供っぽ過ぎただろうか、いや、それでいいんだ。
「分った、引き受けよう。但し、やり方はこちらにすべて任せてもらう。口出しは無用だ」
「もちろん、それに、まずは次回の県議選を勝たなければ……私の仕事が先だ。これから、宜しく頼む」
僕らが固く握手をした時に、奥の扉が開いた。まさか、この人が、この場所に現れるなんて……僕は思わず息を飲んだ。
「なんじゃ、知事の紹介とは、お前さんの事だったのかい」
「これで、会うのは三回目ですね、金太郎さん――いや、龍造寺金持さん」
鍋島は、僕が龍造寺金持と面識が有った事に驚いたようだ、面識と言うほどのものでもないけれど。
金太朗と金持が同一人物であった事には、もちろん僕も驚いた――ただ、予感はあった。この、類い稀な気品と、あの時、天祐寺で参ってたのは、実は、龍造寺家の墓だったからだ。
「おい、なぜ、龍造寺グループの総帥がこんな所に出てくるんだ? 俺は聞いていない。帰らせてもらうぞ」
鍋島がいつになく腹を立てている。そんなに怒ることだろうか、まだ、話も聞かない内から……。
「まあ、そう言うな、経齊君……でも、悪いのは黙ってた知事じゃろ?」
「え? ああ、申し訳ございません金持会長……」
知事も戸惑っている、それにしても名乗る前から経齊君って、名前まで知っていたのはなぜだろう……僕の事と言い、事前に調査済みってことか……恐いなぁ、龍造寺グループ。
「そもそも、なぜ、ここにいらっしゃるんですか? 僕達に何か話すことが?」
「その通りじゃよ、知事から大それたお願いをされてな、地域振興券だけでは経済効果が低いので、わしの全財産を合わせて使って欲しいと言うんじゃよ」
「か、会長! 全財産なんて言ってませんよ」
「似たようなもんじゃろ? で、使うにしても、何に使うかが問題じゃ、そこで、面白い若者を連れてくると言うから、意見を聞いて見たいと思ってのう」
お金の使い道……お金の事なら鍋島に……いや、僕にも使いたい事があった、そして、それは龍造寺総帥と同じ願いだ、きっと。
「僕は憧れにお金を使いたいのです。この夏、僕は沢山の事を学びました。そして、ものすごいスピードで成長していく若者達に出会いました。人間にとって、最も大切なのは教育だと肌で感じたんです。そして、教育に最も大切なのは、憧れです」
「ほう、して、その憧れに、どう金を使うつもりかね?」
これは半分賭けだ、龍造寺総帥の心を掴めなければ、ただの面白お話で終わってしまう。でも、チャンスだ。佐賀を、佐賀の子供達が掴むべきチャンスなんだ。
「新佐賀城を築城します」
龍造寺総帥はにっこりと笑顔を見せた、その後、天井を見上で、目を閉じると黙ってしまった。まるで、思い出を懐かしむかのような、柔らかさを滲ませていた。
「新佐賀城か、いいのう、しかし城の再建には当時の設計図が必要じゃし、予算も四百億ほどかかる……難しいと思うがの」
やっばり……金持さんは、自分で城を建てるつもりだったんだ、でも、阻まれた。そこまで届かなかったんだ。
「子供達には憧れの対象が必要です。憧れこそが自分を磨く原動力になるんです。どうか、もう一度考えて見てください……」
「英章君……」知事が間に入ってきた。これ以上困らせるなと言うことだろう。僕は深い溜め息を吐き、思わず呟いた。
「はぁ、地域振興件、全部僕にくれないかな……そしたら、築城資金にできるのに」
「地域振興券は、総額で170億円程度、それでも足りないんだよ英章君」
知事が申し訳なさそうに慰めてくれた。やっばり、僕なんかの浅はかな思いつきだけで、佐賀を変えることなんて不可能なんだ。
「……ちょっと待て……その、地域振興券、全部、俺に使わせろ」
「は? 何言ってんだよ、鍋島」
「それと、龍造寺の資産も全て俺に渡せ、そうすれば、佐賀城を建てて、経済効果も極限まで上げでやる」
「いい加減にしろ! 鍋島!」
こんな、ハッタリをかます奴じゃないことは知っている。しかし、こんな政治と経済のプロ中のプロの前で、こんな大口を叩いて良いはずがない。
「話すだけ話して見たらどうじゃ? こんな大それた事を言う奴は……二人目じゃよ」
また、懐かしそうな目をする……とにかく興味を持ったのだ、実は僕も同じだ。鍋島は、一体、何を思い付いたんだろう。
「良く聞け、以前の地域振興券が、なぜ、思ったほどの効果を上げられなかったか知っているか?」
「成功したんじゃないのか?」
「成功とは呼ばれているよ。しかし、鍋島君の言う通り、もっと大きな効果を上げられると期待されていた。だから失敗だという人もいるよ。発行された地域振興券は、ほとんどが貯蓄に回ってしまったんだ。一度使われた後には、約七割が貯蓄されている……
「俺に任せろ、俺なら貯蓄を三割に抑えて、七十パーセントの消費性向での乗数効果を上げて見せる」
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