政策計画人工知能

「やあ、英ちゃん、鍋島くんもありがとう」


「あんたが、飯盛一郎か、何か事前に話しておく事はないのか? 情報が無いまま戦場に出ろとは随分だろう?」


「おい、鍋島失礼だぞ」


 昨晩、涼子さんが亡くなってからは初めてイチ兄と飲みに行った。


 選挙に協力して欲しいと言われたのは意外だった。イチ兄も悩んだようだったけれど、今回ばかりは、なりふり構っていられないほどの大仕事になる、とのことで、さっそく知事に会って欲しいと言うのだ。


「いや、いいんだ……鍋島君、大丈夫だ。これから行くのは戦場じゃない、知事は味方だよ。詳しい事は直接知事から聞いてもらうべきだと考えての事だ」


 イチ兄は、とても落ち着いている。まるで、何もかも、もう、上手く行ったと言い出しそうなぐらいだ。


「そうだね、では、概略だけ話そう。私の目的は『佐賀県議員を無所属で占める』、そのために、日和花道にやって欲しいことは、佐賀県政務の外部受託だよ……」


 聞いてもわからない……聞かなきゃよかったかな?


「それから……やっぱり言っておこう。僕の敵は……政策計画人工知能を知っているかい?」


「政策計画人工知能ってPolicy Planning Artificial Intelligenceだよね? 内閣が間違った政策をしないように、抑止力的に人工知能の助言を参考にするってヤツでしょ。新聞で読んだよ……でも、まずいことってなんだろう。特に悪い噂は聞かないけど?」


「そう……評判が良すぎたのが問題なんだ。最近、景気が上向いてきたのは、その、AIのおかげなんだよ。内閣のお偉方はみんな一般消費者の気持ちが分からない。だから、広く情報を集めて、今を良く知っているAIは彼らよりいい判断をするんだ」


「良いことじゃないの?」


「それがな……」


 イチ兄は周りを見回すと、少し小声で話した。


「判断がずっと正しいから、誰も疑わなくなってきた。更に、異を唱えるものは、時代遅れだとか、無能だとか、負のレッテルを貼られてしまうので、誰も文句を言わなくなった。俺がこんな事を言っているのが知れれば、俺も動きづらくなるだろう……いや、もう、なりつつあるんだ。僕の最大の敵は、このAIになるだろう」


「うーん、そうなの?」


 なんだか、ピンとこない。判断を間違わないなら、言う通りにしても良いのでは? と思ったが言わなかった。イチ兄がまずいと言うならまずいのだろうから。


「とにかく、知事の協力が無ければ意味が無い。先入観なしに話しをしてもらった方が良いと思う――例え、私の案と違いが出てきても、きっと両者の間で同意が取れた案が、最も現実的なものになるだろうからね」


「本当に、それでいいのかいイチ兄……ずいぶん綿密に計画を立てていたんじゃないのかい」


「もちろんだ。しかし、プレイヤーは君たちだ。私は大筋で目的地の方向へ進んでもらえれば十分だ。何も、私が立てた道筋通りに進む必要はない。それに、君たちは、私と同じ方向に考えてくれると信じている。君たちの判断は、きっと正しいだろう」


「ふん、随分と信頼されたものだな。飯盛一郎、あんたは、俺の事をどこまで知っていると言うんだ?」


「理沙のお友達だろう? それで充分じゃないか」


「……」鍋島は、珍しく反論しなかった。


「本筋に関わる事だが、指示通りに動く人間はこの計画には必要無い。もちろん、非同期に動きまわる人間が集まっても意味は無い。従来の組織感覚の外側にいる人間が必要なんだ。宜しく頼むよ、経斎君」


「……」


「鍋島、返事はしなさい」


 ここは、公の場であって、理沙の父親と言っても、相手は議員だ。どれだけ変わり者でもいい、ただ、礼を失する事は、いかなる場面でも、よい方向への入り口を閉ざしてしまう。


 鍋島はしばらく横を向き、その、切れ長な目を細くして、何かを睨みつけていたが、やがて飯盛一郎のほうを見ると、素直に返事をした。


「はい……」


 その姿に一番驚いたのは僕だった。まるで、僕の思いが伝わった様な気がして嬉しかった。


「しかし、とにかく、受けるかどうかは、知事の話を聞いてからだ」


「もっともだね。じゃあ、早速、知事のところへ案内しよう。知事は心の底から、佐賀を――日本を愛している人だ。きっと、有意義な時間になると思う。頑張ってくれ」


 佐賀県庁は自由な空間だ――と言うよりもセキュリティーが、がばがばだ。駐車場も、ゲートはなく、ただで停められる。開かれた県政を目指しているからだと言う事らしいが、その気になれば、誰もが各部屋に、誰にも会わずに侵入する事もできる。


 これが是正されていない理由は、きっと、佐賀が平和な土地だからだろう。


 ちょっと不安だが、必要無いならなくてもいいかと、すいすいと庁舎内を進み、知事室の扉をノックした。


「知事、お連れ致しました」


 知事室は濃い茶色を基調とした、重厚な造りだ、初めて訪れたのに見覚えがある。テレビや新聞記事で見た事のある部屋だ。


「座ってくれたまえ」


 大きな机の向こうで、知事は書類に何かを書き込みながら、顔も上げずにそう言った。


 僕達には知事がどんな仕事をしているのか、想像もつかないが、きっといつも忙しく過ごしているのだろう。


 何と言っても、県知事と言うものは、当たり前だが、県に一人しかいない。当番制で、誰かが変わってくれたりはしない。


 とりあえず、応接用の椅子に座ると、黙ったまま、知事を待った。


「やあ、やあ、お待たせいたしましたね。あなた達が日和花道のメンバーの方々ですか」


 そう言うと、知事は、一郎の向かいの席に座った。


「実は今、例の地域振興券の運用を始めるのに際して、大わらわでしてね」


「地域振興券と言うと、十年前ぐらいに発行された、あれですか? 結構、効果は有ったって話ですよね? なんだか、今回も利権争いがあるとかないとか……」


 知事は苦笑いをして、話を続けた。


「確かに、デフレ景気対策に効果はありましたけどね、構造的な対策では無く、応急処置的なもので終わってしまいました――県民一人当たり二万円程の拠出を国が行うんですが、地域振興券の印刷と、運用、宣伝にかかる費用だけで、ほとんど、飛んで行ってしまいそうですよ」


「なるほど、そうなんですね。もったいない話ですね」


「はい……さて、早速ですが、お話を伺いたい。今の県政をあなた達はどう思いますか?」


「偉そうだな」


「え?」


「偉そうな人間と、偉い人間は、必ずしも一致しないと言う認識だったが、そうでもないんだな」


 鍋島が、早速知事に噛みついた。鍋島は、基本的に権力者が嫌いだ。しかし、知事は余裕を持って笑顔で答えた。


「ははは、確かに……鍋島君は、偉くないのに、偉そうだしね」


「……」


 鍋島に反撃して黙らせたのは、僕が知る限り、知事だけだ。それなりの人物と言う事だろう。


「わかった、ざっくばらんに話をしよう。これから言う事は、知事としての話だとは受け取らないでくれ、佐賀県知事は、佐賀県民の民意を反映させる義務があるが、それから、少し外れる内容も含まれている」


 ただならない雰囲気が漂う、一体何を僕達に語ると言うのだろう、固唾を飲むとはこの事だと初めて体験した。


「さて、みなさん……そもそも、民意とは何だろうか、多数決ってなんだろう?」

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