羽ばたく
九州はやっぱり暑い。太陽の種類が違うのではないかと思う。暑い日が続く中、チェックのスカートを跳ねて爽快な気分で歩く。
夏休みだが、塾へ行く時には制服に着替える、その方が勉強に身が入りやすい。
アイドルを初めてから、忙しい日が続いていたが、今日は塾の模試があるという理由で、佐賀に戻ってこられた。
東京の生活はどうかと言えば、実は、とびきり忙しいお仕事なので、遊ぶ暇も、景色を眺める暇さえない。
羽田へ到着した途端、プロダクションの人に「走れ!」と言われてそのままテレビ局へ駆け込んだ。なんだか、急に行方不明になったアイドルがいたらしく、代役でいきなりテレビデビューを果たした。心の準備だとか、そんなもの考える暇もなかった。
ネットで話題になっていたおかげで、ネタには困らず、あとは愛想を振りまいて何とか無事にやり終えたが、本当に勘弁して欲しい。でも、今考えれば、勢いで始めてしまえたのは良かった気がする。私は歌も踊りも経験はなく、他の意識高い系のアイドル達には逆立ちしても敵わない。
ずっとホテル暮らしで、移動中もほとんど寝ているので、東京タワーも、スカイツリーもまだ見ていない。覚えているのは、なぜか、大きくてまあるいガスタンクだけだ。
目まぐるしい日々だけれど、そうは言っても、まだ、二週間ほどしか離れていないのに、こんなに佐賀を懐かしく思えるのはなぜだろう。
田んぼを横切る国道沿いの、長く真っ直ぐに続く歩道は、成績が芳しくない時は、地獄へ続く針の道のように感じる事もあるけれども、今日は、ふわふわのクッションが敷き詰められているかのように、跳ねるように軽やかに歩くことができる。
緑色の若い稲が、風のざわめきに揺れている。
空を見上げると、入道雲が、遠くで真っ白に光っている。
『バカだから出来ない』という言葉を封印し、代わりに、『バカだからできる』という言葉を心に刻んだ――それは、母も歩んだ道。
若い頃の母の気持ちが、すうっと心の中に入ってきた。
バカだからできる――そう思わなければ、ぽっと出でアイドルなんかできない。
母の事を、自分を包んでくれる母性の塊としてしか見ていなかった子供時代から、一人の人間として見つめなおし、しかし、理解できずに諦めてしまいそうにもなったが、それを乗り越えて、今では、まるで友人の様に感じる様になった。
かつては、母も一人の悩める女の子だったのだ。私は生まれ変わったような気持ちで、塾への道を歩き続けた。
かと言って、悩みが全部消えたりはしない。生まれ変わったばかりでは、自信も実績も何もないし、これからやろうとしている、父を総理大臣にするための方法など、まだ何一つ思い浮かばない。
塾へ着いたが、まだ、誰もいない。今日のテストが終わったら、また、英章先生に空港まで送ってもらって、父にも会わずに東京へ戻る事になっている。
アイドルに戻れば、それこそ、悩んでいる暇なんてなくなってしまう。今日、佐賀にいる間に、突破口を見つけたい。
英章先生もいないし、しょうがないので、グーグル先生に頼ることにした。
〈総理大臣〉で検索してみた。なんだか、難しそうな話ばかりが並んでいる(当然か)
どうやら、政策に問題があると大騒ぎになっている。人口が少なくなった日本が、再び羽ばたくためには、個の質を上げる必要があると、エリート教育を推進する政策を打ち出したものの、人権侵害にあたると、エリートではない、大多数の人から反感を買っている……というニュースだ。
今度は、
〈父親を総理大臣にする方法〉
ダメもとで検索した。
「あ、見つかった。まじか」
ツイッターの呟きだ。
〈父親を総理大臣にする方法は、じぶんが総理大臣より偉くなればいい〉と書いてある。投稿者はPOPAIさんだ。
まあ、もっともだ。総理大臣が一番偉いんだから、つまり、方法はないと言うことなのかな? と思い、質問をしてみた。
〈やっぱり、方法はないと言うことでしょうか?〉
〈あんた、リサ? 本物?〉
やばい、本アカでメッセージを送ってしまった。身ばれした。
しょうがないのでとぼけた。
〈偽物です。ほんとはリコです〉
〈それもアイドルの名前じゃないか、偽物め〉
リコは二週間のうちに仲良くなった、和製アヴリル・ラヴィーンと呼ばれているロック系のアイドルだ。どうやら、ごまかせたらしい。チョロいヤツ。
〈方法がない何て事はない。僕は総理大臣より偉いから、誰でも総理にできる〉
〈本当に? じゃあ、飯盛一郎をよろしくお願いします〉
さりげなく選挙活動してみた。
〈あいつはダメだ。敵なんだ〉
〈しっているの? 飯盛さんを〉
〈あいつは日本をダメにしようとしている〉
〈POPAIさん、根拠もなく誹謗中傷はダメですよ〉
〈あいつは日本の敵だよ〉
怖くなってアプリを閉じた。なんで、お父さんが日本をダメにするだなんて……。
「お、理沙早いな、勉強してきたか?」
「英章先生……ねえ、最近お父さんと話した? お父さんは、何がしたくて政治家をやってるのかな?」
「どうかしたのか? 今日、久しぶりに会う約束をしているから……でもそんな話になるかな?」
「ありがとう、よろしくね」
「さ、準備をするよ、テストに集中しろよ」
そう言って微笑む英章先生に、私は素直に笑顔を返せなかった。
◇
九州佐賀国際空港発、羽田行きは、午後七時ちょうどだ。
佐賀空港までは、市街地から車で十五分ぐらいの距離で、しかも、駐車場が無料という特典付で便利だ。
小さい頃は飛行機に乗りたくてたまらなかったが、まさか、こんなに寂しい思いをして訪れることになるとは思わなかった。
まばらに通る対向車を眺めながら、寂しさからか、つい本音が漏れ出てしまった。
「英章先生……私なんかがやってていいのかな……アイドルだよ?」
空港に近づくたびに不安が増してきた。前に進まなきゃと思っているけれど、進めば進むほど、本当にいたい居場所からは遠ざかってしまうのではないだろうか。
私なんかがって言っちゃいけないのも知っている、でも……。
「理沙……実は、僕、理沙の事を尊敬しているんだ。理沙だけじゃない、鍋島の事も……この夏は僕にとって、とても大切な季節になるんじゃないかと思っている。二人に出会って――鯨間さんの事もあって、色々考える事が多かった。鍋島からは、固定観念にとらわれない事を学んだ。そして、理沙からは、わき目も振らず、前に進む事を学んだよ」
「そんな事ないよ……私はいつも、迷ってばかりだよ」
「そりゃそうだろう、誰だってそうだよ……でもね、僕は小さなころから理沙を知っている。いろんな所で理沙はとにかく前に進もうとしていたよ。涼子さんが亡くなった後もそうだ……イチ兄が落ち込んでいる時も、理沙のほうが早く立ち直って、イチ兄を元気付けていた事、僕は知っているよ」
「英章先生……」
泣くのを我慢したけれども、涙が目にいっぱい溜まっている事は隠せない。運転している英章先生にも、その雰囲気を悟られてしまっただろう。
「今日の理沙を見て、僕は決めた。勝厳寺を立て直す事だけが目標だったけれど、これからは、もっと大切な事を成し遂げてみせる。誰にも文句を言われない程に、飛び抜けて見せるよ」
「英章先生……私、何でもやってみる事にしたの。まだ、はっきり分らないんだけど、とにかく、やってみなきゃ何にも分からないって思う事にしたの。私はバカだから、何かを成し遂げる事なんてありえないと思っていたけれど……」
「良いんじゃないのかな、あり得ないと決める事ができる人間は、この世にはいないよ。やると決めた人間が、やり遂げるか、途中でやめるかのどちらかだと思うんだ。では、頑張ってる君に、この飴玉を上げよう。人生は楽しんでなんぼだよ」
今日の飴玉はイチゴ味だ。
「英章先生……」
広く平べったい筑紫平野へ降りてくる飛行機は、手を伸ばせば届きそうだ――今の二人なら、もしかしたら本当に、その手が届いてしまうかもしれない。
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