死に逝く人のニーズ
理沙を車で送って寺へ帰ると、テレビがつけっばなしで、居間には誰もいなかった。
幼い頃から耳慣れたテレビのCMが、誰にも届かないまま虚しく流れている。龍造寺グループのCMソングだ。古臭く感じるが、今となっては、返って
鯨間さんの葬式の準備があっただろうに、手伝う事が出来なかった。一言、住職に詫びようと探したけれど見当たらない。
とりあえず、風呂に入って、先に汗を流す事にした。
湯船で、ゆっくり疲れを落としてジャージに着替えた。廊下を歩いていると、風呂上がりに清々しい夏の夜風が、玄関の方からすっと吹き込んできた。どうやら、住職のご帰還らしい。
「夜分に失礼する」
「おう、金太郎、気にするな」
「急に悪いな」
「しかし、何十年ぶりかの? お前がこの寺に来るのは」
「もう忘れたわ」
「そうじゃの、まあ、良いわ」
住職の声が弾んでいる。こんな住職は見たことがないし、もちろん、来客にも心当たりがない。
そう、思っていたが、立派な着物姿を見て気が付いた。この気品は忘れようがない。
「もしかして、天佑寺でお会いした……」
「おお、銀太郎の息子さんが鼻緒の人とは……ジャージだからわからんかった」
偶然出会った、鼻緒が切れて困っていた、ご隠居さんが、なぜ、住職と?
「なんじゃ、知り合いか」
「一度お会いしただけですけど……お茶を入れてきますね」
偶然出会った老人が、父親の友人らしい……どういう関係なのだろうか。
お茶を入れて戻ってくると、人として最期を迎えるとは……と言う話で盛り上がっていた。
鯨間さんが終活していたのを知って、僕は、死に向かう人の心中について、より深く考えた。自分がその立場に立たなければ、同じ気持ちにはなれないだろう。しかし、僧侶として考え、感じなければならない、大きな課題だと思った。
お二人には早い話ですよ――と言いながら、お茶を出し、自然と話に加わった。
「人としての最期……私も僧侶の端くれとして、是非お伺いしたいのですが」
「英章君、君は、僧侶である前に佐賀県民じゃろう、
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり……あの、武士道の元になった本ですよね」
「そうじゃ、知っとるじゃないか、どう言う意味じゃ?」
「え? そのままの意味ですよね。主君の為にいつでも死ぬ事が美徳だって……」
「おい、英章、わしはお前にそんな事を教えてはおらんぞ、どこで間違って覚えてきた?」
「だって、一般常識でしょう? これって」
「英章君、若者は情報に毒されているのかのう――何でも死ぬ覚悟で当たれ……死ぬ為ではなく、生きるための言葉じゃ。死んでしもうたら、誰が殿様を助けるんじゃ? 最後まで生き抜かなければな」
「た、確かに……」
本当ならば、かなりショックだ。僕だって先生と呼ばれて、若い子達の教鞭を執る事もある。地元に古くから伝わる書の言葉が、日本中をめぐりめぐって、全く違う言葉になって、自分の耳に届いた……。
住職は、幼い頃に教えてくれたと言う、それなのに、テレビやメディアから入ってきた言葉は、すっかり僕の記憶を書き換えてしまったのか。
「英章君、死を考える事は、生を考える事と同義じゃ。今日まで生きてこられた事に感謝して眠りにつき、目がさめれば、今日死んでも後悔しないように、今を大切にする……それを毎日続るだけじゃ」
生と死が同じ?
「どう生きるかは、どう死ぬかと同じ事……何かを
「それで、金太郎さんは、何かやり残した事があるんですか?」
「そんなもん、腹いっぱいあるわ! 人間そんなに器用には生きられん」
「金太郎はな、一国一城の主になりたいんだと、立派な志よのう」
「銀太郎! 勝手に話すな! わしは後に残る者の事を――英章君、知っとるかな? 葉隠れの郷が、なぜ葉隠れと呼ばれたのか」
「いや……知りません」
「そこに咲く桜の花は皆、葉桜であったからじゃ。一世一代の晴れ舞台でさえ、葉っぱに隠れてつつましく咲く……それが、佐賀の美徳じゃ」
「お言葉ですが、一国一城の主という野望は、美徳に反する気がするのですが……」
「前に出るのがダメだと言っているんじゃない。出るなら、中途半端ではなく、もっと飛び抜けろ……佐賀人はそういうふうけもんが好きじゃろ? 出すぎた杭は打ちようが無い。しかし、綺麗に揃った杭もまた、美しいと言う事じゃ」
◇
金太郎さんは、僕が部屋へ戻っている間に、いつの間にか帰ってしまっていた。
精神の境地には憧れるが、現実的には、明日を生きるためのお金が必要だ。この事を思い出すと、また、心が沈む。
理沙には言わなかったが、実は警察ではもっと厳しく追求された。つもり積もった借金の返済期限がすぐそこに迫っていて、返せなければ大野家がお寺を続けて行けなくなる。まさか、警察に教えてもらう事になろうとは。
勝厳寺は由緒正しきお寺だが、修繕が追い付かず、老朽化している。
最近はめっきり檀家が減り、お布施も少なくなってしまった。住職は毎年、修繕費の調達で四苦八苦している。
必要な物が消えざるをえない世の中は、何が間違っている……しかし、今の僕には分からない。
しかし、そうも言っていられない。このままではじり貧だ。
葬儀は主な収入源なのだが、檀家さんが、亡くなれば、お布施も減る。一番の収入源であるお葬式が、実は財源を減らす主要因でもあるなんて皮肉な話だ。
「ねえ、住職。お葬式の参列者は……その、お布施はどれぐらいになるかな?」
「英章や……お布施と言うのもは――」
「わかっています。よぉく、わかっていますよ。頭蓋骨に、ガツンと叩きこんでくれました」
「言ってわからん奴は犬畜生も同じ。しっかり叩き込まんとな」
「最近は犬や猫も叩いたらクレームの嵐ですよ」
「そりゃ不憫だな」
「犬や猫は、言葉がしゃべれないからね。不憫な子達も多いさ」
「不憫なのはお前じゃよ、英章。お前を殴っても、だぁーれも文句を言わん。つまりお前は犬畜生以下じゃ、ちゅう事よな。おお、なんと不憫な事か……」
「ああ、不憫ですとも! こんな貧乏寺に生まれついて……お布施の皮算用ぐらいしたって、お釈迦様も文句は仰らないだろうよ!」
「うむ、お釈迦様は思慮深きお方じゃからの」
「どうするんです? アテはあるんですか?」
「この、
「アラーの神様は仏教でしたっけ? バチがあたるのは住職の方だね!」
「ここは日本じゃぞ、英章……日本には昔々から
「良いのかな、そんな事言って、本当にバチは当たらない?」
「うーむ。きょうび、バチは当たるかもな。バチはバチでも、バチカンが真っ赤な顔をして体当たりしてくるかも知らん」
「そっちの方が怖いね」
「それより、鯨間さんのお心の事を考えなさい……わしはそろそろ、経をあげる」
そう言うと、住職はすっくと立ち上がり、さっさと行ってしまった。
鯨間さんの心……彼は一体、何を思って亡くなって行ったのだろう。まだ僕には分りそうにない。もっと修行を積めば、分るようになるのだろうか……住職は、きっと分かっているのだろう……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます