終活は誰のため?

 鯨間さんのお葬式は勝厳寺本堂で行われる。


 人手の少ないこの寺では、僕達兄弟はもちろんの事、住職もお茶の準備に駆り出される。


 もう、良い年なのに、せわしなく動き回って世話を焼いてくれる。ずっと、そうあって欲しいと強く思った。


 そして、最近、心に浮かんでは結論が出せずにいた悩み事も、住職程の経験を積めば分るのだろうかとも……。


「英章先生、今日は」


 老人が多い参列者の中で、とびきり張りのある声が聞こえてきた。


「おお、理沙……鍋島も一緒か、二人とも良く来てくれたね、ありがとう」


 理沙は小さなころから、良く父親と墓参りに来ていた。


 若くして亡くなってしまった涼子も、この勝厳寺に眠っている。彼女のお葬式の時には、理沙は泣いて泣いて……そのまま、息ができなくなってしまうかもと、本気で心配した。


 僕は、高校生の頃には、もう、お経をあげていたので、泣きじゃくる理沙の面倒を見てあげる事ができなくて、申し訳なかったと、今でも思っている。母を亡くす悲しみは痛いほど知っている。


「鯨間さんとは、生前は親しくなかったけど、同じ檀家だし、お父さんも、うちも娘一人だから人ごとじゃないよ、行ってきなさいって言っていました。お父さんも後で来るって」


「そうか……今日の参列者が多いのも、そう言う理由があるのかもしれないな。天涯孤独で、若い身なのに、自分の墓の事まで遺書に書いてあったような人を、檀家が見送らない訳には行かないと言う事かな」


「遺書があったの? 自殺でもないのに」


「そう、鯨間さんは、自分の病気の事を知っていて、死後の事について遺書をしたためて、弁護士に渡していたそうなんだ。弁護士さんから葬儀と永代供養の申し込みがあったんだけど、これだけ準備周到な人も珍しいと思うよ……」


 天涯孤独である事は、死に対しての意識を高くするのかもしれない。自分の死後、自分の墓を見る人はいない……若くして死に直面した人は、どのように感じるのだろうか。


 僧侶である僕には分からなければならないのかもしれない。


 しかし――僕にはまだわからない。


 人の欲求は生きる事に対して生まれる。金持ちになりたい、有名になりたい、権力を手にしたい、理想の相手と出会いたい。


 しかし、死に行く事が決まったその日から、その心はどこにその欲望を向けるのだろうか。もうすぐ訪れる死に向かって生きていく……死に対するニーズを満たす事が、寺の仕事なのかもしれない。


 相変わらず、暑い日が続く中、法衣ほうえを着て境内を見回した。参列する人達がぽつりぽつりと等間隔に隙間を空けて、本堂の方へ歩いて行く。


 人の人生とは一体なんだろうか――と、ゆっくり歩く人の列を、生まれてから、死に向かっていく人の生涯の縮図に見立てて考えた。


「英章さん、私も遺書の話は聞きましたよ」


「と……取立とりたてさん――こんにちは、今日はどんなご用事で……?」


 不意をつかれて、声がひっくり返った。取立は、周りの理沙や鍋島に、丁寧にお辞儀をすると、楽しそうに話を続けた。彼は、いつでも、誰にでも、どんな内容でも、楽しそうに話をする。例え、葬儀の場でも、借金の話でも……。


「どうしたんですか? そんなに動揺して……もしかして英章さん、借金の事を住職に聞かれたんですか? ご心配なく、今日は借金の取り立てではなく、お葬式の参列者ですよ。喪服を着ている人がお寺に来て、何か用ですかって、ありますか? もっとも、期限は守って、きっちり回収にお伺いしますがね」


「それはどうも……どうですか? 龍造寺金融のご調子は?」


「それがですね……礼の地域振興券の利権をめぐって、龍造寺グループの龍造寺りゅうぞうじ望過もちすぎ社長と金持きんもち会長が対立しましてね、大変なんですよ……そんな事より、鯨間さんは、永代供養をお願いすると遺書に書いてあったそうですね」


「良くご存じで」


(地域振興券と龍造寺グループの話は気になる内容だったけど、話をそらされたかな?)


「商売柄、そう言う情報はすぐに入ってくるんですよ。お店の方は、婚約者に全部あげちゃうらしいですね。どんな事になるとも知らず」


「え? なに? どんな事なの?」


 理沙が無邪気に質問してきた。彼女の場合は、単純に、好奇心旺盛な為に、ここが葬儀の場と言う事も忘れてしまうだけだろう。


「それがね――あ、来ましたよ。よく顔を出せるもんですね。春日のぞみ」


「どう言う事ですか?」


 葬儀に顔を出せない事とは、一体どんな事だろうか――僕も好奇心旺盛だった。


「春日は、中古ソフトショップ『わくわく』のオーナーと結婚するらしい」


 今まで黙っていた鍋島も参戦だ。


「春日さんは、『ワンダーランド』の鯨間さんの婚約者でしょう? 『わくわく』って?」


「今、春日の隣に座っている男が、わくわくのオーナーだ。店で言っていたんだ『のぞみと結婚する』とな。俺はワンダーボーイと、わくわくの両方に出入りしていたから、わくわくのオーナーと春日が仲良くしていたのも知っていた。もっとも、売買以外の話をする事はなかったが」


 鍋島はいくつかのゲーム中古ショップを行き来していたと言っていた。それが、『ワンダーボーイ』と『わくわく』だったのか。


「ある筋からの情報なんですけどね、春日のぞみは、大阪から二年前に戻って来たんですが、大阪でもIT系の会社社長に囲われていたらしいですよ。そして、戻ってきたらすぐに、ワンダーボーイのオーナーに取り入って、今度は、わくわくのオーナーですよ。噂の対象にならないはずが無いでしょう?」


 そんなに、悪い人には思えない。親しい人を亡くして、憔悴しょうすいしている、一人の女性にしか見えなかった。


 それにしても、わくわくのオーナーと春日さんが、一緒に葬儀に来るのはどういう事だろうか。陰口をた叩かれると分っていながら、二人で葬儀に出てくるには、それなりの理由があるのだろうが……。


「ねぇ……春日さんが二人のオーナーに二股かけてたってこと?」


「需要と供給ってやつだ――ワンダーボーイと、わくわくを往復していたのは、俺達だけじゃなかったって事さ。もっとも、利益に関しては春日にはかなわなかった訳だが」


「そんな……」


 僕も、そんな……と呟きそうだった。理沙が変わって言ってくれたので口を動かさずにすんだ。


「英章さん、それがねぇ、ワンダーボーイ本店と、今回立ち上げる事になっていた二号店の二つの店は、今後、オーナーは春日のぞみで、実質の経営は、わくわくのオーナーがやるらしいですよ。わくわくは、一気に三店舗を構える事になったわけです……勝厳寺も一気に三店舗ぐらいになりませんかね?」


 取立は、相変わらず楽しそうに話す。


「そんなわけないでしょう。適当な事言わないで下さいよ」


「そうかな、そんな固定観念にとらわれているから、借金が返せないんじゃないのか? 返すあてはあるのか?」


 鍋島はいつもの様に、少し棘のある言い方をしたが、僕にはそれを制する理由を見つけられなかった。


「……インシュアッラー」


 アラーの神の思し召し……思わず、住職の受け売りが出てきてしまった。人から自分の借金の話をされると、誰もが現実逃避したくなってしまう。きっと誰でも、必ずそうに違いない……英章は確信した、そうだ、住職もそうだったんだ。


「借りた金は返さなければならないだろう? 生徒に学問を教える立場の人間が、天に運任せで良いのかい? センセイ」


「冗談だよ。もちろん、返すさ。こんな時だけ先生と呼びやがって……でも、本当にどうやったら返せるんだろう……」


 本当に、どうやったら返せるんだろうか、言葉に出して言うつもりは無かったのだが、ついと、唇から零れ出た。最近、一人の時も、同じような独り言を呟いている自分に気が付く事がある。


 僕には借金問題に対して、どういうアプローチをすれば良いのか、見当もつかない。初めのとっかかりだけでも誰か教えてくれないだろうかと、誰かにすがりたい気持ちだった。

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