総理大臣になったら何をしたいの?

「英章先生、よかったね、無事に出てこれて」


「うん? ああ……」


 英章先生は、折角容疑が晴れたのに、その表情は曇っている。きつい取り調べを受けたのだろうか、それとも、若くして亡くなった鯨間さんの事を考えているのか。


「英章先生大丈夫? 元気ないよ。警察の人に、ひどい事された? それとも、鯨間さんのこと?」


 英章先生は、運転中なのに、いつもの優しい笑顔を助手席に向けてくれる。もうすぐ私の家に着くけれど、できれば、もう少し話しがしたい。


「その両方だね、ひどいって程じゃないけど、鯨間さんがうちの檀家だったから、余計に疑われて……寺の経営状態まで持ち出されて、葬式で収入を増やしたいのか……とまでは言わなかったけど、そんな感じで……」


「充分ひどいよ!」


「ま、向こうもそれが商売だからね、それと、鯨間さんって、僕と同い年なんだけどね、実は余命宣告されていて、終活しゅうかつってやつ? もう、準備万端整えてあったんだ。葬儀代も振り込まれる手筈になっていて、永代供養えいだいくようまで……」


「永代供養?」


「ああ、鯨間さんは天涯孤独の身の上でね、子供がいないから、自分の墓を見てくれる人がいないので、永代……うーんと、御先祖様全員に、ここでお家が途絶えますよって報告会みたいなことをするんだよ」


「そうなんだ……」


 きっと、もっと難しい話なんだろうけれども、きっと私に分かりやすく、意訳してくれているのだろう。こう言う子供扱いは心地良い。


「ごめんな、理沙に話す事じゃなかったな」


 英章先生は、特に母が亡くなってから、私や父の事をとても気遣ってくれる。もう、家族も同然だと私は思っている。


「ううん、何でも話してね、実は私も相談があるの……あのね、お父さんを総理大臣にしたいんだけれども、私は何をしたら良いと思う?」


 素直に聞いてみた。軽くあしらわれても、もういいやと思えた。


「うーん、目的が違うんじゃないかな? イチにいは、総理大臣になるのが目的じゃなくて、何かの為に、手段として総理大臣になりたいんじゃない? 話した事はないけど……だから、理沙もそっちを考えた方がいいよ。イチ兄が何をしたいのかを考えたら?」


 なるほど、直球で返って来て、ちょっとビックリした。


「理沙はどっちかって言うと中身はイチ兄似だし、涼子さんの娘なんだからきっと大丈夫だよ」


って、どんなイメージなのよ?(笑)」


「そうだなぁ、綺麗で優しくて、それでいて大胆で……覚えてないかな? 昔、お寺でみんなで鍋しようってなって……」


「あ! 百人ぐらいの檀家さんが集まって、お寺の境内で、みんなで食べたんだよね? あれ、楽しかったなぁ」


「それがさ! 涼子さんが、百人前用のドでかい鉄鍋を勝手に特注とくちゅうしてきちゃってさ! 『こんなデカイ鍋、火はどうすんだ!』ってイチ兄が、すっごく怒ってさ! 『そんなのみんなで焚き火しなよ』ってすました顔で言うもんだから、男達は火おこしで大変だったんだよ」


「まじで!? ウケるwww」


「後片付けには、近所の土建屋さんから、ユンボまで借り出して……大変だったけど、楽しかったなぁ。女性陣には大好評だったよ、料理の手伝いなんか、何にもしない男どもが、子供みたいに一生懸命になって協力して……って、ちょっと惚れ直したってさ」


 なんだか、意外だ、母はもっとおしとやかなイメージだった。私の知らない母が、まだ沢山いるのかもしれない。


「英章先生、ありがとう、なんだか元気になったよ」


「そうか、それなら良かった。ちょうど家に着くぞ。お葬式には来るだろ? 鯨間さんの……」


「うん……それとさ、お寺の経営状態の話……鍋島君に相談したら意外と良い知恵出すかもよ」


「えー? 気が進まないなぁ。考えとくよ、じゃあまたな」



 一郎は、珍しく早く家に帰って、理沙の帰りを待っていた。


 二人にとっては、久しぶりにゆっくり話す時間だった。


 理沙は、警察で事情聴取を受けた事はもちろん、久しぶりに、学校での事や、塾での事――英章や、鍋島の事などを一郎に話した。


 二人とも、こう言う時間も必要だなと、暗黙のうちに確認しあった。


 話が一段落した頃、理沙は例の質問を投げ掛けてみることにした。



「あのさ……もし、もしもよ、お父さんが総理大臣になったら、何をしたい?」


「そりゃ、日本をひっくり返すさ! ははは」


「もう……もう少し真面目に!」


「大真面目なんだけどな……最近、まずいことが起こっててねぇ……そうだねぇ、日本中の人が、幸せを感じられる社会を作りたいよ」


「なんだか、優等生の回答みたいね、なんか、単純と言うか……」


「真理ってのは、単純なものさ、だからこそ難しいんだ。単純イコール簡単ではないんだよ」


「ふーん」


 わかったような、わからないような……とりあえず、具体的に私がすぐ頑張れるって答えは出てこなかったので、質問を変えてみた。


「ねぇ……お母さんって、暗号とか好きな人だった?」


「暗号ねぇ……嫌いじゃないと思うよ」


 父は、なんだか、にやにやしながら答えた。なんだか気持ち悪い。


「推理ものは好きだったよ、本を読むのは好きだったなぁ」


「え? お母さんが本を読んでいたところなんて、見た覚えが無いよ」


「そりゃ、理沙と一緒の時には、落ち着いて本なんか読めなかっただけだろ? 目の離せない子だったからな、親の考えもつかない事を始めるからね。一体、俺と涼子の遺伝子から生まれたのに、二人の想像を超えた事を考え出すと言うのが不思議だったよ。やっぱり、子供は親の所有物ではなく、独立した個体なんだなって思ったね」


「わが子を天然記念物みたいな呼び方しないでくれるかな。でも、本は読む人だったんだね。けれど、本棚いっぱいに詰まっている本は、お父さんの本なんでしょう?」


「いや、ほとんど、お母さんの本だよ。お父さんの本は三割ぐらいかな?」


「そうなんだ……」


 意外だ……どんどん私の知らないお母さんが顔を出し始める。それよりも、私はこれまで、こんなにもお母さんの事を人に聞いてこなかったんだと、ちょっと愕然とした。


「あのね、暗号と言っても、『8』と書いてあるだけなんだよね、お母さんの誕生日は、七月十一日だし、これを書いた年齢は三十三歳だと思うのよね、どこにも『8』なんて出てこない。ねえ、お父さん、『8』で連想するものってなあに?」


「そうだなあ、一週間は七日だし、一月は三十一日、二月は二十八日か!」


「あんまり……関係なさそうだけど」


「確かに」


「もう、真剣味が足りないなあ、誰の為だと思っているのやら……『8』かぁ、『8』……」


「自分で考えてみたらどうだ?」


「何でよ! 一番お母さんの事を知っているのは、お父さんでしょ!」


「それはそうだと思うが、その暗号は、理沙の為に書かれたものだろ? だったら、理沙が考えてあげなよ、それに……」


「それに?」


「それに、終わった時の事を、お父さんなら考えるよ。例え、お母さんがすごい暗号を作れたとして、理沙がギブアップしたとする。そこで、お母さんがこれ見よがしに、理沙に知識をひけらかして、解説したりするかな? 父さんなら、理沙に――あ、そうか、そうだったんだ、全然気が付かなかったって言わせて、一緒に笑い合える様な答えにしておくと思うね」


「確かに」


「だろ? だから、自分で考えて見な――ごちそう様。ブリ照り……母さんの味に近づいたぞ。これなら、毎日ブリ照りでも文句は無いね」


 父は、もう一度、ご馳走様と手を合わせると、お風呂に入った。


 

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