ボンちゃんとルビーと暗号「8」
涼子と理沙の思い出は多くはない。理沙にとって、母との想いでの品と言えば、涼子が生前に作ったアルバムぐらいだ。
少し前までは、夜な夜な開いて涙を流していたが、そのアルバムも、手に取ることは次第に少なくなり、今では押し入れにしまいこんだままだ。
涼子の部屋は、いつの間にか、理沙の部屋と呼ばれるようになり、母の影は次第に薄くなっていく。
◇
「うーん、手が届かないな。何か、長いもの……」
椅子の上から部屋を見回すと、部屋の隅に置いてある、ハンディ掃除機が目に入った。掃除機の柄を、長いものに付け替えれば、十分に奥まで届く長さになる。
(丁度良いから、掃除もしよう)
掃除機と懐中電灯を持って、また椅子に上がった。中を照らすと、意外と埃は多くない、掃除機は大袈裟すぎた。
埃の他には、段ボール一個だけが、ポツンと残っている――片手で持ているぐらいの小さなやつだ。
掃除機のスイッチを入れて、まずは、天袋の中を掃除した。
あらかた、きれいになったところで、最後に段ボール箱を引きよせる事にした。
うまい具合に掃除機の吸引力で段ボールを捕らえる事が出来た。掃除機が甲高い声で悲鳴を上げ始めたが、もうちょっと待ってねと、言いながら、そのまま引きだし、吸引力を信用して、掃除機に吸い付けたまま、部屋の床に起き、スイッチを切った。
早く中を覗きたくてたまらない。
でも、ここへ来て、急に洗い終わっていない食器の事が気になり始め、段ボールを持って一階へ降りた。これはもう、性分だ仕方がない。
折角なので、父の食事の支度を終え、後はお風呂に入って寝るだけ、と言うところまでやり終えて、自分の食卓の席に座り、満を持して、改めて段ボールを目の前にした。
(さて……ちょっとドキドキする。箱には何も書いていないから、お母さんのものとは限らないけど、何か懐かしいものは出てくるんじゃないかな)
わくわくが止まらない。
久しぶりに母の思い出の品に触れると思うと、すごく嬉しくなった。
誰もいない家に帰ってくる事には慣れないが、母がいない事にはずいぶん慣れた。このまま、母の存在がどんどん小さくなっていくのかも知れないと思うと胸がぎゅっと痛くなる。
ゆっくりと箱を開けて中をのぞくと、そこには、あっけないほど期待した通り、例の小箱があった。それと、封筒が一通……。
「あった……本当にあった、見つけられて良かった。たまたま思い出したけど、そうでなければ、私が死ぬまで押し入れの奥に入れっぱなしだったわね」
記憶の中の通りの可愛い小箱が、透明なプラスチックのケースの中に納まっている。小箱もケースも、やけに綺麗で、どうやら買った時のままのようだ、母は結局使わなかったのかもしれない……と思いながら、ケースごと手に取った。
ケースに貼られているシールには『有田焼・
「ボンボニエール……可愛い名前だね。今日から君はボンちゃんだ」
ボンちゃんは朱色の花を持つ、つる草を描いた、つるんと丸っこい、可愛いやつだった。
ボンちゃんをテーブルに置くと、続いて封筒を手に取った
ドキドキしながら手紙を手に取る。少なくとも七年以上前に書かれた手紙であるはずだが、不思議と古びた感じはしなかった。
姿勢を正して、封筒をテーブルの上に置き、丁寧に傾きを正して、改めて眺めた。
(理沙へ……って書いてある……)
机の上に置いた封筒には私の名前が書いてある。私は胸がずきんとした。間違いなく母の字だ。
可愛らしい花模様をあしらった封筒の縁から、注意深くカッターの刃を差し込むと、白くて分厚い封筒が、少し抵抗しているように感じられた。
それとも、自分自身が開ける事をためらっているのかもしれない。それでも、きれいに口を切り終えると、中から数枚の便箋を取りだした。
深呼吸をして、便箋を開く。便箋も、間違いなく母の字が書かれていた。
この時、これは、どうやら思い出の品ではないと言う事に、はっと気が付いた。
出だしには『大きくなった理沙へ』と書いてある。
この便箋は、昔の想い出の品ではなく、今日この日から想い出となる、今日初めて出会った母が、ここにいるのだ。
――大きくなった理沙へ
理沙、この手紙を読んでいるあなたは、いったい何歳になったのかな? 理沙とは沢山手紙のやり取りをしたけれど、きっと、高校生ぐらいになっているだろうから、漢字を沢山使って書くね。なんだか、緊張してしまいます。
有田の陶器市で買った小箱なんだけど、お父さんに聞いたら、実は、贈り物に使うものなんだってね。贈り物用の小箱を、自分の為に使うのもどうかなと思って、理沙にあげる事にしたの。でも、理沙にはお気に入りの茶碗があるから、どうせなら、大きくなった理沙にあげたらどうかな、と思って、この手紙を書いています。
小箱だけじゃ、なんだかさみしいから、お母さんが若いころに使っていたピアスを入れておきます。デザインがかわいくて、自分で買ったんだけど、もう、おばさんになっちゃったからね……(笑) だから、理沙にあげちゃいます。
それと、大きくなったら、教えてあげるねと言っていた、幸せになるための秘密の言葉を入れておきます。
では、またね。大きく、きれいになった理沙へ――涼子
PS.魔法の言葉は暗号になっているよ! ギブアップしたら、教えてあげるね(笑)
手紙は、母が予想してボールペンで描いた高校生になった私の似顔絵で終わっている。似ている様な、似ていないような。
ともかく、お母さんは絵があまり上手くない、と言う事を初めて知る事が出来た。
「お母さんたら、思っていたより、おちゃめさんだったのね」
小箱をケースから出して、ふたを開けてみた。中には、赤く輝く石を、金色の釣針で引っかけたようなピアスが、一揃い入っていた。二つに折られた小さな紙片とともに。
「ちょっと私には、まだ、大人っぽ過ぎるかな。お母さん、でも、ありがとう。大切にするよ。もう少し大人になるまで、ボンちゃんの中に入れておくね」
と、言いつつも、片方だけピアスをつまんで、耳にあてがい、鏡の前に立って見た。左手で髪をかきあげて耳を出し、右耳に美しいピアスをあてがった。まるで、鏡の中に別人がいるように感じた。勇気や自信が溢れ出てくるような感覚が、もしかしたら、魔法の宝石を手に入れたのかもしれないとさえ思わせた。
◇
理沙はまだ気がついていない。
赤い石はルビーだ。
涼子も理沙も、同じ七月生まれなので、二人の誕生石は同じルビー……赤く魅惑的に輝くルビーは宝石の女王と呼ぶに相応しい石だろう。身に付けた女性の、ありとあらゆる魅力を引き上げ、一歩一歩足を踏み出す度に、君に勇気や自信を与えてくれるに違いない。
理沙は長い間、ピアスと、鏡に映った自分の姿を堪能したところで、ボンボニエールに入っていた、もうひとつの贈り物を思い出した様に手に取った。
コピー用紙を切り取ったような、何の変哲もない、白い紙片を開いてみると、そこには数字で『8』とだけ、大きく一文字書かれている。他には何も見当たらない。暗号と呼ぶにはシンプルすぎた。
「8? だけ?」
理沙は途方に暮れて、早々に根を上げた。
「お母さん……なにこれ? もうギブアップ。教えてよ、暗号の意味を……それよりも、答えを……」
もちろん、『記憶の中の涼子』は何も答えない。
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