悪いこと

 私は、亡き母から二つの宿題を出された気がしていた。


 ひとつ目は、父を総理大臣にする秘策を探すこと。


 ふたつ目は、暗号『8』の解読だ。


 もしかすると、暗号を解けば、秘策が見付かるのかもしれない。そうであって欲しい。


 とにかく、宿題は自分の力だけでは無理そうなので、父に言われた通り、塾講師の英章先生に会いに来た。


 ここへの道のりも、頭の中は父を総理大臣にするためには、私は何をしたら良いのかと、そればかりがぐるぐる回っていた。 

 ぐるぐる回りすぎて、脳ミソがバターになりそうだ。


「出来上がったのは、バター味のミソかな? ミソ味のバターかな?」


 しまった、また、悩みが増えてしまった。


――ガラガラ


「俵先生すみません、英章先生……大野先生いますか?」 


「おお、理沙か。今日は塾に来る予定だったかな? ああ、中間テストの報告か? 大野先生なら鍋島と教室で話しているぞ」


「そうですか……鍋島君と言うと、あの、理数系では常にトップクラスの鍋島経斎なべしまつねなり君?」


「ああそうだ。僕が数学を受け持っているがありゃ天才だな。しかし、天才ってのは問題も――実は、不良グループを使って、塾の生徒達にゲームを貸している――らしいんだ」


「……え?」


「それで、私から大野先生にお願いして、鍋島に話をしてもらっている、と言うわけだ」


「無理やり貸し付けて、お金を取っているんですか?」


「それが違うんだ、貸しているのは無理やりっぽいが、全てタダらしいんだ」


 無料で友人たちにゲームを貸し与えている事が咎められる事なのだろうかと疑問に思ったが、信頼する数学の塾講師である俵先生が言っている事なので、何かしら問題があるのだろうと、ぼんやり思った。


「無料でゲームのレンタル屋さんをやっているんですね? ボランティアですか?」


「それがそうとも……天才の考える事は、良くわからん。それもあって、大野先生に助っ人をお願いしたんだ。大野先生は、学歴もあるし、人柄も良い。実家はお寺で、お坊さんで――そうか、理沙の家は、大野先生のお寺の檀家さんだったな。その辺りは、理沙の方が詳しいかな」


「大野先生には、小さいころからお世話になっていますよ。お寺に行くと、いつも飴をくれるんです。今でもね(笑)」


 英章先生から、いつまでも子供扱いされる事は、悔しくもあり、嬉しくもある……最近はしっかりしているねと大人扱いされることが多くなった。それはそれで嬉しいのだけれど、まだ、子供でいたい時もある。


「そろそろ、話も終る頃だろうから、教室へ行ってみるといいぞ」


「はい……行ってみます。ありがとうございました」


 社会科の先生で、しかも、話しやすい英章先生をあてにして来たけれど、どうやら先約があったようだ。


 鍋島くんは、名前は知っているが、話したことはない。かなりの変人だと噂は聞いていたので、このまま、教室ではちあわせるのは、あまり気が進まない。


 教室まで行って、英章先生の様子を伺って、込み入っている様なら、今日は諦めて帰ろうかと考えながら、人の少ない日曜日の塾の廊下を歩いた。


 どうしたらお父さんを総理大臣にできるのか……それよりも、それをどう言う風に英章先生に質問すればいいのだろうか、また、子供扱いされて、人の事より、勉強を頑張れって言われて、飴をもらうのだろうか……そんな想像しか浮かばない。


 教室へ近づくと、だんだんと、二人の会話が聞こえてて来た。どうやら、穏やかにはいっていない様だ。


「鍋島! おまえはそんな方法で三百万円も稼いだと言うのか! そんな事をしたら『ワンダーボーイ』のオーナーが黙っていないだろう!」


「そんな事はないさ。感謝されるとしても、恨まれる事はない。それに、俺と、あいつらの契約は終了した。これから先の事は、俺には関係ない」


「……お前との話は後回しだ! 改めて、話をするからここで待っていろ、これから僕はそこへ向かう。逃げるなよ!」


「わっ! 大野先生!」


 英章先生が慌てた様子で教室から飛び出して来た。塾では珍しく、着物に草履だ。危うくぶつかるところだ。表情も固くて、いつもの英章先生じゃない。


「理沙か、スマン急ぐんだ。こんな事はやめさせなければ……」


 言い終る前に英章先生の姿は見えなくなった。教室で何があったんだろう、なんだかもめている様だったけれど、状況が全く分からない。いつもは、優しく、落ち着いた英章先生が、こんなにも取り乱しているなんて……初めて見たかもしれない。


(なんだろう――)胸騒ぎを感じずにはいられない。教室には鍋島君一人が席に座っていた。


「いったい何事? 大野先生、凄い顔をしていたわ! 追いかけなきゃ、早く! 早く立って!」


 手を引っ張り、鍋島君を連れ出そうとした。立ち上がった鍋島君の顔を見上げると、ロボットのような無表情を変えること無く、呟いた。


「何で俺が行かなくちゃならないんだ? と、言うか……お前は、誰なんだ?」


「誰って何よ! クラスメイトでしょ? 名前ぐらい覚えなさいよ!」


「名前どころか、顔も知らん」


「私は理沙! 飯盛理沙よ! それより、大野先生は何処へ行ったの?」


「ああ――でも、お前には関係ないだろう」


「さっきから、よく、初対面で、お前なんて呼べるわね」


「だって、クラスメイトなんだろ?」


(いいいいいぃ! 顔色を変えず話すのが余計に腹が立つ! 思わず舌打ちしそうになってしまった、チッ、小賢しい……)


「……とにかく追いかけるの」


「おい、手を引っ張るな、危ない」


「急がなきゃ見失うわ!」


「もう、見失っているだろ? 分かった、教えるよ『ワンダーボーイ』のオーナーの所さ。だから一人で行ってきな」


「なるほど、で、『ワンダーランド』ってどこにあるの?」


「全然違う。『ワンダーランド』じゃなくて、『ワンダーボーイ』だ。お前はアリスじゃないし、俺は、チョッキを着た白ウサギじゃないぞ」


「ふふ、不思議の国のアリスね……鍋島君でもそんな冗談言うんだ」


 私が、ふふふと笑うと、鍋島くんは手を振り払って後ろを向いた。


「な、なんだ、急に……とにかく、説明するから良く聞けよ。大野英章には、良い情報を教えてやったんだ。不良三人組がオーナーと組んで、悪い事するかもしれないぞってな」


「悪い事って主犯は鍋島君でしょ? さっき、三百万円稼いだって……」


「人聞き悪いな。俺はちゃんとルールの中でやっている。それに、あいつらが新作ゲームを欲しいと言うから手伝ってやっただけだ。しかし、あいつらはルールから外れようとしている。俺の立てた作戦を悪用してな」


「どう言う事?」


「オーナー、不良ども、そして俺。全員が儲けたんだ。でも潮時だ。これから先はダメなのさ。今までは、オーナー自身は、俺達が何をしているか知らなかった。つまり、『正常な取引』が行なわれていたんだ。でも、あいつらは、計画をオーナーに伝えようとしている。それはもう談合だ」


「よくわからないなぁ」


「解らないのに、行ってどうするんだ?」


 確かに……わからないまま英章先生を追いかけて行っても、何の役にも立てないかもしれない……でも、だからってこのままには出来ない。出来るだけ情報を得なければ……もしくは……。


「とにかく、そのワンダーなんちゃらへ行くわよ」(連れて行ってしまえばいいんだ!)


「『ワンダーボーイ』だ」


「なんでも良いわ。とにかく急ぐの。良い事が起こる気がしないわ! さあ早く!」

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