お父さんを総理大臣に!

「でも、あれだよ。掃除には来てよ。また出られなくなるし――そう、久しぶりだから、お腹空いたなあ。何か食べる物ない? 僕にそなえなよ」


 神様は、左手で壁に手をつき、馴れ馴れしくそう言った。祠で出会った時に比べると随分横柄な態度だ。私は『僕に供えなよ』と言う日本語が存在する事を初めて知った。


――お供え物……と言えば、おはぎとか和菓子とかかな? でも、こんなに急だと、用意できない。


「ご飯はこれからですけど……神様ってパスタとか食べます?」


「食べます、食べます、アルデンテでお願いね!」


「アルデンテ……」


「それから、料理をするなら服を着た方が良いよ。そのままエプロンでも、もちろん構わないけどね」


「え? ええっ?」


 そうだ、下着姿のままだった。


「ぐ、ぐわわわわぁ……」


――頭から湯気が出たの見えた? しゅわわって、しゅわわーって湯気が見えたよね? ケトルの十倍早くお湯が沸くよ!


 私は熱くなった顔を両手で覆い、猛ダッシュで、目の前にいる神様らしき男の、壁に伸ばした左腕の下をくぐり抜け、階段をダダダと駆け上がり、二階の自分の部屋にバタンと飛び込んで、布団にくるまった。


(ち、ちょっと時間が欲しい……落ち着いて……落ち着いて……)



 理沙は、物凄く慌てていた。


 確かに、今考えれば変質者に見えなくもない。


 だけれど、僕が折角、願い事を叶えると言っているのに、はいそうですかって、さっさと帰っちゃうから、追いかけていくしかない。


 神の話は最後までちゃんと聞くと学校で習わないのか。


 それに、この頃の理沙には、今の様に見惚れる程の魅力はまだ無く、僕にとっては、暴れるハムスターを見て微笑んでいる様なものだった。やましい気持ちなど微塵もない。


 と、言うと、君はもっと腹を立てるだろうがね。



 あれから、自分を落ち着かせるのが大変だったが、どうにかこうにかこの事態を受け入れられた。私は柔軟性は高い方だ。


 おちついて……おちついて……。と、ベッドの中で繰り返しているうちに、段々馬鹿らしくなってきて、たぶんこれは、きっと夢なんだと思った。


 鍵はしっかりと掛けたし、あの男は靴も履いていなかった。


 変質者なら必ず土足で部屋に上がってくる。土足で私を踏みにじるに違いない。


 そう思って、ベッドから抜け出して、二階の自分の部屋から一階の様子を見に行った。階段を恐る恐る一段ずつ爪先立って下りて行き、階段下の廊下から、そうっとを覗いてみた。


(これは夢だ……夢なんだ……)


 いない……。やはり、洗面所には誰もいない。私が脱ぎ散らかした、夏服のセーラーが無造作に落ちているだけだ。

 

「なあ、お供え物まだぁ?」


 急に声を掛けられ、また飛び上がった。男は洗面台ではなく、キッチンにいた。ゆっくりキッチンの方へ行くと、あの男が、ナイフとフォークを両手に持って、テーブルに座っている。


「まだなのぉ?」


 ナイフとフォークの柄で、ダンダンとテーブルを叩き始めた。だだっ子だ……。


 と、まあ、こんなやり取りを三度繰り返した。


 夢か現実かを確かめに行く度に、を催促された。


 とにかく、どちらにしても夕飯の支度は必要なので、先ずはご飯だな、ってことで、パスタを湯がいて、ストックのあったスープを解凍して……。


 神様は、いただきますと手を合わせると、フォークを右手に取り、マナー講師のような優雅な振る舞いで、あっと言う間にパスタを食べ終えた。


「ごちそうさま――さて、君の願いは、しかと聞き入れた。じゃ、ま、そう言う事で」


「は?」


 あっけに取られて開きっぱなしの口から出た声は、思ったより大きくなった。


「願い事って何ですか――と言うか、あなたは一体何者? 何しに来たんですか! そうですよ、なんだか、混乱しちゃって、流れに任せてパスタまで用意しちゃいましたけど、不法侵入ですよ! 警察に電話しますよ!」


「は? ってこっちのセリフだよ。掃除してくれたお礼に願い事をひとつ叶えてあげるって言ったでしょ?」


「そんな事って……じ、じゃあ、お父さんはもう総理大臣になったとでも言うんですか?」


「なってないよ」


 自称神は当り前の事を話す――相変わらず平然と。


「とにかく、頑張ってね」


「がんばるって何をですか?」


 頑張ってと言う言葉は、最大限の声援に聞こえるが、時に、最も無責任な言葉でもある。


「それは、自分で考えて! あ、言っておくけど今、この瞬間にお父さんを総理大臣にする事もできるよ! 私の実力をもってすれば当然さ! 神なんだから。でもね、面倒くさいんだよ。そうすると、色んなものを書き変えたり、今の総理が初めからいなかった事にしたりとかね。それに、お父さんを総理大臣にしたいのなら、自分でプロセスを踏むしかないでしょ? お父さんが総理大臣になるためのプロセスを」


「プロセス――って何ですか?」


「プロセスは工程とか過程の事だよ。順をおってゴールまでやっていく事。プロセスハムとかプロセスチーズとかのプロセス」


「そんな事はわかっていますよ! そうじゃなくて、その工程とか、過程の中身ですよ」


「ああ、先ずね、例えばヒツジの場合ね」


執事しつじの場合ですね?」


「うん。搾り立てのミルクを、乾燥させた胃袋に入れて丁寧にもみ続け……」


「それってチーズを作っていませんか?」


「うん、作っていますけど? でも、プロセスチーズは工場で作るから羊の胃袋は使わないのかな……どう思う?」


「はぁ」


 こんなに深い留め息をついたのは久し振りだ。


「お父さんが総理大臣になるためのプロセスを教えて下さい! チーズではなく!」


「――君は間違えているな。私が叶えるのはお父さんの願いじゃない。君の願い事だよ。僕にとっては一石二鳥だし――お父さんを総理大臣にしたいのなら、君がお父さんを総理大臣にするためのプロセスを考えなよ」


「私が……お父さんを――」


「うむ。では、じゃ、ま、そう言う事で」


 そう言うと、自称神は、消えてしまう――訳ではなく、玄関で革靴を履いてから出て行った。





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