雨の土曜日

特別な金曜日の夕方と土曜日を失って、もう3年も経つ。

いつから時間が加速を始めたのか、検討さえつかない。気が付くと二十歳を越えていて、次に気づいた時には社会人になっていて、自分のことを尊いと思っていた私は消えてなくなってしまった。

その代わりに、夜眠ろうとして電気を消すと突然不安に襲われたり、深夜にコーヒーを飲むためのお湯を沸かしていたら涙が止まらなくなったりする、そんな病に蝕まれていった。

今日は気だるい憂鬱な土曜日。

外は土砂降りで、もう何日もこの調子だった。

洗濯をするのは土曜日と決まっているのに、晴れない空のせいで部屋中が吊り下げられた洗濯物の臭いで充満している。

本と洗濯物に囲まれた、紙の匂いと柔軟剤の臭いの中で私は生活している。


大学を卒業すると、私はすぐに就職した。働くことが今の私を変えてくれると信じた末の逃避行に近かった。

働けば、働いてさえいれば、自分の情けなさを忘れることが出来る。そして何より、陽介のことを忘れることがきっと出来る。そんなことを考えていた。


学生の頃、陽介に期待する私の姿を見て、誰かが私に言った。

「もっと淡々と生きなよ。何をそんなに期待してんの」

その時の、その誰かの瞳を、私は今も忘れられない。誰に言われたかも思い出せないのに、あの黒々とした瞳とその言葉に、私はしばらく苦しめられた。

淡々と生きる。連続するものに委ね、何かを起こすことなく淡々と生きる。

現にそう生きているのに。これ以上どう淡々と生きればいいんだ。

一人で苦しんで、進むことも逃げることも出来ず、淡々と毎日を消費している。

だからあんなに苦しんでいたのに、そんなことを知ってか知らずか、駄目なものを見るような、教育者のような口調でそう言われた時、 私はうつむくことしか出来なかった。

反論さえ出来ない、どうしようもない私。

そんな私に、彼女もしくは彼はこれ以上どうしろいうんだろうか。何も感じるなということなのだろうか。それならば、死人と同じではないだろうか。

いっそのこと、死ぬことが出きればいいのに。


私は大学時代、慢性的に死にたいと思っていた。思っていただけだった。


外は今も土砂降りである。誰かがインターホンを鳴らす見込みもない。

使われなくなった旧式の電化製品みたいに、そこにあるだけ。お金がかかるので捨てることも出来ない、実家にあるブラウン管テレビと同じような私。


今の私の恐怖は、あの頃のものとは同質で、だけれど、異なるものになった。

今は陽介を忘れていく自分が心底恐ろしい。


学生時代、確かに金曜日の夕方から土曜日にかけて、私は束の間の安らぎを手にしていた。

まともではない癒しだったけれど、あれは確かに私を救っていた。


あと、数時間経てば陽介に会える。


あっちは会いたくないかもしれない。でも会える。そしてもしかすると、何か楽しい会話が出来るかもしれない。

嗚呼、明日が来ればいいのに。

そんな風に過ごしていた。


それが今では更に淡々と生きてしまっている。もう彼の顔がおぼろげになってしまった。

思い出せなくなることを願っていたはずなのに、思い出せなくなることを恐ろしいと感じるようになった。

彼が幻になっていくようで、それに絶望する。否、彼だけではない。私と出会って、そして、私を通りすぎた人の全てが幻だったかのようで、世界が真実味を失っていった。


だから今ではもっぱら土曜は回想をする日である。思い出せなくなることが怖いから、記憶を手繰り寄せるのだ。沢山の辛いこととほんの少しの喜びを、私は今日も思い出す。

外は依然として雨のままだ。


私の頭のなかは昔のままを演じようとしている。

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淡々として、それから 君尋 @liclic

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