§3 美莉奈ねえちゃんとサンディ谷仲
サンディ
報道は過熱し、サンディ谷仲の個人事務所の経営実態や家族の暮らしぶりまで、徹底的に晒され、そして叩かれた。それにしても、70歳を超えているのに老齢ビザを取得せず、のうのうとテレビに出演し続けていたというのだから、当局の摘発も酷いもんだと思う。そのことを指摘するコメンテーターや雑誌もあったけど、ほとんどは本人を叩く内容のものだ。まぁ、テレビで散々、他人の不祥事に好き勝手言ってたのだから、仕方ないだろう。でも、今回の件と無関係な、プライベートの女性関係やらまで面白おかしく書き立てるのには、違和感を感じる。
「サンディやべーよ、あいつまじやべー」
学校でも、芸能人のこうしたスキャンダルは格好の話題の種だ。弁当を喰い終わった山本がいつものように、実話系週刊誌を広げていた。
「実際ないわーこいつ。ありえねーよ」
「まじでー? どんだけだよ」
「いやほんとアレだって。やべーよこいつ」
こうして文字にするとなにがやばくてありえないのかさっぱりわからない。
幾子ばあちゃんがサンディ谷仲と知り合いだということは話さなかった。今回の件については内心、ざわざわするものがあって、それを口にしていいものかどうか、迷いがあったのだ。だけど、そのざわざわがこの事件に対するものか、それともこの後に待つ衝撃に関するものだったのかは、未だによくわからない。
「大体さー、70歳超えてるのにヤリまくってるのがもうやべーよね」
山本の興味は「定年」破りよりも、そこに引き続くスキャンダルの方にあるらしい。雑誌のページを開いて、こちらに見せてきた。
「自分の番組に出てる女性アシスタント喰いまくりとかさ、『定年』超えたジジイの所業じゃねーっつーの」
――え?
俺は自分の耳を疑った。女性アシスタントに――なんだって?
目の前に広げられた雑誌の記事の見出しはこうだ――「昼番組の収録スタジオは、サンディ谷仲の『私設ハーレム』」。その下には「歴代女子アシスタント『捕食率』は98%!? これは『定年』過ぎてもやめられない!」。同じページに、サンディ谷仲の顔写真と、そして、目線の入れられた女の子たちの写真――その中のひとつ。目こそ見えないけど、顔の輪郭、口元、鼻と耳、これは、間違いなく――
俺は山本の手からその雑誌を奪い取り、記事の内容を読みふけった。山本がなにか言っていたが、耳に入らなかった。
その日、午後の授業をどうやって過ごしていたかはよく憶えていない。気がつけば、河原沿いの道をとぼとぼと家に向かって歩いていた。夕暮れの陽の光は禍々しい紅色となって川の水面を照らしている。その中を、年老いた夫婦が連れだって歩いていた。
その夫婦を見た時、俺はやり場のない怒りがこみ上げてくるのを感じた。今すぐにでも殴りかかりたかった。
その老夫婦はたぶん、老齢ビザをちゃんと取得して生き延びているのだろう。着ているものも、裕福な暮らしぶりであることが伺えた。
そうやって何不自由なく暮らしている奴らが、美莉奈ねえちゃんのような若い女を喰い散らかしている――そんな想像が頭の中を支配した。俺達若者は、いつだって年寄り連中の「お下がり」をもらって生きていくしかないんだ。だったらせめて、何も生産しない年齢になったら若者に世の中を明け渡して、大人しく死んでくれ、と思う。ましてや、あいつは――
俺は、テレビでしか見たことのないサンディ谷仲の顔を思い浮かべた。
そうだ、この老夫婦は悪くない。悪いのはあの男じゃないか。死ぬべき時に死なないばかりか、法律を破ってまで生き延び、若者のリソースを喰い荒して――
「不景気な顔してやがんねぇ、いい若いもんが」
突如、かけられた声に振りかえると、そこには幾子ばあちゃんが立っていた。
「帰りかい?」
「うん」
「そうかい」
そう言って、横に並んで歩きだす。俺よりも背の高い幾子ばあちゃんは、背筋をしっかり伸ばして踵から足を出し、結構な早足で歩く。とても今年が「定年」だとは思えない。
そういえば――
「ばあちゃんさ、サンディ谷仲が『定年』過ぎてるって知ってたの?」
「なんだぃ。藪から棒に」
「だって昔からの知り合いだったんだろ?」
「まぁ、知ってたけどね。あたしより2つか3つ、歳上だったはずだからね」
事もなげにばあちゃんは言った。それじゃあ――
「なんで黙ってたんだよ?」
幾子ばあちゃんは驚いて、こちらに向き直った。
「なんで? なんでってお前……警察にタレコミでもすれば良かったってのかい?」
「だって……悪いことじゃないか」
幾子ばあちゃんは一瞬きょとんとした顔になり、その後すぐに笑いだした。
「そうか、悪いことかい。なるほどね」
「違うのかよ」
「いいや、悪いことさ。立派な法律破りだからね。それなら、なおさら言えないねぇ。あたしだって、あんまり人のことは言えた人生じゃないからね。悪人仲間をお上に売るわけにゃいかないよ」
「そんな、ばあちゃんは……」
「いいかい、
幾子ばあちゃんはそこで笑うのをやめた。
「悪事でも善行でも、他人様のことにあんまり首を突っ込むもんじゃないよ。本人にとってどんな事情があるか、わからないんだからね」
「でも、法律が……」
「だから、法律と警察にでも任せときゃいいのさ。法律を犯して、警察に捕まってでもやらないといけない覚悟があってのことなら、外野がどうこういうもんじゃない」
「……覚悟ってなんだよ!」
俺は思わず、吐き出すようにして叫んだ。
「『定年』を破って生き延びて、好き勝手やってるだけじゃないか。適当なことを言ったり、若い女喰い散らかしたり……そんなのただの欲望だろ? そのために法律を破るのが覚悟なのかよ?」
「だったら、どんな理由だったらいいんだい? 欲望だとなぜいけないんだい?」
ぴしゃりと言った幾子ばあちゃんの言葉は、静かだが重いものだった。
「覚悟の基準は本人にしかわからないよ。若い女を抱きたいから、なにがなんでも生き延びる、結構なことだと、あたしゃぁ思うけどね?」
幾子ばあちゃんはまたカラカラと笑って、先に立って歩いて行った。
「あ、そうそう」
不意に、幾子ばあちゃんが振り向いた。
「
美莉奈ねえちゃんの家は、うちから斜向かいにある。なんのことはない、二階建ての普通の民家で、今はおじさんとおばさんの二人暮らしだ。お兄さんが一人いたはずだけど、就職して家を離れているらしい。
家の前で、俺はまごまごとしていた。美莉奈ねえちゃんにはもちろん会いたい。だけど、会って一体どうしたいのか、よくわからない。サンディ谷仲が捕まって良かったね、とでも言うつもりだろうか?
結局、決心がつかずにその場を立ち去ろうとした俺は、間違いなくヘタレだと思う。でもそんなヘタレの前で、その家の玄関が開いて、すごく垢ぬけてきれいになった美莉奈ねえちゃんが顔を出した。
「あれ……亘ちゃん?」
コンビニにでも行くつもりだったのか、軽装の美莉奈ねえちゃんが俺に気がついてそう声をかける。先日会った大女優・佐々山芳乃さんとは別の意味で、玉を転がすような声だ。
「……久しぶり」
そう言うのが精一杯だった。
「元気ー? 今、高校だっけ?」
「うん、来年もう3年になる」
「そうなんだー。じゃあ受験だね」
他愛もない近況報告。ここで、「サンディ谷仲とヤッたの?」とか訊けるやつは、さすがに人間じゃないと思う。俺だって本当のことを言えば、それは訊きたくて仕方のないことではあったけど。
「タレントの仕事は、まだ続けるの?」
代わりに俺の口からは、そんな質問が出た。
「え? 当たり前じゃない! 映画の主演するまで辞めないよ、わたし」
美莉奈ねえちゃんは朗らかだった。その顔を見て、あの実話系週刊誌の記事はデマかもしれない、と思った。だって、一度でも関係を持った相手が逮捕されて、死ぬかもしれないっていうのに、そんなに朗らかでいられるだろうか?
「よかった。サンディ谷仲の番組、しばらく出てなかったからどうしたのかと思ってさ」
その名前を出した時、一瞬だけ美莉奈ねえちゃんの表情が曇ったような気がしたけど、多分それは俺の思い過ごしだと思う。
「人間は成功するように出来てるんだって。頑張ってね」
受け売りのセリフを言って、俺は美莉奈ねえちゃんと別れ家へと戻った。ヘタレと言うなら言えばいい。
どちらにしろ――そう、どちらにしろ、老齢ビザを取らないまま2年も生き延びたサンディ谷仲は、これで晴れて「定年」となり、人生を全うするはずなのだ。そうすればきっと、美莉奈ねえちゃんや、俺や、あいつに関わるこのモヤモヤした感情が浄化され、すっきりするはずだ。なにしろ、サンディ谷仲は過去のものとなるのだから――
そしてその翌日、サンディ谷仲が釈放された、というニュースがテレビで流れた。
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