記憶 其ノ弐
優太郎は雫の家の前に座っていた。誕生会に呼ばれたのだが、予定より三十分近く早く着いてしまって、そうしたら留守だった。仕方なく、玄関の前に腰を下ろしている。
優太郎は、この間雫に作ってもらった着物を着ていた。大きさも丁度良く、着心地も良い。優太郎は結構気に入っている。
(遅えな)
待ち合わせの時間を過ぎたのに気がつき、手に持っていた紙袋をぺしと叩く。中身は白いマフラーだ。女物で、買うとき恥ずかしかったのを覚えている。でも、雫のためと思って我慢した。知り合いの店で買ったのだが、そいつが、「おい優太郎、プレゼントか? お、彼女でも出来たのか?」とニヤニヤしながら聞いてきたのは、思い出すだけで腹が立つのではあるが。
(雫どこ行って――)
思い出した。昨日、ポツリと場所を言っていたではないか。
「裏町……!」
顔がみるみる青くなっていくのが分かった。顔だけではない、全身から血が抜ける感覚に襲われる。
(早く行かないと!)
紙袋を懐にねじ込み、走り出した。
裏町とは、地名ではない。あくまで通称である。ただ、街のはずれにあって、治安が悪いから、裏町。当然そこには悪い噂がいくつもある。身の毛もよだつような噂ばかりだが、特に最近騒がれているものがある。それは、行方不明事件。裏町に行くと言ったきり、戻ってこない子ども、主に女子が、何人かいるのだ。噂によれば、異次元に消えたとか、誘拐されたとか。でも一番有力なのが、攫われて売られた、ということ。行方不明の子どもはきれいな顔をした子どもが多い。だから最も有力視されている。
(アイツ、自覚無いみてーだけど、結構かわいいからな)
何も無いといいんだけれど。そう願いながらも、必死に走った。向かうは、裏町。
誰もいない廊下を一気に駆け抜ける。それから、可能性がありそうなところをしらみつぶしにあたっていった。
今いるのは、ある武器商人の屋敷だ。だだっ広くて、どこに何があるのか分からない。だが、屋敷の近くにいたヨボヨボの老人の話によると、雫はここに連れて行かれたらしい。意地でも探し出すしかない。
(誰かに見つかんねーといいんだけど。まあ、上手いとこ侵入できたし、見つかんないと信じるか。つーか、雫どこだよ……)
下手に声を出して、誰かに見つかっても良くないので、大きな声は出せない。基本的には自分の目で確かめていくしかないのである。
どれくらい時間が経っただろうか。もう日が暮れる。夜になるまでに雫を連れて帰りたいと思う。その一心で、やたらと広い武器庫を覗いたとき、人影を見た気がした。恐る恐る中に入る。ゆっくりと近づくと、ようやくそれが雫だと分かった。
「雫っ」
「ゆ、優くん……!」
雫は泣いていた。そして、こちらに近づこうとして、転んでしまう。見ると、手足を縛られていた。
「大丈夫か?」
解いてやると、雫は真っ直ぐに抱きついてきた。驚いて、思わず尻餅をついた。
ありがとう。来てくれてありがとう。怖かった。本当に怖かった。そう雫は泣いた。優太郎の胸に顔をうずめて泣いた。
「別に」
震え続けるその背中に手を回す。そのまま抱きしめてやると、震えは次第に小さくなっていった。
「雫、帰ろう」
雫は何度も頷いた。手を引っ張って立ち上がらせる。手をつないだまま歩こうとして、目を疑った。
「っ!」
バッと雫を後ろに隠した。それから目に付いた武器を手に取る。それは刀だった。いつも棒ふりまわしてるし、もうこれでいいや、と鞘ごと相手に向けた。
「いつの間にか助けが来てたなんてね。それも好戦的ときたか」
大きく出た腹。やたらと豪華な服。人を見下した笑み。この屋敷の主の武器商人に間違いなかった。
「どけ。俺たちは帰るんだ」
「嫌だなあ。せっかく捕まえたのに。めったにいないよ? そんな家庭的でかわいいの」
言葉の一つ一つにどこか小馬鹿にしたような響きがあって、腹が立つ。
「どけよ」
「生意気だね、君」
「生意気結構」
「うん、君、売れない。こんな生意気なの、売れない」
「じゃ、帰る」
「そのコは置いて帰ってよねぇ。売り物だからさ」
「雫は物じゃねえよ」
ギロリと睨む。だが男はそれにひるまず、はあと手を振った。
「嫌だな、これ。まるで価値がない。それと対照的すぎる」
「雫を物扱いすんなっ」
雫がもうやめてくれと言わんばかりに袖を引っ張ってくる。でもここでは引けない。この男を許しておけない。雫をここに閉じこめただけじゃない。物扱いしたことだって許せない。拳の一つまではいかなくとも、小言の一つは言ってやりたい。
「大体、てめえ、こんなことして楽しいのかよ?」
「うん、楽しいよ。売り物が希望を失っていくあたりが特に」
(こいつ……っ)
「この、キチガイ!」
滅茶苦茶に叫んだ。とにかく罵倒した。段々頭に血が上っていく。何を言ったか分からなくなってくる程に。段々自制がきかなくなってきた。
「黙れよ」
不意に男が激怒した。ぷつりと糸が切れたような怒り方だ。男はすぐ近くにあった刀を手に取ると、抜刀した。冷たい鉄が姿を現す。
男が何か恨めしそうに言ったが、何を言われたのかよく分からなかった。聞こえなかったのではない。言っていることを、頭が受け付けようとしなかったのだ。それほど聞き入れたくない言葉だった。生き方全て、存在全てを否定する言葉だった。
振り上げられた刃は、優太郎に向かって振り下ろされた。
もう、どうでもよくなった。男の見下した、ゴミを見るような目つきを見た瞬間、自分の中の、精神をつなぎ止めていた糸がぶっつりと切れた。
音が遠のく。体の感覚が分からなくなる。
気がつけば、握っていた刀の鞘が抜け落ちていた。
「もうやめて! 優くん!!」
後ろからしがみつかれて、はっと意識が戻った。もうやめてと何度も呟いているのは雫だ。
「俺は……?」
何をしていた? 何か握っている事に気がつき、刀だと思い出す。
(ああ、俺は怒ってそれで)
「!?」
刀に視線を送って、ぞっとした。血が、血がついている。恐る恐る顔を前に向ける。そこにあったのは。
「うああ……。ああ、何なんだよ。――俺が、やったの、か?」
血まみれの、人間。彼は腹を真一文字に切り裂かれて、虫の息になっている。
刀を取り落とす。カランと音を立てて、床に転がった。それを聞いた瞬間、がくり、と膝から力が抜けた。雫が支えきれず、二人して床に崩れ落ちた。
(俺がやったんだ)
俺が斬った。その事実だけが、頭の中をめぐる。
叫んだ。何を叫んだのか分からない。とにかく滅茶苦茶に叫んだ。不意に喉が痛くなってむせかえった。
「げほっ。げほっ……」
「優くん」
(お前まで、泣くなよ……)
「止血しなきゃ。死んじゃう」
ほんの少したって、雫は思い出したように言った。
(止血?)
「私は優くんに、人殺しになってもらいたくないよ」
雫は震える手で止血を始めた。上着を脱いで、男の腹にどうにか巻き付ける。雫が作業をしている間、優太郎は動けなかった。本当は自分が動かないといけないのに。ただただ、座って、震えていた。
自分が怖い。怒りに我を忘れ、人を斬ったのだ。自分が、信用できない。
「優くん」
「お前、俺が怖くないのか?」
「なんで?」
「だって俺は……」
「なんでそういうこと言うの」
雫は泣いていた。
「そもそも、私がここに近づかなければ。私が捕まらなければ、私が……っ」
嗚咽で、言葉が聞こえない。
「ごめんなさい」
やっと聞こえた言葉はそれだった。それから雫は何度も何度も「ごめんなさい」と繰り返した。
「悪くない。雫は、何にも悪くねーよ。だから、俺の事は気にすんな」
いっそ、俺のことも忘れてくれ。忘れれば、辛くねーよ。
そう思った瞬間、ずきりと胸が痛んだ。どうやら本心ではないらしい。
「できないよ。できないよ……」
雫は首を振り続けた。確かに、雫の性格を考えると、気にするなと言われて気にしないことは出来ない。でも、気にしないでほしい。自分が勝手にやったことの責任を、負わないでほしい。責任を負うのは自分だけで十分だ。
段々冷静になっていることに気がつく。嫌味だな、と思った。
「雫」
「なあに?」
「これ、誕生日のつもりだったんだけどさ」
懐に強引にしまい込んだ紙袋から、マフラーを取り出す。
足音が聞こえる。きっとあれは軍だ。軍だったら自分は連れて行かれる。時間がない。
「すまねえ」
首に掛けてやる。もともと泣いていた雫は、さらに大粒の涙を流した。それからぶんぶん首を振って、ありがとう、と言葉をこぼした。雫に手を握られる。次にこの手を握れることはあるだろうか。
「軍だ! 観念しろ!」
足音が部屋に飛び込んできた。
(ああ、もうか)
「雫、夢叶えろよ」
雫が頷いたのが見えた。それと同時に、頭に衝撃が走る。ぐらりと、世界が暗転した。
優太郎が倒れ込んできた。雫が慌てて支えて、揺り動かすも反応がない。どうやら気絶してしまったらしい。涙目のまま顔を上げる。そこにいたのは、何人もの軍人。
(頬に傷? 卍部隊……? 何で?)
そしてすぐに気がつく。
(優くんを連れていっちゃうの!?)
慌てて優太郎にしがみつく。こんなことで防げるとは思わないけど、何もしないよりマシだ。
「離れろ。我らが用のあるのはそこの少年だ」
武器商人は機械的に担架に乗せられ、運ばれていった。あまりに淡々とした作業が恐ろしい。
「嫌だ」
「離れろ」
強引に引きはがされる。それでも抵抗しようとしたら、殴られそうになった。薄く目をつぶったが、いつまでたっても衝撃はこない。目を開けると、拳を押さえている手があった。優太郎かと期待したが、違った。背の高い男の手だ。その男は、ほかの軍人と同じ軍服を着ている。だが、頬に卍の傷は無い。
「乱暴な真似はするな」
「はっ」
「ほら、そのガキ連れてけよ」
ぶっきらぼうに男が言う。それを合図に軍人が立ち上がる。優太郎を担いで。
「待って、連れてかないで! お願い!」
立ち上がろうとすると、男に取り押さえられた。放してと叫んでも、放してくれない。雫は放してもらうのは半ば諦めて、軍人に向かってわめき続けた。
「優くんをどこに連れてくの!? 嫌だよ、連れてかないで!! ねえ!! 待ってよ、嫌だああ!!」
最後は泣き声にしかならなかった。どんなに叫んでも、優太郎は戻ってこない。遠くなるばかりだった。
さほど時間も経たないうちに、外から車の出る音がした。窓を見ると、大きな車がとんでもない勢いで、屋敷から出て行くところだった。あっという間に見えなくなる。
名前を叫ぶ。なのに車は待ってくれない。
外に飛び出そうとしたところ、やはり男に取り押さえられた。抵抗して男を両手で殴るも、ひょいと肩に担がれる。
「降ろして降ろして降ろして!」
担がれてもなお、男を殴り続けた。だが、痛くもかゆくもないのか、無反応だ。
「まあ待てよ」
「待てないよっ」
「いいから聞け。で、質問に答えろ。お前、この屋敷の商人に誘拐されたんだろ」
「そうだよ!」
「で、あのガキが助けに来て、商人が斬りかかってきたからやり返したと」
「……!」
事実だけれど、その言い方はやめて欲しい。優太郎はそんな簡単なこと考えていない。
「あのガキ」
「優太郎っ」
「はいはい。で、優太郎の処分なんだけど、上手くいけば釈放。下手すりゃ死刑」
「し、しけ……」
目の前が遠くなるような感覚に襲われる。それに対して、男は淡々としていた。
「まあ、あの商人ロクデナシだけど、軍とつながりあっからな。簡単に釈放はされねえか」
「嘘……」
外にでて、ぽいと降ろされた。
久々に外に出たような感覚。その感覚のせいで一瞬眩んだが、キッと男を睨む。
「睨むなって。つってもまあ無理か」
男はカリカリと頭をかいた。街灯に照らされて、はっきりとはしないものの、初めて顔が見えた。二十代だろうか。目はどこか挑戦的な光があって、茶色い。髪も栗色のようだ。全体的に見て、何て言うか、軍人には見えない。
「そう簡単に、死なせやしねえよ。俺が約束する」
小さく、ぽつりと呟いた。
「え?」
「何でもねーよ。じゃーな。あ、卍部隊が来たっていうなよ。一般部隊ってことにしておいてくれよ。もし言ったら……、分かるよな?」
男は闇に消えていった。足がすくんで、追いかけられなかった。
マフラーを抱きしめて、雫は大泣きした。いろいろな思いがぐちゃぐちゃに溢れてきて、止まらなかった。
優太郎が死んだと軍から知らされたのは、まもなくのことであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます