第二章 参

 作之助は廊下を歩いていた。顔は険しく、その足取りも重い。

(ったく。今度は何なんだよ)

 これは神崎に呼ばれた時の態度だった。名前を聞いただけでも苛立つのだから、実際に会うとなると、もはや怒りしか覚えない。それに、呼ばれた時は、まともなことをヤツは言わない。ろくでもないことを命令される。だから、会いたくない。出来ることなら逃げ出してしまいたい。でも、それは出来ないから、怒りは大きくなるし、段々足取りが重くなる。全く良いことがない。

 部屋の前につくと、扉を叩くことすらせずに、いきなり開けた。

「ちょっとォ。またですかァ。ノックくらいしてくださいねェ」

 粘つくような話し方。しわがれたような声。その声の主はよっこらせと言いながら机の間から顔を出した。年は分かりにくいが三十代か四十代。男のくせに髪が長く、後ろで白髪交じりの髪を無造作に縛ってある。しわの多い顔には瓶底眼鏡が引っかかっていた。言うまでもなく、こいつは神崎だ。作之助はチッと舌打ちをした。

「ほらほら、ドア閉めてくださいねェ。ハイ、『Close the door』」

 何も言わずに閉める。神崎はいつの間にか回転椅子に座っていた。

 外国語を会話に入れてくるところも腹が立つ。「自分って、頭良いんですよ」って強調している様に感じるからだ。

「神ざ――」

「じゃ、早速本題に入りますよォ」

 遮られた。いつもそうだ。こっちが何か言おうとしても、絶対に言わせない。自分の話しかしないんだ、こいつは。話を本題に行かせまいと思ったのに。

「最近、紅蓮調子悪いと思いませんかァ?」

「は? 紅蓮が?」

「そうですゥ。この前の訓練、あなたにいつもより二秒ほど早く負けましたァ」

「それだけか?」

(偶然だろ。そりゃ)

 確かに、俺もあのとき、今日おかしいなと思ったけどさ。

「いやいや。他にもあるんですよォ、データ」

 神崎は大量の資料を投げてきた。嫌々ながらも目を通す。それら全ては、「紅蓮の戦闘力が落ちている」と結論づけることしか出来ない内容だった。

(何でだ? 気持ちがぶれてんのか?)

「原因は分かりませんけどォ、ワタシは外部からの接触だと考えてますゥ」

(雫かっ……!)

 自分の顔が一瞬で引きつったのが分かった。つぅと冷や汗が流れる。

(こいつ、雫の存在に気がついてねえだろうな)

 もし気がついていたら、間違いない。雫は殺される。きっと神崎が情報を操作するなりなんなりして、「自然に」殺される。

 神崎博士。それは、強大な功績を持つ、天才科学者。彼の功績と才能に、横に並ぶ者はいない。一見すると、素晴らしい人物だが、それは誤りだ。なぜなら、彼は道徳的観念の一切が欠落しているからだ。研究のためなら、どんな犠牲も厭わない、素晴らしい「天才」。それが、神崎博士。

 そして、神崎が作り上げた、卍部隊。そしてその隊長よりも上位の位に神崎ら研究者は位置する。これの示すことは、「研究者の命令は絶対」ということ。

「残念ながら、ワタシは外部のものが誰か突き止めていません」

 その一言にほっと息をつく。よかった。これなら、今のところ雫は安全だ。

「ですが、何らかの対処はとらなくてはなりません」

「なっ」

 何をする気なんだ、こいつは?

「天泣を消してください」

 言っていることの意味が分からなかった。言葉が、右から左にすいと流れたような気分になる。

「紅蓮に感情が芽生えたと仮定します。なら、きっと効果があるのは身近なものが死ぬこと。まあ、お前がしくじったせいで天泣が死んだくらいに言っておけばいいでしょう。それで、もう誰とも関わるな、とか言っておいてください。うまくいけば、紅蓮は外部との接触も断ち、生まれた感情もごちゃごちゃになって捨てられて、今まで通りです」

 神崎がいつになく、淡々と話した。

 要は、こういうことだと。天泣を殺して、「お前がちゃんとしないからだ」と言う。それで、悲しくなった紅蓮は雫と関わるのを止めて、今までみたいになると?

 段々神崎の言ってることが分かってきた。

「もう一度言います。天泣を殺してください。期間は遠征内。あ、それと今回研究員も同行させますので。あなたが天泣を逃がすことのないように」

「っざけんな!!」

 気がつけば、神崎の胸ぐらをつかんでいた。

「殺すぞてめぇ!」

 眼鏡の間から、神崎の目が覗いた。その目は、ぞっとするほど鋭くて、冷たい。

「やれるものならやってみなさいよォ。どーせできないくせにィ。あなたがワタシを殺したら、あなたの首が飛んでしまいますからねェ。知ってますよォ。あなたがワタシを通り越して上とかけあっているのォ。大分兵の負担軽くしようとしてるんですよねェ。あなたがいなくなったら、この部隊、崩壊しますよォ?」

 神崎が言ったことは全て本当だ。自分がいなくなったら、この部隊は崩壊する。神崎が無理なことをして、部隊兵全員を殺してしまいかねない。もともと部隊兵は死んだことになっている人間だ。だから、どう扱おうが上からさほど文句は言われない。それよりも神崎の研究の方が大事だと言われるのがオチだ。

「だからといって天泣を」

「紅蓮が本気にならなかったら、もっとたくさんのが死にますよォ」

「くっ……」

 紅蓮は一番戦闘力が高い。紅蓮がこの部隊を支える柱であることに間違いはない。確かに、紅蓮が実力を十割出せなかったら、たくさんの隊員が死ぬかもしれない。でも、だからといって。

「他に手段はありませんよ。あの手のは言ってもききませんから」

「……上手くいくのかよ、それ」

「いきます。百パーセントです」

 神崎はニヤアと笑った。

「命令です。天泣を、殺しなさい」

 ギリッと歯ぎしりした後、突き飛ばす。神崎がひっくり返ったが、無視する。

 乱暴に扉を開け、「お前が死ね」と吐き捨て、外に出た。

「クソッ」

 目一杯の力で壁に拳をたたき込んだ。なんて自分は無力なんだろう。助けたいだなんて口だけで、実際何ができたのだ。今もこうやって悪態をつくことしかできないのだから。

 上からの命令は絶対だ。背くようなことがあっては、首が飛ぶ。自分の首が飛べば、部隊は崩壊する。誰かまともなヤツが隊長になれば話は変わるが、そんなのは一人も知らない。

 どうやら、最初から選択肢は無いらしい。

 俺はまた、自分で自分の大事なヤツを殺すのか。

 天泣は、こっちの勝手な都合で死ぬのか。

「……天泣、すまねえ」

 足りない。謝っても何をしても、足りない。




「ねえ、紅蓮」

 がたがたと揺れる軍用車の中で、天泣は言った。

「何だ」

 返事をしたのと同時に、軍用車が止まる。扉が開かれ、外の光に思わず顔をしかめた。

「さよなら」

「は?」

 意味を問いただす前に、天泣は立ち上がり、人混みに紛れて消えてしまった。

「おい、天泣……?」

 紅蓮の呟きは、人混みに吸い込まれて消えてしまう。どこを探しても、天泣はいなかった。



 任務が終わって、基地に戻っても、天泣は帰ってこなかった。

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