「食べる」を楽しむ、ショートショート

長谷川賢人

健康に良くない板前

板前服に身を包み、いつも笑顔で接客する彼の店はたいそう繁盛していた。


外から見ると、こざっぱりとした和食レストランなのだが、着物をまとった美女や、タイトなスーツを身につけたビジネスパーソンが訪れることなど、ほとんどなかった。席にはいつも関取やプロレスラーがひしめきあっている。彼はみんなから、笑顔と一緒にこんなふうに呼ばれていた。


「君は健康に良くない板前だなぁ」


得意な料理はカロリーの高いもの。肉料理や揚げ物は大の得意だが、刺身の薄づくりは絶望的にまずかった。「うまいものはカロリーの塊である」を体現するかのような料理こそがホームフィールド。


彼の店には試合前に精力をつけて増量したいスポーツ選手や、自分の体躯が細すぎると悩む若者たちから「確実に太れる。しかもおいしい」と評判になっていた。


しかし、時代は彼に厳しかった。常連客はみな健康診断で「要精密検査」の文字に悩むようになり、六人がけのカウンター席はいつからか四人がけになってしまった。その上、うっかり店に入ってオーダーした女性たちからは、インターネットの口コミサイトでマイナスにも近い数字を付けられる有り様。皮肉たっぷりに彼の料理を取り上げる人たちも増えていく。


彼の顔からはいつしか笑顔が少なくなり、声をかけられても困った顔をして応えてばかりだった。料理もぼやけた味になり、常連たちは思い出の味を懐かしみながらも、店から足を遠ざけることで、彼にそれとなく思いを伝えるようになっていた。


ある日、彼の店をスーツ姿の男が訪ねてきた。初めて見る顔だ。男は店に入るなり、客がいないのを見回してから、「この店で、一番安くて、一番使っている食材が少なく、一番カロリーが高いものをつくってくれ」と大声で告げた。


また冷やかしだろうかと思いながらも、男の表情には隙がなく、彼は追い立てられるように調理場へ立った。手を動かしているうちに彼の目には光が戻っていった。十八番の肉料理は、まさにそのリクエストにふさわしい品だった。牛カルビの揚げバター乗せを、男はもくもくと食べ、皿にしたたる脂もきれいにすくった。


「この料理はどこでもつくれるか?」

「食材がなければ難しいな。野菜だけではどうにもならない」

「そうか。じゃあ、目の前にあるもので、最大限のカロリーを引き出してくれ、と言ったら、どうかな」

「それを求めるお客さまがいるなら、きっとどこでも、喜んでもらえるさ」


男はうなずくと、胸ポケットから航空券を差し出した。彼はこの数年後、日本から遠く離れた赤道に近い国で、伝説の料理人として名を残すことになる。少ない食材からカロリーを生み、料理の尊さと楽しさを教え、多くの人を太らせることに成功したのだ。人々は彼を「健康に良くない板前」と、愛着を込めて呼んだ。

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