自分検定

@yocchan-555

自分検定

 その日の奈津美は、いつになく荒れていた。

「どうにかならないのかな、あの課長」

 奈津美はビールの中ジョッキを豪快に飲みほして、

「つまんないダジャレとセクハラ。時代遅れの2大セットがそろってるんだもん。あれじゃあ誰でもストレス溜まると思うよ。夕夏もそう思うでしょ?」

「まあまあ、確かにね」

 適当さを見抜かれないように気をつけながら、夕夏は相槌をうつ。むやみに逆らわず、どんなことでも受け流す。酔っ払いをあしらう鉄則だ。

「あんな上司がいるから、部下がみんな萎縮して思いきった仕事ができないのよ。うちの会社に未来はないわね」

 駅前にオープンしたばかりの新感覚居酒屋「night dinning」。女性を意識したファッショナブルな内装で居酒屋特有の近寄りがたさがなく、仕事帰りに気軽に立ち寄れるので、奈津美とふたりで(反省会)を開くのがいつしか定番になっていた。もっとも最近は、奈津美のグチを一方的に聞かされるのがお決まりのパターンなのだが。

「あんたも、あんな上司の言いなりになっちゃダメよ。そのうち痛い目に遭うんだから」

 夕夏の呼び方が(あんた)に変わったら、本格的に酔っ払っているサインだ。

「ほら、あんたももっと飲みなさいよ」

「私はそろそろいいかな。そんなことより、

ちょっと飲みすぎじゃない?」

「冗談やめてよ。私はまだまだシラフでしょ」

 と、あやしいろれつで奈津美は言い、通りかかった店員に、

「次は日本酒ね!」

「ちょっと、まだ飲むの?」

「当たり前でしょ。今夜はとことん飲むんだから」

 夕夏は、ひそかに覚悟を決めた。まあ、終電で帰れればいいか。

「あんた、何か資格持ってるの」

「資格?」

「今は資格がものを言う時代だからね。語学系で強いやつをひとつ持ってればあとはもう引く手あまた、セクハラ上司に悩まされる必要もないってわけよ。私も何か資格があれば、こんな会社なんかとっくに出ていくんだけどなあ」

「アドバイス、ありがとう」

「結局、頼れるのは自分なんだからね。資格は世間と闘うための武器なのよ。資格があれば何でもできる。一、二、三……ダアッ!」

 腕を高く振り上げたはずみで、奈津美は派手な音をたてて椅子から転げ落ちた。まわりの視線が一気にあつまる。

 恥ずかしさをこらえながら、夕夏は奈津美を抱き起そうとする。

「大丈夫?」

「大丈夫でーす!」

 奈津美は、のんきに寝息をたてていた。


 奈津美をタクシーで家まで送っていったせいで、帰りは結局終電ぎりぎりになってしまった。

 シャワーを浴びても、すぐには寝つけない。睡魔がくるまでネットサーフィンをして時間をつぶすのが夕夏の日課になっていた。

「資格かあ……」

 誰にともなく呟いてみる。奈津美のアドバイスはいつも正しい。今の世の中、資格は一生の財産だ。自慢できる才能がなくても、資格という目に見える武器さえあればいざとなった時でも闘える。たとえば急に会社をクビになって、社会という広い海に放り出されたとしても。

 ふと思いついて、検索エンジンに(資格 すぐ役にたつ)と入力してみる。

 エクセル・ワード検定、公認会計士、英会話、秘書検定1級……。

 幅広いジャンルの資格がヒットする。けれど、すぐさま(おお、これだ!)と身を乗り出してしまうような資格は見あたらない。パソコン関係の資格も今さら、という感じがするし、会計士はハードルが高すぎる。今のところ仕事で英語はほとんど使わないし、秘書になれるほど若くもない(容姿はともかくとして)。

 実用的な資格に混じって、流れ星検定、というのもあった。1級まで取得すれば、流れ星を見た瞬間にどこの星座のなんという流星群かわかるようになるらしい。天文関係の仕事には必須なのだろうか。余生の趣味としてはちょうどいいかもしれない。

 ネットサーフィンにも飽き、そろそろ睡魔も近づいてきたころ、見慣れない検定が表示された。

(自分検定)

 自分を見つめなおしたいあなたに……サイトの紹介文に興味をひかれて、ついリンクをクリックしてみる。

 わかりやすいレイアウトの、意外にちゃんとしたサイトだった。

(自分検定とは、人生のなかで自分自身を見つめなおしたくなった人のための検定です。出題されるのはすべて、あなたのプロフィールにもとづいたあなた自身のための問題。見事1級に合格すれば「自分1級」として認定され、自信に満ちた人生を送ることができるでしょう)

 説明文の最後には申し訳なさそうに「参加費500円」と添えられていた。これが高いのか安いのか、夕夏にはわからない。ただ、秘書検定より手頃なのは確かだろう。

 何かにみちびかれるように、(応募要項はこちら!)というバナーをクリックする。

 アルコールが入っていなければ、聞いたこともない団体のあやしげな検定なんか、視野にさえ入っていなかったに違いない。

 けれど何となく、この検定のことは信用してもいいような気がしていた。自分にまつわる問題にこたえるなんて、面白そうじゃない。そのうえまがりなりにも資格らしきものをもらえるのなら、こんなに簡単なことはない。

 試験日は、次の日曜日。会場もそれほど遠くない。

 好奇心に促されるまま、夕夏はエントリーシートに必要事項を記入していった。


 試験を受けるのは、入社試験以来か。いや、社内の事務検定もあったっけ……。

 思っていた以上に、会場は地味だった。

 理系の研究所らしき、白壁の無機質なビル。不安になって、夕夏はスマホの地図画面を何度も確認する。(検定会場はこちら!)という立て看板が門の前になければ、何の疑いもなく素通りしていたに違いない。

 研究所らしく、入り口の自動ドアもやけに広い。いかにも近未来的な雰囲気に、小学校の社会科見学で科学館に行った時のことを思い出した。

 ドアのすぐ脇には受付用の長テーブルが並べられていて、その奥に小ぎれいな格好の女性が立っていた。

「検定を受検する方ですね」

 ネットであらかじめ取得したIDとパスワードを差し出された機械に入力する。1秒の間も置かずに(ピンポーン)という電子音が鳴り、画面に認証完了と表示された。

「会場に入る前に、バイオデータを採取させていただきます」

「バイオデータ?」

「いただいたバイオデータをもとに、専用のスキャンマシンがその人に合わせた問題を作成いたします。髪の毛を1本いただくだけで構いませんので」

「髪の毛……」

 思わぬ展開になった。検定のためとはいえ、見知らぬ他人に髪の毛を渡すのはためらわれる。しかし、ここでいつまでも迷っていても前には進めない。

「唾液でも構いませんが」

「……いえ、髪の毛にします」

 夕夏は即答して、前髪を1本抜いた。


 受付をすませると、2階の待合室に案内された。試験開始まで30分。その間に、コンピュータが問題を作成するというわけか。

 そう広くもない待合室は、すでにけっこうな人口密度になっていた。背広をきっちり着込んだサラリーマン風の男性に、地味な服装で化粧っ気もない中年の女性。それに、こんがりと日焼けしたタンクトップのギャル。バリエーションは充分にそろっている。70歳はすぎているだろうと思われるおじいさんがぽつんと混じっているのには、思わず笑いそうになった。人生終盤の自分探し。ある意味でチャレンジかもしれない。問題数はどうやって公平にするのだろうと、つい余計な心配をしてしまう。

 待合室での時間はちょうどいい予習タイムになった。人生、きっかり三十年。振り返るにはまだ早いけれど、本当にいろんなことがあった。小学校で仲の良かった珠美ちゃん、今は何をしてるかな。中学校の時に学年のアイドルだった秀人。10年以上経てばただのオジサンか。そして、高校時代のファーストキス。あれを問題にされたらどうしよう……。

 予習を忘れてただただ想い出にひたっているうちに、部屋のドアが開いて、係員が入ってきた。

「検定会場に移動してください」


 会場とはいっても、たいした部屋ではなかった。市民向けの無料セミナーが開かれていそうな、真っ白な壁の殺風景な部屋。ホワイトボードにはやけに几帳面な字で、(検定受検者はすみやかに着席)と書かれている。部屋の隅に置かれた観葉植物がよけいに寒々しい。

「エントリーシートに書かれた番号の座席にお座りください」

 係員に言われるまま、受検者が着席していく。夕夏は、壁際の席になった。机の間隔が広くとられているので、隣の人の問題を読むことはできない。

 全員が着席するのを見はからったように、べつの係員が入ってきた。恰幅がよいというよりもメタボ体型に近い、初老のオヤジ。白衣でも着せたらそれなりに威厳がありそうだ。

「ここからは私語を禁じます」

 試験にあたっての注意事項を伝えながら、係員が見慣れない機械をひとりひとりに配っていく。タブレットをひとまわりちいさくしたような、スマホよりは少し大きめの携帯端末。

「これが問題用紙であり、解答用紙になります」

 タブレットを配り終えて、係員は説明をはじめる。

「皆様にはこのタブレット上で問題にこたえていただきます。文字入力の方法はスマートフォンと同じですので、それほど難しくはありません」

「機械にはすこぶるうといんだが……」

「例題を出しますので、まずは感覚をつかんでください。どうしても難しいようなら、係員が補助します」

 係員の声と連動するようにタブレットの画面が切り替わり、(これから受ける検定の名前は?)という文字が表示された。

 スマホのメールと同じ要領で、夕夏は解答欄に「自分検定」と入力した。まだまだ半信半疑なのだろう。隣の中年女性は時折首をかしげながら、液晶画面に指をすべらせている。

「こたえを入力したら、画面右上の判定ボタンをタップしてください。合格の文字が表示されるはずです」

 指示通りに、判定ボタンを押してみる。すぐに、「合格です!」という文字が表示された。

「だから、こうやって画面に指をすべらせて……」

 後ろの席では日焼けギャルがおじいちゃんにタブレット操作の手ほどきをしていた。ほほえましい光景に、ほんの少しだけ緊張感がゆるむ。

「すべての問題にこたえたら、今の要領で判定ボタンを押してください。解答データがメインコンピュータに送られ、わずか数秒で合否が画面に表示されます。なお、すべての解答欄に記入するかあるいはギブアップの意思を示さないかぎり、判定ボタンを押すことはできません」

 今日のうちに結果がわかるってこと? やけにハイテクなシステムね。でも、そこまでお金をかける意味があるのかしら。

「試験に関する説明は以上です。では、開始までしばらくお待ちください」

 係員は壁掛け時計と自分の腕時計を見比べる。

 試験開始まであと30秒、20秒、10秒……。

「では、試験開始!」

 ピーッ。間延びした電子音とともに、タイマーがセットされる。

 さあ、闘いのはじまりだ。


設問1:夕夏という名前の由来は?


 これは、自信をもってこたえられる。真夏の夕方に生まれたから、夕夏。理由があまりにも単純すぎると、今でも冗談めかして母親に言うことがある。ちなみに、父は夏子にしたかったらしい。


設問2:幼稚園の頃、親にしかられて逃げ込んでいた場所は?


 家の2階の押入れ。幼稚園の頃、正確に言えば小学校低学年まで、両親にしかられると決まってそこに逃げ込んでは、たったひとりで泣いていた。そうして小1時間も隠れていると、おばあちゃんがそっとふすまを開けてくれるのだった。

 夕夏は変わった子だと、おばあちゃんはいつも言っていた。子どもはたいてい暗闇をいやがるのに、あんたはちっともこわがらない。将来はきっと強い子になるよ、と。幸か不幸か、おばあちゃんの予言はあたっている。まあ、強さの意味が少しずれているような気もするけれど……。


設問3:小学校の頃、好きだった先生の名前は?


 小暮草介先生。これももちろん即答だ。すらりとした長身に、風になびくサラサラヘアー。そして、どんな時でもやさしく落ち着いた声。あらゆるイケメン要素をひとつ残らず引き寄せたようなソウスケ先生は、当然のことながら女子全員のアイドルだった。将来は絶対にソウスケ先生と結婚するんだと、本気でラブレターを書いたこともある。手紙を渡すならどんなシチュエーションがいいだろうと、夜も眠れなくなるほど悩んだこともあったっけ。あれからざっと20年。ソウスケ先生に会いたいかといえば、それはノーだ。

 きっと、ただのオジサンになっているだろうから。


設問4:小学校6年の頃、死ぬほどきらいだった先生は?


 出題が妙にピンポイントになってきた。髪の毛1本で、そこまでの情報が読み取れるのだろうか。

 笹倉俊治。思い出したくもないが、記憶の片隅にしつこくこびりついている名前。

 山男のようなずんぐりむっくりした体型で、おまけに声も大きい。何重にも折り重なった太鼓腹を手で揺らしてみせるのがいかにも不潔で、女子全員から不評を買っていた。ソウスケ先生がスマートなシマウマなら、笹倉は鈍重きわまりないヒグマ。どんな時でも上から目線で、自分の気分次第で怒鳴りちらす。いつだったか、ソウスケ先生が研修か何かのため、笹倉が臨時で社会科の担当になったことがある。その時は急に吐き気がしたと嘘をついて保健室に逃げ込んだ。仮病を使ったのは、あの1回だけだ。


設問5:中学1年の秋、それまで憧れていた先輩の芹沢駿太郎君のことがある日突然きらいになりました。気持ちが変わったその理由は?


 芹沢先輩……。深い水底からゆっくりとすくいあげられるように、消えかけていた記憶があざやかになってくる。

 学年がたったひとつ上というだけで、芹沢先輩はものすごく大人に見えた。飛び抜けてイケメンというわけではなかったが、清潔感のある声と落ち着いた振る舞いは、思春期女子の視線をひきつけるのに充分な魅力になっていた。生徒会副会長というポジションも、はずせない要素だったのかもしれない。芹沢先輩と少しでも距離を近づけたくて、生徒会への立候補を真剣に考えたほどだ。

 芹沢先輩は副会長の役割をそつなくこなし、順当な流れで生徒会会長に立候補した。

 体育館で行われた立会演説会で、事件は起こった。

「僕の両親はともに、とてもリーダーシップのある人です。その遺伝子には心から感謝しています。とくに僕のマ、母親は……」

 演説は、滞りなくつづけられた。しかし、会場全体に生じたほんの一瞬のぎこちなさを、多感な思春期女子が見逃すはずはない。

 芹沢先輩は普段、家で自分の母親をママと呼んでいるのだ。だから、演説会という緊張する場面でつい、いつもの習慣が出てしまったのだ。

 それからはもう、演説など耳に入らなかった。清潔でくもりのない芹沢駿太郎というイメージは一瞬にして崩れ去り、言葉のひとつひとつがうそくさく聞こえるようになった。

 今ならばきっとどうということのない、軽く受け流せる日常のワンシーンだろう。けれど、その時の夕夏にとってはまぎれもなく、一生を左右しかねない大事件だった。思春期女子は残酷なのだ。

(芹沢君がマザコンだったから)

 心のなかで、なぜか謝る。芹沢先輩、ごめんなさい。


設問6:中学1年の冬、仲の良かった美里から校舎の裏に呼び出されました。30分以上向かい合っていたものの彼女はもじもじしたままで、結局何も言わずに立ち去ってしまいました。彼女が伝えたかった言葉は?


 そんなの、わかるわけないじゃない。そもそも、校舎の裏に呼び出されたこと自体、ほとんど忘れかけていたのだから。

 美里のことは、ぎりぎりやっと覚えている。それも本当に、すれすれのところで記憶の網に引っ掛かっている程度だけれど。色白で無口。優等生のお嬢様の実写版みたいな子だった。仲良くしたといっても、親しく付き合ったわけじゃない。ただ、1年の最初の席替えまで隣同士だったから、自然に話すようになった。何回かノートを貸してくれたっけ。そのうちすぐに智香のグループと仲良くなったから、美里とはあんまり話さなくなった。彼女もおとなしいタイプだったから、それでいいんだと思ってた。


設問7:中学2年の夏、それまで仲良く話していた智香のグループと距離を置くようになります。その理由は?


 うわさをすれば何とやら。思い出したくない記憶が、少しずつ浮かびあがってくる。

 智香はクラスのリーダーだった。学級委員とは別のところで統率力を発揮する、クラスの実力者。

 智香がはやらせたゲームがあった。クラスの中で誰かひとりターゲットを決めて、その子に毎回違ったドッキリを仕掛ける。次の体育は教室だとうそを教えたり、国語の教科書を水着写真集に入れ替えたり……あんまり大げさにやると先生に知られてしまうので、その加減にはみんな神経をつかっていた。ターゲットの子も何となく楽しんでいるような気配があったから、やっているほうもたいして罪悪感はなかった。智香もたぶん、遊びのつもりだったと思う。その年のターゲットは、江口京子。美里よりももっとおとなしい、いつも教室の隅でじっとしているような子だった。

 距離を置いたつもりはない。ただ他のことで忙しくなって、智香との遊びに興味がなくなっただけだ。

 もしかして?

 ここまで思い出して、ふと考える。

 校舎の裏まで呼び出して、結局伝えられなかった美里の言葉。1年の頃は、美里がドッキリのターゲットだった。

 美里はあの時、こう言いたかったのではないか。たった一言、どうして、と。

 あんなに仲良くしてたのに、どうして私をいじめるの。

 なけなしの勇気で、彼女は伝えようとしていたのではないか。智香たちにとってはゲームでも、裏を返せばただのいじめだ。

 けれど、彼女は何も言えなかった。それを言葉にしたら、いじめられていることを認めることになってしまうから……。

 夕夏は設問6にもどりたかった。しかし、そのためのボタンが見あたらない。一度こたえた問題はやり直せないのか。失った時間を巻き戻せないように……。


設問8:高校2年ではじめて彼氏ができました。彼の好きだったところは?


 はっきりいって覚えてない。名前ぐらいはかろうじて憶えているけれど、それ以外はきれいに忘れてしまった。きっと特徴のないデートをして、ありきたりな別れ方をしたんだと思う。少しでも印象に残っていれば、今でも多少は思い出せるはずだから。

 空欄にするのもくやしいので、とりあえず(優しそうだったから)とこたえておく。


設問9:大学を卒業して中堅商社のOLとして採用されましたが、それ以外にもうひとつチャレンジしてみたい夢がありました。さて、その職業は?


 夢。

 本当にひさしぶりに、この言葉を思い浮かべたような気がする。

 夢なんか、あったっけ。こっちはOLでそれなりに満足してるんだけど。なりたかったもうひとつの職業? そんなのはたぶん、一生かかっても思い出せないと思う。あわただしい現実に埋もれているかぎりは。

 くやしいけれど、ここは無回答。


設問10:採用面接で面接官に熱く語った会社での目標は?

設問11:初月給で買った両親へのプレゼントは?

設問12:奈津美とはじめて飲んだ居酒屋は?

設問13:入社2年目。髪型を思いきってショートにした理由は?


 出題がどんどん細かく、ピンポイントになっていく。それもねらいすましたように、これまでの人生でずっと置き去りにしてきたすきまの記憶ばかりだ。自分のことなのだから何もかもわかっていると思っていたが、それは甘かったようだ。

 自分検定、おそるべし。

 格闘すること50分。次がいよいよ最終問題。


設問20:あなたの人生の目標は?


 最後の最後で、いきなり問題のスケールが大きくなった。人生の目標なんて、簡単にこたえられるわけがない。そもそも、人生の目標に正解なんてあるのかしら。

(とにかく、今を生きる)

 何となく頭に浮かんだ言葉を適当に打ち込んでみる。シンプルな目標のほうが意外によかったりするのよね。


 最後のこたえを送信したところでタイマーが鳴り、試験終了を告げた。

「検定が終了しました。では、液晶画面の判定ボタンをタップしてください」

 係員に言われるまま、夕夏は恐る恐る判定ボタンを押す。結果を見るのがこわいような気がした。でも、まあ大丈夫だろう。後半はけっこう無回答が多かったから、点数はよくないかもしれないけれど……。

(解析までしばらくお待ちください)

 素っ気ないメッセージが画面に表示され、ゲージが青い線のようなもので徐々に満たされていく。解析率、60%。もどかしさを必死におさえている間にも、華々しいファンファーレのような効果音が部屋のあちこちから聞こえてくる。

「よっしゃ、合格!」

「あの手ごたえで合格か……」

「これって合格ってことよね?」

「試験に受かるのは60年ぶりだのう」

 受検者はみんな、それぞれに喜びを表している。どうやら、不合格者はいないようだ。

 ということは……。

 ゲージがいっぱいになり、メッセージが(解析終了!)に切り替わった。

 夕夏の期待はいよいよ高まる。さあ、早く聞かせてちょうだい。合格を知らせる心地よいファンファーレを……。

(あなたは不合格です)

 ゲージに替わって表示されたたった一行のメッセージを、夕夏は受け入れることができなかった。

 これ、何かの冗談でしょ。それとも、目が疲れてるのかしら。

 万一の可能性に期待して画面を何度も見直してみるが、それでもメッセージは変わらない。

「今回の合格者は4名のようですね」

 係員の報告が追い討ちをかける。

 やっぱり、不合格なんだ……。

 まあ、いいや。検定なんだから、また次回もあるんでしょ。それまでに自分自身についてきっちり予習して、今度こそ合格してやるんだから。

 ノックもなしにドアが開いて、白衣を着たやせ型の男が入ってきた。

 男は夕夏のほうにまっすぐに歩いてくると、

「不合格者のあなたには、こちらにきていただきます」

「ちょっと……!」

 男が夕夏の腕を引いて歩きだしたので、夕夏は抵抗した。だが、腕を振りほどこうにも男の力は強く、結局言われたとおりに男のあとをついていくしかなかった。

 検定会場を出て、男はどんどん階段を下っていく。

「どこに連れていくのよ」

「もうすぐですから」

 何の説明もなく、男はひたすら階段を下りつづける。ここが地下の奥深くだという以外、夕夏には何ひとつわからない。

 いい加減足首が痛くなってきたころ、やっと階段がとぎれて、その先には細くて長い廊下がつづいていた。

「ここはどこなのよ!」

「本当にもうすぐですから」

 機械的な表情をくずすことなく、白衣の男は廊下をどんどん歩いていく。

 廊下のつきあたりに、ドアがあった。さっきの検定会場と変わらない、無表情でありふれたドア。

「こちらになります」

 淡々と言って、男はドアを開けた。

「あっ……」

 部屋に一歩入って、夕夏はちいさく声をあげた。

 どこまでも真っ白な壁にかこまれた、ただただ無機質な部屋。テーブルとパイプ椅子以外、他には何もない。

 のっぺりとした部屋の真ん中に、自分がいた。

 そっくりどころではない。髪型から顔の輪郭、そして細かい体のパーツ……パイプ椅子にぽつんと座ってこちらに微笑みかけている女性は、何から何まで自分自身そのものだった。

「これは……どういうこと?」

「驚かれましたか」

 男ははじめて笑った。人間的な感情を一切感じさせない、冷たい微笑だった。

「彼女は、あなた自身です」

「私自身?」

 こいつ、完全にくるってる。夕夏はやっと、検定を受けたことを後悔した。逃げ出そうと思ってもドアはすでに閉められていて、しかも男が立ちふさがっている。

「不合格だったあなたには、次の検定までの1年間、この部屋であなた自身についてみっちり勉強していただきます。その間はこちらの彼女があなた自身となって社会生活を送りますので、どうぞ御安心ください」

「ふざけるんじゃないわよ!」

 ありったけの声でさけんで、夕夏は男に殴りかかった。こんな何もない地下室に閉じ込めるなんて、りっぱな監禁じゃない。

 だが、必死の抵抗もむなしく、夕夏の体は男の腕力によってあっさりと押さえつけられ、そのままパイプ椅子に座らされてしまった。

「あなたのおかげで、やっと私は外に出られるの。心から感謝するわ」

 もうひとりの自分が夕夏に顔を近づけて、ふうっと息をはきかける。

「じゃあ行きましょうか、博士」

 ことさらにはずんだ足取りを見せつけながら、彼女は博士と一緒に部屋を出る。

「ちょっと待っ……!」

 夕夏は椅子から立ちあがろうと、腰から足に力を入れる。しかし、何か特殊な力がはたらいているのか、立ちあがるどころか、腰をわずかに浮かせることすらできない。

「この部屋から出たければ、1年間真剣に勉強して、来年の検定で合格してください。自分についてじっくり振り返るのも、たまにはいいリフレッシュになりますよ」

「私をひとりにしないでーっ!」

 夕夏の最後の懇願も聞き入れられることはなかった。

 ドアは、閉められたのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自分検定 @yocchan-555

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る