12 父
「えっ」
「えっ」
自分の父と約十二年ぶりに再会したのは勤務先の駅ビル食堂。わたしがウェイトレスで父はお客だ。父の座ったテーブルに行き着くまで、わたしはそのお客を父だと認識していない。だから普通に注文を取りに行ったのだ。が、そこで「えっ」「えっ」となってしまう。
ついで――
「うむ。この店のお勧めはあるかね」
父が訊くので、わたしはメニューを開き、お重セットABCをそれぞれ指差しながら、
「特にお勧め商品とは申せませんが、当店で人気があるのはこちらになります」
と説明する。父はそれを一通り聞いてから、
「悪いが最近、胃が小さくなってね。普通のAランチを頼むよ」
「かしこまりました」
そのまま振り返らずに、わたしが楚々と厨房に向かう。平日の昼過ぎなので客が少なく、別の席をまわることもない。ついで料理担当者に父の注文内容を告げ、振り返るとタイミング良く父母娘二人の若い家族連れが店内に入って来る。だから、わたしが注文を取りに向かう。もちろん店内のウェイトレスはわたし一人ではない。
その際、父の視線が自分の後ろに付いてまわるような妙な感覚に囚われる。自意識過剰の極みといったところだろうか。
やがてAランチが出来上がり、今度もわたしがそれをテーブルまで運ぶ。
「お待たせいたしました」
「うむ。ありがとう」
「さて、何か仰りたいことがあれば伺いますが」
「そうか、では聞こう。ずっと元気だったか」
「はあ、そこそこは……」
「母さんにも孝子にも知らせんからな」
「それは、ありがとうございます」
「今は仕事でゆっくりできんが、連絡先を聞いて良いか」
「携帯電話は持っていません」
「衿子は昔からそういうヤツだったからな」
「電子メールアドレスはあります」
「では、それを教えてくれ」
「かしこまりました」
それでエプロンの中にいつも入れている付箋に記し、父に渡す。
「こちらも連絡先を教えておく」
父が取り出した名刺の裏に個人のものらしいメアドを書く。
「会社に連絡されても困るからな」
表情を変えずに父が言う。
「ありがとうございます。では、ごゆっくり」
「うむ」
わたしが厨房に戻ると無言だが興味津々の雰囲気がかなり大きく渦を巻く。それを一通り愉しんだ後で、
「皆様のご想像を覆すようで申し訳ないのですけれど、父ですよ。ワケアリですけど、パトロンとかじゃありません」
そう説明して舌を出す。それで雰囲気が少し和らぐ。もっともそのとき職場に居合わせた食堂の従業員たちが、どこまでわたしの話を信じたかは不明だが……。
父とわたしは真横に置いてじっくりと比べれば似ていない。が、少し離せば良く似ている。父は子供の頃には身体が弱く、いろいろと考えることがあったようだ。けれども長じてから母と出会い、自分や世間の常識から逃げ出すことを止めてしまう。仮にわたしが同じ状況に置かれたら、やはり止めていたのだろうか。
事実として、わたしは憑かれたように家族を捨てる。意味など今もってわからない。けれども仮に父ならば、それを知っているかもしれない。もちろん父は教えてはくれないだろう。わたしが自分で見つけなければならない答だと父が思っているだろうからだ。
「お父さんがわたしを逃がしてくれたんでしょ」
「何故、そう思う」
「たかだか十四歳の若い娘が家出をして警察に見つからないわけがないからよ」
「おまえの友だちのことをわたしは知らん。その他の交友関係も同じだ」
「でも、わたしに友だちがいないことは知ってたでしょ」
「薄々はな。確信はないぞ」
「孝子のことはすべて知りたがったくせに……」
「アレはおまえと違って甘えん坊だ。その意味では母さんと同じだから危ないんだよ」
「わたしだったら危なくないんだ」
「そうは思わんが、地獄に落ちても、それなりに生計を立てそうだとは考えていた」
「何それ、バカにしているの、それとも信頼の証……」
「帰ってくる気はないのか」
「帰れば家族が毀れるから」
「おまえが望めば帰っていいんだぞ」
「お父さんに迷惑をかけたくないわ」
「それは、もうこれ以上って意味だろうな」
「おお、怖い」
「わたしにとってはおまえの方がずっと怖いよ。これは本音だ」
「お父さん、今は幸せ」
「衿子がいないことを除けばな」
「慣れてよ」
「おまえがいなくなって一年後にはそう思ったさ。だが時間は残酷だ。月日が経つに連れ、おまえの強情さが可哀想に思え、頭から離れん」
「父さん、わたしに謝って欲しい」
「母さんと孝子には心の中で謝っておけ。わたしにはいい」
「お父さんは赦す気がないのね」
「自分で始めたのだから遣り遂げろ。だが、どうにも手がなくなったら、わたしを頼れ」
「お父さんも逃げ出したかったんじゃないの」
「それは昔の選択肢だよ。今はない」
「本当に……」
「わたしに似たバカ者のおまえに嘘を言ってどうなるんだ」
「確かにそうか」
「どうせいつまでも、あの店にはいないんだろう」
「移動したら居場所を教えて欲しい」
「それはおまえに任せるよ。定年近くなったが、会社はまだわたしを離してくれない。だから、それなりに忙しいんだ」
「今、わかった。わたしが正直じゃないのもお父さん似だったのね」
「ふん。付き合っている相手はいるのか」
「今はいません」
「そうか」
「孫の顔が見たいのかな」
「それは、いずれ孝子が見せてくれる。アイツは情けない男だが、孝子が好きなら仕方がない」
「お父さん、まるで普通のお父さんみたい」
「そうだな。おまえがわたしの中にあった世間と違う部分を全部持って行ってくれたお蔭だよ。それで普通のお父さんになれた」
「怒ってる」
「いや、おまえに謝らなければならないのはわたしの方かもしれん」
「そんなことはないわよ」
「まあ、おまえは自分なりに幸せになってくれ。わたしが望むのはそれだけだ」
「ありがとう。お父さん」
という会話がなされるのはまだ先だ。
もっともそれを言えば、その昔、わたしを拾った男の正体を知る日は悠久の彼方。いや、彼岸に近い。(了)
家出の理由 り(PN) @ritsune_hayasuki
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