8 悔

 嘘というのは付き始めるとどこまでも付き続けなければならなくなる。だから最初の設定がいい加減だと、すぐに辻褄が合わなくなり、破綻する。もっとも多少詳細に設定したところで、いずれバレるのが関の山。それがバレずに長期間維持されるなら、嘘をつかれた相手が呆れるか、あるいは嘘をついた本人に関心がなくなっているかの、どちらかだろう。

「ああ、こんなところにいましたか」

 わたしを見るなりそう言ったのは。誰あろう益田お爺さん。地方の旧い店舗で働いていた頃だから約二年前。その店には決まった定休日がないが、それぞれの店員に休日があり、わたしが独りで趣味の散歩をしていたとき発見される。

「えっ、嘘」

 最初はぎょっとし、わたしが深く息を飲む。ついで、

「もしかして益田のお爺さん、生きていらっしゃったんですか」

 おそらく裏声でそう続ける。

「わしは酒を飲めない体質だからな」

 運転手付高級車の後部座席から僅かに顔を覗かせ、益田さんがそう応える。

「幸いなことに、まだ惚けておらん」

 それは自分から言うことかよ、と思うわたし。

「どうだね、衿子さんがお暇なら、もう一度、神隠しに遭わないかね」

「相変わらずあざといお誘いのお言葉ですね。どうせわたしの周辺なんか、すっかり調べてあるんでしょ」

「さあて、手の内は明かさないのが口説きの心得」

 結局、懐かしさも手伝ったのか急に心が融け、『神隠し』の言葉に誘われるように、わたしが高級車の後部座席に座り込む。

「今度はどちらへ」

 そう問うが、益田さんは運転手に、行け、と指示を出すばかり。バックミラーに移った運転手の顔に見覚えがないのは、わたしの記憶が毀れているか、或いは単に世代交代したか。

「あのときの運転手は孫の送り迎えをしているよ」

 わたしの疑念を読み取ったらしく、益田さんが懇切丁寧に説明する。

「孫が重役の一人になってな。前の運転手は殊更真面目な男だったから、その仕事を任せた。ついでに言えば孫の方は独立後、結婚し、ささやかな家庭を築いていたが、時間切れだ。それで約束の通り、家に帰ってもらった」

「わたしが益田さんの家族でなくて良かったわ」

「今からでも家族になる手はあるぞ」

「願い下げです」

「ははは。キミは相変わらずだな」

 そんな他愛もない会話をするうち高級車が高速に乗る。

「今度の隠れ家は遠いんですか」

「いや、十年前と変わらんさ」

「言われて気づきましたけど、あと二年で干支一周なんですね」

「なるほど、そうなるか。衿子さん、元気にしておったか」

「それなりに……。益田さん、孝子とは……」

「衿子さんがいなくなってすぐに切れたよ」

「まさかそれまで、わたしのせいとか」

「潮時だったのだろうな。色気づいた女は好かんのだ。最初の恋人もできたようだし……」

「益田さんて、やっぱりロリコンなんだ」

「ハンバート・ハンバートとは違うよ。少年時代に死別した恋人の面影を追ったりしない」

「だからヴァレリアと結婚したのね」

「いや、わしの結婚にわしの意思は無縁だ」

「でも奥さんとは仲が良かったんでしょ」

「向こうも同じ境遇だからな。狒々爺さんでなかっただけ良かったですよ、といつか明かされたな」

「いいわね。一度、会ってみたい」

「思ったより怖いぞ。一族に君臨する婆さんだ」

「じゃあ、尚のこと。それにわたしもドロレス・ヘイズじゃないし」

「子供はおるか」

「幸か不幸か、まだ」

「そうか」

「益田さん、わたしの子供が欲しい」

「欲しくないといえば嘘だが、面倒は避けたいな」

「そうね」

「もっとも衿子さんの子供なら、この先どんな逆境に遭おうとも耐えられるとわしは思うぞ」

 やがて案内された場所は小さな旅館のような和風建築の一室。昔は政治的駆け引きの場に利用されたかもしれない、と本好きのわたしに想像させる。

「衿子さんの休みは今日だけか」

「一応そうだけど、どうにでもなるわ」

「申し訳ないな」

「いいのよ。親戚のお爺さんが倒れたとでも言訳するから」

 それから檜のお風呂に二人で浸かる。

「生き返るな」

「わたしの方は生まれ変わってしまいそう」

 が、さすがに益田さんの老化は進んでいる。もっとも一体どんな運動で鍛えているのか、とても八十歳過ぎの体躯には見えないが……。

「とても長持ちする身体なのね。お食事が良いのかしら」

「衿子さんなら聞いたことがある台詞だろうが、人を喰ってるからな」

「ははは。……ねえ、話は変わるけど、わたしが育って残念じゃない」

「代わりにセックスができるだろう」

「つまり昔のわたしの代わりがいるわけか」

「焼けるか」

「ええ。とっても」

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