5 浪

 わたしは自分で自分のことを可愛いともキレイだとも思わない。が、見る人によれば違うらしい。顰蹙を買いそうだが、それで助けられた事実もある。が、可愛過ぎもせず、キレイ過ぎもしなかったお蔭で、海外に売り飛ばされたり、あるいはコンクリート詰めにされ、海に投げ込まれずに済んだのだ。

 わたしが読んだ多くの昔の小説とは違い、あの頃でも顔のない人間になるのは大変だ。テレビに顔写真が曝されれば、どうしたって他人の記憶に残るだろう。殺人犯ではないので全国の交番掲示板には貼られなかったが……。また当時もインターネットはあったが、ボーレートが遅く、主に文字主体の場だったから全国に知れ渡ることもない。

 が、わたしにとって最も幸いだったのはテレビ報道されなかったことだろう。いや、一部は報道はされたが、現在のようにネットに写真が曝されるはずもなく、顔のない人間としていくつもの街や町を往来可能な自由を得る。

 ……といっても当時のわたしはそんなことを考えていない。そもそも家出をした理由さえ自分で良くわからない。関連する一切を削ぎ落とせば、家族と一緒に居たくなかったとなるのだろうが、何故そうなったか。

 家出の時期が反抗期と重なるので身体の変化にも誘われたはずだ。が、父や母または兄弟姉妹が嫌いになる時期は誰にもある。それが頂点に達する前、大学入学や就職の時期が訪れ、親元を離れ、大抵の場合、事無きを得るのだ。アパートで慣れない一人暮らしを初め、親のありがたさを知るということ。やがて自分の年齢が当時の親の年齢に近づき、赦せるというか、すべてに寛容になることもある。流れとしては、そんなところ。家出にしてもプチ家出がせいぜいで、友人や親戚の家に数日間泊めてもらい、結局は行き先がなく、家に戻る。わだかまりは残るだろうが、そこは親子、いずれそれなりにわかり合う、あるいは仲違いを死ぬまで続ける。昔の世ならば勘当する/されるという選択肢もあるはず。

 十四歳の娘が家を出、約十二年間そのまま行方知れずになる例は世にどれほどあるのだろう。他国ではないこの日本で……。

 前に調べたことがあるが、最近五年間の家出人総数は八万人強で、そのうち犯罪や自殺に関連するケースが約半数。十歳代が約二万人で全体の四分の一弱。未成年では中学生が最も多く全体の約四割。次に多いのが高校生で約二割五分となっている。

 わたしが家出した時代だと家出人総数が約十万人だったから、各割合が上と同じと仮定し、約二割増し。つまりわたしの家出は当時も今もそれほど珍しいケースではなかったということ。

 そういえば蒸発という言葉が、過去に流行ったことを思い出す。文字通りの意味なら液体の気化を表すが、家族を含め、知り合いの目からすっかり見えなくなることを指す。蒸発した人間の何割が死に、何割が海外に逃げたのか、わたしには想像すらできない。何処かの恩賜公園一箇所に集めればぎゅう詰めとなる数だろう。

 食事やその日の就寝先を世話してもらう目的で男に阿(おもね)続けたわたしだが、幸いなことにヤクザや暴力団関係者に囚われることなく現在まで過ごす。脱法ハーブ/麻薬/覚醒剤とも関わりなく、実は壁一つ隔てた先で何件かの事件を経験するが、いずれも巻き込まれることなく逃げている。あるいは宿の主人または従業員たちに逃がしてもらう。

 この先もそれが続く保証はないが、少なくともわたしはこれまでとても恵まれた境遇にいる。不思議と大病にも罹っていない。だから、わたしは家を出てからずっと父の血を薄め続けてきたのかもしれない。

 バブルは疾うに破裂しており、多くの――特に女――学生たちにとり就職氷河期が続く。が、当時バブルに乗ることができず細々と生き残った家族経営の食堂が地方にはまだ多く残り、わたしもまた細々と生き延びる。家族ではないが、擬似家族的な共同体の中で……。

 セクハラ/モラハラはどこでも/いつでもあるが、当の本人たちは、どこまでそれに自覚的だったか。

 老店主や、それほどの歳でもない二代目や三代目店主、レズビアンの女主人、それから当然のように性に貪欲な若い男性店員。彼や彼女たちの誰にせよ、想う相手がわたしである必然性など何処にもない。ただの気まぐれか偶然だ。たまたまわたしがそこにい、他にそそる相手がいなかっただけ。

 事情は種々だが、毎日誘われるのが面倒になり、もちろんそれ以上に肉体に関する興味が勝り店主と寝れば、いずれその妻が狂う必然。若い店員と寝たときには店主やその家族からそれとなく結婚を勧められるか、逆に店主の娘に憎まれ、追い出されるか。食堂で働くという生活は、そんなことの繰り返し。珍しくもなければ面白くもない。少なくとも家出がなければ普通に女学生をしていた年齢のわたしにさえ、普通に想像できるような狭い世界。

 もっともレズビアンの女主人と始めてセックスしたときには、その余りの気持ち良さに癖になってしまう。性に淡白なわたしには驚天動地の出来事か。が、それも女主人に強引な所有欲が生まれ、それまでとなる。

 わたしには家出後の自分の経験を綴ったノートがあり、それを頼りにこれまでいくつも小説を書いている。父や母や妹が当分この世に居るとわかっているので、ただ書いただけだが……。今更とも思うが、娘の破瓜を本人が書いた小説で読みたいと思う親などいないはず。妹に至ってはわたしの小説を読むと考えることさえ論外で、読めばそれを元にまたネチネチとわたしを責め立てるに違いない。

 要するに家出から十年以上経ちはしたが、わたしはまだ家族から解放されていないということ。

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