4 懐

 そんなことがあってからも妹の益田さん詣では続いたようだ。わたしはそれ以上興味がなくなり、気にもしなくなる。

 老獪な益田さんが口を滑らしたとも思えないが、やがてわたしが彼に会ったことが妹に バレる。当初妹はわたしが親にそれをバラすのではないかと気に病んだようだが、わたしが微塵もそんな素振りを見せないと知り、安心してわたしに小言を並べ始める。

「お姉ちゃんは勝手、お姉ちゃんはワガママ、お姉ちゃんは冷たい、お姉ちゃんはわたしの……」

 わたしが他人に対し冷静/冷徹なのは父親譲りの事実だが、それを自覚するのはかなり後だ。小学生、中学生時代には自覚していない。他人の行動や気持ちに合わせるつもりがまるでなく、独りでいても平気な子供。当時のわたしのポジションはそんなところ。

 けれども変人であろうと子供時代には友だちができる。多くの子供は極端でなければ知恵遅れとだって遊べるわけで、だからそこには大人の寛容さとは違う子供独自の世界観があったのだろう。学校という名の強制集団社会が存在していればのことだが……。

 一般の子供から外れていたわたしが、いわゆるイジメに遭わなかったのは、たぶん鈍感だったから。実はクラスの何人かからイジメられていたらしいが、殆どの場合、気づきもしない。イジメる立場の者からすれば、張り合いがないことこの上ないはずだ。だから相手にされなくなったのだろう。彼女や彼らの相手は探せばいくらでもいたからだ。

 逆にイジメたつもりがないのに、そう思われた経験がわたしにはある。正確にはイジメとはいえないだろうが、クラスの一人が事故で死んだときに悲しまなかったら、そう思われる。当時の今でも考えは変わらないが、人は死ねばそれで終わり、先はない。天国や地獄あるいは霊界/異界は生きている人間たちのためにこそあり、死者が入れるはずもない。いや、そもそも死者が入れる場所など何処にもない。死ねばモノに還るだけ。いくつかのSF小説のように電脳世界に人格が保存されれば肉体が滅びようとも意識が継続されるだろうが、それはそれなりの生であり、あるいはヒトではないナニモノかの『生』だろう。だから、どちらにしても死後の世界とは呼べないはずだ。

 常日頃からそう考えていたわたしは朝のホームルームの時間に担任からクラスメイトの死を知らされたとき、ああ、彼女は物質に戻ったのだ、もうこの世の何処にもいないのだ、と思っただけだ。彼女が生まれたときからわたしと一緒に育ったような間柄だったら、さすがのわたしでもかなりの喪失感を味わったはずだが、クラス内で班を組み、一緒に調べものをしたとことがあるばかりで特に深い付き合いはない。

 それでも小学生だから互いの家へ遊びに行ったり、誕生会に呼んだり呼ばれたりはしたものだ。だから立派に、わたしも彼女の友だちの一人。よって悲しまないのは可笑しいという理屈。

「海老原さんって讃井さんのこと嫌いだったんでしょ。だから全然悲しまないんでしょ。ねえ、そうなんでしょ」

 わたしの席の前に突如現れた彼女たちと彼が口を合わせ、わたしを責める。

「クラスメイトの一人が死んだっていうのに……。もしかして海老原さん、裏で讃井さんをイジメてたわけ」

 その言葉を聞き、わたしは内心、そんな暇があれば好きな本を読むか、勉強でもするよ、と思ったが、そのときふと、わたしは彼女=讃井沙世が以前わたしをイジメていた一人だったと思い至る。彼女のその行為はわたし自身の鈍感さのため、結局のところ未遂で終わるが、それでも下駄箱に虫を入れられたり、机を教室の外に出されたり、鉛筆や消しゴムを隠されたりはしたわけで、行為としては未遂ではない。けれどもわたしが驚きも泣きも怒りもせず、粛々とそれらに対応したから、イジメとして成立しなかっただけ。

 わたしを非難しにやってきた彼女たちと彼は、おそらくそのことを知っていて、だからわたしが彼女をイジメ返したのかもしれない、と想像したのだろう。

 いわゆる仕返し。

 わたしが讃井沙世を嫌っていれば、あるいはそれもありえたかもしれない。が、わたしにとって彼女は単なるクラスメイトの一人で、さらにいえば、わたしの人生に何かの影響を与えるとも思えない、どうでも良い存在。だから好んでイジメようとは思わない。

 ところが――

「お通夜にだって来なかったし、机の上のお花に一回の礼もしないし、海老原さん、やっぱり何か後ろめたいことがあるのでしょう」

 わたしに対する三人の勘ぐりが続く。

 言葉が宙に消え去ってなお、ネチネチとわたし周りの空気を穢す。

 けれども彼らはわたしに一体どう返答して欲しかったのだろう。

『ええ、あなたたちの言う通りよ』

 とでも応えれば良かったのか、それとも、

『いいえ、わたしはあなた方と違って表面に出さないだけで実は深く悲しんでいるのよ』

 とでも言訳するのが正解だったか。

 今のわたしだったら、まるで韓国の泣き女のように、わおわおわお、とわざと大声で泣き喚き、彼女たちと彼の三人を吃驚させて愉しむかもしれない。が、当時のわたしは純粋だ。そんな対応ができるはずもない。それで単純に、

「あなたたちには関係のないことでしょ」

 極めて冷静/冷徹に返しただけ。

「讃井さんが事故に遭って亡くなったのは、そりゃあ、彼女や彼女の家族の方々にはとても悲しい出来事だと思うけど、それだけよ」

 真相は知らないが讃井沙世は池に落ちて死んだという。だから、その死は自己責任だ。さすがにわたしもそこまで指摘しないが……。

「ホラ、チャイムが鳴ったわ。早く席に着きなさいよ」

 そう続けただけ。

 それから暫くの間、わたしは心の冷たい女とされ、クラスメイト数人に無視され続ける。が、不思議なもので、

「衿子ちゃん、あの人たちのことなんか、ちっとも気にすることないから」

 そう宣言する海老原衿子擁護派が数人現れ、いずれすべてが有耶無耶のうち、クラスメイトがバラバラになる。その頃学校全体に試されていた共産党系教師たちの実験があったようで、わたしたちの年代は一年毎にクラス替えが行われたからだ。

 その先は種々の怪我こそあったものの事故で死ぬ子供も性犯罪に巻き込まれる子供もなく、それぞれの子供がそれぞれの親や本人が望む/あるいは望まない学校に進み、讃井沙世のことなど誰の頭の中からもすっぽり忘れ去られてしまう。

 逆にわたしは時が経つに連れ彼女のことが気になり始め、金網の張られた溺死現場を何度も見に行く。

 おそらく偶然だろうが、そこはわたし自身の秘密の遊び場でもあり、わたしがそこで積んだ石の段に足を取られ、讃井沙世が死んだなら、わたしは彼女に呪い殺されるかもしれない、と理不尽な思いに取り憑かれたことを思い出す。

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