30

 流暢な英語であった。

 順弥は隙を見せることなく、ずっと気になっていたその気配に向けて話しかけたのである。

「なんや、気づいとったんかいな」

 気の抜けそうなほどの関西弁は、順弥の背後にある岩陰からした。

 それに関してはさすがの順弥も驚いたようだ。

 思わず隙だらけになって、その岩陰の方に眼をやる。

 程なくして、一人の青年が姿を現した。

 イギリス人のようだ。

「何者だ?」

 順弥も日本語で聞いた。

「お前さんとおんなじや。こいつらに、何もかもを奪われた男や」

 笑いながら言う。

「――ところで、いつから気づいとった?」

「最初からだ」

 その答えに、青年は口笛を吹いた。

 順弥にしてみれば、自分の他にもう一人の人間がこの荒野にいることなど、この戦闘の最初で見当がついていた。

 敵の数、包囲網の大きさ、自分に群がってくる敵の数、そして、倒した覚えのない敵の姿。

「さすがやな。噂通りや」

「うわさ?」

「せや。ナンバー一〇五。日本に不死身の魔装兵士がいるというのは、本国にいるときからよう聞かされとった」

「何者だ?」

 順弥の兜の奥の眼が険しくなる。

「おおっと、そない怖い顔をせんでもええ。俺の名は、えーっと、ゼロや」

「ぜろ?」

「せや。もちろん、本名とちゃうで。本名は知らん。ま、そんなことはどうでもええ。俺は――」

 そして、ゼロと名乗った青年は話し始めた。

 ゼロは、『ノウド』のイギリス支部が開発した兵士の一人だ。イギリスでは、主に超能力といわれる超感覚的知覚を飛躍的に高めた兵士の開発を行っていた。

 風や火を操る者、空を自由に飛び回る者、超高速で移動する者、姿を消せる者、そして念動で物体を動かすことの出来る者――そういった、ありとあらゆる超能力者の開発。

 今では数多くの超能力者〝魔導師ウィザード〟たちが、世界中に配置されているという。

 いつか来る、そのときのために。

 ゼロは、そういう魔導師を目指して開発された、いわば試作体プロト・タイプなのだという。

 試作体は、その後続々と開発される魔導師のためのデータを取るため、あらゆる超能力の研究実験の対象になった。その後、順調に開発が進むと、今度は彼等の超能力を高めるための、モルモットとして模擬戦闘の犠牲となった。

 試作体の意志は完全に封じ込められ、どのような命令にも逆らうことは出来ないのだ。

 そうして死んでいった試作体は、数十体にものぼるという。その中で生き延びたのが、彼一人なのだ。

 どうやって生き延びたのか。

 ボロボロになって、あとは死を待つしかなかったゼロを助けた人物がいるのだ。

 その人物――少年だった。年齢は一〇歳にも満たない少年だった。ゼロよりも遙かあとになって開発されたサイコメトラー。

 物質の記憶を読み取る超能力者が、ゼロの腕に偶然触れたとき、少年はゼロの脳裡に抑え込まれた記憶を読み取り、涙したのだ。

 そしてその涙が、ゼロの意志にかけられた枷を取り去ったのだ。

 自分の意志を取り戻したゼロに対し、少年は彼の知る限りの情報をゼロの脳裡に逆に流し込み、ゼロを『ノウド』の手から逃れさせた。

「そして、彼は射殺された…」

「…………」

「自分の命が、そうなごうないことに気づいとったんや。俺も含めて、魔導師たちは無茶な調整をしとるから、超能力を使うたびに、自分の命をすり減らしとるんや」

「……『いつか来る、その秋』って何だ。それに、奴等は何者なんだ?」

「もう、気づいとる筈やで。――『その秋』っちゅうのが、いつなのか俺も知らん。だが、なにをやらかそうっちゅうのかは、わかる」

「全世界の軍事バランスの転覆。そして――」

「全ての『ノウド』兵士による世界大戦の勃発とその後の支配」

「そんな馬鹿なことが――」

 出来るわけがない。いや、そういいかけて、言葉を飲み込んだ。

 簡単に出来てしまうのだ。

 自分のこの化け物の如きパワー。

 如何にそれが規格外のものであったとしても、それに近いパワーと生命力をありとあらゆる兵士が持っているのだ。

 これに対抗し、倒しうる力など、この地上には存在し得ないのだ。

 恐るべき悪魔の軍団。

 核兵器にも耐えうる、その悪魔軍団が一斉蜂起すれば、数日のうちに世界は滅びるだろう。

 倒せるのは、同じパワーを持つ自分たち二人だけ。

「そんなことを考える奴等とは……」

 信じられないことに喉が渇いてきた。錯覚かもしれなかったが、今、改めて自分たちの敵というものを認識して、興奮しているのだ。

「神の軍団」

 やはり。

 あのとき、早坂京子も歓喜のうちにそういったではないか。

 やはり、自分たちの敵は、神だというのか。

「少なくとも、奴等はそう名乗っとるらしい」

 いや、アレは「神」だ。

 二年前、津田由紀のマンションで見た光の中にいた影。アレは、やはり「神」だったのだ。

「神が、悪魔の軍団を作ったというのか」

「彼が言うとった。この世に、悪魔などおらへんって。悪魔は、神が自分たちの威厳を保つために作り上げた仮想敵なんやって」

 神という超高次元の存在が、人類の精神を未来永劫支配し続けるため、悪魔という敵をでっち上げたのだという。

 そして奴等は、悪魔の軍団に世界を侵攻させ、それを排除することによって、再び人類の支配を強固なものにしようとしているのだ。

 遙かな昔、世界中を襲った大洪水のように。

 神の支配に身をゆだねた人間たちのみを残し、あとは全て消し去る。

 歴史のやり直しだ。

 神の意志に背いた女が塩の柱と化した、ソドムの町も、そうであったのかもしれない。

 神に近づこうして破壊されたバベルの塔。

 人間は常に、神の下僕でなければならないのだ。

「せや。奴等は、俺たち人間が自分たちに逆らうのをきろうとるんや」

 神に逆らうことがなければ、人間はエデンを追放されることもなかったかもしれない。

 大洪水に見舞われ滅びることも、塩の柱と化すことも、バベルの塔の崩壊により言葉が混乱することもなかっただろう。

 何よりも、パンドラがはこを開けなければ、人々は恐怖と絶望を知ることもなかった。

 しかし、人間が神に逆らわなければ、知恵の実を口にすることも、筺から最後に地上に現れた「希望」を手にすることもなかった筈だ。

 それは、悪魔が人間をそそのかした結果だ。

 だが、本当に悪魔とは敵なのか。

「ま、今はっきりしとるんは、『神』は、俺たちの敵やっちゅうこっちゃな」

「ああ」

 順弥は頷き、

「――ところで、気になっているんだけど、どうして、関西弁なんだ?」

「兄ちゃん、この状況でなかなかおもしろいことを言うやっちゃな。気に入ったで。その答えは、奴等を倒して、生き延びとったら教えたるわ」

 にやっと笑う。

 イヤな笑いではない。むしろ、心の底から笑い返せる笑みだ。

 だから、順弥も兜の奥で笑ったのだ。

「お。いい感じで笑えるやんか。どんな鬼みたいな奴かと思っとったんやで」

 ゼロは、そう言ってまた笑った。

「――さて、行くか」

「ああ。奴等――神の軍団を倒しに」

 そう順弥が宣言した瞬間であった。



 天よりそのような声が降り注いだ。

 ダイレクト・ヴォイスだ。

 世界が震えた気がした。

 愕然と晴れ渡った空を見上げる。

 そこには、太陽が二つあった。

 一つは、東の空よりのぼり来る赤色巨星。

 そしてもう一つは――

「神の軍団、か…」

 天球の中心に光があった。



 その声は直接、二人の脳裡に響いてくる。

 光は振動を続け、徐々に何らかの形を整え始めた。はじめは単なる光であった。それがやがて振動と分裂、増殖を続け、見慣れた――絵画や文献で見慣れた形になっていった。

 天使――

 数え切れないほどの天使の姿をした光が、彼等二人を天空から睥睨している。

 悪魔の軍団を創り上げ、人類を支配しようとしているのは、天使の軍団なのか。

「さしずめ、俺らは、『反キリスト』っちゅーわけやな」

 その言葉に、順弥は笑った。


〝おもしろい。やってくるがいい、我等の本拠地へ〟


〝貴様たちには、「死」よりも恐ろしい地獄を味わわせてやろう〟


「ああ。行ってやろう。だが、地獄を味わうのは、貴様たちの方だ」

「そのために、俺たちはここにいるんや」

 彼等の言葉に応えるように、天が笑った。

 大地を震撼させるように笑っていた。

 そして、光は消えた。

 待っているのだ。

 地獄の釜の蓋を開けて。

「行くか――」

「ああ」

 二人は歩き出した。

 二人の歩み行く先――果てしない戦いの向こう側に待ち受けるものは、未来へとつながる希望なのか。それとも……。


 その数時間後、これから先、未来永劫、時空を超えて繰り広げられる戦いの幕が上がったのである!

                                    完結

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ダークナイト 神月裕二 @kamiduki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ