29

 それからの二年間、順弥はその炎を消し去ることなく、過ごしてきた。

 社会に出て、アルバイトをしながら金をため、勉強し、身体を鍛え、生きてきた。

 そして今、順弥はこうしてアリゾナの地を踏みしめて立っているのだ。

 自分が向かうべき場所はわかっている。

 順弥は、今もあの羽根を持っていた。そして、あの羽根が教えてくれているのだ。

 それは、罠であったかも知れない。

 いや、ほぼ一〇〇パーセント、罠であろう。

 順弥は、これから先、自分に待ち受ける凄まじい戦いを予感していた。

 少年が自分の周囲を取り囲むように存在する無数ともいえる気配を察知したのは、それから二時間ほど経過してからであった。

 すでに日は落ち、あたりは深藍色の世界が支配していた。

 見上げれば、満天の星空。

 気温の下がった荒野を、乾いた風が吹き過ぎていく。

 その風が、順弥に知らせたとでもいうのだろうか。

 順弥は火をおこして、夜空を見上げていた。

 それほど腹は減っていない。喉もほとんど渇かない。

 この二年間で、自分の身体というものがイヤというほどわかってきた。

 工事現場では、大の大人が数人がかりでようやく持ち上げることの出来る鉄骨を、一人で持ち上げることが出来たし、セメントの袋も十袋ほど一気に運ぶこともできた。

 それに、どれほど動こうとも腹がほとんど減らないのである。

 何をエネルギーとして、自分という個体が動いているのか、全く見当もつかない。

 しかし、他人がいるところではそういう違いを見せつけることは、気味悪がられてしまうので、出来る限り普通の人間にあわせて生活してきた。

 しかし、ここでは、一人だ。

 誰に遠慮する必要もない。

 いや、遠慮したら最後、たどり着く場所は「死」そのものだ。

 生き延びるために、奴らを壊滅させるために、順弥は持てる能力の全てを発揮させなければならない。

 そして今、その能力が、風に含まれるほんのわずかな異物の気配を察知していた。

 順弥を中心にして、直線距離で十キロ。徐々に円を狭めるように、数多あまたの気配が近づいてくる。

 少年の双眸が輝きを放つ。『鳥人』の能力を吸収した順弥の瞳は、数十キロ先の敵の姿さえも確認することが出来るのだ。

「来たか――」

 凄絶な嗤いがこみ上げてくる。

 奴だ――

 身体が慄えた。

 遠く離れて過ごしていた心の恋人についに巡り逢えたかのような喜び。

 姿形は変わっているが、間違いない。

 あの、狂気に疾った――あの飛行機野郎だ。

 そう。順弥を取り囲む『ノウド』の兵士たちの中に、ファントムがいた。だが、そこに、あの美麗な男の姿はなかった。

 もはや、変形して優美なシルエットのジェット戦闘機になることもできないのだろう。全身が無骨な金属の装甲で覆われ、まさしく兵器の塊になり果てていた。

「迎えに行ってやるか」

 立ち上がり、足で土を蹴って火を消す。

 その眼は、すでに、遙か彼方にいる筈のファントムを真正面から捉えている。

 まず、奴を倒す。

 あとの奴等は、それからだ。

 嗤った。

 刹那、順弥の身体を白銀の鎧が包み込んだ。

 闇色の『騎士』ダークナイトに対抗すべくドクター池田が開発し、寺垣が身にまとっていた銀色の『騎士』シルバーナイトだ。

 そのデータを、順弥は爆発間近の教会地下室で、破壊されたコンピュータから、自分自身の記録とともに吸収したのだ。

 もはや、魔界へと続く闇と、そこから噴き出す地獄の業火は背負っていない。

 あるのは、輝かしい光芒である。

 順弥は、その『銀騎士』には似つかわしくない大きさの剣を一颯した。

 風が唸る。

「地獄へ、まっしぐらだ」

 巨大な剣を担ぎ、順弥が地を蹴った。

 言葉通り、まっしぐらに、荒れ果て乾いた大地を駆け抜けていく。

 醜くなったファントムの顔が眼前に迫る。

 ファントムが凄絶な笑みを浮かべた。

「小僧!」

 もはや、その叫び声にも、あのときの優雅さは微塵もない。

「久しぶりだなぁ、小僧! 会いたかったよ。お前の所為せいで、俺はこんな身体になっちまった。俺の身体をこんな風にしてくれた礼を、貴様の身体に叩き込んでやるよ!」

 右腕が挙がった。

 しかし、そこに拳はなく、あるのは巨大な砲身であった。

 轟音もろとも、順弥めがけて砲弾が撃ち出される。

「それは、こっちのセリフだぁ!」

 裂帛れっぱくの気合い。

 真っ向から剣で砲弾を叩き落とした順弥を、しかし、ファントムの哄笑が迎えた。

「ぬかせぇ!」

 左腕が瞬時にして長大な剣に変形し、空気を切り裂いて疾る。

 ジャンプしてこれをかわし、順弥はファントムの背後に降り立つ。

 ッ!

 気合い一閃!

 しかし、渾身の力を込めて振るわれた順弥の剣を、ファントムは背のうバックパックを変形させた鋼鉄の腕でわし掴みにした。

「――!?」

 そのまま、ものすごい力で空中に放りあげる。

 全身のミサイルポットが開き、数十発もの小型ミサイルが順弥めがけて白い尾を引いて集中する。

 一斉に爆発。

 爆炎の向こう、ボロ雑巾のように順弥らしき影が落下する。

「ぶち殺してくれる!」

 げらげらと嗤って、背のうのブースターを使って、一気に順弥に肉迫する。

 見ろ、奴はボロボロだ。

 ひゃははははは。

 殺してやる。

 俺をこんな姿にした貴様の身体を引きちぎって、二度と再生など出来ぬように、今度こそ原子までも分解する光の中に葬り去ってくれるわ!

 ブースターを再び巨大な一対の猿臂に変形させ、ふらふらと立ち上がりかけた『銀騎士』の兜をわし掴みにした。

「終わりにしてやるぞ、一〇五号!」

 瞬間、ファントムの腹部装甲が左右に展開する。そこには、腹部いっぱいに埋め込まれた巨大な穴がった。その穴が、斜め上方に向けて位置修正される。空中にある順弥の頭部に狙いを定めたのだ。

 砲身…?

 順弥は兜の隙間からその穴を見て、そう直感した。

 だが、その内側にはまばゆい光の粒子が超高速で回転していた。

「――!?」

 光子炉か!?

 二年前のイヤな思い出がよみがえる。助かったとはいえ、あの光に身を包まれるのは恐ろしい経験であった。

 光の超振動が全身を揺さぶるのだ。

「わかるか! そうだ。この光は光子炉の光だ。これは、光子炉を改造した光子砲なんだよ! 全ては、貴様を殺すためのものだ!」

 全身を勝利の喜びに打ち振るわせながら、ファントムは嗤う。

「ちいぃぃぃ」

 こんなところで、俺は、死ぬわけにはいかないんだ!

 順弥が、自分の頭部を掴み止める腕を振りほどこうともがく。

「死ねぇ!」

 真正面っ!

 光が順弥を包み込む!

「わああああああ!?」

 そのときファントムは見た。

 そこから放たれた光のビームに包まれていた順弥の身体が、かき消されるように自分の視界から消え去ったのを。

 光に分解されたのではない。

 文字通り消えたのだ。

 どこへ?

「上か!」

 しかし、天には無数の星々が瞬くのみで、『銀騎士』の姿はない。

 瞬間、ファントムは自分の視界が左右でずれ始めるのを感知した。

 順弥は上に飛んだのではない。

 光の中、順弥はファントムの巨大な身体の死角へと潜り込み、股間から頭頂めがけて一気に剣を振り上げたのである。

 断末魔の叫びを上げ、左右へ倒れるファントムの体内で、光子炉が爆発する。

 凄まじい光と圧力が順弥たちを圧し潰す。しかし、爆発は意外なほど小規模であった。直径十数メートルほどのクレーターを作っただけにすぎない。

 暴走がピークになる前に破壊すれば、それだけ爆発を抑えることが出来るということか。

「まず、ひとり」

 鎧の面貌についた油だか血だかを拭いながら、『銀騎士』は嗤う。

 周りには、まだ無数の人外の兵器がいる。

「つづきだ」

 それが合図であったかのように、血に飢えた獣の如き勢いで、咆哮をあげ、順弥に群がっていった。

 そして、風に血の臭いがまじり始めた。

 吹きすさぶ風が真っ赤に見えるほどの、それは血の量であった。

 肉と骨を断つ音。

 枯れ木を踏み折るような音。

 奔騰する血の音。

 臭い。

 絶叫。

 血煙の中、銀色の『騎士』は、まさに鬼神のごとき勢いで、次々に敵を屠っていく。

 ファントムやガルムと同じ機械化兵士もいた。

 順弥と同じ魔装兵士もいた。

 不思議な武器を使ってくる兵士もいた。

 これは、能力を吸収してわかったのだが、『ノウド』の中国支部が開発した兵士であるらしい。中国の古い書物に出てくる武器を近未来風にアレンジしたものだ。

 その他にも、フランス、ロシア、インドなどといったさまざまな国にある支部が、それぞれの特色を活かした悪魔のごとき兵士を開発し、その能力を披露するかのように順弥にぶつけてくる。

 疲れを知らぬ機械のように、その殺し合いは延々と続けられた。

 いや、もはや一方的な殺戮に他ならなかった。

 一度にどれほどの兵士が群がろうとも、『銀騎士』はものともせずに敵を動かぬ肉や機械の塊と変えていく。

 そして、空が仄かに白み始める頃、戦いはようやく一つの終結を迎えた。

 赤茶けた荒野の一部が、深紅に染め上げられ、その中心に、銀色の『騎士』がいた。しかし、もはやその『銀騎士』も輝きを放っておらず、赤き鬼のように朱に染まっていた。

 動くもののいない荒野で、しかし、順弥は『銀騎士』の鎧を解除することなく、太陽が昇るのを待っていた。

 と、ゆっくりと血の色が魔装鎧の表面から消えていき、もとのまばゆいばかりの銀色が顔をのぞかせる。

「――出てきたらどうだ?」

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